第003話 この世界の常識、そして
「次はあたしに付き合ってもらうわ!」
滞在許可証を受け取った後、エリアはそう宣言した。
宣言するだけすると返事も聞かずにすたすたと歩き出したので、ユートは慌てて後を追った。
「どこに行くんだ?」
「あたし、レビデムの街への伝書使を頼まれてたのよ。で、返事の手紙を受け取ってきたから、それを今から届けに行くの」
(ああ、お使いクエストって奴か)
ユートは勝手に心の中でそう納得し、頷いた。
今からギルドへ行くのだろう。
もう夕暮れを通り過ぎて薄暮になっているが、ギルドはまだ開いてるらしい。
「冒険者ギルドってこんな夜でも開いてるのか?」
「同職連合がどうかしたの?」
「今から冒険者ギルドに行くんだろ?」
「え、別にあたしは同職連合から仕事受けてないし……」
かみ合わない会話をしながらユートは混乱する。
(冒険者ギルドに加入していない冒険者、ということなのか?)
ユートは心の中でそう疑問を呟いた。
「というか、こんな時間から行って大丈夫なのか?」
「依頼受けたの、商会なの。だから多少夜遅くても一日早く受け取れる方がありがたがられるわ。伝書使をやってる傭人の中には、面倒くさがって明日の朝とかにする人も多いけど、こういう細かいところをきちんとするのが信用になるのよ」
エリアは胸を張ってみせる。
「傭人ってなんだ?」
「えっと、商会とかから伝書使とか、ちょっとした依頼を受けるような臨時雇いの人のことよ」
「便利屋ってことか?」
「……そうだけど……はっきり言わないでよ」
ユートの一言にエリアがいらついた表情を見せたので、あわててユートが話題を変えた。
「そういう信用だとかって誰に教わったんだ? 冒険者ギルドか?」
「まさか。同職連合なんか関係ないじゃない。あたしは死んだ父さんに教えてもらったのよ。そういうことをちゃんと大事にしていると、次も仕事を回してくれるってね」
どこか寂しそうな表情で笑いながらエリアは言葉を続けた。
「父さんは何でも教えてくれた。剣だって知恵だって、女でも魔物と戦う方法だって。五年前に死んじゃったけど、生きてたらもっと色んな事を教えてもらえたって思うわ」
エリアのその言葉にユートは掛ける言葉がなかった。
「ここよ!」
エリアが立ち止まったのは、パストーレ商会、と書かれた看板が掲げられている店の前だった。
街の中央にある大通りに面したところにあるので、そこそこ大きな店なのだろう、とユートは当たりを付ける。
「ごめんください。エリアです。支配人はいらっしゃいますか?」
エリアの声を聞きつけた店員たちはすぐに案内される。
「ユートはここで待っててね。あ、それと毛皮と魔石は売りに出しておくわ。鑑定人がいるかわからないから、換金はちょっと後になるかもだけど」
エリアはそれだけ言い残すと、店の奥に消えた。
ユートは店頭で手持ちぶさたに見回すと、様々な商品が並んでいるのに気付く。
(金属製品が多いな。専門商社みたいなものか?)
パストーレ商会の扱っている商品を見ながらそんなことを考えていると、エリアがすぐに出てきた。
「もう終わったのか?」
「当たり前でしょ。手紙を渡すだけなんだし」
そう言いながら、店員から金貨を一枚受け取った。
「今回ので十万ディールはさすがに安いわ……魔狼と戦う羽目になって死にかけたのに」
帰り道にエリアはそう嘆いた。
さっき受け取った金貨一枚で十万ディールらしい。
その十万ディールの価値はどのくらいなのだろうか、とユートは気になった。
「それでどのくらい暮らしていけるんだ?」
「頑張って一ヶ月、かな」
家は別にあって母娘二人がぎりぎり一ヶ月暮らしていける額、らしい。
日本円だと、と考え始めたが、すぐに諦めた。
そもそも時代や社会の成熟度が違う。例えば隣町に手紙を運ぶことなど、現代日本なら切手一枚で済む話だ。
「てかあんた、もしかしてお金見るの初めて?」
「いや、見たことはあるんだが……」
ユートはリュックサックの一番上に入っていた金貨を思い出す。
この金貨とは少し造形が違ったような気がする。
「ふーん。ノーザンブリア王国で使われているこのディール金貨一枚で十万ディール。銀貨一枚で千ディール。銅貨一枚で十ディール」
「随分と使いにくそうだな」
「そう?」
「例えば三万ディール払おうと思ったら銀貨三十枚も持って行かないといけないんだろ?」
はっきり重さはわからないが、銀貨三十枚ともなると、何百グラムか、下手をすれば一キロにもなりそうだ。
三万ディールがどのくらいの価値を持つのか今ひとつわかっていないが、一ヶ月の生活費が十万ディールならば、三万ディールを一度に使う機会はあるように思う。
「ああ、それなら一分金貨って言われる十分の一の価値の金貨とかがあるのよ。三万ディールなら一分金貨三枚ね。一分銀貨、一分銅貨もあるわ。金貨以上の額は個人では滅多に使わないわね」
エリアの解説を聞きながら、ユートは自分の金貨を確認することにした。
「この金貨は使えるのか?」
そう言いながらユートは布袋から金貨を一枚取り出した。
エリアはそれを摘まみ取ってじろりと眺める。
大きさや重さは同じようだが、意匠は随分と違っている。
「あんた、これどこで手に入れたのよ?」
「ニホンで使われている金貨だ」
「これは古代金貨ね。はるか昔、このノーザンブリア王国や南の王国を全部支配してた古代帝国があったらしいんだけど、その古代帝国が発行した金貨」
「今も使えるのか?」
「使われているはずだけど、すごく珍しいわ。あたしも一回しか見たことないもの」
「そうか。使えてよかったよ」
そう言いながら布袋をしまった。
「ちょっと! 金貨!」
物珍しさに矯めつ眇めつしていたエリアが慌てて金貨を渡そうとする。
「それは取っといてくれ。宿代だ」
「あんた、あたしの話聞いてた? 十万ディールってうちの一ヶ月の生活費よ?」
「その分、今みたいに色々教えてくれよ。こっちの常識がイマイチわからないんだ」
ユートの言葉を聞いたエリアは複雑そうな顔をしながら頷いた。
「……わかったわ」
「ありがとう」
ユートが礼を言うと、エリアはひらひらを手を振った。
礼には及ばない、という意味らしい。
「それにしても古代金貨が普通に流通してるって……」
「どうした?」
「もしかしたら、ニホンは古代帝国の末裔かもね。昔話で古代帝国崩壊の時、騎士が姫を守って落ち延びたって伝説もあるし」
日本でいう義経伝説のようなもの、或いは平家の落人伝説のようなものか。
「まあ今となってはわからないがな」
ユートが話をそう締めくくった。
エリアの家に二人が帰り着いた時、既に日はとっぷりと暮れていた。
帰るとちょうど夕食のシチューができたところだった。
シチューを食べながら、ユートは自分が東海洋に浮かぶ島ニホンから、何かの弾みで転移してきたこと、この地域の常識を知らないことを語り、そうした一般常識をエリアに教えてもらうことをマリアに話した。
マリアはユートの境遇に同情するとともに、しばらくの間、うちに泊まっていきなさい、と強く勧めてくれた。
ユートにとってもそれは渡りに船であったので、一ヶ月ほど世話になることが決まった。
「さて、この国の常識を教えてあげるわ」
夕食を食べ終えて人心地ついたところでエリアがそう言った。
「ここがノーザンブリア王国西方直轄領というのは話したわね」
エリアはそう話し始めた。
「このノーザンブリアは古代帝国の末裔で、北方大陸の国家ね。西方直轄領は魔の森だったのを西へ開拓している土地で、このエレルは今一番魔の森に近い街。魔の森の開拓のために戦い続ける人しかいない街なの」
どことなく誇らしげにエリアはそう語った。
「ノーザンブリアの南、アストリアス地峡で繋がった南方大陸にはローランド王国という国があるわ。ノーザンブリアとは仲が悪いわね」
「南方大陸にはローランド王国しかないのか?」
「他にもあるみたいだけど、あたしは知らないわ」
そう言えばこの世界は日本と違って義務教育などない世界だった、とユートは思い出した。
ユートだって義務教育がなければ、日本とアメリカくらいしか知らなかったとしてもおかしくはない。
「ノーザンブリアの東部は?」
「苦難の川――ああ、東部と西部の境目の川なんだけど、そこより東は貴族領ね。魔の森も少ないし、強い魔物も滅多に出ない平和なところよ」
「そうか」
「……ていうか常識って教えるの難しいわね」
エリアは難しい顔をして天井を睨む。
(そういえば世界神様も雑多な知識の寄せ集めだからどうやって得るのか、と言ってたなぁ……)
ユートはふとそんなことを思い出す。
今日の朝くらいのことだったはずなのだが、遠い昔のような気がした。
「あんたから何か知りたいことあったら聞いてもらう方が楽かも」
「それはそうかもな」
「よし、これからあんたがわからないこと聞いてきなさい! そうしないと何話していいかわかんないし」
「わかった」
そこからユートはいくつもエリアに質問することになった。
まず聞いたのは魔法のことだったが、残念ながらエリアは魔法は自分は使えないのでよくわからない、と言った。
言語はノーザンブリアは北方語という言葉を使っていること、距離の単位、重さの単位は地球と変わらずメートルとグラムであることも教えてもらった。
暦についても聞くと、地球と同じく十二ヶ月三百六十五日を一年としており、今日は五月一日であることも教えてもらった。
「こっちが質問していくのもなかなか難しいな」
ユートは他に何かないか、と聞かれて嘆息する。
「でしょう。今日はもう終わりにしましょ。またわからないことがあればその都度聞いてくれればいいわ」
エリアはそう言ったところでお開きとなった。
翌朝。
ユートは一人起き出すと、庭に出て軽く運動を始めた。
別段理由はないが、剣で少し素振りでもしようかと思ったのだ。
「あら、素振り? 精が出るわね」
後ろから声を掛けられた。
エリアだ。
「おはよう」
「ああ、おはよう。あたしも素振りくらいしておこうかな」
エリアはそう言うと剣を持って庭に出た。
ユートと同じように素振りをしていく。
「意外と振れるんだな」
「父さんに教えてもらった技を使ってるからね」
エリアはそう言いながら、ユートの剣と大して変わらないサイズの、それなりに重いはずであろう剣を悠々と振ってみせる。
「身体強化って言ってね、あたしの父さんは魔法は使えなかったんだけど、その分魔力を使って身体能力を高める技を使ってたの。それで西方軍に入っていたんだから。あたしもそれを教えてもらったから、剣くらい振るえるわ」
そう言いながら素振りを止め、中段に構えると大きく踏み込んで激しい剣技を見せた。
「ねっ!」
満面の笑みを見せるエリアに、どんな顔をしていいのかユートは困った。
朝食を食べ終え、出たお茶を飲み始めた。
「そういえば魔法ってどうやって使うんだ?」
「……それをあたしに聞く? 昨日言ったとおり、あたしは魔法使えないのよ?」
「いや、やり方くらいは知っているかと思ったんだが……」
「呪文唱えりゃ出来るんじゃないの? セリーちゃんって言うあたしの知り合いはそうしてたし」
端的すぎるエリアの答えに返す言葉もない。
「ま、魔法使える人に聞かないとわからないわ。あ、そのセリーちゃんを今度紹介したげるし、それでいい?」
今は無理でも近い将来教えてもらえるならそれでいい。
「そういえば今日は何をするんだ」
「今日は特に用事は無いわ」
「俺は冒険者ギルドに登録したいんだが付いてきてくれないか?」
「……昨日も言ってたけど、同職連合に何の用なの?」
「えっと、冒険者、と言ったらいいのか? エリアみたいな仕事をするのに、冒険者ギルドに登録したいと思ってるんだが……」
「あたしみたいな傭人をするのに、登録の必要なんかないし、傭人の同職連合も存在しないわ。ところで冒険者って何よ?」
そんなエリアの言葉を聞いてユートは呆然とした。
ユートは冒険者ギルドがあるはずだと思い込んでいたのだ。
それは前世で読んだライトノベルの類の影響もあったし、ゲームの類の影響もあったのだろう。
まさか冒険者ギルドがない、とは想像もしていなかった。
審判神や世界神と話していた時にちゃんと確認していなかったのが悪かったのだが、そんなことは思いつくわけもない。
しばらくユートが呆けていると、エリアが肩を揺すった。
「ちょっと、ユート! あたし何かおかしいこと言った!?」
ユートが呆けているのは自分のせいかと思ったエリアが慌てていた。
「……すまん。ちょっと色々と、な」
「まあいいわ。で、あんたが言った冒険者って何?」
「冒険者……人に害をなす魔物と戦ったり、前人未踏の遺跡を探検したり、とてもいけないところにある薬草や素材を確保してきたり、隊商を護衛したり、様々な依頼を果たすような仕事をする人を言うんだ」
「ふーん。ニホンじゃそう呼んでたのね。こっちでは狩人、探検家、護衛、傭人みたいに役割ごとにわけて呼んでるわね。でも冒険者っていい呼び名と思う。便利だしあたしもそう呼ぼうかな」
そう言いながらまた笑顔を見せるエリア。
「で、あんたはその冒険者の同職連合みたいなのがあると思ってたのね。鍛冶屋の同職連合みたいに」
「ああ、ニホンではそれが普通だったんだ」
「そうなんだ。ノーザンブリアではそんなものはないし、あたしたち傭人……じゃない、冒険者はそれぞれ商会とかと契約して仕事をこなしてるわ」
エリアはさっきの呆けっぷりも文化の違い、とあっさり納得してくれたようだった。
「とりあえずあんた、冒険者として生きていくのよね?」
「そのつもりだな」
「じゃあしばらくの間、もらえる報酬は折半であたしと行動を共にしなさい」
エリアはそういうと腰に手を当てて偉そうなポーズを取ってみせる。
「なんでそんなことを?」
「あのね、冒険者、特に傭人をやるのは人脈と信用なの。例えばプラナスさんがちょっとレビデムまで手紙を送ろうと思ったら、あたしが呼び出されるのよ。プラナスさんが手紙出そうと思った時に、自分の名前を思い出してもらえなかったらいつまで待ってても仕事なんか入ってこない。だからあたしと一緒に行動して、顔を売るのが大事なの」
エリアはそう言うと自慢げに胸を張った。
話の急展開にちょっとついていけないユート。
何か最初からエリアはそれを目指していたような気がしたので、思い切って聞いてみることにした。
「そういえばエリア、ちょっと聞きたいんだが、こっちだと見ず知らずの人を家に泊めるのって普通なのか?」
「そんなわけないじゃない。最初会った時から、信用できる人なら組みたいと思って色々と世話焼いてたのよ。傭人だと稼げないけど、狩人やっていくには一人じゃほとんど無理だしね」
エリアはそう言ったあと、ちろりと舌を見せた。
「打算だったのかよ」
「あら、でもお互いの為になるように打算してたつもりよ。あんたは常識や冒険者としてのやり方を覚えた上でいきなり狩人としてやっていけるチャンス、あたしは傭人から狩人になるチャンスなんだから、あんたの方が得なくらいでしょ」
あっけらかんと言うエリアの顔をユートはまじまじと見つめた。
「別にずっと組め、とは言わないわ。そうね……一ヶ月くらい組んで上手くやっていけそうかどうか判断しましょう。一ヶ月後にもし駄目だな、と思ってもその頃のあんたにはちゃんと常識は身についているでしょうし」
エリアの言葉にユートが頷いた。
「わかった。じゃあしばらくの間、仮のパーティということでよろしくな」
「ええ。じゃあ善は急げって言うし、今から挨拶回りに行くわよ!」
エリアはそう言うと、荷物をひっつかんで、家から飛び出していった。
ユートはせっかちなエリアに苦笑しながら、その後を追った。