第046話 冒険者ギルド設立の日
ユートは緊張の面持ちで立っている。
「さて、本日は大変暑い中、当家当主ユートの設立しました『エレル冒険者ギルド』、これの設立式典にお越しいただき真にありがとうございます」
手慣れた調子でアーノルドがしゃべっている。
そう、今日は七月一日。
ユートたちの冒険者ギルド『エレル冒険者ギルド』の創立の日だった。
ユートは冒険者ギルドの代表として居並ぶ列席者の前で堂々と立っているしかなく、エリアたちは列席者として末席に座っている。
「では、ご来賓の方々を代表致しまして、西方直轄領総督、サマセット伯爵パトリック様よりご祝辞を賜りたく存じます」
そう、この設立式典にはサマセット伯爵も来ていた。
復興が進むエレルの視察という名目で昨日のうちにエレルに入っており、今日の設立式典にも参加してくれていた。
その表情を見る限り、アドリアンが疑っていたような、西方商人ギルドの設立しようとしている冒険者ギルドに関わっているようには見えなかった。
ユートは改めて列席者の顔ぶれを眺める。
手前の方にはルイス・デイ=ルイス、それにワンダ・ウォルターズにピーター・ハルといった西方総督府に西方軍の貴族たちが見える。
その後ろにはプラナスが相変わらず熊のような体躯を小さくするようにして立っているし、後ろの方にはエリアたちが見える。
エリアたちは遠く離れた席だったが、その顔は満足げに笑っているのがよくわかった。
そうしているうちに、サマセット伯爵の祝辞が終わったようだった。
「続きまして、『エレル冒険者ギルド』総裁、当家当主ユートによります、設立の挨拶に移らせて頂きます」
そう言われてユートはみなの前に進み出ようとする。
(大丈夫。覚えてる……)
ユートは何度も繰り返して覚えたはずの口上を必死に思い出そうとする。
そしてつまずきそうになり、慌てて体勢を立て直して何食わぬ顔で挨拶を始めようとした。
「…………(あれ?)」
何を言えばいいのか、頭が真っ白になる、というのはこのことだった。
前に出てきているユートに注目が集まる。
だが、何も話し始めない。
いや、何も話し始められない。
(やばい! どうしよう……)
心中でそんな言葉がもれた。
必死に思い出そうとするが、全く思い出せない。
そうしている間も聴衆はますますユートに注目していく。
(ええい、思ってることを全部言ってしまえ!)
もうどうしようもないと、ただ、開き直った。
考えてきた挨拶は欠片も出てこないのだからしょうがない、とばかりの話し始める。
「…………本日は、お忙しい中、また大変暑い中、当ギルド設立式典にお越しいただき、真にありがとうございます」
そこで一度言葉を切って、聴衆を見回す――いや、睥睨する。
その間を使って必死に心の中にある、言いたいことを整理する。
そして、整理できたところでにこやかに――ひきつった笑顔を見せて、言葉を紡ぐ。
「これまで、冒険者というものは西方開拓に様々な力を発揮して参りました。私は、今回のギルド設立は、そうした冒険者の持つ力を、更に、今まで以上に結集させ、西方の開拓と西方直轄領民の安寧に貢献できるものと信じております」
もう一度、言葉を切って、そして、強く言葉を続ける。
「私は確信しております。今回のギルド設立によって、冒険者はより依頼を見つけやすくなり、西方直轄領民はより依頼をしやすくなり、みなが幸せになる、と。このギルドを、どうかよろしくお願い致します」
ユートはそう言って、深々と一礼した。
一瞬の静寂のあと、数十人の列席者から盛大な拍手。
「では、続きましてテープカットとなります。西方直轄領総督、サマセット伯爵パトリック様、パストーレ商会代表支配人エリック・パストーレ様、よろしくお願い致します」
アーノルドの言葉に従って、ギルド本部の、大きな両開きの扉の前に張られたテープを前にして、ユート、サマセット伯爵、エリックの三人が立つ。
三人は、右手に大きな鋏を持っている。
「では、テープカット!」
アーノルドのかけ声に合わせて、三人がテープを切り落とす。
と、同時に、ユートたちの後ろにあったギルド本部の大きな扉がぱっと開き、日本の梅雨空とは違った、明るい夏の日差しがギルド本部の中にまで降り注ぐ。
心地よい風が吹き抜けて、盛大な拍手の音と夏の匂いをギルド本部の隅々まで運んでいった。
「ありがとうございました。設立式典はこれにて終わらせて頂きます。なお、本日夕刻より『エレル冒険者ギルド』併設の酒場の開業記念を兼ねまして略式ではございますが立食パーティーを執り行いますので、お時間のある方はご参加の程お願い致します」
アーノルドがそう締めて、三度、割れるような拍手が鳴り響き、設立式典の終了を告げた。
「さあ、これからエレル冒険者ギルド、オープンします!」
ユートのその言葉とともに、ベッキー、キャシー、そして買い取り査定担当のマルセルが頷く。
「では、ベッキーさんとキャシーさんは受付のカウンターへ。マルセルさんは今はこないですけど、査定のカウンターへお願いします」
「「はい」」
「おう、わかったぞ」
三人が答えてそれぞれの持ち場につく。
マーガレットは夜の立食パーティーの仕込みもあるだろうに心配なのか、待合用のベンチや観葉植物で仕切られた酒場からちらちらと冒険者ギルドのカウンターの方を見ている。
ギルドが始まってすぐに物珍しそうに冒険者が何人も入ってくる。
「なあ、嬢ちゃん。どうやって依頼を受けたらいいんだ?」
そう聞いてきた中背中肉の冒険者はアドリアンとも仲のいいベテランのジミーだった。
「はい」
にこやかにベッキーが説明を始める。
「まずは冒険者ギルドへの加盟手続きである冒険者登録が必要になりますが、ジミーさんは登録がお済みですよね――ああ登録されていない方は後で説明致しますのでしばしお待ち下さい。ではあちらの掲示板に掲示されている依頼票の中から受任したい依頼がありましたら、依頼票を剥がしてこの窓口までお持ち下さい。ただし、依頼票にある条件を満たしていないものは受任できないのでご注意を」
「ああ、わかった」
ジミーはそう言うと、相棒のレイフや、顔を見たことがある中堅から古参の冒険者たちとともに掲示板の方へと移っていく。
そして取り残されたのが、まだ冒険者登録していない者ばかりだった。
中堅だけれども冒険者仲間の情報網から漏れていた者、新米でそうした情報が入ってこなかったもの、そしてこれから冒険者を始めようとしている者だった。
「では、新たに冒険者登録をされる皆様に説明致します。まず、冒険者ギルドの規約につきましてはこちらの方をご覧下さい」
そう言いながら、羊皮紙に書かれたギルド規約を配る。
全員が目を通し始めたところで、簡単な説明をする。
「当ギルドでは、冒険者の方に依頼を紹介しております。紹介した依頼を受けて頂くことで冒険者の方は伝手がなくとも依頼を受けることが出来るシステムです。また、特に重要な点だけ説明しますと、紹介依頼の報酬のうち五分をギルドの手数料として頂いております。また、公印契約をして頂きますので失敗の際には最悪、依頼票記載の損害賠償の責を負うこともご承知おき下さい」
大多数の冒険者は、適当にギルド規約を読み飛ばしていく。
真面目に読んでいるのは一部の中堅冒険者くらいだった。
恐らく彼らは契約の重要性を知る有能な冒険者であり、その他の読み飛ばしている冒険者はそうした考えのない、少し不安の残る冒険者なのだと、後ろから見ていたユートは思った。
「ちゃんと読まないと後で後悔するかも知れませんよ?」
ベッキーの脅すような一言に、特に新しく冒険者を始める連中は慌てて羊皮紙を必死に繰り始める。
読み超えた頃合いを見計らって、再びベッキーが口を開く。
「そこにも書いてありますが、皆様は一年間の仮契約期間――試用期間を設けさせて頂きます。この一年間は分野別依頼――例えば狩人依頼とか護衛依頼ですね――は受けられません」
中堅冒険者たちが不満そうな表情を作る。
今まで護衛はともかく、狩人をやっていた冒険者も多いのだから、それを受けられないというのは承服しがたいのだろう。
「それは絶対、か?」
「いえ、当ギルドの有力冒険者またはギルド役員の方から推薦があった場合には試用期間を軽減または免除することもあり得ます」
「有力冒険者?」
「当ギルドの報酬総額順位――ランキングで上位十パーセント以内に入っていて懲戒履歴がない方です。ただランキングは一ヶ月ごとの発表ですので、来月までは当ギルド役員の方からの推薦のみになります」
思案顔となる冒険者たち。
「まあ、登録だけしておくか。来月までは自分で依頼探して受ければいいんだしな」
「ええ、構いませんよ。ただ、直接契約の場合でもギルドには届出は出して下さいね。その結果は分野別の評価に反映しますから。では、こちらで必要事項の記入をお願いします。もし代書が必要な場合はお声がけ下さいね」
そう言いながら登録用紙を渡していく。
一方で来月にまた来ると言い残して登録を止める者もわずかながらいた。
彼らは来月登録に来るのかと聞かれればわからないが、ユートはそれはそれでしょうがないことと割り切っている。
今までのように独立独歩でやっていきたい人やランキング付けが好きではない人、あるいは推薦者の当てもなく一年も下積みに耐えられない人もいるだろう。
登録が一段落したところで、今度は依頼を受けたい冒険者たちが依頼票を持って戻ってくる。
「はい、こちらですね。魔鹿一頭の狩人依頼、報酬は四十万ディール、手数料を差し引いた手取額で三十六万ディール、期限は明後日で、依頼失敗時の賠償請求はなし、となりますがよろしいですか?」
「ああ、頼むぜ」
「では公印をお願い致します」
一番手で戻ってきたジミーが言われた通りに公印を押すと割り印を施して依頼票の下半分を切り離す。
「こちらは受任者の控えになります。大切にお持ち下さい。では頑張って下さい」
そう言われてジミーは勇躍ギルド本部を飛び出していく。
いつもの依頼なのだが、それなりに美人なベッキーに頑張れと言われて喜んだのか、冒険者ギルドに入ったという新鮮な高揚感によるものなのかはわからない。
ベッキーはその後も押し寄せる冒険者たちを巧みにさばいていった。
一方でそう上手くいかなかったのはキャシーが担当する依頼受付だった。
例えば護衛の依頼がきた時には、護衛の人数を何人とするか、という話から始まり、支払い方法――特に先払いということについて一人ずつ説明する時間がとられてしまい、次の依頼者が数十分待たされる、などということも起きてしまったのだ。
幸いすぐに一番規約に詳しいセリルも受付に回ったので大事には至らなかったが、セリルも冒険者として依頼を受けることがあるので、根本的な解決には至っていない。
また、先払いということで確実に返金されるのか、と疑念を持つ依頼者も少なからず存在していた。
「ご安心下さい。当ギルドは西方総督府より認可されているギルドです」
キャシーやセリルが笑顔でそう言い切ればどうにかなったのだが、それでもユートたちの実績から信頼を勝ち得てる冒険者からはともかく、一般市民――特に商人たちからは完全な信用を勝ち得ているわけではないことを痛感させられていた。
また、この西方総督府認可という部分を強く打ち出すことは、ユートたちが西方商人ギルドへの対抗策として考えた方策の一つだった。
西方商人ギルドは信用としてはパストーレ商会より低い上に、西方総督府のお墨付きがないことを考えれば、西方総督府認可を強く打ち出すことは信用面で有利に働くだろうというユートの考えだった。
まさか返金されるのか、という思わぬところではあったが、はからずもその効果が実証されることになった。
ともかく、受付が一段落すると、すぐにユートたちは依頼の受付が早く処理されるようにならないか、話し始めた。
「キャシー、どの辺が時間がかかってた?」
「一番は契約書の作成です。依頼を受けてから契約書を書き始めるとそれだけでたっぷり十分は使ってしまいますし、少しミスをしたりすれば次の依頼者の方は三十分くらい待たないといけないかもしれません」
ユートは考え込む。
「ねえ、契約書って最初から作っておいたらダメなの?」
エリアがそんなアイディアを出す。
「例えば護衛用、狩人用なんかは護衛対象、ルート、人数、獲物や期限が違うだけであとは一緒でしょ? そこだけ空けた契約書を作っておけばもっと早く終わらないかしら?」
「それならもう少し時間は短縮できますが……それを作る時間があるかどうかが……」
「大丈夫よ! レオナがやってくれるわ!」
「ニャ!? ニャんてこというニャ!?」
レオナが泡を食っていたが、エリアは笑い飛ばす。
ユートは活版印刷さえあればなぁ、と思うが、金属活字を組版する、という活版印刷の基本的な仕組みは知っていても、実際の組版技術や作った活版で印刷する機械の仕組みなどわからない、と諦めるしかない。
「まああたしたちも手伝うし」
「あちきに押しつける気満々に見えるニャ……」
「楽になったら人雇いましょう」
セリルがそう纏めて、契約書を予め作っておくことで解決する。
なお、こうして定型的に契約書が作られていることから狩人や護衛などといった依頼は定型依頼、それ以外の依頼は非定型依頼と呼ばれるようになるのだった。
「横から見てて思ったんですけど……」
受付をこなしながらベッキーが顔だけこちらに向けて話しかけてくる。
「説明することはまとめた方がいいかな、と思います。私の方は規約を羊皮紙で渡してしまうので要点だけで済みますけど、キャシーのところは全部口頭説明で時間がかかってましたし」
ベッキーの言葉にキャシーがしゅんとなる。
「器用だな……」
そうやってしゃべりながらも受付の業務をこなしているベッキーを見て、アドリアンがぼそりと言う。
それを見ていると、ただまとめたら同じ働きが出来るようにも見えないが、言っていることには一理あるとユートは思った。
「そこら辺はマニュアル化した方がいいかもな。今後のことも考えて。キャシー、お願いしていいかな?」
「……わかりました」
依頼を受け付ける時の説明事項については、まとめておけば説明の手間も省けるし、もし将来キャシー以外が対応することになっても大きく質を落とさずに対応できるという考えもユートの頭の中にはあった。
そうしているうちにも時間は過ぎて、ギルドは終了時刻を迎えた。
エレルの城門はポロロッカ以後、午後五時に閉まって一切出入りできなくなっている。
そこから先は依頼達成の来る者もいないだろうということで、ギルドも五時に閉じることにしたのだ。
「結局受けられた依頼は八件か……」
「初日にしちゃ上出来でしょ。プラナスさんとかからは別に受けてるんだし」
プラナスやドルバックといった、大口の依頼先は予めユートたちが手分けして回っている。
例えばパストーレ商会からは週一回、護衛を五人派遣する業務を六百万ディールで受注しているし、ドルバックからも週二頭の魔鹿を八十万ディール購入する業務を受注している。
これだけで二千万ディールを超えるので、案外ギルドは上手く回っていくのでは、とユートも考えていたのは事実だった。
「それより、マーガレットさんのところで祝宴でしょ! 早く行くわよ!」
そう言うとエリアはユートの顔を見る。
「今度の挨拶はしっかりしなさいよ! 今日の式典みたいに忘れたらかっこわるいんだから!」
誰にも気付かれていない、と信じていたユートは思わず顔が赤くなった。
「気付いてたのかよ!?」
「あたしだけよ! アドリアンとか名演説だっただろって自慢してたし、気付いてたのはあたしだけ!」
エリアはそう言いながら、悪戯っぽく笑った。