第053話 スパイと討伐依頼
それから数日。
相変わらず傭人に対する偏見はあったが、それでも幾分マシになったかと思われた。
エレル冒険者ギルドの総裁であるユートと、叩き上げのジミーが傭人に対してかつて来た道、と評したことはそれだけの意味があった。
なぜジミーがあそこまでユートの意を汲み取ってくれるような発言をしたのか、と疑問に思っていたが、夜に開かれた幹部会議でアドリアンが種明かしをしてくれた。
「ジミーにも俺たちが傭人の依頼を受けてるって話をしておいたんだよ」
「じゃあああいう風に絡まれてたら助けて大声でアピールするのも予定通りだったんですか?」
だとしたら恐ろしい仕込み、策士アドリアンと見直さなければならない。
「さすがにお前が絡まれるところまでなんか想定できねぇよ。ただまあ俺もジミーも傭人から叩き上げだから理解してくれるとは思ってたし、もしお前じゃなくても傭人が絡まれてたら助けるだろうとは思ってただけだ」
少しばかり拍子抜けしたが、よく考えればギルドの総裁が駆け出し狩人に絡まれる、ということを想定しているわけがない。
「それにしてもそのジャックって底抜けの馬鹿よね……自分が加入してるギルドのトップを知らないとか……」
帰ってきて話を聞かされたエリアがそう言って呆れていたし、セリルとレオナは目の前で見ていたにも関わらず乾いた笑みしか浮かべていないくらいだったのだから。
「まあ数字はすぐには改善しないでしょうけど、ギルドの姿勢を明らかに出来て、下手に傭人を見下したらベテラン冒険者が敵に回るってわかった時点でよしとしましょう」
セリルはそう言いながら書類をまとめていた。
「ああ、それとジャックにはちょうどいいから懲罰食らってもらったらいいんじゃない?」
「それはいいニャ。貴族様に絡んで懲罰で済むなら本人も納得するだろうニャ」
結果、満場一致でジャックは奉仕作業として無償で傭人の依頼を十件達成する、という懲罰が下されることになった。
「これでも貴族を脅迫したんだから安いものよ。それこそユートが傲慢な貴族ならその場で首はねられても文句言えないもの」
これで傭人騒動は一段落、となった。
「さて、傭人の仕事も終わったし狩りに行くわよ!」
傭人騒動から一週間。
ずっと受付で働きづめだったセリルとレオナの休みの間、ユートたちが受付を交互に引き受けて、ようやく自分の時間が取れるようになった。
その休日に、ユートはエリアに誘われて狩人の依頼を受けていた。
「それにしても休日に依頼を受けるっておかしくないか?」
ユートの常識ではギルドの受付も仕事だったが、狩人の依頼もまた仕事のはずだった。
だが、異世界の常識は違っていたらしい。
「何言ってるのよ! 毎日あんなギルドの受付に座って仕事してちゃ気が沈んでいく一方よ、やっぱり太陽の下でのびのびとするのが一番なのよ!」
そんなことを言っていたが、それならばアーノルドに頼んで馬術を教えてもらえばいいだろう、と思う。
休日は少々乗馬を、なんて貴族っぽくていいだろうに、と思ったが、それを口に出しても理解してもらえない気がしたので黙って片手半剣を持って山に登る。
「レオナが一緒なら楽なのに……」
ぶつぶつ言っているが、二人は受付に残しておきたい以上、ユート、エリア、レオナの三人の組み合わせとなる機会は意外と少ない。
今日休んでいるもう一人はセリルで、セリルは実家の用事を頼まれたらしく実家に戻っている。
「よう、総裁殿!」
不意に後ろから声を掛けられる。
最近、ユートのあだ名は総裁殿になってきている気がして面映ゆかったが、それでもユート様、などと呼ばれるよりはよっぽどマシなので我慢している。
「あ、ジミーさん」
「狩人か? それとも傭人か?」
「あ、今日は狩人です。ドルバックさんのところが魔鹿が欲しいらしくて」
「二人で狩っちまうんだもんなぁ……そんなこと出来るのアドリアンの旦那とセリルくらいと思っとったよ」
「ジミーさんは?」
「こいつらと狩人依頼だ」
そう言いながら後ろに続いていた連中を指差す。
長年の相棒であるレイフに、リンジーとベゴーニャの四人だった。
「四人がかりで魔鹿だぜ。メンバーが固定されてないから、パーティ登録せずに交互に回してるんだけどな」
いつも組んでいないメンバーでパーティ登録した場合、個人で受けたものとパーティで受けたものが分散されてしまい、どっちもランキングが低くなってしまうので、事実上パーティで受けながら、交互に受任者を変えている、などというのはよく聞く話だった。
一種の脱法的なやり方だし、ユートもランキングシステムの変更をした方がいいのではないかと思っていたが、今の段階ではなんとも言えず曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「――ああ、このやり方は総裁殿のお気に召さない、ってか」
「というよりはどうしたらいいのか悩んでいるんですよね」
「ま、そいつは頭のいい役員の方々が考えることさ――アドリアンの旦那が頭がいいかってのは知らんがな」
そういって大声で笑い飛ばした。
「同じ獲物だし、一緒に行くか?」
「僕らはエレル近郊の魔物の数がどのくらい減っているかも確認しながらなんで適当に動きますよ」
「そうかいそうかい。じゃあ気をつけてな」
ジミーはそう言うと仲間を引き連れて城門に向かう。
ユートたちもそれに続いたが、城門前で別れる。
一緒の方向に行かないのは、獲物を逃がした時に責任のなすりつけあいになってしまうことを防ぐ為の、狩人としてのマナーだ。
「あそこら辺、最近仲いいわよね」
ジミーたちを見送りながらエリアがそんなことを言った。
「そういえばそうだな」
元々、ずっとコンビを組んできていたらしいジミーとレイフはともかく、新人のベゴーニャや、中堅クラスのリンジーはそこまで仲が良かったわけではなかった。
「ベゴーニャを推薦したあたりから仲良くなったのかしら」
「さあ」
エリアはなんでそんなことを気にするのだろう、と生返事を返す。
「ユート、真剣に言ってるのよ」
「だから、なんでそんなことを気にするんだ?」
「確かにフラビオが捕まってスパイは一掃された、みたいな気持ちになってるけど、別にスパイが一人とは限らないのよ? だからベゴーニャだってまだ警戒しなきゃいけなくない?」
「ああ、確かにそれはそうだけど……ベゴーニャのランキングが上がってきたのはジミーさんたちが手を貸してたとすると別におかしくないだろ? レオナのアイディアは、あくまで理由もなく素人がランキング上がってくるわけがないって理由なんだから」
「まあそりゃそうなんだけどね……」
珍しくエリアが歯切れ悪い。
「ベゴーニャはいいとしても、ニールとオスニエルはわからないわよ?」
「まあ、それは帰ってから話すことだな。少なくともエレルの城門前でギルドの幹部が話すことじゃない」
「……それもそうね」
なんだかんだ言ってユートとエリア――いや正確にはアドリアンたちも含むギルドの幹部は有名人だ。
ジャックみたいに知らないというのはまれであり、大体の冒険者やエレルの街の人は幹部のことは知っている。
これはエレルを救った英雄、恩人という意味でもそうだし、こないだユートがパストーレのところで聞いたところによると、エレル冒険者ギルドが出来てからレビデムとエレルの間の流通が活発になった上、ポロロッカで崩壊していたエレルの経済も大分持ち直しているらしい。
もちろんこれは単にエレル冒険者ギルドのお陰だけではなく、エレルを預かるデイ=ルイスが様々な救恤政策を採っていたり、西方軍が必死になって近郊の村々を立て直していることも大きな理由だった。
それでもエレル冒険者ギルドはエレルの人々に好意的に受け容れられていたし、同時にユートたちをさらに有名人としていた。
その有名人が、城門前で声高にギルドの特定の冒険者を疑う発言をする、というのはいかにも問題である。
「まあいいわ。早く魔鹿を狩りに行きましょう!」
エリアはそう言うと、勇んで歩き出した。
幸いなことに魔鹿はすぐに狩れた上、途中で魔兎の小さな群れと出会い、五匹狩れたので十分だった。
魔兎はマーガレットのところに持って行ってもいいし、ギルドに帰って魔兎狩りの依頼があればそれを受けてすぐに完了してもいい。
「ここら辺でも魔兎の群れが出るってことはまだ安全じゃないのね」
「でもセラ村みたいな群れというよりは家族だったしな」
「まあ族長個体がいるわけじゃないから安全とは言えないけど、そこまで心配しなくてもいいのかもしれないわね」
今思えばユートとエリアが最初に受けた、セラ村の魔兎大量発生にしてもポロロッカの前兆だったのだろう。
あの大量発生はユートにとって冒険者ギルドを作ろうと思い至った最初の出来事であったこともあり、強く記憶されている出来事だった。
そして、それが故にエレル冒険者ギルドでは任意で魔物の狩った場所を聞き取り、魔物の発生率をマッピングしていたりもする。
「最近の魔物の発生率を見てる限り、ポロロッカの予兆はないから大丈夫と思うぞ」
ユートの言葉にエリアも頷く。
「どっちかといえばポロロッカの残滓だから、早いうちに討伐しちゃうのが一番かもね。総督府と掛け合って、食用にしない狩人依頼もらえないかしら?」
「サマセット伯爵なら頷いてくれるかもしれないけど、どっちかといえば狩人の方が反発しそうだな」
今の、エレルのすぐ近くにも魔物がいる状況というのは狩人依頼を楽に達成できるという意味で決して悪くない、と考えている狩人は意外と多いのだ。
「まあ、夜の会議の議題よね」
エリアは嘆息しながらそう結論付けた。
夜、やはり幹部会議が開かれた。
「ニールとオスニエルへの対処、か」
アドリアンがそう言いながら天井を見上げる。
その横でレオナは鎧通しの手入れをしている。
明日はレオナが休みなので、どこかに狩りに行く準備なのだろう。
ふとユートはそこで公開処刑の時のニールのことを思い出した。
あの時は自分と同じ感情を抱く者として親近感が沸いたが、よく考えればユートやエレル冒険者ギルドを攻撃したフラビオの死を悼むのは不自然ではないか。
「そういえば……」
ユートが恐る恐る話し始めると、当然ながらエリアは激怒していた。
「ユート、あんたなんでそんな大事なこと黙ってたのよ!?」
「忘れてたんだよ!」
「なんでそんな大事なこと忘れてたのよ!?」
そんな会話をしながら、ともかくとしてニールが怪しい、ということは全員で一致する。
「アルバさんに頼みましょう!」
エリアはそう言うと、すぐにアルバに連絡をつける算段を始める。
「でもそれ以外も考えないといけなくないかニャ?」
レオナは鎧通しを手入れする手を休めずにそんなことを言った。
何の議題があったか、という表情をする四人の方を見ながら、それでも手を休めずに続けた。
「あの四人って言い出したのはあちきだニャ。でも他にスパイが紛れ込んでいる可能性だってあるニャ」
「あ、それはそうね」
「と言ってもなぁ……加入する冒険者を片っ端からチェックしていくのは難しいぞ」
「それよりも守りを固めるべきじゃないかしら?」
「守りを?」
「そう。前はわからなかったけど、フラビオの一件で西方冒険者ギルドはうちの持つ情報を狙っているってわかったわけじゃない?」
セリルの言葉に一同は頷く。
「じゃあその情報がある倉庫を守れば、いくらスパイが紛れ込んでいても気にしなくていいじゃない。そもそもスパイを探そうというのは無理よ。スパイがエレル冒険者ギルドに加盟しているだけなら別に害もないでしょう」
「確かにセリーちゃんの言う通りね。スパイがどこにいるかわからないのは気分がいいものじゃないけど」
「じゃあ信頼できる冒険者に警備してもらう、という方向でいいかな?」
「そうね。とりあえずジミーとレイフかしら?」
「俺の方からあいつらには話しておこう」
アドリアンがそう請け負って、今度は討伐依頼の話となる。
「討伐依頼、か。受けられたら大きいけどなぁ……」
「問題は二つね。一つは魔物肉が大きく値下がりする可能性があるわ。そのせいで家畜肉の店を圧迫するようなことになったら……二つ目の方の狩人の反対は、総督府が言い出しっぺになってくれれば問題はないと思うけど……」
エリアの言葉でかつてそのせいでドルバックの店もマーガレットの店も困ったことを思い出す。
「だからと言って廃棄するのもね……」
セリルがそう嘆息する。
生産調整と言えば聞こえはいいが、結局のところ食材を捨てているようなものだ。
「ともかく一度デイ=ルイスさんに話を持っていってみます?」
デイ=ルイスは復興の実質的な指揮官であり、同時に王立大学出身の秀才でもある。
彼ならばいいアイディアを出してくれる可能性もあるので、一度話をしてみてもよいと思ったのだ。
「そうね。デイ=ルイス卿ならいいアイディア思いついてくれるかも。最悪は廃棄したらいいけど……」
セリルがそう纏めて、幹部会議は終わった。
翌日、デイ=ルイスに面会を求めるとすんなりと会ってくれた。
「なるほど、討伐依頼ですか」
ユートが魔物の発生率を示す地図を見せながら討伐依頼を出してもらえないか、と説明すると、デイ=ルイスは微妙な表情を浮かべる。
「何か問題がありますか?」
「ええ。問題はその予算です。復興予算に避難民の救恤予算で西方総督府の予算が大変なことになっておりましてね――まあ総督府財務長官が倒れるくらいには。その関係で、討伐依頼で相場通りに買い取る、となるとちょっと厳しいかもしれません」
「魔石を売却してある程度元を取る、というのは?」
「魔石の市場価格もポロロッカ以後で大きく値下がりしてるんですよ。やはり供給過多なのでしょう。何か需要を増やすような魔道具の開発を誰かがやってくれないことには……」
さすがにユートも魔道具の作り方など知らないし、恐らく冒険者で知る者もいないだろう。
「ああ、そうだ。その魔物肉を流してはいけない、というのは街の飲食店を守る為ですよね?」
「そうなります」
「だとすると、飲食店に行かない層に配る分にはそこまで問題ではないのではないですか? それならば救恤政策と組み合わせれば予算を捻出できるかも……一度試算してみますので、明日の昼過ぎにでももう一度来て頂けますか?」
「わかりました」
ともかくデイ=ルイスを信頼して、任せることにする。
異世界に来てまだ一年半というのもそうだが、それ以上に市場の影響などを考えるような経済学の知識などあるわけがない。
王国の官僚養成学校である王立大学と、日本の大学ならばそう差はないから、大学時代に勉強より遊びを優先したツケだろうな、と内心で苦笑しながら反省した。
更に翌日、デイ=ルイスのもとを訪れたユートに、彼は目の下に隈を作りながら笑いかけた。
「一晩で情報を整理してみましたが、どうにか救恤政策と合わせれば飲食店に影響を与えず、討伐依頼も出せそうです。まあその分、はるばる東部から小麦を輸入していたレビデムの穀物商は泣くことになりますが」
「大丈夫なのですか?」
「東部の方で小麦がかなり値上がりしてると、王国政府から言われたところなので構わないでしょう。しかし、総督府で買った小麦の量でそこまで動くとは思えないのですが」
「ああ、バブルなのかもしれませんね」
日本でも一九九〇年代に不動産のバブルがあったんだよな、と政経の授業を思いながら ユートがふと漏らしたその言葉にデイ=ルイスは食いつく。
「バブルとはなんでしょうか?」
「えっと、投資家がまだまだ値段が上がるだろうと期待して、ありえない額まで物の値段が上がること、ですかね?」
曖昧なユートの言葉にデイ=ルイスは腕組みをしながら考える。
「期待、ですか――なるほど。つまり将来的な値上がりへの期待から需要もないのに適正価格を超えて、泡のように物価が上がる、ということですな。そして、誰かがふともう値上がりしないんじゃないか、と思った瞬間、一気に物価が暴落して高値で買った人の資産は泡のようにはじけ飛んでしまう。なるほどなるほど、面白い概念です。ユート殿は経済学の素養もおありのようだ」
そんなものはなく、ただ政経の授業で習ったうろ覚えの知識を披露しただけであり、しかも断片的な情報からバブル経済について看破したデイ=ルイスの方がよっぽどすごいと思ったが、曖昧な笑みでそれは誤魔化す。
ちなみに帰宅後、パーティメンバーやアーノルドにこの話をしたのだが、エリアやアドリアンは当然として、ちゃんと教育を受けている節のあるセリルですらユートの説明では何のことかさっぱり理解出来ず、改めてデイ=ルイスの秀才ぶりにユートは驚かされることになるのだった。
――それはともかく、エレル冒険者ギルドは討伐依頼を受けることは出来た。