第047話 アドリアンの懺悔、そして忙しい日々
ユートもなんとか忘れずに挨拶して始められた祝宴は、貴族も参加するものとしては異例なほど喧騒に満ちあふれていた。
そんな祝宴は初めてだろうに、サマセット伯爵は微笑ましげにそれを眺めており、デイ=ルイスらも総督がそんな様子だからか、同じような視線で、わずかに設置された、飾り気のないテーブルに座っていた。
「総督閣下、このような祝宴で申し訳ありません」
ユートは一応謝っておくが、サマセット伯爵はとんでもない、と言わんばかりの手を振るだけだった。
「いや、なに。こういう祝宴もまた一興。何よりも、あれだけの被害を受けたエレルの民たちが、いかにも楽しげなのが何よりも良い」
サマセット伯爵はそういうと、デイ=ルイスも頷く。
このところすっかりエレルの市長格となっており、本来の職務である総督府内務長官であることが忘れられつつあるが、これでもれっきとした総督府のナンバースリーである。
「どうしても総督府の内務長官、と言えばみな怖がって近づいてくれないのですよ。元は貧乏な正騎士の家系に過ぎないのに」
デイ=ルイスはそう言って笑う。
まだ三十代後半にもかかわらず総督府のナンバースリーに抜擢されているあたり、実力だけで這い上がった正騎士、ということだろうか。
「まあお陰様で自分は正騎士の身分を子に継がせてやれるわけですが」
少し前にサマセット伯爵が語っていたこともあるが、王国では正騎士の子は、父が高等官という重要な官僚になれなければ正騎士の身分を継承することが出来ない。
王国改革でこの制度が、爵位を持った貴族でも爵位を継承する嫡男以外は正騎士となることとあわせて導入された結果、それまでは貴族の子は貴族としてねずみ算式に増えていた貴族が、だいぶ増加を抑制されたらしい。
一方で高等官になる為の勉強が出来ない貧乏な正騎士家は常に平民落ちの危機に見舞われており、その結果、どうにか高等官までたどり着いてもまたその子も同じように貧乏であるがゆえに勉強が出来ない、というスパイラルに陥ることがあるらしい。
そうしたことを考えるとデイ=ルイスは自身の努力でそのスパイラルから抜け出そうとしているのだろう、とユートは思った。
そういう努力家は決して嫌いにはなれないのだ。
「デイ=ルイス卿は、しばらくこちらに留まられるのですか?
「ははは、卿はいりませんよ。お互い同じ正騎士でしょう。私は当面エレルとその近郊の復興を成し遂げねばなりません。民の為にも」
そう言うと、デイ=ルイスはアーノルドの方をちらりと見る。
「……それにアーノルドが私や総督閣下を身を挺して守ってくれましたからね。彼の信頼には応えねばなりません」
ユートは値踏みをするまでもなく、このデイ=ルイスという男は信用できるし、そんな信用できる男がしばらくはエレルのトップと知って安心した。
これから西方商人ギルドとの争いが待っている中で、権力を通じた嫌がらせがされない、というのは大きい。
「それよりもな、ユート殿。商人ギルドの動きなのだが……」
サマセット伯爵が真剣な目つきでユートの方を見る。
「あれはどうも内務卿のタウンシェンド侯爵の差し金のようなのだ」
「内務卿? なぜそのタウンシェンド侯爵がギルドを敵視するんですか?」
「私の後任となった男なのだがな、私と派閥を違えていることもあって、ギルドが私の私兵だと危険、ということで手を出してきたようだ」
それを聞いてユートはなぜ西方商人ギルドが急に仕掛けてきたのか、ということに得心がいったとともに、ややこしい争いに巻き込まれたな、と内心で頭を抱えた。
「まあ、そういうわけなのだよ。申し訳ないが……ただ、ここは王国直轄領であるので直接実力を行使するような真似はせんだろう。もししたところで私が西方軍を率いて討ち滅ぼす絶好の口実を与えるだけだからな」
「えっと、伯爵閣下が総督を解任される可能性は……」
ユートの危惧を聞いて、サマセット伯爵は笑う。
「それは大丈夫だ。宰相――ああ、財務卿のシュルーズベリ侯爵も抑えてくれるだろうし、ハントリー伯爵もさすがにそれは私の味方をしてくれる」
「そうですか」
「というわけで、しっかり頼むよ」
その“頼む”には、政敵であるタウンシェンド侯爵の息がかかった西方商人ギルド、あるいはその傘下冒険者ギルドを叩きつぶせ、という意味なのだろうな、とぼんやりユートは考えていた。
そんな生臭い会話もありながら、祝宴はますます喧騒さを増していった。
参加しているのは殆どが冒険者たち。
上品さとはほど遠い彼らの酒宴なのだからしょうがない。
そして、マーガレットの下で給仕を担当しているベッキーとキャシーだったが、酔った勢いで彼女らの尻をなでようとするような不届き者もいた。
ユートが気付いて止めに入ろうとした時、怒鳴り声が聞こえた。
「タルコット! あんたなんてことしやがるんだい! ここは“下品な飲み屋”じゃないんだよ! あたしの店を馬鹿にしてんのかい!?」
マーガレットだった。
「それにこの娘らはあたしの可愛い孫みたいなもんだよ! 真剣に手を出そうとするならともかく、不埒な真似しやがったら三枚に下ろしてやるよ!」
「最低ね」
「嫌よね」
数少ない女性冒険者の、そんなひそひそとした声も聞こえてくる。
啖呵を切るマーガレット、ひそひそと聞こえる女性たちの非難に、タルコットと呼ばれた巨漢の冒険者は青い顔になっている。
「なんか言ったらどうだい!?」
「マーガレット婆さん、すまねぇ……」
絞り出すようにタルコットはそう言うが涙目になっているキャシーを指差しながら、マーガレットの怒鳴り声が続く。
「声がちいさいんだよ! それに謝るならあたしじゃなくてこの娘だろう!」
「あ、ああ……キャシー……キャサリンさん、申し訳ない……」
「マーガレットさんにかかったら俺やジミーやレイフですら子供扱いだからな。みんな稼げるようになる前から面倒見てもらってるから、エレルの冒険者で逆らえる人はいないぜ」
アドリアンが小声でそんなことを言う。
「この一件で受付やってる時にもあの二人に手を出そうとする馬鹿野郎はいなくなるだろうぜ。」
そう言いながら笑うアドリアンだった。
そんな小さな騒動もありながら、祝宴は大過なく閉宴した。
マーガレットたちが片付けている傍で、ユートたちが今日はどけていたテーブルや椅子を戻していく作業をしていると、ジミーやレイフたちも何故かそれを手伝ってくれた。
「ユート殿」
不意にジミーが話しかけてきた。
レイフと比べれば背は低くてせいぜい百七十センチ台の後半しかないだろうが、その分がっしりとした体躯の、ぱっと見て四十近い男だ。
「冒険者同士だから呼び捨てでいいですよ」
「おいおい、そんなところを他の貴族に見られたら首が飛ぶぜ」
そう言いながらジミーはからからと笑う。
「じゃあよ、総裁。今回はありがとうな。ギルド作ってくれてよ。俺は学もねぇから上手くいえねぇんだけどよ。総裁がギルドを作ってくれたから、なんか冒険者がもっと上手くやっていけそうな気がしてるんだ」
ジミーは真顔でそんなことを言う。
ユートはそんなジミーにふと気になったことをなんとはなしに訊ねてみた。
「なんでジミーさんはギルドに加盟しようと思ったんですか?」
これはユートが前から思っていたことだった。
冒険者ギルドは決して全ての冒険者に恩恵がある存在ではない。
特に稼いでいるベテラン冒険者にとってはむしろ競争の激化や下手をすれば自分の持っている人脈をギルドに持って行かれるような不安もあるはずだった。
それなのになぜ冒険者たち、特にベテラン冒険者たちは積極的にギルドに登録してくれたのだろうか、という疑問は持っていたのだ。
ユートのその質問にジミーは笑いながら、じっと考えて口を開く。
「そりゃあお前よぉ……アドリアンがあれだけ推してるとか、冒険者全体のためになるってのもあるけどよぉ、やっぱエレルの戦いよ。ベテランだって言われてた俺だってぶるったあの戦いで、お前さんは躊躇無く突っ込んでいってエレルを救ってくれた。男を見せてくれたんだ」
もう一度、ジミーは思案しながらユートの目を見て答える。
「そんな漢が、みんなの為にギルド作るって言うだろ。そりゃあ俺らもみんな入らんとならんと思うじゃねぇか。この漢を|俺らみんなで担いでやらんといかんと思うじゃねぇか」
真剣に言葉を紡ぐジミーの言葉にユートは目頭が熱くなった。
自分のことを真剣に信頼してくれる人がここにいる、と
「まあ、アドリアンにゃ日和ったお前ら目下なんだから、四の五の言わずにギルド入れって言われたんだがな」
ジミーも気恥ずかしくなったのか、最後にそう言って笑ったあと、向こうを片付けてくる、と言い残して去っていく。
ユートは必死になって涙を誤魔化していたが、その肩にぽん、と手が置かれた。
ユートは振り返ってその人物を確認すると呟くように言った。
「担がれて、一人前ですよね」
「ええ、担がれて、一人前、です」
アーノルドが慈父のような笑みを浮かべて笑っていた。
「ふーやっと落ち着いて寝られるわね」
片付けも終わって戸締まりをするとエリアが二階のリビングルームでくつろぎながらそう言った。
ギルド本部の二階はユートたちの居住スペースになっている。
「くつろいでばかりもいられないぞ」
「わかってるわよ」
そう言いながらエリアはエールの入った小樽に手を伸ばしている。
「ちょっと待て。全くわかってないだろ!」
「これは水よ、水!」
「どう見てもエールだ!」
「ちょっとくらいいいじゃない!」
二人が相変わらずの騒がしさを見せている横でアドリアンが少しばかり暗い顔をしていた。
天性の陽気な人物であるだけに、そのコントラストがくっきりと浮かび上がっているようであり、ユートたちもすぐに気付いて黙る。
「アドリアン、どうしたの?」
エリアがおそるおそる訊ねる。
「いや、なに……」
何か言いたげにそう言って、再び口をつぐみ、そしてアーノルドの方を見る。
「ユートから聞いたんだがよ……あの西方商人ギルドの冒険者ギルドはタウンシェンド侯爵とやらのせいだったらしいな……」
「そうらしいですな」
アーノルドはそれ以上は何も言わない。
アーノルド自身も今日サマセット伯爵が言うのを聞いて初めて知ったのだ。
もっとも、タウンシェンド侯爵ならばさもあらんとすぐに納得できたのは、ここ二年ばかり、ずっとサマセット伯爵の下で働いてきて、中央情勢もある程度把握しているからだったが。
「実はな、あっちの冒険者ギルドが出来た時、俺はサマセット伯爵の差し金かと思ったんだわ。それでこのユートとも喧嘩しちまったしよ、あんたを疑ってた」
「私を、ですかな?」
「ああ、あんたはサマセット伯爵が送り込んだ、見張り役と思って、よ」
「なるほど、確かにそれは筋が通りますな」
「だけどよ、ここ一ヶ月ばかりの準備見てて、それに今日の話聞いてて、俺は間違ってたってわかったんだよ」
そう言うと、アーノルドは床に跪いて頭を下げる。
「すまなかった! あんたは仲間なのによ、俺がわけもなく疑っちまってよ」
アーノルドの行動に、エリアは目を見開いている。
ユートも、レオナも何も言うことは出来ない。
唯一、セリルだけが先に話を聞いていたのか、すました顔をしている。
「貴族、というものは怖いものです」
アーノルドは静かにそう話し始める。
「ですから、どんな時も疑ってかかるのは間違っていない。いや、むしろ正しい。そのように用心深くあらればなりません。私はあなたの判断は、このギルドに関わる者として、非難するどころかむしろ称賛するでしょう」
アーノルドの言葉にアドリアンが下げていた頭を上げる。
「というわけで、私は気にしておりませんし、アドリアン殿も気にされずによろしいかと」
「……すまなかった!」
もう一度アドリアンは頭を下げて、ようやく立ち上がる。
「ユート、お前にもすまなかった。あの時の俺はどうかしてた」
「いえ、アーノルドさんが何も言わないなら、僕がどうこういうことでもありませんし……」
ユートはそれ以上何も言えない。
「アーノルドのおっさん、ユート、この借りはよ、これからしっかりギルドの為に働いて返すからよ。それで勘弁してくれ」
アドリアンはそう言うと、ふらりと自分の部屋に戻っていった。
「なんか、調子狂うわね」
エリアはエールが注がれた木のコップをもてあますようにしている。
いつもならばアドリアンが乗ってきて乾杯となるはずが、アドリアンが真剣な表情のまま部屋に戻っていったせいでどうしたものか、と思っているのだろう。
「まあ、今日はその一杯でやめとこうぜ」
ユートの言葉に不承不承頷くと、一気にエールを飲み干してエリアもまた部屋に戻っていった。
翌日からのギルドは、変わらぬ毎日だった。
受付はベッキーとキャシーだけでは足りず、ユートやセリルも受付に駆り出されることが多かった。
一方でアドリアンは借りを返す、と言った通り、精力的にあちこちの店を回っては依頼を取ってきていた。
エリアもまた、そんなアドリアンに触発されたのか、やはり知り合いの店に声を掛けては依頼をとってきている。
「あちきは必要じゃない気がするニャ」
レオナはぼそりとそんなことを言う。
レオナは字が綺麗、という理由で定型依頼の契約書を量産したり、ギルド規則の細かいところを修正したりするだけであり、受付も依頼をとる営業活動にも関わることは少ない。
「いやいや、レオナがいないと契約書の量産が回らないぞ」
「あちきは書写する機械じゃないニャ!」
ユートの慰めにならない慰めにそんなことを言っているが、時折ふらりと鎧通しを持って依頼を受けては一人で狩人をやっていたりもした。
しかも高額依頼ばかりを狙って確実に仕留めているがゆえに、エレル冒険者ギルドの総合報酬ランキングでは上位二十パーセントに入っている。
ちなみに冒険者のランクは十パーセントごとに区切られており、上からA級、B級、C級と分けられている。
「あたしは冒険者なのよ! こんな事務仕事とか御用聞きが本職じゃないのよ!」
八月の頭にそのランキングが発表されて、レオナがB級、残りの四人が一番下の区分であるJ級冒険者であることが判明した時、エリアはそう叫んでいたが、それほどまでにユートたちはやることが多すぎた。
その状態で九月のランキングもまた、同じ結果に終わり、そして十月を迎えた。
そう、十月一日は、エレル冒険者ギルド三回目のランキング発表の日であり、同時に西方商人ギルドが立ち上げようとしていた冒険者ギルドの設立の日だった。