第030話 エレル城門前の戦い・後編
「法兵中隊、法撃用意! 目標、眼前の魔羆! 小隊指揮官を基準と為せ! 放てぇ!」
沈黙を破ったのはカーライルだった。
命令通り、放たれた飛水凍結は魔羆たちを水浸しにし、その上で凍り始めた。
二頭は暴れて凍りきる前に飛び出したが、残り三頭は氷漬けにすることに成功する。
「よし、あと二頭!」
そう言いながらアドリアンが飛び出した。
二頭は飛水凍結を警戒しながら、それでも近づいてくる。
ここにいるのは法兵中隊とそしてユートたちだけ。
だからこそ前衛として盾にならなければならない、と飛び出したのだ。
「もう一度いくぞ!」
「ちょっと、この距離じゃあいつらに入ってもらえないといけないし、飛水凍結は無理だって」
アドリアンごと氷漬けにしそうになったカーライルを慌ててウォルターズが止める。
「法種変更! 土弾!」
「はいよ」
「ウォルターズ、合いの手はいらん! 法撃用意! 目標、眼前の魔羆! 指揮官法撃を基準と為せ! 放てぇ!」
二十四発の土弾が一頭の魔羆を襲う。
だが、土弾は着弾と同時にぐずぐずと崩れ、多少のダメージこそ与えたに留まる。
「別命あるまで各個射撃、目標は変えず!」
カーライルは土弾で押し切ることにしたらしい。
確かに土弾は使用魔力の多い魔法であり、炎結界が霧消させる魔法と同量の魔力を必要とすることを考えたら、魔羆の魔力が尽きるまで撃ち込み続けるという選択肢は悪い選択肢ではない。
何より崩れ落ちたとしても土弾だった土の質量をぶつけ続ければ魔羆の動きを止める効果もある。
その横でアドリアンは槍で牽制しながらもう片方の魔羆と対峙する。
「エリア、気をつけろよ。こいつは手強い」
アドリアンはそう言うと、槍の穂先で狙いを定める。
魔羆もまた、アドリアンを獲物と見たのか、威嚇するように前足を持ち上げて大きく吠えた。
「セリルさんも弓でお願いします」
ユートはそれだけ言うと剣を抜き放ち、アドリアンの傍による。
「アドリアンさん、正面、お願いします」
「ああ、任された」
アドリアンが頷いたのを確認して、そろりそろりと魔羆の右側に寄っていく。
それを見て、レオナもまた、左側に動く。
隣で土弾が命中し、砕ける音が響いているのに、妙な静寂が場を支配した。
その静寂を破ったのは、魔羆だった。
再び吠え声を放つと、後ろ足だけで立ち上がる。
二メートルを超える巨体に、ユートは思わず怯む気持ちがわき上がったのを無理矢理押さえつける。
「来い!」
歴戦のアドリアンは決して怯まず、己を励ますように大声を上げた。
その声に反応するかのように、魔羆も三度吠え声を上げる。
そして、右前足を振りからんとした時、アドリアンが仕掛けた。
目を狙ったらしい槍の一撃はわずかにずれ、魔羆の頭を掠める。
魔羆はそれに対して、右前足を振りかぶる。
次の瞬間、火の玉がアドリアンに襲いかかった。
「クソ、火球かよ!」
アドリアンが罵声とともに必死になって大盾でその火球を受け止めた。
だが、その隙を突いて、魔羆が襲いかかろうとした。
「そうはいかないニャ!」
横合いからレオナが剣で突きを入れる。
外れはしたものの、やはり目を狙った一撃に魔羆は危険を察したのかレオナの方を向き直る。
「おっと、こっちもいるぞ!」
逆側からユートが躍りかかる、左の前足を狙ったユートの斬撃は、丈夫な毛皮をものともせずに斬り裂いて傷を負わせた。
だが、魔羆もその巨体に見合わぬ敏捷さを見せて、ユートに躍りかかった。
「ユート、危ない!」
エリアが咄嗟に剣を出す。
そのお陰で魔羆の右前足はユートを捉えることはなかったが、エリアは踏み込みが十分でなかったせいか、剣を取り落とす。
「っ――――」
声にならない声を上げ、エリアが膝をつく。
「どうした? 怪我か?」
「――大丈夫よ!」
今度はエリアに躍りかかろうとした魔羆をアドリアンが小さな突きで牽制する。
その間にエリアは剣を拾い直して三歩、四歩、と距離を置く。
その様子は、明らかに普通ではない。
ユートはアドリアンと睨み合っている横合いから、左前足に斬撃――確かな手応えと同時に、赤い血が飛び散るのが見えた。
「いくぞ!」
今度はアドリアンが大盾を捨て、両手で槍を持って躍りかかった。
魔羆は左前足のダメージが邪魔になってそのままその身に受け止める。
アドリアンの渾身の一撃は綺麗に魔羆の胸のあたりに決まっていた。
――つんざく魔羆の吠え声。
それは怒声なのか悲鳴なのか、誰にもわからなかった。
ただ、さすが魔物と言うべきなのだろうか。
魔羆はその状態でも半狂乱になって暴れ始める。
まずアドリアンが、その突き刺した槍ごと吹き飛ばされ、数メートル飛ばされ、そして地面に転がされる。
レオナが慌てて牽制を入れようとしたところを、火球の直撃を受け、ぱっと燃え上がる。
「熱いニャ!」
そう言いながら地面を転げ回って火を消し止めるが、胸甲の過半は真っ黒に焦げていた。
ようやく射線が通ったらしいセリルが何本か矢を放つ。
威力の高い長弓ゆえに弾かれることはなかったが、それでも浅手にしか過ぎない。
そして、矢を受けてますます狂乱の度合いを高めた魔羆はユートを狙う。
一撃、二撃。
盾を持たないユートにとって、前足の一本が動かなくなっていて、動く度に胸の傷から血が飛び散っている相手であっても避けるのが精一杯だった。
全く攻撃できない相手と見て、魔羆は嵩にかかる。
魔羆の命が尽きるのが早いか、ユートが捉えられるのが早いか、という命がけのチキンレース。
三度、四度と避けた。
しかし、五度目、魔羆がまるでフェイクのように魔法を放ったのを予測しきれなかった。
火球はどうにか躱したところに、魔羆が迫る。
「ちょっと! あんた!」
エリアの声が響き、セリルが無駄とわかって矢を射る。
だが、魔羆を留めるには到底足りない。
その刹那。
ユートは一か八か踏み込んでいった。
腰を低く落とし、両手で剣を握りしめ、低い姿勢から全ての体重を乗せて魔羆の胸あたりを突き上げる。
魔羆は、そんなユートの動きに虚を突かれたのか、一瞬動きを止めた。
それが命運を分けた。
ユートの一撃は、魔羆の胸に突き刺さり、そして確実に心臓まで達した。
ユートが慌てて剣を抜くと、魔羆はどう、と倒れた。
ユートが魔羆を倒したことでようやく法兵たちの間でほっとした空気が流れた。
法兵たちが相手をしていた魔羆は次々と撃ち込まれる土弾のせいで魔力が尽き、打ち倒されたらしかった。
「五人でやっちまうとはさすがは冒険者だね。こっちは増強の一個中隊が魔力枯渇寸前だよ」
駆け寄ってきたウォルターズがそう言いながら、肩をばんばんと叩く。
「痛いですよ、ウォルターズさん」
「痛いってことは生きてるってことだよ」
そんなやりとりをしていた時だった。
不意に何かが砕けるような轟音が響く――振り向くと、そこにはユートたち、そしてウォルターズ目がけて駆ける魔羆が居た。
「ちょっと、どういうことよ!?」
エリアが叫ぶ。
あの魔羆は法兵中隊の飛水凍結で氷漬けにされていたはずなのだ。
「ヤバい!」
ユートは慌てて剣を構える。
アドリアンもまた慌てて大盾を拾い、槍を構える。
どこかを痛めたらしいエリアはともかく、セリルとレオナもまた臨戦態勢を取った。
「法撃用意!」
「もう魔力がありません!」
カーライルの命令に悲痛な反論が聞こえる。
魔羆はしっかりと守りを固め、戦意を見せているユートたちより、その横で右往左往している法兵に狙いを定めたようだった。
そして、魔羆に最も近いところにいたウォルターズに突進する。
さすがのユートやアドリアンも突進する魔羆を止める手段は持たない。
魔羆の突進は、その数百キロあるだろう重量こそが一番の武器であり、盾や剣でどうにか出来る範囲を超えている。
そして、白兵戦を主としていない法兵のウォルターズにとってもそれは同じだったはずだった。
魔羆が突進する。
「ウォルターズ小隊長、何をやっている!」
カーライルが叫び声とともにウォルターズと魔羆の間に立ちはだかる。
「一頭ならばこれで……」
その小さな呟きとともに、カーライルの魔法は大地を操り、魔羆の前に土の壁を立ちはだからせる。
ユートは知らなかったが、それは土塀と呼ばれる魔法だった。
みるみるうちに分厚い壁となったそれに魔羆は衝突した。
速度を落としきれなかった魔羆はその分厚い壁に頭から衝突し、今度こそ絶命する。
「よし!」
カーライルは歓喜の声を上げる。
だが――
確かに魔羆は絶命していた。
しかし、魔羆の持つ運動エネルギーそのものが失われたわけでなかった。
数百キロから一トンはありそうな魔羆が全速で衝突したのだ。
そして、カーライルが魔力を限界まで使って作った土塀はそれに耐えられるほど頑丈ではなかった。
結果――
絶命した魔羆が土塀を押し倒し、その倒れた土塀と魔羆がカーライルと衝突、カーライルは宙を舞った。
ユートも、そしてそこにいた誰もが、一瞬カーライルの身に何が起きたのか理解できなかった。
「中隊長!」
絶叫しながらウォルターズが駆け寄る。
大きな出血もないのに、抱き起こしたカーライルの顔はみるみるうちに青くなっていく。
ウォルターズはすぐに火治癒をかける。
痛みが和らいだのか、カーライルが少し表情を緩めたところで今度は水治癒をかける。
だが、その効果が現れたようには見えない。
「どういうことだよっ!」
ウォルターズの絶叫も空しく、カーライルの顔色はどんどん青くなっていく。
「ウォルターズ小隊長……中隊長指揮不能……先任小隊長として指揮権を継承せよ……部隊の掌握を急げ……」
青い顔をしながらカーライルが呟く。
「ふざけんなよ!」
「貴官が……やらなければ隊が壊滅する……」
「そんなこと……指揮官は部下のために最後まで生き延びろって言ったのはあんたじゃないか!」
「貴官は……私より……優れ……た……軍人だ……」
苦しげな息の下、カーライルが言葉を絞り出すように
既に顔は紙のように真っ白で、唇は紫になり、そして汗が噴き出している。
「軍人たるの……責務を……果たせ…………」
「カーライル中隊長――」
「カーライルさん――」
ウォルターズ、ユートが、呼びかける。
だが、カーライルは二度と答えることはなかった。
ユートもウォルターズも呆然とするしかなかった。
ユートにとって、エリアやアドリアンの友人として知り合った冒険者が帰ってこなかった、ということならばいざ知らず、眼前で知り合いが戦死する、などという事態は生まれて初めてのことだった。
そしてそれはウォルターズにとっても同じだった。
「おい、ユート! ぼさっとすんな!」
そんな二人に後ろから声がかかった。
「ユート、あと二頭も本当に死んでいるかわからん。止めを刺すぞ!」
アドリアンがそう怒鳴りつけるように言う。
見ると既にレオナが慎重に氷像となっている魔羆に近寄っていっている。
「あ、ああ。そうですね」
ユートはそう言うと、未だ呆然としているウォルターズを、駆け寄ってきた法兵たちに託して止めを刺しに行く。
ユートたちが二頭の魔羆に止めを刺すのは簡単だった。
レオナが剣で、アドリアンが槍で魔羆の目を突き、確実に殺したのだ。
もっともそれ以前に飛水凍結によって絶命していた可能性もあるのだが。
そしてユートたちが止めを刺し終えた時、背後から馬蹄の音が響いた。
「カーライル中隊長はおるか!?」
ユートが振り返ると騎兵を率いて正門に近寄る魔物たちを掃討し続けていたアーノルドだった。
一方のウォルターズはその声を聞くと、無言のまますくっと立ち上がった。
「中隊長戦死! これより先任小隊長が中隊の指揮を執る!」
それだけ言うと、アーノルドの方を向き直った。
「そうか……アンディ――いや、カーライル中隊長は戦死したのか……」
「はい、部下を守って戦死されました――」
「わかった。ではウォルターズ小隊長。もうエレルの外に残っておるのは貴官たちだけだ。ただちに入城を願う」
「了解しました。西方軍直属法兵中隊、直ちに入城します」
そういうと、ウォルターズはきびすを返した。
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