第006話 初めての狩人・中編
夜になってエリアとユートは作戦会議を開いていた。
「族長個体を狩らないとキリがないわね」
「そうだな。問題は族長個体がどこにいるかわからん、ということだ」
「偵察にきた魔兎の後を付けてみるのは?」
「あちらさんの方がすばしっこいし隠れるの得意なんだぞ? それに偵察じゃなくて囮だったら畑がやられそうだしな」
二人とも頭を抱えて悩んでいた。
「じゃああたしが後を付けてみるから、ユートが畑を守るっていうのはどうかしら?」
「単独行動は大丈夫なのか? 単刀直入に聞くが、魔兎はどのくらい強い魔物なんだ?」
正直、ユートは魔兎の強さを量りかねていた。
わざわざ三十万ディールも払って狩人を雇うほどの相手なので強いのかと思ったらそうでもない。
少なくともエリアが一撃で魔兎の首を飛ばしたのを見て、そこまで強いとは思えなくなっている部分もあった。
「あんたやあたしなら一匹を相手にして遅れを取ることはないわ。あんたは自分の実力がわかってないかも知れないけど、すばしっこい魔兎を剣で倒すって相当剣が速くないと無理なのよ」
「なるほどな。それで村の人たちじゃ退治できない、ってことか」
「そうよ。まあそこまで怖い魔物じゃないから、総出で退治したりもするけど、ここは男手が少ない上にこの数じゃあね。群れて戦う習性がある魔物だし、少ない人数で掛かるのは危険よね」
エリアのそんな魔兎評を聞いてユートはすぐに結論を出した。
「それじゃ、単独行動も危険過ぎるんじゃないのか」
「そりゃ危険はあるわ。でも他に手段ないでしょ?」
「相手が痺れを切らすのを待つしか無いだろう」
「何よそれ。いい? 契約では五日間、畑を守ることになっているわ。それで出てこなかったらどうするのよ?」
「その時は五日目に後を付けたらいいだろ。四日間数減らしたんだから今行くより安全だろうし」
「一回きりの勝負になるわ。それでダメだったらこの村はどうなるのよ?」
「その時はしょうがないだろ。パストーレ商会の伝書使の仕事もあるから、これ以上長居できないんだし」
議論は白熱し、二人の声は次第に大きくなっていった。
「あの……」
遠慮がちに扉を開けて入ってきた者がいた。
アルバだった。
「さっきからのお話を聞いていたんですが……」
「ああ、気にしないで。どうやって魔兎を退治しようかっていう作戦会議だから」
エリアが事も無げに言い切ったが、どうやら話は大体耳に入っていたらしい。
「族長個体がいる、というお話ですが、それなら自分が偵察の魔兎の後を付けましょうか?」
アルバはそんな提案をしてくれた。
「あんた、戦闘能力ないわよね? 危険過ぎるから絶対ダメ」
一刀両断にするエリア。
「確かに自分は戦いは苦手ですが、そのかわり気配を消して動物に近づく事が出来ます」
言いつのるアルバ。
「気配を消して?」
「はい、ここら辺で狩りをしているうちに身につけました。エレルへの使者に選ばれたのも、気配を消せるから魔物に襲われにくいだろう、ということからです」
「……そういえばあんた――じゃなかったアルバさんはどうやってエレルに来たの?」
「朝早くに家を出て、気配を消しながら強行軍で日暮れよりも後まで歩き続けてどうにか一日でエレルまでたどり着きました」
エリアもさすがに驚いたようだった。
セラ村からエレルまではおおよそ六十キロ。早足で歩けば十二時間くらいで着く距離ではある。
しかし、魔物の襲撃に怯えながら移動するとなるとなかなか早足は難しいし、疲労を溜めずに安全に旅をすることを考えれば、一日の移動距離は三十キロ程度に止めておくべきだ。
だが、目の前のアルバはそうした常識を、“気配を消す”という特技で無視した、と言う。
「……それはホントなの?」
エリアの口をついた言葉はそれだった。
そして、自分の言葉の持っている意味に気付いて慌てて言い直す。
「――ああ、疑っているわけじゃないわ。でも聞いたことのない特技だから……」
「本当です。それに目もいいですから、遠巻きに追いかけることも出来ます。ですから、畑を守って頂いている間に自分が偵察の魔兎を追います」
「……ユート、どうする?」
「あんまり賛成できないぞ。気配を消すと言っても族長個体を含めた魔兎にどこまで通用するのかわからないのは危険だ」
「……ここは自分の村なんです。自分には戦う力はありませんが、やれるだけのことはやらせて下さい!」
必死に懇願するアルバ。
そんなアルバの様子を見かねたか、エリアが決断を下した。
「わかったわ。そこまで言うならあんたに任せる。ただ、あたしたちの指示には従ってもらうわ」
「はい!」
「あと、あたしたちの指示に従ってもらうんだから、報酬を払うわ。あたしたちの一日の報酬が六万ディールだから、その三分の一、二万ディール。どうかしら?」
「報酬なんかいりません!」
「そうはいかないわ。あんたがあたしたちの指示に従うなら、あたしたちがあんたを雇うってことよ」
「……わかりました」
「よし、じゃあ作戦通りいくわよ」
エリアがそう話を纏めた。
翌朝。
いよいよ作戦が開始された。
昨日のように偵察の魔兎が表れたのを見ると、軽く戦って追い返す。
そして、気配を消したアルバが、その魔兎を追って行く。
その間、ユートとエリアは畑の周囲を警戒し続けていた。
「アルバさん、大丈夫かな?」
「大丈夫、と信じるしかない」
「怒ってる?」
「他にいい手はなかったんだから間違った判断とは思ってないぞ」
追いかけているアルバにも苦労はあるだろうが、待つ二人も精神的にじりじりと苛まされていく。
もしアルバが気付かれて魔兎に襲われていたらどうしよう、と悪い予想だけが頭の中で広がっていく。
だが、それは杞憂に終わった。
二時間も過ぎた頃だろうか。
魔兎が逃げていった森の方からアルバが帰ってきた。
「たぶん気付かれずに偵察できました。ここから二キロくらいの森の奥に、開けた場所があるんですが、そこにまだ二十匹以上の魔兎が……」
戻ってきたアルバの報告を聞いてユートとエリアが善後策を協議する。
「二十匹以上なら、たぶんそこが巣ね」
「俺もそう思うな」
「襲撃しましょう」
「ああ」
すぐに話は動き出す。エリアが先行し、次いでアルバ、最後尾が一応魔法も剣も使えるユートになる。
戦闘能力の低いアルバを真ん中に置くことで前後どちらから襲われてもまともに戦えるように、という配慮だった。
魔兎の巣までは徒歩で四十分ほどだった。
「あそこね」
茂みに隠れながら、小声でエリアが言う。
「ああ」
「じゃあ突っ込むわよ。いい?」
「いいわけあるか。アルバはここから畑まで気配殺して帰れるか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃあ帰っておいてくれ。エリアが先で俺が掩護で進む。巣なんだから、相手が逃げる可能性は少ないし、速さより安全優先な」
「わかってるわよ!」
大まかに決めて、出来るだけ近くまで気配を殺して進む。
勿論アルバのように気配を殺せるわけではないが、それでもしないよりはましだ。
エリアは接近すると、真一文字に剣を横に振るった。
一匹が首を刎ねられて絶命する。
「行くわよ!」
もう気配を殺す必要はない、と判断したエリアは飛び出した。ユートも異存は無い。
何匹か斬り倒して森が開けて形成された広場の中央へと進む。
「痛っ!」
エリアが不意に足を取られて転んだ。
そこに一匹の魔兎が噛みつく。
ユートは慌ててエリアに駆け寄ってその魔兎を剣で串刺しにする。
「立てるか?」
「大丈夫よ! だけど……」
エリアが指さしたのは足を取られた穴だった。
「この穴……」
「巣穴だな……」
周囲への警戒を怠らないようにしながら観察すると、それはどう見ても自然に出来た穴ではなく、魔兎たちが掘った巣穴だった。
「下がるぞ!」
ユートがそ叫ぶと、エリアも頷いた。
どこに巣穴があるかわからない、つまりどこから奇襲されるかわからない状況で戦うのは余りにも不利だ。
森まで撤退したところで、二人は警戒しつつ再び作戦を練り始めた。
「問題はあの巣穴よね」
「ああ、足を取られるのは気をつけたら回避出来るけど、奇襲されたら苦しい」
「脛を噛みつかれるのは大丈夫だったけど――」
そう言いながらブーツを指さす。
エリアのブーツには鋭い歯形が残っているものの、革は貫通されていない。
「――後ろからいきなり角でぶすりとやられたら死ぬわね」
事も無げに言って、現状を確認するエリア。
ユートもエリアの言葉に頷く。
「一度引くか?」
「は? あんたバカじゃないの? ここで引いてどうするのよ? 誰かが助けてくれるならともかく、セラ村には戦える人はいないし、エレルの街に戻ってもアドリアンたちもいないのよ?」
「それはわかるけどな。何も考えずに突っ込んでもやられるだけだぞ?」
そう言うと二人とも黙り込んだ。
手詰まり。
そんな感覚が二人の頭の中を支配する。
その重い沈黙を破って、ユートが口を開いた。
「燻すか」
「燻す?」
「そう。燻して巣穴から追い出すか、中で焼死させてしまえば脅威にはならんだろう」
「火種はどうするの?」
「火魔法で出すさ」
ユートのアイディアにエリアが考え込んだ。
ユートの火魔法はまだ未習得に近い。
それを中心に据えた作戦を立てることはどうなのか、と悩む。
だが、数瞬で結論を出した。
「……危険でもやるならそれしかないわね。あんたは魔法を行使できるように準備しながらあたしの後ろについてきて。巣穴までの掃討はあたしがやるわ」
「頼む」
ユートの言葉に頷いてエリアが再び慎重に進んでいく。
巣穴の魔兎はさっきの襲撃で警戒していたらしく、エリアの姿を認めるとすぐに数匹が駆けてきた。
だが、二日間魔兎を狩りまくって慣れていたこともあって、数匹低度、エリアは事も無げに切り捨てた。
「ユート、あそこが巣穴!」
エリアが指し示したところには確かに巣穴があった。
(集中して、手から魔力を出す感覚で。えっと……今回は魔力量は制限しなくていいや。で、火をイメージして魔力に属性を帯びさせて……)
ユートはセリルに教えてもらったことを頭の中で反復しながら、火の属性を帯びた魔力を、巣穴に翳した掌に集めて放出した。
ごう、という音とともに巣穴に向けて放出された魔力は炎に形を変え、そして巣穴に吸い込まれていった。
(火球とは違う魔法だけど、便利だよな。火炎放射とでも言った方がいいか……)
そんなことを考えていた。
それから一秒か、二秒か、 そのくらいが経った時、あちこちにある巣穴の出口から、ぶすぶすと煙が噴き出し始め、そして同時に魔兎が飛び出してきた。
「エリア、気をつけろ!」
ユートは魔力の放出を絶やさないようにしながら、エリアに声を掛ける。
「守るだけなら大丈夫よ!」
エリアはそう言うと、剣を構え直した。
その時、やや大きな個体が巣穴から飛び出してきた。
その個体を中心に、魔兎たちが整然とした動きを見せる。
「族長個体?」
「多分な!」
そう言いながら周囲を見ると、既にあちこちにある巣穴の出口からはかなり黒煙が出るようになり、場所によっては炎がちらちらと見えた。
魔法を行使した結果、生じた炎が酸素を消費して燃えるのかはわからないが、ここまで火が回っているなら巣穴はしばらく使えないだろう。
(仮に使えたとしてもこれだけ煙が出ていたら奇襲はされないか)
ユートはそう判断して魔法を止めた。
「エリア、あいつを倒すぞ!」
「任せなさい!」
エリアはうずうずしていたのか、今にも跳躍せんとしている。
「突っ込みすぎるなよ。これまでより魔兎の動きがいい」
「族長個体が指示を出してるんでしょ。あいつさえ倒せば簡単よ!」
エリアはそう言うが早いか、整然と列を成してかかってきた魔兎の数匹を斬り伏せた。
「まだまだ!」
そう言いながらまた数匹、斬り伏せていく。
「深追いするな! 囲まれるぞ!」
そう言いながらユートも続く。
既にユートも数匹を剣の錆にしている。
(全部で三十ちょっとか。これなら……)
エリアとユートの強さを恐れをなしたか、魔兎たちは次第にユートたちを遠巻きにしているような格好となる。
その時、族長個体が動いた。
「来るわ!」
数メートルほどの距離を疾駆し、族長個体がエリアを目がけて跳躍してきた。
エリアは咄嗟に剣で薙ぐ。
そのエリアの剣と突っ込んできた族長個体の角が衝突し。
「――――」
エリアが声にならない悲鳴を上げた。
「大丈夫か?」
「――しびれただけよ」
「替わる!」
だが、一度は距離を置いた族長個体は、エリアとユートが入れ替わる隙を逃さなかった。
背中を見せたエリアに再び突進する。
ユートは咄嗟に割り込む。
(剣で防いだらエリアの二の舞だな)
そう冷静に考えると、ユートはすぐに火魔法を行使する。
左手に火球が形成される。
ユートはそれを地面に叩きつける。
火球は爆ぜた。
その光景を見た族長個体はまずいと思ったのか、急に止まるとくるりと背を向けて距離を取った。
一瞬遅れてユートの剣が追撃を試みるが、右手一本で剣速が遅かったことと族長個体の素早い反転にそれは間に合わない。
「ユート! 周りを見て!」
エリアの声を聞いて、ユートが周囲を見回すと、二十匹を超える魔兎に囲まれていた。
族長個体は戦いながら魔兎に指示を出したらしい。
「エリア、腕は?」
「痺れは止まったわ」
そう言うと、威嚇するように剣で薙いで見せた。
「ただ、まだちょっと痛みはあるわね。魔兎ならともかく、さっきみたいな族長個体の突進は食い止められないかも」
「よし、じゃあ俺が族長個体を相手するから、エリアは魔兎を近づけないでくれるか? 別に倒さなくてもいい」
「そのぐらい出来るわ!」
エリアの答えを聞いて、ユートは再び族長個体に目を向ける。
自分の策が当たって、妙に自信満々に見えた。
改めて見れば、大型犬に近いようなサイズと、大きな角を持つ兎だ。
重さも三十キロか四十キロはあるだろう。
小柄なエリアでは正面からぶつかれば手が痺れるのも当然だろうし、ユートもまたそうなる可能性は高い。
そうやって色々と考えた後、剣を構えて――
一瞬の間があり、ユートが地を蹴ったのと、族長個体が動いたのはほぼ同時だった。
まず剣と角がぶつかり合った。
上手く受け流したお陰で手の痺れは無い。
さすがにユートよりは軽いので族長個体の方が少しはじき飛ばされたが、族長個体も油断なく後退して距離を取る。
「近づいてくるんじゃないわよ!」
後ろからエリアの声が聞こえた。
その声色は決して余裕があるものではない。
(さっき大丈夫、と言ってたけどまだかなり痛いんだろうな)
守るだけなら二十匹いようともそうそうやられそうにないエリアが苦戦している様子なのを感じ取ってユートはエリアの強がりに気付いた。
(まあ背中はエリアに任せると決めたんだ。エリアが潰れるなら俺も死ぬしか無いし、エリアが潰れる前にこいつを倒さないと……)
再び剣を構え直し、族長個体に相対する。
そしてまた一人と一匹はほぼ同時に動き、同じように剣と角がぶつかり合い、やはり同じようにやや族長個体が軽く弾かれる。
先ほどの焼き直しのような場面。
だが、違っていたのはユートだった。
左手から火魔法を行使して火球を叩きつける。
それも今度は一つでは無い。二つ、三つを叩きつけていく。
族長個体もそれを上手く躱していく。
(魔力切れを狙ってるのか?)
巣穴を焼き払い、火球も何発も放っている。
このままいけば魔力切れになり、じり貧となるのはユートの方、と族長個体は冷静に判断しているのか、それとも単に躱すのに精一杯なのか。
十発近く撃ったところでユートが火球を止める。
それみたことか、と言わんばかりの勢いで突進してくる族長個体。
ユートはそれを見て、すぐに魔法を行使した。
叩きつけられる、やや大きめな火球。
族長個体はまた停止すると、くるりと後ろを向いて躱そうとした。
追撃の剣を放つユート。
それは最初に見えた時と同じ行動。
だが、今度はユートの追撃の剣が間に合った。
族長個体の後ろ足を捉えたユートの剣は、そのまま左の後ろ足を斬り飛ばした。
そして、族長個体はそのままバランスを崩し、仰向けにひっくり返った。
「これで終わりだ!」
裂帛の気合とともに、ユートの剣が振り下ろされ、足を失って動けなくなった族長個体の首を斬り落とした。