第055話 里山の討伐依頼・後編
レオナが指差した先にいたのは大型の魔物だった。
「魔熊かな?」
「魔羆じゃない?」
「どっちにしてもあれがこの一体で一番強い魔物ニャ」
「魔物は族長個体じゃなくても強い個体は弱い個体に命令できるのかしら?」
セリルがそんな疑問を差し挟んだが、ともかく今はあの魔物を倒すことが先決だった。
「魔羆なら近づいて斬り合うしかないか……」
ユートが片手半剣を握りなおす。
「私は弓でいくわ」
そもそも山の中では使うのに不向きな長弓は置いてきている。
短弓だと魔羆の毛皮を貫けるか怪しかったが、魔法への耐性を持っている可能性が高いことを考えればセリルに選択肢はない。
「あ、セリルさんはもし誰かが怪我したら火治癒もお願いします」
「任して」
遠距離からの弓を担当するセリルを一人残す形で、レオナを先頭にアドリアン、エリア、ユートの順で続く。
出来れば不意を突いて一撃はいれておきたい。
だが、レオナはともかく他の三人はレオナほど気配を消して進むのが上手くなかったらしく、あと十メートル、というところで魔羆がこちらに気付いた。
三メートル近くの体躯を誇示するように二本足で大きく立ち上がり、そして咆哮する。
「散開!」
魔羆の方向に負けないユートの怒鳴り声に合わせて、アドリアンとエリアがパッと左右に分かれる。
気付かれた以上、囲んで倒すしかないのだ。
その隙を突いて魔羆が飛びかかろうとしてくる。
だが、いち早くセリルが放った矢が格好の牽制となり、レオナを捕まえることは出来なかったらしい。
「死ねや!」
アドリアンは裂帛の気合とともに横合いから槍で突く。
だが、魔羆は存外機敏な動きでそれをかわすと重量差を活かすようにアドリアンに体を当てる。
当然の結論として、槍の柄が折れる乾いた音が響き、アドリアンが十メートル近く吹っ飛ばされた。
「アドリアン!」
セリルの声が響く。
「だ、大丈夫だ!」
エレル城門前の戦いでアンドリュー・カーライルがやられた時に比べれば距離がなくスピードに乗っていなかったのが幸いしたのだろう。
セリルがすぐに短弓を投げ捨てて駆け寄り、火治癒をかけているようだったので、アドリアンは大丈夫そうだった。
魔羆は体当たりで吹っ飛ばしたアドリアンには目もくれずにユートたちへの警戒を露わにする。
「魔熊と同じなら、魔羆の弱点は肋骨の間を貫いて心臓を破るか、目か口に突き込むか、だよな?」
確認するユートにレオナも頷く。
その急所を突くならば、一番はアドリアンの槍だったが、既に折れてしまっている。
「あちきがそれを狙うニャ」
「じゃあ俺とエリアは引きつける」
この中でそうした急所を一撃で突く戦い方をするのは間違いなくレオナだ。
レオナが急所を突ける隙を作るべく、ユートとエリアは動き始めた。
「エリア、無理するなよ!」
「誰に言ってるのよ!」
ユートとレオナはそう言い合いながら、息の合ったコンビネーションで魔羆を翻弄する。
そして、何度かやり合っている隙を突いてレオナが魔羆の目を狙うが、魔羆も咄嗟にそれを前足を振り回すようにして防ぐ。
そして、カキン、と澄んだ音が響いてレオナの鎧通しが宙を舞った。
「レオナ!?」
「大丈夫ニャ!」
レオナ自身はなんともないようだったが、見れば鎧通しはぽっきり根本から折れている。
「やっぱりこれは鎧通しじゃないニャ!」
久々にレオナがその北方風の鎧通しの名前を叫ぶ。
どうやらポロロッカの時に折れてエレルで新しく鍛えてもらったこの鎧通しは、鍛冶が不慣れなこともあって本家の鎧通しには到底及ばない強度だったらしい。
「レオナ、下がって。あんたはもう邪魔よ!」
「わかったニャ」
そう言いながらレオナがセリルの投げ捨てた短弓のところへ走る。
せめて短弓で掩護しようというのだろう。
「ユート、二人だけになったけど、気を抜かないでいくわよ」
「ああ、もちろんだ」
そう言いながら、ユートは片手半剣をしっかり両手で握る。
エリアとユートが、少し離れて立ち、そして魔羆を見据える。
「懐かしいわね」
「何がだよ?」
「ほら、魔兎の時よ。あの時も二人で剣と、ちょっとの魔法だけで戦ったでしょ?」
「ああ、そういえばそうか」
「勝つわよ!」
エリアはそれだけ言うと、上段に剣を構えて躍りかかり、ユートもまたそれに続く。
魔羆はエリアの剣を右前足で、ユートの剣を左前足で防ぐ。
「手強いわね!」
エリアはそう言いながら着地すると再び剣を振りかざして飛びかかる。
ユートは今度は時間差をつけて、左の脇腹の辺りを狙って斬り込む。
だが、それもまた毛皮と丸太のような前足の前に簡単に弾き返された。
今度は魔羆が咆哮し、ユートを狙うように飛びかかってくる。
横殴りの前足の一撃を必死になってバックステップを踏んでかわすが、紙一重――
その隙をエリアが突くように、左側から斬り掛かって浅いながらも脇腹に手傷を負わせたものの、同時に手傷を負ったことからか、魔羆は狂乱したようにエリアを狙う。
「これ、いけるぞ!」
ユートはそう叫ぶと、エリアにかかりきりとなった魔羆の左脇の辺りを狙って斬り掛かっていく。
今度はしっかり踏み込めたお陰か、それともユートとエリアの膂力の違いからか、ぱっと赤い鮮血が舞い散った。
今度はユートを狙う魔羆を同じようにエリアが、そして次はその逆、と二人のコンビネーションで魔羆を翻弄する。
何度か危ない場面があったが、その時はレオナが矢を射かけてくれて虎口を脱した。
そして、何度目かのユートの一撃が、とうとう魔羆の左脇深くまで斬り裂いた。
その傷からはどくどくと血が噴き出し、それまでも細かい斬撃で相当の血を失っていたこととあいまってか、魔羆はどう、と倒れた。
「ユート、止めニャ!」
レオナに言われるまでもなく、魔羆の首を狙って斬りつける。
もう虫の息だった魔羆にとって、それは慈悲の一撃となったらしく、二度と起き上がることはなかった。
「これでもう大丈夫と思います」
ユートたちは魔羆を倒したあとの二日間、里山を歩き回って残りの魔物を狩っていた。
レオナが直感していたように、魔羆は言わばこの里山の“エリアのボス”だったようで、魔物は散発的、最終日には全く遭遇しない状態となっていた。
そこでキャンプに戻ったユートは、そこにいたハルに大丈夫、と告げたのだ。
「ありがとうございます。では明日から林道の設営隊を入れて作業します。まあ多少の魔物ならば警備兵たちもつきますので大丈夫です」
ハルはそう言って笑っていた。
そして、その夜は宴会となり、アドリアンとエリアが飲み過ぎていたが、それも含めて久々に冒険者らしい時間だった。
「帰ってきたら退屈ね」
エレルに戻ってきて、たまっていた書類仕事を押しつけられたエリアがそう言いながら目の前の書類を弄んだ。
「マーガレットさんのお陰で時間が取れたようなもんだからしばらくは無理だろ」
「でもさ、あたしたちがずっとギルドの受付なりをしているっておかしいでしょ。出来たら人数増やすべきと思うのよ!」
「まあそりゃそうだが……」
増やすといって簡単に増やせるものではない。
ベッキーやキャシーは当たりだったが、あれはあくまでプラナスのお陰であり、もう一度プラナスに頼んで余計な借りを作るのもどうかと思う以上、ギルドで独自に募集するか考えないとならないのだ。
「まあ借りを作りたくないのはわかるけど、でもそろそろ考えないとダメでしょ?」
「まあな」
せめて受付をあと一人増員して、ユートたちのうち二人がずっとギルドにいる、という状況は避けるようにしたい。
「そういえばランキングの変更告知、文句言ってくる人いなかったわね」
エリアが掲示板に大きく貼り出されているそれを指差しながらそんなことを言う。
討伐依頼から戻ってきた夜、パーティのランキングについての話し合いをやった結果、パーティで稼いだ依頼は参加者で按分してランキングに反映させることに変更されている。
一応、周知期間として来年の一月からの適用としたが、それについて文句を言ってくる冒険者は皆無だった。
「今回の討伐依頼でパーティの数が増えているからな」
里山などの急ぎのもの以外も討伐依頼はいくらでも狩った分だけ金になる、というものであり、パーティを組んで多くの数を狩ろうとする冒険者が増えていた。
そして、パーティの稼ぎが個人ランキングにも反映される、という変更はそうしたパーティを組んだばかりの冒険者にとっては朗報であり、未だ組んでいない冒険者は文句を言うよりも自分たちもパーティを組んでこの波に乗ろうとしていた。
「冒険者のあり方が少し変わっちゃうかもしれないけどね」
ほぼ全ての冒険者には、ユートたちほど人脈や資金力がないだろうから、獲物を運ぶ輸送隊と狩る冒険者に別れた組織というものはすぐには出来ないだろうが、それも時間の問題と思っていた。
そうなった時、そのパーティを超えた組織はどんな化学変化を冒険者ギルドにもたらすのか、ユートにもわからなかったが、少なくともエリアの言うように今までの冒険者とは別の物になるということだけは想像がついていた。
「まあ、時代の流れってことだろ」
ユートがそう短く言った時だった。
ギルドの扉が乱暴に開かれて冒険者が飛び込んできた。
「なんだ!?」
「うるさい!」
ユートとエリアが怒鳴ったが、その冒険者――リンジーはひるまずに怒鳴った。
「大変だ! うちのパーティが討伐依頼で……ジミーさんたちが……!」
リンジーの言葉にユートも腰を浮かせる。
「詳しく聞くぞ!」
ユートはそう言うと、すぐにリンジーを会議室に連れて行く。
「うちらは魔物を罠にかけてたんだ。上手く崖に追い込んで突き落として退治していくって方法で……魔猪や魔猿あたりも出てたけど、上手く進んでいたんだが……」
「ふーん、まあ聞いたことはあるわ。それでなんでそんな慌てることが起きるのよ」
「最後の方に魔牛を上手く追い込んで崖から突き落とそうとした時に知らない冒険者が放った矢がレイフさんを直撃して……」
「流れ矢は珍しいけど、別にジミーがいればどうにかなるでしょ!?」
要点のはっきりしないリンジーの話にエリアが苛立たしそうに急かす。
「それで、その知らない冒険者のパーティが魔箆鹿に追われていて、ジミーさんも魔箆鹿の風魔法にやられてしまって、魔牛も反撃してくるし、ベゴーニャが慌てて逃げ出しちゃって……」
「ちょっと、ジミーとレイフは!?」
「なんとか担いで逃げました……けど……」
「まさかあの二人、死んだの?」
「いえ、重傷です。魔法使いがいないパーティですし、近くの警備兵の方にベッド貸してもらって、僕だけはこっちに戻ってきました」
黙って聞いていたユートはじっとリンジーを見る。
嘘を言っているようには見えない。
「――ともかく、生きているのは不幸中の幸いだったな」
「ありえないわね。自分たちが追われていた魔箆鹿を他のパーティになすりつけるとか!」
「その知らない冒険者はどうしてる?」
「逃げました……」
「顔は覚えているか?」
ユートの問いかけにリンジーは頷く。
「エリア、マーガレットさんを呼んでくれるか?」
「わかったわ」
すぐにマーガレットがやってきて、リンジーから人相を聞く。
セリルと出かけていたはずのアドリアンも、いつの間にか戻ってきていて会議に加わる。
「うーん、あたしゃエレルの冒険者は大体知っているけど、その人相にその髪の色の奴は聞いたことないわね」
「俺も知らねぇぞ。ジミーたちも知らない奴だったんだよな?」
「ええ、ジミーさんたちも知らないと言っていました」
「ジミーたちに俺にマーガレットの婆さんが知らねぇんじゃ、そいつら昔からのエレルの冒険者じゃないな」
いつの間にか戻ってきていたアドリアンがそう結論付ける。
「ユートくん、今、依頼を確認したけど、そこら辺の里山の討伐依頼を受けているのはジミーさんたちのパーティだけよ。魔鹿を狩るつもりならそんな遠くまで行く必要もないわ」
受付で依頼の原本を漁っていたセリルもまた、そんなことを言う。
「ユート、こいつは事件だろ」
確かにアドリアンの言う通り、知らない冒険者が絶妙のタイミングでジミーたちを蹴散らしたのだから、きな臭いことは間違いない。
「どうします?」
「ジミーたちのところに行くに決まってるだろ。あいつらどうせしばらく帰って来れないんだろうし」
「わかりました。行きましょう」
ユートの言葉に四人は頷いた。
書き忘れていましたが、いつも通り土日は更新お休みです。
次は6月22日の月曜からの更新です。