第068話 予期せぬ訪問者
ユートたちがレビデムへ戻ってきたのはそれから二週間後の八月十五日のことだった。
レビデムに着くと、マシューはパストーレ商会の本店へも寄らず、そのまま役所に行って手続きをして、西方軍の駐屯地へと武器の類を運び込んだ。
万が一盗み出されて盗賊にでも流れれば、西方直轄領の治安の面からもパストーレ商会の信用の面からも大変なことになるので、大量の武器を抱えているのは不安だったのかもしれない。
「ユート殿が護衛だったのですか」
駐屯地でマシューが商会の人夫たちを使って武器を運び込んでいるのを護衛として眺めていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「ええ、それでちょっとメンザレまで行ってました」
「ほう、あそこはなかなかに面白い街でしょう。東方文化と西方文化の入り交じる街ですから」
「煉瓦造りの建物と木造の建物が入り交じってるのは少し驚きでした」
西方冒険者ギルド事件で共に戦った戦列歩兵大隊長セオドア・リーヴィスとそんな他愛もない話をしているうちにマシューたちの運び込む作業が終わったようだった。
「ユート殿、今回の護衛ありがとうございました」
「いえいえ、無事で良かったです」
事実、護衛として戦ったのは散発的な魔物の襲撃相手であり、恐れていた盗賊や、魔物の大規模な群れというようなものと戦うことはなく、ユートからすれば楽な仕事であった。
「また次もよろしくお願いします」
マシューはそう丁寧にお礼を言って去っていった。
「さて、俺たちもエレルに帰るか」
護衛の仕事が終わった以上、レビデムにいる必要はないし、一ヶ月以上も空けることになったギルドの仕事もこなさなければならないから早くエレルに戻る必要があった。
だが、その前に一つ片付けておくべきこともある。
メンザレで襲撃されているところを偶然助けた姉妹、アリアとアンだった。
「アリア、行くあてはあるのか?」
「ええ、何から何までありがとうございます。今は護衛の報酬を払えませんが、次に会う時には必ず」
「いや、いいんだ」
ユートはアリアたちの護衛に報酬をもらうつもりはなかった。
これはパーティで相談したことだったが、さすがに少女たちの境遇を見るにつけ、報酬を要求するのは可哀想だということで一致していた。
「ここでお別れなのは寂しいです……」
アンがぽつりと呟く。
「アン、いい子にしてたらまた会えるわよ! あたしたちだってエレルに引きこもってるわけじゃないし、レビデムに来る時もあるわ」
「そうですよ、アン。絶対にユート殿たちにはまた会えます」
エリアが慰め、アリアがそう言うと、アンは一転して嬉しそうな顔を見せる。
「じゃあな!」
ユートたちは門前でいつまでも手を振るアンに見送られてレビデムを起ち、エレルに戻ったのは八月二十日のことだった。
「帰ってきたら現実、だな……」
ユートは目の前に積み上げられた書類の山を見て呆然としながら呟いた。
この書類の山はもちろん、一ヶ月以上もギルドを空けていた代償だ。
アーノルドや受付の五人、マーガレットが頑張ってくれたとはいえ、いくらなんでもギルド幹部が全員いない状況では決裁できない書類が大量に出るのは必然だった。
「やっぱり五人でパーティってもう難しいのかもね……」
エリアがぽつりと呟いた。
五人で出かけようとしても、ちょっと長めの依頼を受ける度にこれだけの書類の決裁が滞るようではおちおち長時間拘束される依頼を受けてられない。
「でも、なぁ……」
せっかく五人でここまで来たのにパーティを解消したくはなかった。
「とりあえずそれは後で考えるニャ。今はこの書類をどうにかすることだけ考えるニャ」
こうした時、何よりも戦力になるはずのセリルは相変わらずの体調不良であり、今も二階で臥せっている。
面倒くさがりなアドリアンは書類仕事に関しては役立たずとして戦力外通告されている身なので、必然的にユート、エリア、レオナの三人でこの書類の山を片付けなければならない。
「夜は飲むわよ!」
やけっぱち気味にエリアが叫んだ。
結局、その書類のうち喫緊のものを片付けるだけで夕方となっていた。
「さすがに疲れたわ! ていうかなんで依頼よりも書類の方がしんどいのよ!」
「まあそう言うな。ギルド運営していくってのはそういうことだ」
「いやよ、あたしは。どんどんそうやって現場から離れていって、冒険者の気持ちがわからない偉そうな年寄りになるのは」
「ああ、絶対に依頼は受け続けるさ。その為にギルドを作ったんだからな」
「それはそうとして乾杯するニャ」
レオナの言葉で三人はカップを打ち鳴らす。
セリルが寝ているので今日は二階のリビングではなく、下のマーガレットの酒場に来ていた。
「寂しいわね」
アドリアンとセリルがいないわけで、いつもは五人で飲んでいるのに、三人しかいない。
「あ、アルバが来たわ。アルバ、一緒に飲んでいかない?」
ちょうど通りかかったアルバを捕まえてテーブルに引きずり込む。
「あんた、めちゃくちゃ頑張ってるみたいじゃない!」
エリアがアルバの肩を叩く。
アルバは狩人として活動しており、ランクはBランクかたまにAランクという、エレル冒険者ギルドでもなかなかに報酬総額の高い狩人の一人だった。
最近は自分の依頼を受けるだけでなくセラ村からの避難民たちのうち冒険者として糊口を凌ごうという者たちの鍛錬に付き合って、何人も冒険者をギルドに送り込んでいた。
「まあなんとかやっています」
ギルド幹部三人――しかもパーティランキングでトップを走るパーティのメンバーでもある――の席に呼ばれるなど本来はお断りしたいはずだったが、アルバは全く意に介していなかった。
これはエリアとユートがギルドを設立する前からの知己である、というのもそうだったが、それ以上にアルバ自身が人当たりの柔らかい性格もあったのだろう、
そして、この人当たりの柔らかで面倒見がいい性格であることや、個人ランキングで上位争いをしていることからアルバはまだ冒険者になって一年そこそこの新参者でありながら、ジミーやレイフといったベテランと並んで冒険者仲間から信頼の篤い冒険者になっている。
そのアルバを加えて四人で飲んでいたが、やはり話題となるのはセラ村のこと、そして依頼のことだった。
「指名依頼はいいですね……報酬も高いし、ギルドの手数料も少ないし」
「あら、でも定期的に狩人やれる方がいいと思うわ。指名依頼というか護衛の依頼はがっつりパストーレ商会とかに顔が売れてない限り、そうそう入ってこないし、逆にそこまで顔が売れちゃったら他の依頼を受ける時間がなくなるし」
「そういえばセラ村は復興しそうなのか?」
「まだちょっと厳しいみたいです。ここら辺はポロロッカの後、魔物が引いていきましたけど、セラ村は魔の森に近いせいかまだ村の中にも魔物がうろうろしている状態でとてもとても帰村出来そうにはありません」
そんな会話をして、最後はなぜかレオナとアルバの気配を隠す勝負が行われたり、と久々に冒険者らしい飲み会となっていた。
翌朝、またギルドで書類を片付け、夜になればちょっとマーガレットの酒場で飲んで帰る。
そんな生活をしていた時、不意にデイ=ルイスがやってきた。
デイ=ルイスは復興がひと段落したので、少し前にエレルのトップは本来の代官に戻してレビデムの総督府に復帰したはずだった。
「ユート殿、ちょっとお時間ありますか?」
「先触れもなくデイ=ルイスさんが来るってことはまた厄介ごとですよね?」
「人を疫病神みたいに言わないで下さい。ちょっとサマセット伯爵が来るだけですよ」
デイ=ルイスは苦笑いしながら本題を告げる。
サマセット伯爵がわざわざユートのところに来るとか、やっぱり厄介ごとじゃないか、と思ったが、さすがにそれを口に出すほど馬鹿ではない。
「で、ですね。ちょっとその前に聞いておきたいんですが、ユート殿、メンザレで少女を二人助けましたか?」
「ええ、それで無礼討ちとして処理したんですが、もしかしてあの時の無礼討ちが問題になりましたか?」
デイ=ルイスは笑いながら首を横に振る。
それを見てユートはほっとした。
間違ったことをしたつもりはないが、例えば有力貴族やらの関係になればサマセット伯爵に迷惑をかけることは間違いない。
「いえいえ、無礼討ちは全く問題なく処理されていますよ。むしろ貴族を襲った、ということであの襲撃者たちはさらし首にされたくらいですから。ところで三日後にサマセット伯爵が来られるので、ちょっとお時間をよろしいですか?」
「わかりました」
「ユート殿の時間が空いていてよかった」
一度話を切って、ところで、と話を始める。
「ギルドはどうですか? 西方冒険者ギルドのメンバー加えてもう少しで一年、ですよね?」
「ええ、お陰様で上手くやれています」
「では、レビデムにギルドの支部を出すのも……」
サマセット伯爵にしろデイ=ルイスにしろ、エレル冒険者ギルドがレビデムに支部を置くことに妙に拘っている。
そんなことをすればますますユートたちの仕事は増えて、冒険者稼業が出来なくなるのだが、だからといってサマセット伯爵、というか総督府の要望を無碍にすることも出来ない。
「そうですね。年明けを目処に設立の準備に入ります。何人か支部長にする候補もいますし」
「わかりました。では、三日後、よろしくお願いしますね――ああ、役所まで来て頂かなくて結構ですよ。サマセット伯爵もこちらに来られるそうですから」
妙なことを言うな、と思いながらも、それ以上デイ=ルイスを詮索はしなかった。
三日後、サマセット伯爵はいつもと同じく豪奢な馬車に乗って現れた。
この豪奢な馬車は総督公用馬車であり、ユートも何度か乗せてもらったことがあるがユートの持っている馬車とは随分と違っていて衝撃がほとんどない優れた馬車だった。
「ユート殿、少しばかり話をよいか? 出来れば人払いをお願いしたい」
サマセット伯爵は挨拶も早々に人払いを求めてきた。
これは何かあるな、と思ったが、それ以上何も言うことは出来ない。
「わかりました」
そう言いながらエリアやレオナに目配せするとすぐに彼女らも出ていき、応接室にはユートとサマセット伯爵、デイ=ルイスの三人だけとなった。
「実はな、前々から言っていたと思うが、私は中央の方でちょっとした派閥を持っている」
「ええ、聞いています」
何を今更、そのせいでタウンシェンド侯爵の妨害に遭って西方冒険者ギルドとやりあったのに、と思うが、わざわざ確認するということは何か意味があるのだろう。
「今、陛下はおいたわしいことに病状がおよろしくなく、国政に関われぬ状態にある。その為、ずっと宰相――財務卿のことだが――をつとめていたシュルーズベリ侯爵が国政を切り回しておった。ところが、シュルーズベリ侯爵も先日病を得ることになった」
「ええ、なんとなくそういう話は聞いております」
「そして、だ。陛下はもう平癒されることはない、というのが典医の診立てであり、当然ながら崩御された際には誰かが即位せねばならぬ。ところが、今、王太子位は空位となっている」
深刻そうに王国の政情を述べるサマセット伯爵。
この会話はどこへ向かうのだろう、と重いながらも、ユートは黙って相づちを打っている。
「空位となっているのには理由があってな。陛下には今年三十になられるゴードン王子と、十四になられるアリス王女がいらっしゃるのだが、ゴードン王子の母親は側室、アリス王女の母親は王妃殿下でな」
要するにいい年齢の王子が側室の子、まだ年若い王女が正室の子であり、それ故に家臣団を巻き込んで後継者争いが起きている、ということらしい。
「いよいよ近い将来、その後継者争いが本格化しそうなのだ。そこでユート殿にもまた迷惑をかけると思うが、助力を願いたく思い、今日はここに足を運ばせてもらった次第」
「……わかりました」
わかったと言うしかないではないか。
そもそもタウンシェンド侯爵とは水面下とはいえ西方冒険者ギルド事件で一度干戈を交えてしまっているし、サマセット伯爵がエレル冒険者ギルドの後見人的なところもあるのだから、よっぽどまずい事態になら無い限りはサマセット伯爵についていくしかない。
「そうか。それを聞いて安心したよ。ところで、少し会ってもらいたい人物がおるのだが……」
「……わかりました」
また同じ言葉を繰り返す。
ポロロッカの時は慣れない軍陣で司令官としての脆さを見せた男だが、こと政治に関してはユートとは比べものにならない老獪な人物でもある。
何か型にはめられたような気がしたが、後悔する間もなくデイ=ルイスがその“人物”を連れてきた。
「ユート、また会いましたね!」
「え?」
元気よく部屋に入ってきたのは、オレンジ色の髪、そして小さな小さな少女。
そう、メンザレでユートたちが助けた少女、アンだった。