第028話 西方軍の出撃
西方軍の戦時編制への移行は慌ただしく行われていた。
その中で、建前としては中隊長格の軍属として西方軍司令部付となっているものの、実態としては対魔物戦術のアドバイザーに過ぎないユートたちは浮いた存在となっていた。
一応、アーノルドやカーライルにアドバイスをすることもあるのだが、それもアドリアンが日に一度か二度話すだけで済むし、何よりもアーノルドもカーライルも指揮官として自部隊の戦時編制への移行に忙しかった。
「ちょっと、イライラするわ」
そんな状況にエリアが不満げに漏らした。
「こうしてる間にもエレルが魔物に襲われてるかも知れないのよ!? こんなところでのんびりしてるのはあたしの性に合わない!」
「と言ってもあの魔物の群れに俺たちだけで突っ込んでも死ぬだろう。時間はかかるかも知れんがちゃんと軍を編成していくのが結果的に一番被害が少なくなると思うぞ?」
「そんなことわかってるんだけどイライラするのよ! あたしがここでのんびりしてる間に、エレルが落ちているかもしれない、と思うと!」
エリアの言うことはわかるだけにユートは閉口した。
「それじゃ、何か仕事もらってくりゃいいんじゃないか?」
「もう行ったわよ。でも事務仕事であたしたちの出る幕ないってやんわりお断りされたわ」
それを見ていたアドリアンも取り付く島なし、と苦笑いをするしかない。
セリルはセリルで心配げに部屋をうろうろとしていた。
「そういえばあちきらも西方軍と一緒に出陣することになるのかニャ?」
「……聞いてなかったわね」
「ああ、そいつは俺が聞いてるぞ。一応出陣するが、後方部隊らしい」
「後方部隊?」
「なんでも輜重段列の掩護らしいぞ。護衛だから出来ると思ってやがるのか、一番どうでもいい部署を割り当てたのかは知らんが」
「ふーん。まあエレルに行けるならいいわ」
そんな風にユートたちが無聊を囲うこと数日、西方軍の編制が完了し、出陣となった。
「意外ね。もっと時間かかるかと思った」
エリアは割り当てられた馬車に乗り込みながらそう言った。
輜重段列と行動を共にすることになった理由は恐らくこの馬車なのだろうと、推測がついた。
基本的に軍は徒歩か馬で行動する。
しかし、ユートたちは行軍訓練を受けていないのでそこに交えれば不都合が生じるのだろう。
「いい馬車ね」
セリルはそう言いながら、後ろに山と積まれた荷物を見た。
荷物用であるのに、ユートたちがパストーレ商会から借りていた馬車よりも手入れが行き届いている綺麗な馬車だった。
ちなみに魔物に破壊されたあの馬車の件でユートはパストーレ商会に謝りに行ったのだが、むしろあの程度の損害で済んでよかった、と感謝されると同時に、もしエレルに同行出来るなら、と書状を預かっていた。
同時に今回の魔物の侵攻でいくつもの隊商が消息を絶っており、恐らく魔物たちにやられたのだろう、とパストーレが悲しげに言っていたのを思い出す。
(まあでもエレルで足止めを食らっている隊商もいるだろうし、全滅とは限らないよな)
ユートがどうにか楽観的な答えをひねり出したところで、不意に馬車の外から呼ぶ声が聞こえた。
慌てて出てみると、驃騎兵第二大隊長のアーノルドだった。
「戦闘序列が発表されてな。輜重段列の護衛として私の騎兵が割り当てられることになった。君たちは立場上は司令部付なので私の指揮下ではないが、戦闘になれば協同することになるので挨拶を、な」
「ご丁寧にありがとうございます」
「軍直属法兵は全部本隊なので、君たちの火力支援は期待してるよ……私は君たちのことは信用しているからな」
そう言うとアーノルドは呵々と笑ってみせた。
幸いなことに数日の間、輜重段列は魔物に襲われることなく進んだ。
これはあの津波のような魔物たちがいなかったことや、本隊が積極的に魔物を駆除していったので、輜重段列を襲うような数が残っていなかったことが原因だったようだ。
とはいえ、輜重段列はともかく本隊の方にはそれなりの被害が出ていたようであり、夜になって指揮官が集められた後、アーノルドは厳しい顔つきで戻ってきた。
「やはり各隊に多くの損害が出ているようだ」
「そうですか……アーノルドさんの騎兵隊は大丈夫なんですか?」
「私の騎兵は捜索任務――ああ、魔物たちがいないか確認する任務に当たっているのだ。あちこちの小隊で被害が出ている。まあそれが騎兵の任務だからしょうがないことだが……」
それでも部下を失うというのは苦悩することであるのはユートにも容易に想像がついた。
「ただ、魔物は比較的減っているようだ。エレルの方に流れているのか、それとも魔の森へ戻っていったのかはわからんがね」
そう言いながら、アーノルドはセリルが淹れた熱いお茶を啜った。
翌日以降もユートたちはほとんど戦わずに済んだ。
大半の魔物は本隊が処理してくれており、三日目以降はそれを抜けてきた魔物が輜重段列に襲いかかることもあったが、それも護衛隊となっている驃騎兵が簡単に排除してくれた。
「これじゃ、あちきらは何のために来たのかわからないニャ」
レオナはそんなことを言っていたが、それでも魔物に襲われて視線を彷徨うよりはよっぽどよかった。
そして、エレルに着く前の晩、ユートはアーノルドとともにサマセット伯爵に呼ばれた。
ユートが呼ばれたのは、指揮官会議だった。
「まずアーノルド大隊長、現状について報告をお願いする」
会議は議長格のサマセット伯爵がそう口火を切った。
「はっ。隷下騎兵の報告するところによりますと、魔物どもはエレルを包囲するように集結、エレルは現在外部との連絡が断たれております。潜入による連絡を試みましたが失敗、エレルの内情の不明のままです。なお、接近できたエレル市壁外の穀倉は全て焼失しており、食糧難の可能性が指摘されます」
アーノルドの報告に一同は沈痛な表情となった。
そうした中、カーライルが挙手をして発言を求める。
「その焼失した穀倉、というのは誰が焼いたのかわかりますか?」
「不明ですが、ことごとく焼失、という事態から考えるに魔物が焼いたと考えるべきかと」
「そんなことがあるのか……」
「ユート殿、貴君は如何考える?」
ざわめく一同を制してサマセット伯爵がユートに話を振る。
「……そうですね。魔法を使う魔物、というのはいますので、火魔法を使う魔物がいたとしてもおかしくはないと思います」
「なんだと!? 魔物が魔法を使うというのか!?」
末席にいた一人の士官が声を上げる。
「ハル大隊長、静かにせんか!」
サマセット伯爵の一喝が飛ぶ。
「しかし、私としても魔物が魔法を使うというのは想像の埒外です。それは本当なのでしょうな?」
法兵中隊長という魔法の専門家としての自負があるのだろう。
カーライルは疑っていることをその表情に露わにして訊ねた。
「冒険者の間では魔法が使える個体がいることは周知の事実です。実際に僕も魔鹿の変異種である魔箆鹿と戦ったことがあります。その時は風魔法でしたが……」
「むぅ……なるほど……」
カーライルも伝聞ではなく経験に基づく知識を否定するほど愚かではない。
「ということは白兵戦を挑もうと思ったらいきなり魔法が飛んでくる危険性もある、ということですか?」
先ほど怒鳴りつけられたハルという人物が訊ねる。
「あり得ます。ただ、変異種と言うくらいですから、数は多くはないと思いますが……」
「……ちなみに貴君が戦った時の頭数は?」
「魔箆鹿が一頭、魔鹿は二十頭くらいでしたかね?」
「二十分の一となると比率としては西方軍より高いではないか……勿論、その比率が常に適用できるかはわからんが……」
カーライルが呆れたように呟いた。
「西方軍の魔法使い――法兵は何人いるんですか?」
「私の増強一個中隊、二十四人だ」
余りの少なさにユートは驚いた。
たった五人のパーティであるユートたちで二人の魔法使いがいるのに、二千人はいるだろう西方軍にたった二十四人しかいないのだ。
「軍法兵は四種魔法を使わねばならない関係で育成が困難なのだ。それ故少数になってしまう」
カーライルはそう言ったが、理由がどのようなものであったとしても法兵が少ないという事実は覆せない。
「つまり、我々は単なる魔物と戦うという認識ではなく、法兵支援を受けた相手と戦うという認識が必要、ということだな」
サマセット伯爵がそう纏めた。
そして沈黙。
その沈黙は、各々が頭の中で軍の運用について考えているのだろう。
軍の運用については全くの素人であるユートには何もすることはなかった。
「宜しいですか?」
しばらくの沈黙の後、アーノルドが挙手した。
「発言を許可する、アーノルド」
「まずユート殿にお聞きしたい。魔物どもは知性を持っていると考えられておられるか?」
「……正直、僕にはわかりません。ただ、魔法を使うし、族長個体がいれば統制だった戦い方をすることもあります。それを考えると、野生の動物よりはよっぽど賢いと思います」
「なるほど。エレルが包囲されていること、穀倉がことごとく焼かれていたこと、そして知性を示唆するユート殿の意見を踏まえると、魔物どもは輜重段列を狙う可能性があると考えるところであります」
「まさか魔物が兵糧攻めをやると言うのか……」
アーノルドの発言を聞いて、ハルやカーライルが唖然とする。
彼らの認識では魔物はちょっと凶暴な動物程度の認識だったのだろう。
「いやはや、この数日で魔物に関する私たちの常識は如何に浅薄であったのかを痛感させられるな。ともかく、偶然にしろ狙われるにしろ輜重段列を襲われるのは不味い。我々だけならともかく、エレルに食糧難の可能性がある今、輜重段列はなんとしても守り抜かねばならない」
「ですので再編を具申します。本隊と輜重段列を合同させ、輜重段列中心に編制を変えるべきです」
アーノルドの提案に誰も反対はしない。
「ではそのようにしよう。アーノルドはご苦労だが尖兵を頼む。前後は歩兵で固め、法兵と輜重段列を合同編制とする」
翌朝、編制を変更して部隊は進軍を開始した。
西方軍の主力である歩兵ががっちりと前後を固め、そしてユートと法兵中隊が直接掩護する形となった。
「まさかこんなところで再会するとはね」
法兵中隊の一人がそう笑いかけてきた。
ユートたちがポロロッカに遭った後、治療してくれた法兵小隊長、ワンダ・ウォルターズだった。
「今回のは厳しい戦いになりそうなんだってね。うちの中隊長が言ってたよ。あんたらもまた因果なところにきたもんだ」
「ウォルターズ小隊長! 私語は慎みたまえ」
へらへら笑いながらそんなことをしゃべるウォルターズに、中隊長のカーライルが怒鳴る。
「おっと、うちの中隊長殿は堅物だからねぇ」
そう言いながらもう一度へらへらした笑いを浮かべつつ、隊伍に戻っていった。
会敵したのは出発して数時間してからだった。
「おいおい、こんなところまで魔物がいるのかよ」
アドリアンはそう毒づいた。
まだエレルまでは十キロ以上もあるのだ。
それなのに会敵するということは、こちらに感づいて討手を差し向けてきたのか、それともここから先十キロは厚い魔物の壁があるのか。
そんなことを思っているうちに、西方軍は行軍隊形からすぐに戦闘隊形に移行する。
サマセット伯爵も今回は今までにない本格的な戦闘になると踏んでいるらしい。
「今度はえらく本格的だねぇ」
舌なめずりするようにウォルターズがそう言った。
「ウォルターズさんは戦ったことあるんですか?」
「ああ、あるよ。といってもまだ新米士官だった頃にちょっと大きな盗賊を焼き払ったくらいだけどね。むしろあんたらの方が戦闘経験は豊富だろ?」
「いや、自分たちはこういう大規模な戦いは……」
「命のやりとりをしたことあるだけマシだよ。あたしは相手が手出しできない距離から焼き払っただけだからね」
「ウォルターズ、持ち場へ戻れ! 接敵するぞ!」
またカーライルに怒鳴られてへらへら笑いながらウォルターズは戻っていった。
「変な人ね。怒鳴られてもあたしたちに話しかけてきて」
エリアの評である。
とはいえ、浮いた軍属であるユートたちにとってとかく距離感が掴めない軍の人間の中で、アーノルドに続いて好意的な態度を示してくれているのは有り難いとも思う。
ユートたちのいる場所は小高い丘の上であり、そこからは戦場の風景が比較的よく見えた。
「魔犬とかかしら?」
「魔猿とかもいるかもな。あいつら知恵があるから厄介だろ」
セリルとアドリアンがじっと見つめながらそう言った。
「魔猿はすばしっこいから嫌いニャ」
「あんたのスタイルじゃ確かにすばしっこいのは苦手そうだもんね」
「魔猪とかそういう大物の方が得意ニャ。あいつらは馬鹿みたいに突っ込んでくるから一撃で倒せるニャ」
「そういえば鎧通しのかわり、見つかったの?」
レオナの鎧通しはポロロッカの時に殴り合いになって折れ曲がった。
レビデムにいる間にその代替品を探していたのだがどうなったのか、ユートもエリアも聞いていなかった。
「なかったニャ。だから当面は剣で戦うことにしたニャ」
「おう、どんな剣買ったんだ? 見せてみろ」
武器マニアのアドリアンが興味津々、といった雰囲気で近寄ってくる。
「これニャ」
「ほう、両手剣か。こいつは重たいぞ?」
「知ってるニャ。でも獣人はスピードもパワーも人より上ニャ。このくらいは扱えるニャ」
「……つくづく獣人ってズルいわよね」
エリアがぼやく。
エリアは父親から教えてもらったという身体強化を使って、ようやく片手剣と盾という、男性の平均的なスタイルを採れるのだ。
「それで魔法も使えるんじゃないでしょうね!?」
「……獣人のうち、エルフの血を引く者は得意にしてるニャ。あちきも血を引いているけど、武器を使う方が好きだから試したことはないニャ」
「……ホントにズルい」
「エルフなんかいるのか!?」
エリアがぼやいている傍でユートがエルフに食いつく。
「エルフって耳が尖ってて、長寿だったりするのか!?」
「純粋なエルフならそうだニャ……というかユートが怖いニャ……」
若干引かれながらもユートは久々にまたファンタジー的な要素が見つかった、と喜んでいた。
五人がそんな馬鹿げた会話を交わしているうちに、戦闘は進む。
「法兵中隊、法撃よーい! 目標、指揮官法撃を基準として正角! 法種、火球! 放てぇ!」
カーライルの絶叫が響く。
まず、カーライルが。
そして続いて法兵中隊の残り二十三人は次々と火球を撃ち出していくが、それは全て同じ大きさの火球であり、四発ごとに纏まって一定の範囲に着弾していく。
それを見ながらカーライルは再び叫ぶ。
「よし、続けて放て! 基準変わらず!」
法兵中隊の火球を受けて魔物の群れが崩れ立つ。
同時に銅鑼が連打され、馬蹄の音が鳴り響く。
アーノルドの騎兵が突撃してゆくのが見えた。
「これで終わりだよ」
騎兵を巻き込まないようにいつの間にか魔法は止んでおり、手持ちぶさたになったらしいウォルターズがやってきていた。
そして彼女が言うように、騎兵が次々と魔物たちを蹂躙してゆき、それに歩兵が続いて討ち漏らした魔物に止めを刺していく。
「とりあえずは、勝ったね」
ウォルターズはそう言いながらにやりと笑った。