第071話 アドリアンの願い
サマセット伯爵やアリス王女との会議が終わった後、ユートたちはすぐに旅の準備を始めた。
なにせたった二日で北方まで行く準備をしなければいけないのだ。
時間はない。
「レオナ、そのルートってどういうルートなんだ?」
「あちきたち獣人だけが知っている死の山越えの道ニャ。まあ餓狼族どもは略奪だかにも使っているニャ」
死の山というのは遙か東海洋から端を発し、大陸を横断して西方まで、北側に広がる大山脈のことだ。
この死の山と呼ばれる山脈を越えれば北方となり、その北方には獣人たちの住まう大森林が存在している。
山中では強い魔物が出る上、越えたところで魔の森か北方大森林なので最東部、海岸と死の山の境目あたりに北方街道を切り通した以外は誰も越えようとはせず、ずっと放置されてきていた。
魔の森が少ない北方の狩人たちはこの死の山に入って魔物を狩っているらしいが、それもごくごく平野に近いところの一部であり、死の山を縦走して北方に出よう、などというのは前代未聞のことだった。
「……そのルートって色んな意味で危なくないか?」
「ちゃんとした道じゃないから危ないニャ。しかも餓狼族どもと鉢合わせる可能性もないとは言えないニャ」
「あんたは通ったことがあるの?」
「あるニャ。その道を通ってあちきは北方の大森林から西方まで出てきたニャ」
まあ通ったことがあるというならば通れないことはないのだろう、とは思ってそれ以上追及するのはやめる。
「ちなみに、北方までどのくらいかかるんだ?」
「一ヶ月以上、二ヶ月はかからないくらいニャ」
「……それ、食糧どうするのよ? 馬車は使えないのよね?」
「無理ニャ。あちきは山の中で魔物を狩って食べてたニャ」
現地調達か、とユートは頭を抱える。
とはいえ、一日分で一キロにもなる食糧を二ヶ月分も背負って、さらに幼いアナを連れて山を越えようなどというのは無理だな、とも思う。
「非常用の麦を少し持っていって、あとは現地調達しかないか?」
「そうね……でもあたしたちはいいとして……」
そう言いながらエリアは、ユートたちに用意されたサマセット伯爵邸の客室までなぜか付いてきたアナを見る。
ユートたちも食糧を削るほどまでなのだから、アナの荷物を誰かが持つ余裕は恐らくないだろう。
そうなると、アナは最低限の荷物を持ちながら険しい死の山を越えていかなければならない。
「わたしは大丈夫ですよ!」
両手の拳を握るが、小さな身体でそんなことを主張されても全く説得力はなかった。
「獣人は身体能力には優れているニャ……でもアナ姫は先祖返りだからどうかわからないニャ……」
「前から言ってるけどその先祖返りって何?」
「エルフといっても長い歴史の中で獣人の血が入っている者がほとんどニャ。だから時折エルフの子なのに獣人が産まれてくることがあるニャ。そうなった時に――例えば猫の獣人が産まれた時、あちきら妖虎族が受け容れるのか、エルフの中でやっていくのか、いろいろと問題になることが多いニャ」
隔世遺伝という奴か、とユートは当たりを付けていたが、エリアはよくわからない、という顔をしている。
「まあ獣人の問題はいいニャ。アナ姫は力は強い方かニャ?」
「それとアナでいいのですよ。今から慣れておかないと旅の途中で姫様と言われても困ります。わたしは力は姉様よりは強いのです」
「まあ少しは獣人の血が仕事してるようニャ。それなら最低限の荷物は持てるかもしれないニャ」
レオナがそう言って、ようやく誰がどのくらい持てるか、何が必要かを検討し始めることになった。
翌日、ユートたちはだいたい決まった持ち物の配分に基づいて必要な物の買い出しに出かける。
買い出しに行くのはユートとエリアの二人だけで、レオナはアナに護身用の剣の使い方を教えることになっていた。
また、セリルはいつまで経っても体調が良くならないので典医に見てもらうことにして、アドリアンとともにサマセット伯爵邸に残った。
「ねえ、ユート! 前に買った串焼き、覚えてる?」
街に出て屋台が並ぶあたりを通っているとエリアがそんなことを言ってきた。
ユートは必死に記憶を辿る――そう、あれはエリアと初めてこのレビデムに来た時に買った屋台の串焼きだった。
「ああ、覚えてるぞ。確かそこらの屋台で買った微妙に高い串だったよな?」
「美味しかったわよね!」
「探してみるか?」
「一応、買い物終わってからね」
そんなことを言い合いながら、堅パンに干し肉に大麦に塩と、必要なものを買い込んでいく。
「テントも必要よね」
「それは軍のを借りた方がよくないか?」
最近は馬車で寝泊まりしているので、正直テントを買っても荷物になるだけ、と思っている。
「じゃあテントはとりあえず置いといて、これで全部になるの?」
「だな」
「よし、買い食いよ!」
さすがに二週間分の食糧、となるとそれなりに重たくなっていたがエリアはそんなことは気にせずに屋台の方へ歩を進めた。
まずは串焼きを探したのだが、残念ながら屋台はなくなったのか、見当たらない。
「残念すぎるわ! 美味しかったのに……やっぱり高かったのがまずかったのかしら?」
「かもな。でもそういえばあの時に将来は店を出したいって言ってたけどな」
「もしかしてどこかで店を出してるかも! ちょっと聞いてみる!」
エリアはすぐに周囲の屋台で買い食いをしている冒険者や町の人に聞いて回る。
「ユート、街のはずれで小さな店出したそうよ! 今から行きましょう!」
「わかったわかった」
エリアに引きずられるようにして大麦やらを持ちながらレビデムのはずれまで歩かされる。
なかなかにわかりにくい店構えだったが、エリアに教えてくれた冒険者が事細かに伝えていたおかげもあって迷わずにたどり着くことが出来る。
店に入ってすぐに串焼きを注文、さらにエリアはちゃっかりエールまで頼んでいた。
「あんたも飲みなさい。次はいつ飲めるのかわからないのよ」
いくらエリアでも、さすがに狩人や護衛依頼中に酒を飲むような真似はしない。
そんなことをすれば魔物や盗賊に隙を突かれて死ぬ可能性が高くなるだけであることはわかっているらしい。
「あ、ああ」
そう言いながらユートも木のジョッキに入ったエールをあおる。
「やっぱ美味しいわね!」
「エールが、かよ!?」
「串焼き、よ」
エリアはそう言いながら串焼きを一本、二本とたいらげていく。
相変わらず魚の切り身にベシャメルソースがよく合っていて美味しい串焼きだった。
「これ、串焼きにする意味あるのか?」
「あるんだよ。俺の中には、な」
ユートがふとした疑問を口に出すと、不意に後ろから声がかかった。
「わざわざこんな店に来て串焼きを頼むのは前に屋台通りで屋台を出していた頃の客だけだ。そのお客さんのお陰で店を持てたんだから意味はあるんだよ。お兄さんとお嬢さんは確か二年くらい前に会ったな」
よく二年前に一度だけ訊ねてきた客のことを覚えているものだ、とユートは感心する。
「よく覚えてたわね!」
「そりゃ客のことは覚えてるぞ。そうじゃないとこんな商売は出来ん」
そう言って店主は豪快に笑い飛ばす。
服装こそシェフらしい生成りのシェフコートだったが、中身は屋台の店主のままなのだろう。
「ま、店をやるようになってから増えたメニューもあるし楽しんでってくれ」
そういうと店主は奥に引っ込んでいく。
「二年前はエレルの一冒険者、狩人なりたての冒険者だったのよね」
エリアがその店主の後ろ姿を見ながらぽつりと呟く。
「どうした?」
「ううん、大したことじゃないわ」
「言ってみろよ」
「……あたしね、時々怖くなるのよ。冒険者ギルドを作って、タウンシェンド侯爵とサマセット伯爵の争いに巻き込まれたり、今度は王位継承に関わったり、いったいあたしたちはどこに向かって進んでってるんだろう、って」
確かにただ冒険者と商会や西方直轄領民が楽になればいい、とだけ思って始めた冒険者ギルドのはずなのに、気付けばそれどころではなくなっているのはユートも感じていた。
「でも、ギルドを守る為には必要だろ?」
「それは認めるわ。でもギルドを守る為にあたしたちはどこまで大きくなっていかないといけないんだろう」
愁いを帯びたエリアの瞳が、ユートを射抜く。
その真っ直ぐな瞳に、どきりとさせられると同時に、その瞳の強さからエリアが本当に憂いているのがわかった。
「ごめんね、愚痴みたいな話をしちゃって」
エリアはそう言うと、ぐびりとエールを飲み干した。
ユートたちがサマセット伯爵邸に帰り着いたのは、既にあたりが夕闇に包まれそうになるような時間だった。
「遅いニャ」
「ごめんごめん、ちょっとご飯食べに行ったら思いの外遠くて」
「……酒臭いニャ」
レオナにそう指摘されてもエリアはどこ吹く風だ。
食事の時は落ち込んでいるように見えたエリアだったが、少し経てばすぐにいつもの元気なエリアに戻っていた。
「ともかく、アドリアンがお待ちだニャ」
「え?」
「セリーちゃん、大丈夫だったの?」
「全部アドリアンから聞くニャ。セリルは別の部屋に移ったニャ」
慌ててセリルが移ったという別の部屋に行くと、アドリアンもそこにいた。
「おう、帰ってきたか」
「ねえ、アドリアン! セリーちゃんは大丈夫なの!?」
「…………あ、ああ、大丈夫だ」
少し目が泳ぐアドリアン。
「どうなのよ!?」
「エリーちゃん、大丈夫なのよ。えっと、赤ちゃん出来ただけだから」
セリルの言葉にエリアもユートも一瞬言葉を失った。
「え、アドリアンの!?」
「うん」
「おめでとう! でいいのよね!?」
エリアは満面の笑みを浮かべてセリルを祝福する。
「アドリアンもおめでとう!」
「おめでとうございます」
「ああ、ありがとうな」
照れくさそうにアドリアンが頭を掻いた。
「で、ユート、ちょっと話があるんだけどよ?」
「なんですか?」
「おう。ここじゃなんだし、どっか別のところで話したいんだが」
真剣なアドリアンの顔を見て、何だろう、と思った。
「お前、今度爵位をもらうんだよな?」
「ええ、男爵なのか何なのかわかりませんけど、アリス王女が即位すればそうなりますね」
その言葉を確認すると、アドリアンががばっ、と土下座した。
「ユート、頼む。俺を従騎士にしてくれ」
「え? あの?」
「これを機にセリルと結婚したいんだが、あいつの親に話をしに行くときにただの冒険者じゃ話にならねぇ。頼む!」
「あ、は、はい。いいですけど……仕事は今と変わらないですよ?」
アドリアンの勢いに押されるようにしてユートは頷いた。
「すまん! 恩に着る」
「いえ、どうせアドリアンさんたちも同じ仕事をしてるんですから、むしろ自分だけが貴族になって申し訳ない気もしますし」
「そいつは違うぞ。お前は責任者で、俺たちはそうじゃないからお前が評価されるのは当然だからな」
そう言うと、もう一度頭を下げた。
ユートは何か釈然としていなかったが、まあアドリアンが構わないというならばそれ以上は何も言わないことにする。
「それにしてもアドリアンさんが結婚するとは……」
「おいおい、お前俺をなんだと思ってやがる」
「いや、だって三十路まで結婚してなかったし、独身主義者なのかと……」
「まあ、正直家族を作るのは怖いところはあるけどな。冒険者が危険ってのもそうだしよ、あんまり親の記憶がないから本当に家族を作れんのかってのもそうだな」
アドリアンは苦笑いしながらそんなことを言う。
「そういえばお前はどうなんだ?」
「どう、とは?」
「エリアだよ。エリアと付き合おうとかそういうのはないのか?」
「……なんでエリアなんです?」
「いや、ずっと一緒にいるし、そうなのかと思ってたんだが……」
アドリアンが不思議そうにユートを見ていた。
セリルが妊娠したことで、アドリアンはともかくセリルは北方に行くことは出来なくなった。
アドリアンは残りたそうにしていたが、セリルに二人も抜けたらパーティがまともに動けない、と諭されて北方に赴くことになり、その間セリルはこのサマセット伯爵邸で預かってもらうことになった。
「魔法使えるのがユートだけってちょっと厳しいわね」
夜、エリアがぽつりとそんなことを言った。
「まあしょうがないニャ。死の山は魔物は強いかわりに群れは少ないから大丈夫だニャ」
「レオナがそう言うならそうなんでしょうね。ともかく早く寝ましょう! 明日は早いわ!」
そう言うとすぐに灯を吹き消してしまった。
翌朝、セリルに見送られてユートたち四人と勅使のアナ、アーノルドの六人は、レビデムを出発した。