第027話 ポロロッカというもの
「嫌なこった」
サマセット伯爵に頼まれたことを伝えると、アドリアンはにべもなかった。
「なんでなんですか、アドリアンさん!?」
ユートがそう聞いても、答えようとはしなかった。
まだ意識が戻らないセリルがいなければ、もっと声を荒げてしまっていただろう。
エリアはやっぱり、という顔をしながら言葉を絞り出した。
「……わかってるわ。あんたが貴族嫌いってことは」
「じゃあそれ以上言うな」
エリアが言葉を続けようとするのをそう断ち切ると、アドリアンは、ぷい、と出て行った。
「なんだ、話は終わりだぞ?」
追いかけてきたユートが何か言う前に、アドリアンはそう言い放った。
「なんで対魔物戦術を教えたくないんですか!?」
「……お前には関係がないことだ」
「わかりません。貴族が嫌いだからですか!? たかがそんなことで、こんな窮地に協力したくないなんて、そんな非人間的なことを言うなんてアドリアンさんらしくない!」
ユートの言葉にアドリアンが思わず胸ぐらを掴む。
「……おい。お前に俺の何がわかるって言うんだ?」
そのアドリアンの低い、どすの利かせた声は、今までユートが聞いたことのないものだった。
「…………」
「…………」
二人が睨み合った。
しばらく根負けしたかのように、アドリアンが胸ぐらを掴んでいた手を下ろした。
「……俺の親父とお袋はな、冒険者だった」
「…………」
「ある時、王都から来た貴族様とやらが、西方に来たんだから魔物狩りをしたいってことになったらしい。でもな、その連れていた兵隊は魔物と戦ったこともないような奴らでな。親父たちは必死に止めたんだが……」
「殺されたんですか?」
「無礼討ちだったそうだ。で、その貴族様は無事に魔物に食い殺され、俺は孤児になって自分の腕一本で食っていくことになったってわけだ。それでもお前は俺に、またぞろ馬鹿な貴族様に魔物との戦い方はどうだ、と教えてやれって言えるのか?」
「それは……」
アドリアンの意地悪な問いにユートは言葉に詰まる。
「そういうこった。まあお前たちが教える分には俺は何も言わねぇし、勝手にやってくれ」
「待って!」
アドリアンはそう言った時、それを止める声が響いた。
「セリル……気がついたのか……」
「アドリアン」
「なんだ? お前も教えてやれって言うのか?」
「あなたが貴族を嫌ってるのは知ってるし、私もわかる。でも、今回のは違うわ」
今度はセリルとアドリアンが睨み合う。
「アドリアン、あんたさ、死んだ父さんにそれ言えるの?」
その沈黙をエリアが一瞬で破る。
「ああん!?」
「たくさんの人が魔物の群れのまっただ中になってるエレルにいるのよ。あんたの嫌う貴族がそれを助けようとしてくれてる。それなのに、あんたはその貴族に手を貸さないの? あんた、いつか死んだ時に、空の上で父さんに貴族が嫌いだったから見捨てたって言うつもり!?」
「ちっ……」
舌打ちだけして黙り込む。
再び沈黙が支配する。
「アドリアン」
「なんだ、セリル?」
「貴族のこととか、デヴィットさんのこととかどうでもいい」
セリルはそこで短く言葉を切り、そして真っ直ぐにアドリアンを見つめて言った。
「お願い。私の家族を救って」
「…………」
アドリアンはセリルの言葉に背を向ける。
そして、ゆっくりと懐からシガーケースを取り出す。
その中から葉巻を一本取り出し、吸い口を切るとマッチで火を付けた。
無言のまま、一口、二口と葉巻を吸う。
「……死んだ親父はよ、葉巻が大好きだったんだわ。だからこいつは俺にとって必要なものだ」
三人は黙ってアドリアンの独白を聞く。
「俺は死にそうになって帰ってきたら、親父に葉巻を供えてやる。今回も危ないところを守ってくれてありがとうな、ってな。俺にとって親父やお袋はそうやって感謝するしかしょうがない存在だ」
そこで、ようやくセリルの方を振り返った。
「そんな思いをするのは俺だけで十分だな」
「アドリアン……」
「ただし、あくまで軍の兵士どもが魔物狩りを生業にしない確約を取った上での話でな。ここはさすがに譲れんところだ」
「まあそれはあたしも同じ考えだからちゃんと交渉するわ。あっちはあたしたちの知識に結構賭けてるみたいだし、そのくらいは受け容れると思う」
アドリアンは照れくさげにサムズアップをした。
すぐにユートたちは動き出した。
まず、エリアとユートはサマセット伯爵にアドリアンを紹介する。
「ふむ、君がアドリアン殿か。よろしく頼む」
サマセット伯爵はそれだけ言うと、頭を下げた。
それは、貴族としてあるまじきことだったようで、後ろに控えていたサイラスたちも驚きながら、それに倣った。
「えっと、一つ条件があるの」
エリアがおもむろに交渉を始める。
いつの間にかサマセット伯爵に対する敬語が完全に消え失せていたが、誰も気にしていない。
「なんだね? 報酬ならば総督の権限で決裁が出来る範囲――ああ、つまり爵位や勲章が絡まない範囲でならば出せるぞ」
「それよりもあたしたちが魔物狩りの技術を教えたとして、軍の兵士が今後それを生業にしないことをお願いするわ」
「そいつが守られないと、俺らは自分たちの技術をただで貴族様に売り渡した愚か者に成り下がっちまうからな」
「なるほど。わかった。ただ、事態が落ち着いたとしても、しばらくの間は魔物を狩らせてもらうぞ?」
「そいつは構わねえ。要するに軍が狩った魔物が市場に出回ってもらっちゃ困るってこった」
「わかった。それは約束しよう。総督府としても臣民の生活を軍が脅かすことは好ましいとは思っておらん」
サマセット伯爵がそう約束した後、具体的な軍の指導について話し始めた。
さすがに軍全体に対して指導するにはユートたちに軍の知識がなさ過ぎて非効率であるので、驃騎兵第二大隊長であり、西方軍の次席指揮官でもあるサイラス・アーノルドと、軍直属法兵中隊長の正騎士アンドリュー・カーライルに教え、そこからアーノルドとカーライルを通じて西方軍全軍に指導する、ということとした。
また、それに合わせてユートは会議にも参加できる中隊長格、アドリアンたちは小隊長格として軍属扱いとなった。
「まあ細かい戦術は軍の方で合わせてもらった方がやりやすいだろうよ」
アドリアンはそんなことを言いながら、魔物の種類、予想される攻撃方法などを教えていた。
その脇で、ユートにサマセット伯爵と族長個体についての話をしていた。
「ユート殿、昨日の話なのだが……あれから手空きの吏員を使って、書庫の関連資料を探させたのだが、そもそも西方開拓の歴史の中で今回のような魔物の侵攻というのは存在しなかったようだ」
まあ当たり前の話だ。
西方開拓が始まって以降でそんな事態があれば、エレルなりの住民が口伝ででもその記憶を伝えていただろう。
「あとは手つかずの古代帝国時代の資料、いや最早歴史的遺物とも言うべきものを探すことくらいなのだが……古代語が読める者など王都の研究者しかおらんのでどうしようもない」
「王都から連れてこないといけない上、そこまでしても有力な手がかりがあるかわからない以上、無理そうですね」
結局、族長個体については全くわからないままに挑むことになりそうだ、という事実は少しばかりユートを暗くさせた。
目の前にいる敵を倒せばいい、というわけではなく、どこにいるかわからない族長個体を倒さないとならない、というのは気持ちを重くさせるには十分だった。
「ちょっと待って。古代語って古代帝国時代の言語なのよね?」
「あ、ああ、そうだが……」
「ユート、あんた読めるでしょ?」
「え!?」
「あんた、前にドルバックさんのところのレシピ読んでたじゃない。あれ、古代帝国の言葉でしょ!?」
そういえばそんなこともあった、とユートも思い出す。
「あんた、ちょっとその古い資料を読んでみなさいよ。もしかしたら何かヒントでもあるかも知れないでしょ?」
「読めるならばお願いしたい。今回の場合、余りにも情報が少なすぎる。今回の事態を解決するためには、出てくる魔物を全て倒す必要があるのか、それとも何かこの魔物の侵攻を引き起こしたきっかけがあるのか、それは族長個体なのか、別のものなのかを知りたいのだ」
ユートもそれを断るだけの理由はない。
「わかりました」
「おお、やってくれるか。では総督府内に部屋を用意して、そこに資料を運び込ませよう」
「勿論、あたしたちの分も部屋あるのよね?」
「それも用意させよう。どっちにしても軍の指導をしてもらう以上、部屋の一つでもあった方が便利だろうしな」
サマセット伯爵はそう言うと、副官らしき男を呼び寄せて指示を出した。
「あーこれも違う。ただの内政報告だっての。こっちは……なんだ、これ。当時の為政者のスキャンダルの記録!? なんでこんなものを置いてるんだ……」
ユートはあてがわれた広めの部屋の、大きなテーブルに山積みになった資料を片っ端からチェックしては事務吏員を呼んで書庫に送り返す作業をしていた。
「……なんかごめん」
その様子を見ていたエリアが思わずそう声をかける。
「はっ!?」
「いや、あんたがやってる作業見て、簡単に言いすぎたなぁ、と……」
「ま、俺しか出来ないならしょうがないな」
「あたしも読めたらいいんだけどね」
「これだけは俺の才能みたいなもんだからな。それにサマセット伯爵が言うようになんで魔物の侵攻が起きたのかわからないのは怖いし、過去に同じようなことが起きた時にどうやって鎮めたのか知りたいのは俺も一緒だ」
「まあそうなんだけどね……」
エリアはそう言いながら積まれて崩れそうになっている資料を積み直す。
その様子にユートは少しばかり可哀想になって話題を変えた。
「そういや紙って意外と長持ちするんだな」
「それ、羊皮紙でしょ。古代帝国時代って六百年以上前だから紙ってあったのかしら」
「さあ」
「ニホンはどうだったの?」
「ああ、大量の紙があったぞ」
「じゃあ古代帝国時代にもあったかもね」
そんなことを言いながら、崩れそうな資料を全部積み直した。
結局、その日は全ての資料に目を通したものの、それらしきものは見つからなかった。
「お前の方も大変だな」
夜、一緒に夕食を食べることになったアドリアンがユートに同情したようにそう言った。
「アドリアンさんの方は?」
「まーあのアーノルドっておっさんは理解してくれてるみたいだな。逆にカーライルって方はイマイチだ」
アドリアンは二人の指揮官をそう評した。
「やっぱ魔物と実際に戦ったアーノルドさんの方が、って感じですか?」
「それもあるだろうけどよ、カーライルって奴は俺の嫌いな貴族様、だな。妙にプライドが高いのか、いちいち突っかかってきやがる」
「正騎士だからじゃないの? あたしたちみたいな下々の者なんか知りません、みたいな。父さんも実力で這い上がってきた人と、貴族は鍛錬に臨む姿勢からして違うって言ってたし」
「それもあるし、どうも魔法使いってのはプライドが高いのかもな」
そんな会話をしているアドリアンの後ろにセリルが立つ。
「ちょっと、アドリアン? それどういう意味か詳しく聞かせてもらってもいいかしら?」
首根っこを掴まれ、目を白黒させているアドリアンを見て、ユートとエリアは苦笑いを隠せなかった。
翌日から更に数日、ユートが埃っぽい資料に埋もれる日々は続いた。
ほとんどは魔物と何の関係もない、行政や裁判の記録だった。
「何故これが西方の資料なんだ?」
そんな疑問すら浮かんできていた。
王城の書庫が一杯になったから、必要資料の名目で西方総督府の書庫に放り込んだだけ、と言われてもユートは信じていただろう。
「これで最後です」
総督府総務部の吏員たちが、持ち込んできた資料の山をテーブルの上にどさりと置いて言った。
「結局、ダメだったか……」
ユートは嘆きながらも資料をぱらぱらと見る。
相当古いものらしく、タイトルは色あせて中身を見ないとわからなかったのだ。
「これは当時の帝室に秘伝の書、か。当たり……じゃないな。なんで中身が礼儀作法なんだよ……いや、帝王学の教育と考えたら間違いじゃないのか……」
そう言いながら恐らく歴史的価値が高いであろう資料をひょい、と邪魔にならないところに置く。
「次は……」
ユートはそれを見て、顔をしかめた。
「どうしたの?」
部屋に備え付けられたソファの上でくつろいでいたエリアがユートが黙りこくったのを見て声をかける。
安請け合いの責任を感じてか、アドリアンたちの軍への指導には行かず、ずっとユートの部屋で作業中の話し相手になっていた。
「……読めないぞ」
「え、古代語じゃないってこと?」
「どうなんだろう……読みはわかるんだが、意味がわからない……」
「ああ、あんたが知らない単語ってことね。なんて書いてあるの?」
「えっと……ポロ……ロッ……カ、だな」
「ポロロッカ? 変なタイトルね」
そう言いながら、ユートの隣に座る。
「で、中身はどうなの?」
「えっと、“恐るべきポロロッカは、帝国暦六百年に起きた。魔物たちはポロロッカの如く、村々を襲い、ポロロッカの通り過ぎた後は死の世界であった。このポロロッカにより、帝国国土の多くは、魔の森に呑み込まれていった”……」
「それって……?」
「多分当たり、だよな……?」
「ちょっと! すぐにサマセット伯爵のところ行ってくる!」
「待て、エリア! ちゃんと中身を読み込んでからだ!」
エリアを慌てて止めると、ユートは再び目を落とした。
その内容は、まさに悲劇だった。
魔の森から現れ、そして国土を蹂躙していく魔物は、村を呑み込めば呑み込むほど、その勢いを増していった。
帝国軍も必死に反撃したが、既にこの南北大陸を征服していた帝国軍は質量ともに魔物たちを押しとどめられず、あちらこちらで無惨に屍を晒していった。
帝国軍が敗北を重ねる中、とうとう魔物の戦いに長けていた者たちが立ち上がった。
彼らは魔物たちの群れを時に蹴散らし、時には上手く誘導して厳しい戦いを制していった。
そして、帝国暦六百五十年、光り輝く魔物を討ち取り、ポロロッカは収まったのだった。
ユートはそれを読み取ると、すぐにサマセット伯爵に報告した。
報告した時、ちょうどアーノルドもエレル近辺の情勢についての報告を持ってきており、サマセット伯爵はこれを直ちに会議で共有することとした。
ユートもその会議に参加したのだったが、アーノルドの報告した情勢は、エレル近郊は既に魔物で溢れかえっており、エレルまで驃騎兵中隊はたどり着けなかったという過酷なものであった。
これと併せてユートの方から古代帝国時代、即ち一千年ほど前の惨劇を聞かされた参加者はますます顔色を悪くしていた。
年代記に書いてあるように光り輝く魔物を討ち取れば、という話を聞かされて少しは落ち着いたものの、大多数は暗い顔色のまま、会議を終えた。
会議が終わってからサマセット伯爵は人が変わったように精力的に動き始めた。
西方軍のうち、討伐に出る部隊、留守部隊を的確に編成し、持っていく糧秣の類の量を算定していく。
本人は王立士官学校のでではないと自嘲していたが、その高い事務処理能力は軍人にはないものであり、そして軍にとってどう考えても有益なものだった。
そして、準備は着実に進んでいった。
ネタバレを避けるためにここまで第二章はタイトル無しでしたが、
「ポロロッカ編」となります。本日中に更新すると思います。