第026話 西方総督サマセット伯爵
「ユート、大丈夫!?」
ユートが目覚めた時、心配そうにのぞき込んでいる顔があった。
エリアだった。
「ここは?」
「軍の野戦救護所だよ」
見ると白衣を着た女性がいた。
その短い髪はくすんだブロンドであり、筋肉質のいかにも軍人然とした女性だった。
「私は軍直属法兵中隊第二小隊長のワンダ・ウォルターズだ。一応従騎士だね」
「あ、お世話になっています」
「何、あの状況下で殿を務めてくれた英雄様だ。気にするこったない」
ワンダは蓮っ葉な感じにそう言い捨てた。
「魔力ほとんど使い切ってるからまだふらつくとは思うが、目立つ傷は火治癒と水治癒をかけといたからね。動く分には問題ないよ」
「火魔法と水魔法、両方使えるんですか?」
「あ、ああ。冒険者には珍しいかもしれないけど、法兵は四種全ての魔法を使えないとダメだからね」
「法兵?」
「軍では魔法を使う兵士のことをそう呼ぶんだよ。おっと、あんたが起きたら連絡しろってアーノルド大隊長に言われてたんだ。すぐに言ってくるよ」
そう言うや、白衣を翻して慌ただしげに病室を飛び出していった。
「よかった……」
「エリアは大丈夫か?」
「ああ、足の怪我? さっきのワンダさんに魔法かけてもらったから、大分マシよ。まだ治りきるには時間がかかるらしいけどね。水治癒も治るのが早くなるだけみたいだし」
「まあ大怪我じゃなくてよかったな」
「まああんたが火治癒かけてくれなかったら、あのまま死んでたらしいけどね」
「酷い出血だったもんな」
「失った血は戻ってないから、無理はしちゃダメって言われてるわ」
「酒もダメだぞ」
「……出来るだけ飲まないようにする」
エリアはそう言うと、にこりと笑った。
「アドリアンたちは?」
「セリーちゃんも魔力切れで休んでるから、アドリアンはそっちに。レオナは鎧通しが駄目になっちゃったから、代用の武器を探しに行ってるわ。御者の人は重傷だったから応急処置だけで、もうレビデムに運ばれたみたい」
「みんな無事でよかった……」
「本当に、ね。死ぬかと思ったわ」
エリアがそう言いながら、ため息をつく。
その時、ドアが開いて一人の男が入っていた。
「失礼する。意識を取り戻されたと聞いたのでな」
ユートたちを救ってくれたサイラス・アーノルドという騎士だった。
「ありがとうございました」
「ん? ああ、助けたことか。我々にとって襲われている領民を救うのは義務だ。礼を言われることではない」
「いや、それでも……」
「それに貴君があそこで踏ん張ってくれたお陰でレビデム市域への魔物の侵攻を最小限に収められた。むしろ我々が感謝する側だ」
アーノルドはそう言うと、にこりと笑った。
白いものが混じって灰色となった口ひげを振るわせる。
「ところで意識が戻って早速で申し訳ないのだが、西方総督閣下が貴君の報告を受けたい、と仰っておられるのだ」
「総督……閣下がですか?」
「今回の魔物の侵攻は前代未聞なのだ。故にどういう事態なのか、一番近くで見ていた者の報告を聞きたいとのことだ」
「一番近くって……途中の村は……?」
「連絡がまだ取れておらん。私の騎兵が今、向かっている最中だ。一番よくわかっているのは貴君ら、ということになろう」
「ユート、話しに行きましょ。エレルだってどうなってるかわからないんだから、総督さんにはちゃんと対応してもらわないと……」
確かにエリアの言う通りだった。
この魔物の大量発生がレビデム近郊のみで収まっているとは思えない。
むしろエレルの近くの方が魔物の数は多かったのだから、そちらの方が危機的だと考えるべきだ。
「わかりました。すぐに準備します」
「すまない。馬車を正面に回すから、四半刻ほど後でな」
アーノルドはそう言うとお辞儀をして出て行った。
エリアはすぐにセリルの部屋に行ったが、まだセリルは目覚めていないようだった。
「わりぃ、俺はこっちにいる」
「じゃああたしたちで報告はしてくるわ。レオナもどっか行っちゃってるから、セリーちゃんが起きたら三人で待ってて」
「ああ、わかった」
そんな会話をして、ユートとエリアはアーノルドの馬車に乗った。
「よく来てくれた。私が西方総督パトリック・サマセット伯爵である」
案内された先は会議室だった。
そこには十人ばかりがテーブルを囲んで侃々諤々の議論を交わしていたようだが、ユートたちが入ると一度それが止まった。
そして、一番奥にいる長身で細身の老人がそう挨拶をしてくれた。
総白髪の髪は随分と後退しており、その年齢を感じさせる一方で、眼は力強い光を放っており、この老人が総督という高い地位にあることを否応なく認識させられる。
「初めまして。ユートと申します」
「エリアです」
「パストーレ君のところの護衛と聞いたが?」
見るとその十人の中に、パストーレ商会の総支配人であるエリックもいる。
「その通りです」
「さて、軍状報告、と言いたいところだが、時間がないのだ。質問に答えてもらう形でも良いか?」
「勿論です」
「では聞く。ああ、私は伯爵であり総督だが、この会議の間は身分や役職には敬意は払わなくてよい。そのかわりに腹蔵なく離してくれたまえ。まず襲われたのは一の村であるアカシア村でよいか?」
「アカシア村?」
ユートが初めて聞く村の名前に戸惑ったがエリアが淀みなく答える。
「そうです」
「そして、その前はこのレビデムからエレルへ行き、その帰路にアカシアで野営をし、そこで襲われてレビデム市域まで逃げた後、アーノルドの騎兵隊が駆けつけるまで戦った、ということだな」
「その通りです」
今度はユートが答える。
「では、まずレビデム・エレル間について、君たちはどう考えている?」
「漠然としているのですが……」
「この魔物の侵攻の件だ。私の感覚で言わせてもらえば、唐突にこのような侵攻が起きたように感じるが、徴候はあったと思うかね?」
「それは確実にありました。自分が知っている限りでもここ半年は魔物が増えた、とエレルの狩人は言っていましたし、一ヶ月ほど前にレビデムとエレルの間を往復した時も、明らかにいつもより多い、と感じました」
ユートの答えを聞いて、サマセット伯爵はエリアの方を向き直る。
「そちらのお嬢さんも同じ意見かね? 他の仲間たちの意見は?」
「あたしも同じ意見です。それとあたしたちの仲間に、二十年くらい狩人をやっていたアドリアンという人がいますが、そのアドリアンも自分の経験にはないくらい多い、と言っていました」
「なるほどな」
「それと、パストーレ商会のベテラン護衛であるルーカスさんも同じように言っていました」
それを聞いて、
「パストーレ、聞いているか?」
「はい。今は護衛に出ておりますが、その前に魔物が増えつつあることは報告しておりました」
「なるほど。つまり冒険者たちの間では周知だったのだな……わかった。では次に聞きたい。君たちは戦ってみて、普通の魔物と何か違うと感じたか?」
今度はエリアが率先して答えた。
「何よりも数よ! あの数は普通じゃないわ!」
多少、無礼な言葉遣いになったが、サマセット伯爵は意にも介さない。
「君は?」
「数もそうですが、違う種族が群れを作っている、というのも異常と思います。例えば魔鹿なら、魔鹿同士が、せいぜい亜種の魔箆鹿くらいでしか群れは作りません。しかし、今回の場合、魔犬、魔狐、魔狼が同じ群れを作っていました」
「それは極めて異常なこと、という理解でいいのか?」
「僕は少なくとも聞いたことはありません」
「なるほど。参考になった」
そう言ってサマセット伯爵は会議の参加者を見回す。
「他に何か聞きたいことはあるか?」
その問いに、向かって右手に座る一人がぴしり、と挙手をし、立ち上がった。
「サマセット領軍派遣大隊長を務めます、従騎士ピーター・ハルです。ユート殿、エリア殿にお聞きしたいのですが、その魔物の手強さ、というのはどの程度でしょうか?」
ユートはハルの問いに少し思案する。
「……そうですね。個々の魔物の強さは変わりがないと思いますが、数が数なんで……それと本来なら魔の森の深いところにいる魔狼のような魔物も周縁部やレビデム市域に出てきています」
「なるほど。それはかなり手強い……自分は不勉強で申し訳ないのですが、魔物どもは連携して戦うのですか?」
「ええ、連携しながら戦います」
「わかりました。ありがとうございます」
ハルは一礼して着席する。
「他には?」
今度は反対側から挙手。
「総督府内務長官の正騎士ルイス・デイ=ルイスと申します。ユート殿たちはアカシア村の野営地で今回の魔物の侵攻を受けられたと聞きましたが、その時にはどの程度の数がいたのでしょうか? レビデム郊外で戦われたのがほとんどなのでしょうか? 逆にアカシア村はその魔物の侵攻を受けたと考えられるのでしょうか?」
「……魔物の数はわかりませんが自分たちが戦ったのは一部と思います」
「ではアカシア村は……」
「はっきりとはわかりませんけど、アカシア村の石垣と、数人の猟師くらいで押しとどめられた可能性は……」
「……そうかですか……」
気まずそうにデイ=ルイスは目を伏せる。
恐らくアカシア村の辿った運命について考えながら、同時に内務長官として復旧の目算を考えているのだろう。
「規模については今騎兵を走らせて情報収集させているところだ。情報が集まり次第、アーノルド大隊長が纏めてくれるだろう」
「西方騎兵第二大隊は現在中隊ごとに捜索任務中です。エレルまで往復となりますとおおよそ一週間はかかりますので最終的な報告はそのくらいになりますが、順次伝令が到着しますので、ともかく明日までに第一報を纏められるかと思います」
アーノルドがそう答えた。
「今回のは前代未聞、未曾有の事件である。既に王城にも使者を送り、事件を陛下に言上する手はずは整えておる。しかし、王都より中央軍や近衛軍が来るとしても、最低一ヶ月はかかる故、西方軍と西方総督府がその任をよく遂行せねばならない。諸君らの奮闘を期待する」
サマセット伯爵がそう纏めた。
「ああ、ユート殿たちは少し残ってくれ」
ユートたちは会議が終わったので会議室を出ようとしたところをサマセット伯爵が呼び止めた。
「どうしました?」
「三点ほど君たちと話したいことがある。まず一つ目なのだが、アーノルドも褒めていたが、君たちの勇戦は称賛に値するものだ。お陰でレビデムの臣民に被害が出ずに済んだ。あそこで食い止めていなければ畑の多くが踏み散らかされ、多くの農民たちが死んでいただろう」
「ありがとうございます」
「で、だ。その褒賞を与えるつもりなのだが、何か希望はあるかな? ああ、仲間たちと話して考えておいてくれても構わない」
「え、褒賞くれるんですか?」
「ああ、勿論常識の範囲内で、な」
「ありがとうございます。救護所に残っている仲間たちと話しておきます」
二人は揃って頭を下げる。
「それと引き替え、というわけではないが、詳しく聞かせて欲しいことがある。冒険者はどのようにして魔物と戦っているのだろうか?」
「どのように、と言われても……」
「今回の魔物の侵攻だが、数が桁違いだ。軍が相手をする魔物は、魔の森を離れて周縁部の村落に害をもたらす小規模な群れだけ。今までのような数に恃んだ戦い方が通じると思えんのだ」
「それで冒険者の戦い方を教えて欲しい、ということですか?」
「そうだ」
「まあいいけど、軍って剣より槍でしょ? あたしもユートも剣だし、アドリアンの聞くのが一番じゃないかしら」
「ほう、さっき言っていたベテランの冒険者かな? 教えてもらえるならば心強い」
「なんとか説得してみるわ」
「説得? アドリアンをか?」
アドリアンの人の良い性格やエレルが危うい状況を考えれば、持っている技術を出し惜しみするような性格とはユートには思えなかった。
サマセット伯爵の前だったが、ユートの一言にそうした考えがあると察したエリアは説明する。
「あのね……久々にあんたの非常識聞いた気がするわ。基本的に冒険者って自分の技術は秘密にするものよ。効率の良い魔物狩りの仕方とか、狩りのポイントとか。それにもう一つ。冒険者は腕一本で食べてる自信があるから、威張ってる貴族や役人が嫌いな人多いわよ。あたしは父さんが軍にいたこともあるからそうでもないけど」
「まあでもアドリアンに限っては大丈夫じゃないのか?」
「……まあいいわ。後で話したげる」
ユートとエリアの会話が一段落したのを見て、サマセット伯爵が再び口を開いた。
「更に説得を難しくしそうで申し訳ないのだが、君たちの立場は西方軍司令部付の協力者、という立場でよいか? 何処の馬の骨とも知れない者が軍に対して戦い方を教える、なんてことは軍の統率上許されるものではないのでな……」
「別に要らない、と言いたいところだけど、そうはいかないんですよね?」
「申し訳ないが、な」
「わかりました」
エリアが不承不承頷く。
「でも、司令部の人はそれでいいんですか?」
「ははは、私が司令官なんだよ。西方直轄領は立地が特殊で魔物退治と直轄領内の警備が軍の役割だからな。総督と軍司令官は兼任することになっている。まあ王立士官学校を出てもいない私が司令官など、笑える話だがね」
ユートの疑問をサマセット伯爵は自嘲気味に笑う。
この緊急時に、本職の軍人ではない自分が最高指揮官であることを嗤っているのだろう。
「そのかわり、エレルの状況って教えてもらうって出来ませんか?」
「どうした?」
「このエリアや、仲間の一人はエレルに家があるんです」
「ああ、それは心配だな。ただ、私としても手持ちの情報は余りないのだ。一の村――ああ、アカシア村より先の情報は避難民がもたらしてくれたものしかない」
避難民がもたらしたもの、ということは、つまりユートたちが見てきた光景、ということだ。
「わかった。司令部付なのだから情報共有は必要だな。君たちのところにエレルの情報が入るように取りはからっておこう」
その言葉にエリアは少しばかり安堵した。
マリアやエレルの人々は心配だが、少なくとも情報がなくて焦燥感に苛まされるよりはましだ。
「それと最後に。これは君たちの感想で構わない。今回の魔物の侵攻は、自然に収まると思うかね?」
「無理ね」
「……自分も無理と思います」
エリアが言下に否定し、ユートもそれに続いた。
「何故かな?」
「先ほどの会議でも言いましたが、魔物は普通、異なる種類で群れを作りません。自分が知る限り、その例外が族長個体がいる時です」
「族長個体? それは魔物の中のリーダー、ということでいいのか?」
「そうですね。周囲の魔物に対して指示を出せる個体、と考えたらいいと思います。その族長個体がいる場合には、他の種類の魔物も同じ群れとなることがあります」
「あたしとユートが見たことあるのは、変異種の魔箆鹿が魔鹿の群れを率いていた時だけだけど、アドリアンやセリーちゃんも同じ意見だったからまず間違いないと思うわ」
「つまり、君たちは複数の種類の魔物が群れをなしていたのは、どこかでその指示を出していた族長個体がおり、その族長個体を倒すまで侵攻は止まらない、と考えているのかね?」
「そういうことです」
ユートやエリアの推測について、サマセット伯爵は考え込む。
たっぷり数分は考えて、ようやく口を開いた。
「ふむ、なるほどな。筋は通った推論ではある。ところで、そうした魔物の生態、みたいな話はどこで知ったのだね?」
「……どこで? そんなの経験に決まってるじゃない」
「あと、先輩の冒険者から聞いたってのもありますね。自分たちならアドリアンさんたちが教えてくれています」
それを聞かされて、サマセット伯爵は困ったような表情を浮かべた。
「ということは全部経験に基づく推論、か……」
「まずいんですか?」
「ああ、いや。そういうわけではない。総督府のどこにそうした情報を持っている者がいるのか、と考えていただけだ」
「いないんじゃないかしら?」
「また耳の痛いことを言ってくれる。ただ、確かに総督府のような官僚組織と、経験によって受け継がれている知識、というのは相性が悪いだろうな」
「そもそも王都の学者連中だって魔物のことなんか真剣に調べてないしね。一番詳しいのはあたしたち魔物を狩る狩人か、その狩人が狩った魔物を解体してるエレルの職人たちじゃないかしら」
「否定できんのがなんとも言えんところだな。ともかく、過去の似たような例がないか、時間を見ては総督府の書庫を漁ってみんといかんな。ああ、私がこういうことを聞いていたのは秘密にしておいてくれ給え。総督が一冒険者の意見に動かされたとあっては統率の面で大問題だ」
サマセット伯爵はそう言うと、薄くなっている髪をかき上げ、深いため息を一つついた。