第033話 エレル防衛戦・中編
「右から少し抜けて来るぞ!」
アドリアンの声が響く。
その声に合わせて右側に矢が降り注ぐ。
ユートたちは前日の会議で言われた通り、北側の市壁を守っていた。
冒険者の大半は剣だけでなく弓もある程度使えるので、弓を使える冒険者をアドリアンとレオナが先頭に立っている。
また、エリアは警備大隊のヘルマン・エイズムとともに市壁に上ってこられた時に備えて剣を構えている。
セリルとユートは魔法が使える冒険者とともに魔法を撃つ、という役割分担だ。
「急造だからみんなばらばらだけどね」
セリルがそんなことを言う。
冒険者は普段、自分のパーティ以外と組むことはない。
特に魔法使いはその数が限られていることもあり、一パーティに一人いればいい方であり、他の魔法使いと一緒に戦うようなことは想像されていないのだ。
この為、軍の法兵中隊が見せていたような一斉射撃はおろか、目標すらばらばらになったり、逆に被ってしまっていて、オーバーキルになっている相手もいれば、一発では倒し切れていない相手もいる。
「アドリアンさんは上手いですよね……」
ユートは弓の方を見ながらそう言った。
どこに射つべきかしっかりと判断して指示を出している。
「アドリアンはみんなに顔が利くからね」
セリルがそんなことを言う。
そうなのだ。
結局はアドリアンのベテランとしての、“顔が利く”に助けられているのだ。
昨夜のウォルターズとの会話を思い出して、また顔が暗くなる。
「どうしたのよ? ユート!?」
近くで弓も魔法も使えない冒険者とともに待機しているエリアが言った。
「いや、なんでもない……アドリアンさんの方が上手いな、と思っただけだ」
「……そう。ほら、ユート! また魔物が来るわよ!」
エリアは深く聞かず、ただ魔物を指さす。
「今度は魔猿だわ!」
魔猿。
ぱっと見た限りでは単なる大柄な猿だが、猿ゆえに知能が高いのか、魔猿が出てくると戦線が妙に統率が取れる。
族長個体がいる時ほどではないのだが、それでも十分に脅威なので、早いうちに魔法で倒そうとユートは狙いを定める。
「魔猿を倒すぞ!」
ユートはそう叫んだ。
だが、冒険者たちは魔法を乱れ撃っていることもあり、なかなかユートの声が届かない。
セリルも含む何人か魔猿に狙いを移したが、後は野放図に魔法を放つだけだ。
それでも出てきた五匹の魔猿のうち、三匹は倒すことが出来た。
「何やってんだ! 魔猿を狙え!」
アドリアンが叫ぶ。
と、同時に弓がそちらに指向し、残り二匹のうち一匹を倒す。
残りの一匹は危険を感じたのか、すぐに下がっていって魔物の群れに紛れる。
「はー……」
ユートがため息をつく。
「ため息ついてる場合じゃないわよ!」
エリアの声にユートははっとして魔物たちの方を見る。
魔物たちの群れが包囲している包囲線と市壁の間にはおおよそ一キロほどの間が空いているが、その距離をかなりの速さで駆けてきている。
「あいつらを!」
今度はユートの指示が通った。
まあ冒険者たちが自己判断してもあの魔鹿を撃つだろうな、と心の中で呟きながら、見る見るうちに数を減らす魔鹿を見やる。
だが、魔鹿は数を減らしながらも市壁に取り付くと、石積みの市壁のあちこちにある凹凸を利用して飛ぶように市壁を飛ぶように上ってくる。
「そういやこいつら岩場に住んでるような奴らだった!」
かつて戦った時のことを思い出してユートが叫ぶ。
「慌てないで! 剣で迎撃するわよ!」
エリアはそう叫ぶと、剣を抜き放って市壁の上まで上ってきた魔鹿を突きで落とした。
さしもの魔物といえども四、五メートルはある市壁から突き落とされて無事ではいられない。
死ぬことはないにしろ、それなりの怪我を負う。
そして、人間と違って彼らは仲間がやられたからといってそれを後送して治療しようという概念はない。
特に脚を怪我すれば蹲っているところにセリルたちの魔法を食らうか、アドリアンたちの弓の餌食になるか、エリアたちに突き落とされた別の魔鹿の下敷きになるかしかない。
おおよそ一時間も戦ってようやく魔鹿の群れを退けることに成功する。
「もう昼か……」
「そうね」
「おい、ユート! こっちは限界だし、飯にしようぜ!」
魔鹿が退いて一段落、と見たアドリアンがそう提案する。
「そうですね」
そう言った時、少し前までのエレルの門番にして、今は警備大隊の先任中隊長であるエイムズやってきた。
「おう、ユート。冒険者はやっぱり強いな」
そう言って陽気に笑ってみせる。
警備大隊の先任中隊長として、大隊の指揮を執ることになっているはずだが、門番の時と全く変わらない、陽気なエイムズのままだ。
「ヘルマンさん、お昼にしようかと思うんですが……」
「じゃあ俺のところとアドリアンのところが先に下りるわ。何かあったら鐘を乱打、な」
エイムズはそう言うと警備大隊の部下たちとともに下りていく。
警備大隊の面々はこの一週間ほどの防衛戦で相当数を減らしているが、それでも士気は高いらしく、休憩になった途端、ふざけ合って笑っている者すらいる。
その後、交代したユートたちも昼食を食べ終わった頃合いに、まるで見計らったかのように市壁の上から鐘の乱打が聞こえた。
予め定められた敵襲の合図だ。
「上がろう!」
ユートがそう告げると、セリルたち魔法使いとエリアたち剣士が頷く。
「どんな様子ですか?」
上がったところでユートがエイムズに訊ねる。
「見たまんまだ。今度は魔狼とか……ふざけやがって!」
エイムズがそう言いながら指さす。
見ると獰猛な目をぎらつかせながら魔狼が殺到してきていた。
アドリアンたちも必死に弓を放つが、魔狼はそれで阻止することが出来ず、あっという間に市壁に取り付かれた。
魔法使いがいなかっただけで相手を阻止する力は大分落ちるらしい。
「あいつら、簡単に上ってきやがる!」
悲鳴のような冒険者の声が聞こえる。
先ほどの魔鹿よりも軽やかに、市壁の凹凸を利用して駆け上がってくる。
工作精度が日本とは違うとはいえ、限られた凹凸をよじ登る様はまるで猫のようだ、とそんなくだらない考えがユートの頭をよぎる。
「魔法使いを下げさせろ!」
アドリアンが叫ぶ。
その指示を待つまでもなく、魔法使いたちは自分の判断で下がっていく。
ユートみたいな例外もいるとはいえ、基本的に魔法使いの冒険者で白兵戦を得意にしている者はいない。
勿論、しっかりと訓練はしているのだが、それでも専門に剣や槍を扱う前衛とはやはり比べものにならないのだ。
魔法使いにかわって剣士が前に出る。
だが、今度は午前中のように上がってくる傍から突き落としていくような楽な戦いにはならなかった。
魔狼は魔鹿に比べると相当素早く、突き落とそうとにもかわされて市壁の上に上がられてしまうのだ。
あっという間に市壁の上で激闘が始まった。
「おい! 後続を射つぞ!」
アドリアンの号令一下、矢が放たれてなおも市壁に殺到する魔狼たちを倒していく。
それを見て、魔法使いたちも魔法を放って同じように魔狼たちを倒していく。
命中精度は魔法の方が上であり、その魔法使いが迎撃に加わった第二波の魔狼たちはほとんど市壁に近寄れない。
後続を断たれた第一波の魔狼と、エリアたちの激闘は続く。
結局、エリアたちが市壁に上がってきた魔狼を全て討ち果たしたのは二時間も経ってからだった。
剣士の冒険者たちは少なくない損害を出していたが、魔狼を討ち果たしたことで士気は低くはない。
むしろその間、目の前の魔狼と冒険者の戦いを気にしながら、間欠的に押し寄せる魔物たちを狙わないとならなかった弓士や魔法使いの方がよっぽど疲労していた。
すでに冬の日は中天から西の方へ落ち始めている。
あと一時間か、二時間もすれば日が落ちて夜のとばりが訪れることになるだろう。
「今日はこれで終わりか?」
ユートがそう呟いた言葉はフラグだった。
「おいおい、まだ来やがる」
アドリアンが呆れたかのようにそう言ったのが聞こえる。
今度は魔狼にかわって魔鹿の群れだ。
「あいつら、元気だな」
誰ともなしにそんな言葉が漏れ、そして笑いが市壁の上に満ちる。
その笑いには魔鹿ならば、魔狼より楽だ、という思いが含まれていた。
だが、そうはいかなかった。
この半年でユートも痛感していることだが、魔物は動物よりも格段に頭がいい。
今回にしても午前の攻撃で魔鹿単体では突き落とされて終わりになることを学習していたのか、魔鹿の群れに数頭の魔箆鹿が混じっていたのだ。
「クソ! 矢が押し戻される」
魔箆鹿は少し離れたところに陣取ってアドリアンたちの放つ矢に向けて風魔法を行使し、気流の流れを作り出して矢を押し戻していく。
そして、矢を気にしなくてよくなった魔鹿たちが市壁に殺到していく。
それはさながら法兵中隊に掩護されながら戦う歩兵のようであり、それを見たユートは、もしこのまま戦い続ければ遠からぬ将来、魔物たちは人間の、軍隊のような戦い方を身に付けてしまうのではないか、と冷や汗が背中を伝った。
「魔法! 頼むぞ!」
エイムズの怒鳴り声が響いた。
ユートも火球などの魔法を放っているのだが、いつの間にか放たれる魔法の数は随分と減っている。
「どうしたんですか!?」
ユートが思わず周囲の冒険者に聞く。
「魔力がねぇんだよ……」
ユートに聞かれた冒険者はだるそうにそう答える。
「え!?」
魔力というものは有限であるということくらいは勿論ユートも知っているし、魔力切れも経験したことがある。
しかし、朝から戦ってそれが尽きた、という冒険者の言葉に驚きを隠せなかったのだ。
ユートも同じように魔法を放っているが、全くだるさなど感じられない。
(個人差がここまで大きいなんて……)
それもまたユートがちゃんと把握していなかったことだ。
そもそも魔力や、一つ一つの魔法の使用魔力が定量化されていない以上、仕方の無いことではあった。
「俺がどうにかします!」
ユートはそう叫ぶ。
魔箆鹿をどうにかしなければ矢で防げないし、恐らく剣士たちも戦いづらいだろう。
魔力を使い惜しんでいる場合ではないから、ユートは火炎旋風――魔物に追われた時に使った、相手を一網打尽にする魔法――を使うことを決めた。
広域殲滅出来るあの魔法は魔箆鹿を叩くのにはちょうどいい魔法だ。
ユートはそう考えると、ほぼ全ての魔力を放出する。
その魔力が炎となり、踊り狂う。
魔箆鹿たちは風邪魔法で防ごうとしたようだったが、それは失敗だった。
多少の風では火炎旋風を押しとどめることは出来ず、そして最後まで魔法で防ごうとしていたがゆえに避けることも出来なかった。
あっという間に全ての魔箆鹿が火炎旋風に呑み込まれて悲痛な鳴き声を上げる。
そして、魔力が尽きたユートの意識は暗転した。
「おはよう」
ユートが目を覚ました時にはエリアがいた。
「ここは?」
そう言いながらあたりを見回す。
答えを待つまでもなく、この半年ちょっと世話になっているエリアの家だった。
「えっと、戦いは?」
「もう二時間も前に終わったわ。もう夜よ」
「え、俺はそんなに長い間倒れてたのか!?」
「当たり前でしょ? あんた魔力全部使い切ったのよ?」
エリアはむしろそれで済んで良かった、と言いたげだった。
「はい、これあんたの分の晩御飯」
そう言いながらお盆に乗せた食事を置く。
パンではなく、黒い粒が浮く、白くどろどろとした何か、だった。
「これは?」
「ポリッジ――お粥よ。起きてすぐに普通の食べ物食べられるかわかんないでしょ。まあ出来たところで匂いに釣られて起きてきたのなら普通のでもよかったかもだけど」
エリアにそんなことを言われて、ユートはようやく腹が空いていることに気付いた。
別に腹が減って起きてきたんじゃないけどな、と心の中で言い訳しながら、匙で掬って食べる。
「甘っ!」
日本で食べていた米の粥と同じだ、と思って口に入れて、驚く甘さだった。
「当たり前でしょ」
エリアは何を言っているんだ、という顔をしている。
「いや、普通塩味だろ?」
「ああ、ニホンでの話? こっちでは甘いのが普通よ。それ、レーズン入ってるしね」
食文化の違い、と言われてしまえばどうしようもない。
なんとも言えない甘い粥を啜る。
とはいえ、空腹は最高の調味料とはよく言ったもので、あっという間にポリッジを食べ終わった。
「で、どうだった? 美味しかった?」
「……まあなんとも言えない味だった」
「それはどういう意味よ?」
「だって食ったことないものだからな。甘い時点でどう評価して良いかわからん」
「……それは不味かったわけじゃないのよね?」
「ああ、そうだが……」
「よかった」
安堵のため息。
「……これ、もしかしてエリアが作ったのか?」
「そうよ! あたしが作った栄養満点のポリッジなんだから、もう治ったでしょ?」
エリアはにやりと笑いながらそう言って胸を張る。
(危なかったな)
そんなエリアに気付かれないように、ユートは内心でそう呟いた。
「で、あんた今日どうしたのよ? すごく変だったわよ? いつもならすぐに指示出してる時もなんか上の空だったし、挙げ句に魔箆鹿潰すために魔力全部使い切ったりして。いつもはもっと魔力配分だって上手い戦い方をしているのに今日はあっさり魔力切れ、だし」
「そうだったか?」
「馬鹿にしないで。これでもあんたが冒険者になってからずっと仲間やってるのよ!?」
エリアが大声を上げる。
「なんかあったでしょ。言いなさい」
「呆れるなよ?」
「当たり前じゃない」
「……実はさ、昨日からちょっと自己嫌悪なんだ。アドリアンさんの方がちゃんと冒険者を統率してて、俺は何も出来てないし、アドリアンさんの方がよっぽど義勇中隊のトップに向いてるのに、なんで俺が指揮してるんだろう、ってな」
情けないユートの言葉。
「――あんた、馬鹿じゃないの?」
エリアの一刀両断にする返事。
「何かと思ったらそんなことだったの!? そりゃ確かにアドリアンは冒険者長くやっているだけあって、周りから信頼されてるわよ。でもあいつに貴族との交渉なんか出来るわけ無いじゃない。というよりあんた以外で上と交渉できそうな人いないわ」
エリアは一息にそうまくしたてる。
「アドリアンがみんなの気持ちを盛り上げるのが上手いのはそりゃ付き合い長いから当たり前でしょ。でもユート、あんたはあんたで冒険者に認められてるのよ。そうじゃないといくらアドリアンが推したからって、あんたが上と交渉した結果に素直に従うわけじゃない。それに、総督やアーノルドさんだって、日和った奴もいる“冒険者”じゃなくて、“あんた”を信頼してるの!」
エリアの剣幕にユートは言葉を失う。
「いい、ユート。アドリアンがちょっとみんなを指揮するのが上手いとか、そんな比較は忘れなさい。アドリアンがすごいなら、あんたはそんなアドリアンを使ってやったらいいの。アドリアンも、あたしも、セリーちゃんやレオナだってそれでいいと思ってる。あんたがリーダーなのよ!」
そこまで言うと、エリアは黙り込んだ。
沈黙の時間が流れる。
たっぷり五分はその沈黙の時間が続いただろうか。
その沈黙を破ったのはエリアだった。
「ごめん、偉そうなこと言った。あたしだってアドリアンだってそんなユートに気付かなかったんだもんね。あんたはあんたで、上とあたしたちに挟まれてプレッシャー感じてたはずなのに、あたしは沈んじゃダメだって言うだけだった」
エリアの言葉にユートは頭を振る。
「いや、エリアの言う通りだ。情けないリーダーでごめんな」
「……そんなことない」
「エリア、ありがとな!」
ユートのその言葉に、エリアは照れくさげにサムズアップで応じた。