最終話 水平線のすぐ上
「ようやく、戻ってきたわね」
エリアがまぶしそうに西の空を見た。
ユートのすぐ隣で馬を操るエリアは濃い疲労がありながら、それでいながら弛緩した顔つきとなっている。
それもそのはず、すでに陽が落ちようとしているその先には、懐かしい景色があった。
西方首府レビデム――
エリアやアドリアンの故郷エレルではないとはいえ、苦難の川を越えてここまで来れば、もういよいよ西方に戻ってきたという気分になるのはユートにもよくわかった。
「今日は一泊して明日エレルへ戻る?」
「そうしたいんだけどなぁ……」
ユートは事実上の西方総督であり、そうである以上、長くデイ=ルイス財務長官に任せていた西方直轄領の政務を見る必要があるはずだった。
もちろんデイ=ルイスは有能であるから、恐らくそこまで長くはかからないだろうが、それでもあのポロロッカからの復興のこともあるので、さすがに明日にエレルに発てることはないだろうと想像はついた。
「まあアドリアンやレオナたちは先に戻ってもらってもいいしね」
「そうだな」
「わたしはユートと一緒に行動するのです。ジークリンデもここで待って、四人でエレルに戻りましょう」
箱馬車の窓を開けてアナがそんなことを言う。
「ユート様、兵は私が見ます。恐らく冒険者たちはアドリアン殿が――」
「ああ、少しはレビデムでゆっくりして来いよ」
アーノルドとアドリアンがそう笑ってくれる。
「アドリアンはセリーちゃんに会いたくてたまらないものね」
混ぜっ返すエリアの言葉にアドリアンは照れてか何も返さない。
「みんな!」
レビデムの門前まで戻ってきた時、懐かしい声が聞こえた。
アドリアンの妻であり、そしてユートたちの大切な仲間、ずっと冒険者ギルドを守ってくれていたセリルだ。
すっかり大きくなったデヴィット君も一緒になって手を振っている。
「セリル!? なんでここにいるんだよ!?」
「あら、いたら悪いかしら? アナちゃんが教えてくれたのよ!」
「そうなのです。せっかくなので、使者を出しておいたのです」
アナなりの心遣いだったらしいが、アドリアンは何も言わなかった。
「アドリアン、みんな、おかえりなさい」
「――ああ、ただいま」
ユートはほぅっ、と息を吐いた。
故郷に帰ってきたような気分だった。
「ユート様、決裁の書類はこちらになりますが、無理はされませんよう」
翌朝、総督府に赴いたユートにデイ=ルイスはそう言ってくれた。
さすが王立大学出の俊英、必要な決裁の書類をちゃんとまとめてくれていて最小限になっているようで、すぐに終わりそうな量でしかなかった。
「私は王立大学出なので詳しくは知りませんが、せっかく戦場から生きて還ってきたのに、あまりの平和さに馴染めず、却って心を病む者もいると聞きます。ユート様もそうなりませんように……」
デイ=ルイスはそれだけ言い残すと、ユートの執務室から出ていった。
ユートは書類を読んではさらさらとサインをしていく。
戦場で死ぬような思いを何度もしたことに比べれば、なんと楽なことか。
これで病む者がいるなど、信じられなかった。
気づけばサインを走らせ続けてあっという間に昼になっていた。
「ユート、そろそろお昼よ。仕事忙しいならこっちにご飯運ぼうか?」
ひょい、と執務室のドアを開けて顔だけ出したエリアがそう訪ねてくる。
もちろん、エーデルシュタイン伯爵の妻という貴族の淑女としてはあるまじき行動だが、貴族の淑女である前に冒険者のエリアはそんなことは気にしない。
まだ顔には疲労の色があるが、それでも少しはマシになったようだ。
「あーもうそんな時間か。どうせだから食べに行こうぜ」
「そうね。久々にレビデムをぶらぶらしたいし」
エリアが頷くと同時くらいに、デイ=ルイスがやってきた。
「お出かけされるのですか?」
騒がしくなった執務室にデイ=ルイスが顔を出したが、ユートが少し食事に出てくると言っても何も言わなかった。
むしろ、この平和な日常に早くなじもうとしていることに安心したのかもしれない。
「あそこでいいだろ?」
「そうね」
ユートの言葉にエリアも通じ合うものがあったらしく頷いていた。
「おう、来てくれましてございますか」
店主は何を言っているかわからない敬語でユートたちを迎えてくれた。
「ちょっと、普通にしゃべっていいわよ」
「そんな、英雄様にそんな口利けませんですよ」
そう言いながら店主は笑っている。
もちろんわかっていてわざとやっているのだ。
疲れからか、少し塞ぎ込んでいるように見えたエリアもそんな店主の冗談に笑い合う。
「へへっ、でも冗談抜きで英雄様だぜ? まったく驚いたもんだ」
「最初会った時って狩人になってたっけ?」
「傭人じゃなかったか?」
そんなくだらない話をしながらも店主は何も言わずにベシャメルソースのかかった串焼きを出してくれた。
「こいつは俺からのおごりよ」
「ありがとう! でもいいの?」
「明日から英雄様御用達の店だからな」
そう言うと豪快に笑ってくれた。
ユートは串焼きにかぶりつく。
懐かしい味だった。
エリアの母マリアの手料理や、エレルの屋台で食べた串焼きや、マーガレットやドルバックの店の料理も懐かしいが、それ以上にこの料理の味が懐かしかった。
「やっぱこれが一番ね」
エリアはそう言いながらエールをあおっている。
いつものエリアだ。
「エリア、飲み過ぎるなよ」
「何いってるのよ! この一杯の為に冒険者は頑張るのよ!」
完全に駄目な大人がいた。
いつものエリアだ。
その後も店主があれやこれやと美味しいものを出してくれて、ユートもついついエールに手を伸ばしてしまい、店を出た頃にはずいぶんと時間が経っていた。
「ちょっと酔い覚ましに歩こう」
ユートの言葉にエリアも頷き、黙って歩き始めた。
「ねえ、海風に当たりましょう」
エリアの言葉にユートも頷き、そして波止場へと向かう。
岸壁の端に座り、エリアが足をぶらぶらさせている。
ユートも黙って風に吹かれている。
「ねえ、ユート」
ユートには沈黙の時間が長かったように感じたが、実際どれほどの時間だったのかはわからない。
ただ、エリアが再び口を開いた時には、すでに夜のとばりが降りようとしていた。
「勝ったのよね?」
「何を今更」
そう言いながらも、ユートは笑おうとは思わなかった。
「勝ったのよね……でも、大勢死んだわ」
エリアがそう悲痛な声を上げた。
「大勢死んだし、アドリアンみたいに二度と冒険者に戻れない怪我をした人も多いのよ…………本当にあたしたちは勝ったのかな、って思うときがあるわ」
エリアはそう言った。
「ねえ、ユート」
もう一度、エリアが言った。
「みんなの死に意味はあったのかな?」
ユートも又、それを考えないわけではない。
本当に、大勢の仲間が死んでいった。
だが、ユートには答えはあった。
「意味は――あるさ」
「どんな?」
「俺は救国の英雄になった」
「それにどんな意味があるのよ?」
「みんなの犠牲の上に、エーデルシュタイン伯爵は救国の英雄になった。これで、何があっても誰も冒険者ギルドを軽くは見れないさ。成り上がり者と蔑まれるかもしれない。時勢に乗っただけの者と侮られるかもしれない。でも、軽く見ることだけは出来ない。そんなことをすれば臣民たちが黙っていない。救国の英雄のギルドを軽く見て潰そうなんかしたら、臣民が黙っていない。だからこれで、もうギルドは何があっても大丈夫だ」
一度そこで言葉を切って、すっと海に眼差しを向けると、ユートは力強く言った。
「俺たちはあの水平線の向こう側に行ったんだよ」
ユートの眼差しは、水平線を捉えて放さなかった。
そう、ちょうど水平線の向こう側は、西内海を挟んで、ユートたちがたどりついた。ローランド王国王都ローランディア。
そして、その言葉は、かつてこの場所でエリアが話した、デヴィットの言葉でもあった。
その水平線のすぐ上に、ユートとエリアが住む銀河がうっすらと浮かんでいた。
ユートはこの後、ウェルズリーの後継者として軍務卿となり、猟兵戦術を中心に据えて王国軍の改革に尽力することになるのだが、それはまた別の物語である。
ユートが後継者となったことからもわかるように、ウェルズリー伯爵レイモンドは勝利したのも束の間、再び吐血して軍を去ることになり、翌年、その生涯を終えた。
しかし、雷光のウェルズリーの名はノーザンブリア王国軍史上最高の名将、不朽の名将として、後代まで語り継がれることになり、その騎士然とした彼の銅像には今日まで参拝する者が後を絶たない。
エーデルシュタイン伯爵の活躍を描いた物語では英雄の師として必ず登場し、その謹厳実直と伝わる人柄は名声と相まって、後世においても人気の高い人物である。
先代クリフォード侯爵ジャスティンは戦後、その武功により蟄居の処分も解かれたが、クリフォード侯爵家には戻らず冒険者として火炎剣を振るい西方開拓に尽力した。
かつて侯爵位にあった大貴族でありながら冒険者ということから冒険侯ジャストと呼ばれ、冒険者ギルド草創期の著名な冒険者の一人となった。
もっとも、貴族でありながら冒険者ギルドに身を投じたことからもわかるように、彼は貴族然としたその呼び名をひどく嫌っていた、墓石にはただの「ジャスティン」とのみ刻ませた、というような逸話も伝わっている。
エーデルシュタイン伯爵の主君であったノーザンブリア女王アリスは、王位継承戦争を経て国をまとめ、ハントリー宰相やその後を継いだクリフォード侯爵ロドニー、ウェルズリー軍務卿、エーデルシュタイン伯爵といった有能だが癖の強い人材を使いこなし、ローランド王国を下した功績はやはり後世に伝わるものである。
また、戦後、エーデルシュタイン伯爵などの若い貴族たちを積極的にを登用するなど国家の改革に尽力し、王配カニンガム伯爵チェスターの協力もあって七十年にわたって王位に在り、ノーザンブリア王国の全盛期を現出したことから、ノーザンブリア王家中興の祖、賢王アリスとして歴史に名を刻むこととなった。
そのアリス女王の妹にしてエーデルシュタイン伯爵ユートの妻アナスタシア・ノーザンブリア・エーデルシュタインは、王族ならではの政治的感覚によって英雄を支えた内助の功を長く称えられる。
だが、それだけでなく、エーデルシュタイン伯爵とアナスタシアの物語は王女が英雄の剣によって守られたところから始まる英雄と王女の大恋愛の物語として、長く民草の間で語り継がれ、その名を記憶されている。
アナスタシアが英雄を政の面から支えたのであれば、戦陣にあって常に英雄の背中を守り、武の面から支え続けたと言われるのがエリア・エーデルシュタインである。
彼女もまた冒険者ギルド草創期の著名な冒険者であり、英雄と共に歩み続けた妻として名が遺っている。
また、彼女は当時は辺境の地であった西方都市エレルに平民の子として産まれ、ただひたすらの鍛錬を以て英雄の隣に立ち続けたことから、特に平民の間では今も人気が高い人物である。
また、英雄を支え続けたという意味ではもう一人、盟友アドリアンの名が残る。
辺境の孤児として生まれた彼は、英雄の最も良き理解者として、時に戦陣にあって自ら槍を握って英雄と共に戦い、時に戦陣に赴いた英雄の留守を、冒険者ギルド初代総裁代行として守り、決して目立ちはしないが英雄を支え続けた名補佐役としてその名を遺している。
この名補佐役アドリアンに、英雄の帷幕にあって最良の方策を献策し続けた副将サイラス・アーノルド、餓狼族の族長でありながら英雄の義兄弟として、常に先手を任された驍将ゲルハルト・“雷神”・ルドルフ、同じく妖虎族の族長であり、夜戦の天才にして捜索に出ればいかなる困難な状況でも必ず報告を持ち帰った英雄の目レオナ・“漆黒”・レオンハルトの三人を加えたエーデルシュタイン四天王の名も後代まで伝わっている。
そして、エーデルシュタイン伯爵ユートはウェルズリー伯爵レイモンドの死後、長く軍務卿を務め猟兵戦術による国軍改革を為すとともに冒険者ギルドの後代に至るまでの隆盛の基礎を築いた後、エレル郊外の、エリアと初めて出会った場所に移り住み、そこで三人の妻たちに看取られながら、その数奇に満ちた生涯を終えたと伝わっている。
三人の妻、とはアナスタシア・ノーザンブリア・エーデルシュタインと、エリア・エーデルシュタインの他、もう一人の妻がいたことを示唆しているが、この妻の名は詳らかではない。
また、エーデルシュタイン伯爵ユートが今際の際に遺した言葉は「みんな、ありがとう。神様、ありがとう。父さん、母さん――」だったと言うが、彼の父母がどこの人であったかも、どの書物でも触れられていない。
このように、謎の多い人物であり、敬虔な教会の信徒たちは英雄はノーザンブリア王国の危機に神が遣わした使徒であるという者すらいるほどである。
また、エーデルシュタイン伯爵ユートの名は、猟兵戦術の先駆者たる天才的軍人、地雷や魔石銃といった一風変わった兵器を作り出した奇抜な魔道具職人、ローランド王国の王都ローランディアを失陥させ、ローランド王国滅亡のきっかけを作った稀代の英雄としてもさることながら、何よりも冒険者ギルドの創始者にして伝説的な冒険者として千年の後まで広く世に知られている。
なぜ英雄として以上に冒険者として有名なのか、という疑問もあるだろうが、エーデルシュタイン伯爵ユートの冒険譚を、数百年の長きにわたって語り歩いた銀髪紅眼の純エルフがいたから、という。
これで、完結となります。
ふと冒険者ギルドってどうやったら経営できるのだろうと思いついて初投稿してからちょうど丸二年、思いつきだけでプロットを一切作らず書いてきた作品にここまでお付き合い頂きましてありがとうございました。




