第034話 エレル防衛戦・後編
翌日もまた、同じような戦いだった。
ただ、大きく違っていることがあった。
それは、ユートである。
「アドリアン! もっと引きつけて!」
そう指示を出しながら、自分は魔法使いたちとともに遠距離の魔物たちを叩く。
ユートが全体に指示を出すようになってから、明らかに冒険者たちの戦闘効率は上がっていく。
そして、そうした結果を見た冒険者たちは、ユートの指示に対して信頼を高めていく。
今まで半年間、ずっとさん付けの丁寧な話し方をしていたユートが、今朝呼び捨ててでしゃべりかけてきた時、アドリアンは面食らったが、にやりと笑った。
アドリアンの中で、自身も買っているこの黒髪の男が遠慮のない口の利き方をしたことについて思うところはない。
むしろようやくか、という思いすらあった。
周囲も基本的には粗野な冒険者たち。
パーティリーダーであるユートがパーティメンバーであるアドリアンに敬語、などという方がむしろ奇異に映っていたほどであり、自然に受け容れられていった。
「よし、追い返したぞ!」
ユートの声に勝ちどきが上がる。
今朝は朝から魔狼と魔鹿の群れが襲ってきたが、一度たりとて市壁の上に上がらせることなく撃退に成功しているのだ。
当然ながら被害はゼロ。
しかも魔法使いもユートの指示に従って接近された場合は弓を優先させているので、魔力も比較的温存されている。
「おい、また来たぞ!」
誰かが叫ぶ。
波状攻撃だったが、随分と余裕を持って迎撃できる。
「魔羆さえ来なきゃどうにかなりそうね」
手持ちぶさたのエリアがそんなことを言う。
確かに魔羆はその毛皮が矢を通さず、魔法は恐らく炎結界かそれに類する魔法によってかき消されてしまう。
法兵中隊がやったように物量作戦で炎結界を無理矢理打ち破るならば恐らく魔法使いの多くが魔力切れになるだろう。
対魔物戦闘の経験値はともかくとして、軍の法兵たちは在野の魔法使いに比べて優秀であり、魔力も向こうの方が圧倒的に上なのだ。
白兵戦となれば槍士はともかく剣士は苦戦させられるだろうし、魔羆だけは来て欲しくない相手だった。
幸いなことに夕刻まで戦闘して、変異種は魔箆鹿が現れた程度であり、魔羆はおろか魔熊すらも現れなかった。
やや拍子抜けがしたものの、手強い魔物が来なかったことに安堵しつつ、ユートは引き揚げてきた。
だが、夜に集められた指揮官会議では、サマセット伯爵は目の下に深い隈を作っており、頑健なアーノルドも疲れた表情をしていた。
どうしたのか、と疑問に思っているうちに会議は始まり、そして開口一番、サマセット伯爵が現状を告げた。
「全面的な攻囲を受け、被害が続出している」
ユートたちもそういえば魔物が多いな、とは思っていたが、他はその比ではない魔物の攻撃を受けていたようだった。
混成第三大隊と混成第四大隊の大隊長も来ていなかったが、所用というわけではなくは戦死しており、現在先任中隊長が指揮を引き継いでいる状況らしい。
そして、部隊の掌握を優先させた結果、会議に参加しているのは六人となっていた。
「たった、四日だぞ……」
損害の情報を共有し終えた絞り出すようにサマセット伯爵がうめいた。
エレルの解囲に入ってからまだ四日。
西方軍の本来の編制は六個大隊に一個中隊であり、そのうち一個大隊はサマセット伯爵の直率であるので、五人の大隊長と一人の中隊長がいたことになるが、わずか四日で大隊長二人に中隊長一人、つまり半数を失った事になる。
指揮官ですらそれだけ戦死しているということは、当然ながら兵士の死傷も推して知るべし、である。
「このままではあと十日もすれば西方軍そのものがすりつぶされてしまう……」
サマセット伯爵は幽鬼のような表情でまた呟いた。
「総督閣下、そう気を落とされますな」
アーノルドがそう言って慰めるが、元々軍人ではないサマセット伯爵の精神は部下が次々と戦死していく状況に相当痛めつけられているようだった。
「ともかく、後二十日は保たせなければなりません。王都からの援軍は最低でもそのくらいかかるでしょう」
「援軍が来るのは確実なのだな?」
「軍務省の作戦部長は私の同期生なので、そちらにも私信を送っておきました。同期の中でも一番頭の切れる男なので、まず大丈夫かと」
「では二十日保たせるか、解囲する方法を考えるしかありませんね」
ユートの言葉に、ピーター・ハルとアーノルドが頷いた時、轟音が響いた。
同時に鐘が乱打され、高音が耳を叩く。
「敵襲!」
ハルが叫ぶ。
アーノルドは騎兵らしく、一番に飛び出していく。
ユートとハルもそれに続き、少し遅れてウォルターズが飛び出していく。
誰もいなくなった会議室で、サマセット伯爵は一人、幽鬼のような表情のままぶつぶつと呟いていた。
「報告! 正門が狙われてます!」
司令部の建物を飛び出したところで、報告に来たらしい兵士が叫ぶ。
「正門か! 私の騎兵が当たろう。ウォルターズ殿は直ちに法兵を率いて後詰めを頼む。ユート殿は後背を衝かれぬよう……」
そう叫んだ時、更に轟音が響き、少し向こうの建物にパッと赤い炎が上がった。
続いていくつもの火球が飛び交い、建物が次々と燃え上がる。
「敵の魔法だ!」
さすがは西方開拓の最前線の街、ただの市民であっても何が起きたかは正確に把握できる。
そして、それがゆえにあっという間に叫び声が交錯し、混乱の坩堝となる。
「アーノルドさんは早く正門に! 侵入した魔物は僕らがやります!」
ユートの言葉に頷くと、アーノルドは厩舎の方へと駆けていった。
ユートが燃えさかる建物に駆けつけた時には既に冒険者が集まっていた。
「ユート! 指示してくれ!」
誰とはなしにそう叫ぶ声がする。
先日の火災とは違い、火勢が強すぎて個人でどうこう、という段階ではなくなっているのだ。
「斧を使った事のある奴はいますか!?」
ユートの声に数人がおう、と声を挙げる。
「よし、斧を持ってきてまだ燃えていない隣の建物を突き崩して! 残りの奴らはありったけの桶を集めて!」
ユートの怒鳴り声に誰も文句一つ言わずに従う。
あっという間に木桶がいくつも集められてゆき、隣の建物は打ち壊されていく。
ユートが指示したのは延焼を防止するための破壊消火と言われるやり方だ。
要するに延焼を食い止める事で燃え草をなくしてしまい、後は燃え尽きるのを待つ、というのが本来の破壊消火のやり方である。
「木桶は井戸の傍に積んでおいといて、井戸から燃えている建物まで列を作ってくれ」
「水魔法は!?」
「明日の朝から戦いだから置いておこう!」
ユートの言葉に魔法使いらしきその声の主は頷く。
そして、それに周囲も納得したのか、するすると井戸から建物までの列が出来ていく。
あとはバケツリレーの要領で木桶が渡されていき、建物に水が掛けられていく。
周囲の燃える家もなくなっているので徐々に鎮火されていく。
「よし、そっちはもういい。次は裏手に回ってくれ」
ユートの指示に従って、消火が続けられる。
冒険者がバケツリレーの列を作るのを見て、野次馬たちもこれならば自分たちで出来る、とばかりに列を作り始めた。
野次馬たちの力も借りて、どんどん火は消し止められていく。
とはいえ、燃える家を完全に消し止めるには相当の時間がかかった。
「ようやく、終わった……」
ユートがそう呟いた時には、既に空は白み始めていた。
既に魔物の襲撃は一段落したらしく、ユートたち冒険者が動く音だけが響く。
「なんとか、一眠り出来るな」
いつの間にか傍に来ていたアドリアンがそう笑った。
「だな」
ユートも煤で汚れた顔を拭いながら同じように笑った。
だが、ユートに眠る余裕など与えられなかった。
冒険者が解散してエリアの家に帰ろうとしたところにアーノルドが現れたのだ。
「疲れているところすまんが、今から司令部へ来てくれんか……」
同じように疲れているアーノルドにそう言われて断ることは出来ない。
主力部隊の指揮官が揃って寝不足というのもいかがなものかと思ったが、古強者のアーノルドであるからそんなことは百も承知だろう。
「実は総督閣下がお呼びなのだ」
道すがら、そんなことをアーノルドは言った。
「……総督閣下もお疲れのようでな」
「何か、あったんですか?」
「このままでは保たん、とお考えのようだ」
サマセット伯爵がそう考えるのもわからないではない。
ここ数日、押し返せるとはいえ薄氷を踏むがごとき戦いになっているのは否定できない。
その戦いをあと半月も続けることが可能なのか。
まして、今夜みたいに夜襲まで受ければどうなるかわからない、とユートも思う。
「それで、総督閣下は?」
「まあ行ったらわかるが、いよいよ“光り輝く魔物”をお探しのようだ」
まもなく会議が始まった。
アーノルドが言ったように、サマセット伯爵はユートが読み解いた年代記にあった“光り輝く魔物”を探すことを強く提案した。
「閣下、年代記に確かにそれはありましたが、今回もおるとは限らんのです」
アーノルドがそんな風に説得を試みたが、サマセット伯爵は頑固に“光り輝く魔物”を探すことに拘り続ける。
「このままでは陥落は必至であるならば、少しでも可能性があるならばそちらも両天秤にかけるべきだ」
「閣下、我々を信じて下さい。そう簡単に陥落させられることはありません」
「あと二十日、本当に持ちこたえられるのか?」
ハルも必死に説得するが、サマセット伯爵にそう聞かれて言葉に詰まった。
これまでちゃんと守り抜けているのは冒険者たちが守る北側のみ。
攻勢の激しい南側の正門は何度となく突破されかかっている。
その度に白兵戦で奪い返しているが、そうした白兵戦で歩兵の消耗は激しいものなってしまっているのも間違いない。
歩兵の数が有限である以上、あと二十日間、毎回奪い返せるか、と聞かれれば自信をもってあるとはハルには答えられなかった。
「しかし、“光り輝く魔物”を探すとしてもエレルが陥落してしまっては元も子もありません」
アーノルドはそれでも説得を試みる。
「わかっておる。しかし私は二十日間もこのまま持ちこたえることもまた不可能と思っているのだ」
普段ならばアーノルドの意見されれば素直に聞くサマセット伯爵だが、この時ばかりは妙に執拗だった。
疲れが出ている目の下の隈、こけた頬と対照的に、その目はぎらぎらと妙な輝きを持っており、正常な判断力を失っているのではないか、と思わせるには十分だった。
そんなサマセット伯爵を見て、ため息をつきたげな表情でアーノルドが妥協案を出した。
「わかりました。こうした捜索任務は騎兵の本領であります。ですので、小官の騎兵が捜索を行い、他の部隊は従来通り、エレル守備専念する、ということでどうでしょうか?」
なんだかんだ言っても、サマセット伯爵は軍司令官なのだ。
経験はアーノルドの方が上とはいえ、司令官の言うことを無視できるわけではない。
「わかった。そうしよう」
サマセット伯爵も全軍を挙げて捜索するなどということは無茶であるのを理解していたようだった。
ユートも、そしてその他の会議の参加者も、皆サマセット伯爵のその返事に安堵したが、同時にこんな司令官で大丈夫なのか、と不安を払拭しきれないまま、会議を終えることになった。
「で、俺たちのところから警備大隊すら引き抜かれた、と」
アドリアンが仏頂面でユートにそう言う。
サマセット伯爵の思いつきに対してアーノルドが捜索任務に騎兵大隊の半数を割くことにした結果、正門が突破された時の逆襲部隊が不足することになり、昨日まで一緒に戦っていたエイムズの警備大隊がそちらに回ることになったのだ。
「貴族の大将の思いつきで数減らされちゃたまらねぇな」
アドリアンは周囲に誰もいないのを確認してそう放言する。
「まあまあ。でも俺もそこまで間違ってはいないと思う」
「おいおい、ユートまで“光り輝く魔物”みたいなおとぎ話の魔王がいるって信じてるわけじゃないよな?」
「というよりもあと二十日間、守り切れるって楽観してない、かな」
「……それなら博打打ってみよう、か。お前、勝負師だな」
アドリアンはそう言うと愉快そうに笑った。
自分は慎重派で、ただ現状を考えてベストなのが“光り輝く魔物”を探す、ということなのだが、と腑に落ちないユートだったが、ともかくアドリアンの機嫌が直ったので良しとした。
幸い、北側の市壁を襲撃する魔物はそう多くはなかった。
魔の森に面していない東西の市壁はもっと攻撃が少なく、やはり南側、正門に攻撃は集中しているようだった。
そうしているうちに、また一日が終わった。
当然ながらユートは会議に呼ばれることになる。
混成大隊については被害が多く出ているらしく、指揮官は参加できないようだったが、今日は参加者が一人も欠けることはなかった。
「どうだったか?」
会議が始まると同時にサマセット伯爵が勢い込んでアーノルドに訊ねた。
アーノルドはすっかり数を減らした騎兵を率いて、夜明けとともに城外に出ると、一日中山野を駆け巡り、情報を収集していたらしい。
昨日の夜は夜襲への対応でほぼ徹夜、そして一日かけずり回っただけあって、顔に疲労の色は濃かったが、それでも歴戦の軍人らしく、瞳の光は強かった。
「一応それらしき魔物は見かけました」
アーノルドの簡潔な一言に会議の場は静まりかえる。
「“光り輝く魔物”、と言うのかはわかりませんが、正門から南へ、おおよそ一キロほどのところで、黄金の獅子のような魔物は三度ほど確認することが出来ました」
「黄金の獅子?」
ユートが訝しげにそう訊ねた。
「ええ、毛並みが金色に輝く、獅子としか言えないものです」
「獅子、というのはあのたてがみのある、あれですか?」
「そうです。結構な距離があったので詳細な容貌はわかりませんが、このあたりにそういう魔物がいた、ということを聞いたことはありますか?」
ユートはそう言われて困った。
ユートの短い狩人歴ではそんなものに遭遇したことはない。
慌てて中座してアドリアン、そしてベテランの冒険者たちに聞きに行く。
「金色の獅子だと!?」
アドリアンも困惑するだけで見たことも聞いたこともない、と答える。
ベテランの冒険者たちも軒並み同じ答えだった。
その答えを持ち帰ると、サマセット伯爵が喜色満面となる。
「その黄金の獅子、冒険者の流儀に則れば黄金獅子とでも言うべき存在が今回“ポロロッカ”を引き起こした“光り輝く魔物”と考えるべきではないか?」
サマセット伯爵の前のめりな言葉に、ユートもアーノルドも反対はしない。
特に年代記を読んだユートはその魔物が“ポロロッカ”のきっかけか、或いはキーとなる魔物であることには肯定的だ。
その反応を見て、サマセット伯爵は言葉を続けた。
「では、その黄金獅子をどうやって討つか、だな」
昨夜までの青ざめていた顔はなんだ、と言いたくなるくらいサマセット伯爵は明るい顔色になっている。
まあ慣れない軍人稼業、しかもそれも先の見えない消耗戦の指揮を執らされ、精神がすり減らされていたところの朗報だからしょうがない、とユートも思う。
その前のめりな姿勢で果断すぎる判断さえしなければ、ではあるが。
それに黄金獅子を狙うことはユートもアーノルドも否定はしない。
相手の大将を狙うのは軍略にかなっている、とアーノルドは考えていたし、ユートもこの窮地を覆すにはそれくらいの無理は必要と考えている。
「アーノルド、黄金獅子はどんな様子だった?」
「非常に警戒心が強く映りました。もし我々の手で討てれば、と一当てしてみたのですが、それなりに魔物がおっても、騎兵では少し近づいただけで姿や臭い、或いは馬蹄の音を聞き分けて逃げているようです」
「なるほど。魔物の大将というならば一筋縄にはいかんようだ。どうすれば討てると思う?」
サマセット伯爵に問われてアーノルドは考え込んだ。
「まず一つは魔物の群れを圧倒できるほどの大軍で攻め立てること、ですな」
「それが出来れば苦労せんではないか」
「ええ、その通りです。そうなるとひっそりと討たねばならない。ですから少数――そうですな……数人から十数人程度の精鋭を抽出して専従させるべき、と小官は考えます」
「なるほどな」
「そう考えると……」
アーノルドは天井を睨むように思案した。
そして何か決心したかのようにユートを見た。
「ユート殿、冒険者から精鋭を抽出して、黄金獅子専従としてもらえんだろうか?」
アーノルドの言葉にユートはどう返していいかわからなかった。
「冒険者、ですか? 魔法使い……法兵でもいいのでは……」
そんな言葉が口を衝いて出る。
「無理だ。法兵を出すならば護衛を出さんといかん。だが、騎兵にしろ歩兵にしろたった二十人三十人で戦う訓練は受けておらん。数百人から数千人で戦うことを前提にしている軍では魔物相手には相性が悪すぎるのだ」
アーノルドはそこで一度言葉を句切る。
そして、一度目線を床に落とした後、ユートの方を再び見やった。
「本来ならば、冒険者も守られるべき陛下の臣民だ。レビデムで冒険者が義勇兵募集に応じなかった時、とかく言う声もあったが、私は彼らを責めることは出来ない。そして、今回の黄金獅子討伐も、本来ならば臣民の為、我ら軍がやるべきことというのは重々承知している。しかし、黄金獅子を討つに最適なのは、どう考えても冒険者なのだ。――頼む!」
アーノルドに正面から頭を下げられ、ユートは困った顔をする。
ユートは黄金獅子を討つのは間違っていないとは思っている。
しかし、決死的な作戦であることは確実であり、自分が行くのならばともかく、他の冒険者をそうした死地に行けと言って聞いてくれるのか。
そんなユートの様子に、サマセット伯爵もアーノルドもやはりか、と思いながらも落胆した表情を見せる。
「…………持ち帰って志願を募ります」
ユートは頭の中で精一杯のところを考えて落としどころを探る。
「わかった。総督閣下、それでよろしいですよね?」
「ああ、そうだな。よろしく頼む」
その言葉を最後に、ユートに大きな課題を課したまま、会議は終了となった。