第238話 最後の血戦・中編
本日2回目の更新です。
ユートは必死に走った。
百メートルもない距離を走った。
まずゲルハルトと合流し、そして一丸となってルーテル伯の軍勢を迎え撃たないといけない。
いくらユートの火炎旋風で打撃を与えたとはいえ、まだまだ数的には圧倒的に劣勢なのだ。
「ちょっと――ユート――――速すぎるわよ」
エリアがそう文句を言いながらも必死になって走っている。
エリアもまた味方と合同することの意味を分かっているのだ。
だから、ユートが全速力で走ることに減らず口は叩いても本気で文句を言っているわけではない。
ふと、アナのことが心配になった。
歴戦の冒険者であるエリアは体力的には大丈夫だろうが、いくら冒険者の訓練をしているとはいえ、本格的な――例えば護衛や狩人をやっているような――冒険者に比べればアナなど素人も同然だ。
その素人同然の体力、そして何よりもまだまだ小柄な体躯で果たしてついてこれるのか、と心配になったのだ。
思わず一瞬だけ振り返る。
次の瞬間、ユートは笑い転げそうになっていた。
振り返って見たものは、なぜか餓狼族の若者におぶさっているアナの姿だったからだ。
そういえば昔、ゲルハルトが大森林の諸部族――特に餓狼族は仲間意識が強い、と誇っていたことを思い出す。
大森林の諸部族の分類でいえばアナは恐らく餓狼族の一員ということになるのだろうし、そのアナが困っていれば餓狼族は助けるのだろう。
どうにか笑いをこらえてゲルハルトのところまでたどり着く。
まだルーテル伯の軍勢とは少しばかり距離があるあたり、さすがは獣人というしかない。
「ユート、わたしのことを笑っていたのでしょう」
餓狼族の若者の背から降りてきたアナがそうぷりぷりと怒っている。
ついてこれなくて、おぶさっていたことを笑われた、とお怒りらしかった。
「いや、アナのおかげで緊張も何もかも吹き飛んだぞ」
ユートの言葉はアナの怒りに油を注ぐだけだったが、すでに敵前、そんな痴話喧嘩をしている余裕もなかった。
「ユート、来るで」
ローランド国王を守る数十騎以外は全てがユートたちの方へと殺到してくる。
火炎旋風により、幾分数を減らしたとはいえ、エーデルシュタイン伯爵領軍もまた矢いくさによって少し数を減らしているのだから決して有利ではない。
「おい、魔法や!」
ゲルハルトが吠えた。
その声に応じて、土弾が飛んでいくのが見える。
「ユート、まだ魔法はいけるか?」
「いけるけどな、出来れば火治癒を中心に使いたい」
最前線で衛生兵をやろうというのだ。
一瞬、ゲルハルトは逡巡した。
ユートが最前線で火治癒を受け持ってくれれば、軽傷者を戦線に復帰させることが出来る。
これは数に劣るエーデルシュタイン伯爵領軍としては大きなアドバンテージを得ることになる。
一方で、ユートの魔法もまた魅力的である。
ゲルハルトたち大森林の諸部族が使う土魔法は土塀、土弾の他、免疫を強化する土治癒など多彩な種類を誇る魔法ではあるが、火炎旋風のような面制圧が出来る魔法はない。
一対一ならば土弾は十二分の威力を持つが、集団戦ならば強力な投石に過ぎない。
「状況に応じて臨機応変に対処したらいいじゃない」
エリアがそう提案した。
高度な柔軟性を以て臨機応変に対応するなどというのは事実上何も決めていないのと同じだということくらいはエリアもわかっている。
「わかった。ユートに任せるわ」
「任された」
「わたしも少しくらいは火治癒使えるのです」
アナもそう握りこぶしを作っていた。
「来るニャ!」
レオナのその言葉と同時に、ルーテル伯の軍勢が襲いかかってきた。
「土弾!」
至近距離から餓狼族の誰かが放った土弾がその質量を以てローランド兵の上半身を吹き飛ばす。
スレッジハンマー、いやゲルハルトの異名が雷神であることを考えれば、雷鎚ミョルニルの一撃とでも言えばいいのだろうか。
そのくらいの衝撃的な光景でありながら、血に酔っているローランド兵はそれを顧みずに突っ込んでくる。
その剣に土弾を放った餓狼族が倒れ、そしてそれを妖虎族の若者がローランド兵を突き殺す。
まさに乱戦だった。
「死ねや!」
ゲルハルトが再び雷神の名を証明している。
「こなくそっ!」
アルトゥルが再び獅子心王の名を証明している。
レオナもまた、その鎧通しで確実に相手の心臓や喉といった急所を突き、死を量産している。
だが、それでも劣勢なのはエーデルシュタイン伯爵領軍だった。
「ユート、これヤバいわよ」
エリアが愛剣でローランド兵を斬り倒しながら、ユートに小声で言う。
「わかってる」
矢いくさならば風盾で守りながら火炎旋風で攻めることができた。
魔法使いという一騎当千の者がいることによって、数の差が戦力の差とならないで済んだのだ。
しかし、乱戦になれば数の差が決定的な戦力の差となって跳ね返ってくる。
かさにかかって押してくるルーテル伯の軍勢を前に、いくら膂力に優れる餓狼族であろうと、あるいは機敏な妖虎族であろうと、じりじりと押されていく。
土弾が飛び交うが、結局のところ、それは相手を止めるには及ばない。
「ユート、頼むで」
ゲルハルトの言葉を受けてユートはすぐに火炎旋風を放つ。
炎が踊り狂ってローランド兵をなめまわし、そこここから悲痛な悲鳴が上がった。
その狂乱する炎を横目に、エーデルシュタイン伯爵領軍はほっと一息ついたが、ユートの火炎旋風がもたらしたのはその一息をつく間だけだった。
「かかれぇ、かかれぇ」
老巧のルーテル伯の声が響き、火炎旋風に士気を落とすことなくローランド兵が再び殺到する。
「きりがないで!」
ゲルハルトがそう叫ぶ。
とうとう魔力も尽きつつあったユートも剣を抜き放った。
片刃の片手半剣は、いつもに増して鈍色に輝いているように見えた。
薙ぐ。
突く。
払う。
ユートの片手半剣は次々とローランド兵を捉えて屠っていく。
エリアもまた、刃こぼれした愛剣で一人、また一人とローランド兵を倒す。
ゲルハルト、アルトゥル、レオナは言うまでもなく――
ただ恃むは個人の武勇のみ。
もはや戦術も何もあったものではなかった。
それは、エーデルシュタイン伯爵領軍がそこまで追い詰められているという証拠でもあった。
もしかすれば、ゲルハルトたちを見捨ててただひたすらに魔法で叩けばよかったのか、という考えがちらりとユートの脳裏をよぎる。
だが、いくら考えてもゲルハルトを見捨てるようなことは出来なかったとしか思えないし、何よりも遠戦に徹して魔法で叩いたとしても結局は魔力が切れて風盾も使えなくなり敗れていたと思う。
つまりは、必然だったと思うしかない。
何度目だろうか。
無我夢中に戦っていたユートの剣が、キン、と高い金属音を立てて弾かれた。
慌てて両手に力を入れ、つばぜり合いを演じる。
相手の剣はユートの片手半剣より一回り大きい大剣――
「エーデルシュタイン伯爵か!」
つばぜり合いをするその剣の向こうにいたのはルーテル伯だった。
乱戦の中、ルーテル伯もまたその剣を抜かざるを得なくなったのか――
それならば、一概のエーデルシュタイン伯爵領軍の劣勢ともいえないのではないか、という一縷の希望が見えたような気もした。
よく考えればあの抜け穴の終着点、陋屋の時にもルーテル伯はユートたちを自ら待ち伏せしていたわけであり、陣頭に立つ血の気の多い指揮官なだけかもしれなかったが、ユートはその考えには至っていなかった。
それは信じたいものを信じる、という人間の性であったのかもしれない。
つばぜり合いの剣の向こう側にいるルーテル伯は、エーデルシュタイン伯爵領軍の最大の敵とも、ユートたちの好敵手とも言うべき存在だったが、こうも間近で面と向かうのは初めてだった。
彼は白くなったものの混じった口ひげが特徴的な男だった。
その顔にはしわが刻まれており、幾多の戦場を駆け抜けてきた苦労と、そしてその苦労に裏打ちされた経験がにじんでいるような、そんな男だった。
どこか、アーノルドに似ている、とふと思った。
二度、三度とつばぜり合いをするが、ルーテル伯はびくともしない。
お互いに剣をたたきつけるようにして離れる。
「さすがはエーデルシュタイン伯爵」
ルーテル伯からそんな声がかかる。
余裕を見せつけるつもりか、とユートは睨みつけたが、その表情には嘲りの成分は全く含まれておらず、純粋にユートの力に感心したようだった。
「これほどの武人と戦えることは我が生涯の誉れ――おお、そうだった。名を名乗っていなかったな。わしはルーテル伯マクシム。代々ローランド国王補弼の任を負う者よ」
からからと笑い、そしてユートの目をじっと見た。
その視線は名を名乗れ、と言っていた。
「エーデルシュタイン伯爵ユート――ノーザンブリア王国のアリス女王陛下が妹、アナスタシア王女殿下の夫にして、ノーザンブリア王国軍にあっては|第三軍司令官《エーデルシュタイン兵団長》を務める者です」
戦場での名乗りとは古風な、と思ったが、ユートの名乗りを聞いて再びからからと笑った。
「剣を捧げる相手は違えども、幾多の武勲を挙げし貴君と剣を交えるはなんとも嬉しきこと。騎士の誇りにかけていざ尋常に勝負」
ルーテル伯はそう言いながら一度捧げ剣の形を取った。
ユートに対する敬意を払ったらしい。
ユートもまた、再び捧げ剣の礼をとり、そして剣を青眼に構えた。
キン、と甲高い音が響く。
ユートの片手半剣がルーテル伯の大剣に弾かれた音だ。
つばぜり合いは演じず、ぱっと後ろに飛び退く。
ルーテル伯は元々がローランド王国の勇武の家系であり、ローランド王国の武を担うと言われていた男だ。
幼い頃から鍛え抜かれてきたその剣は、対人戦では一日の長があるのはユートにもわかっている。
だからこそ、冒険者らしく型にはまらない戦いをするしかない。
飛び退いて、そしてそのままステップを踏んで飛び込む。
鎧通しを使っているせいで、つばぜり合いなど出来ないレオナがよくやる手だ。
勢いをつけて突きを入れる。
だが、ルーテル伯もまたそれをわずか一歩の動きでかわす。
それは紙一重で避けたように見えたが、恐らく見切り尽くした結果の紙一重なのだろう。
続いてルーテル伯の追撃がくる。
突きがかわされたことで生じたユートの体勢の隙を見たのだろう。
薙いでくる大剣をとっさに受け止め、そして今度はつばぜり合いをせざるを得ない。
「さすがよの」
ルーテル伯はにやりと笑う。
「だがわしも負けられんのだ」
ルーテル伯の背後には、ノーザンブリア国王がいる。
彼としても一歩も引けない戦いなのだ。
そして、ユートの双肩にもまたアリス女王を筆頭に、ノーザンブリア王国の人々がかかっている。
ユートもまた、一歩も――いや、半歩も引けない戦いだ。
ユートはこの老将と剣を交えながら、どこかで交歓を得ているような、そんな気分になっていた。
もしこれが道場のことであったら、そのまま酒でも酌み交わせたかもしれない。
しかし、ここは道場ではなく戦場だった。
甲高い音が連続して響く。
お互いに激しく打ち込み合い、そして防ぎ合う、剣戟の音だ。
ぎりぎりの命のやりとり。
まさにその剣の下は地獄――
ルーテル伯の剣は重い。
決して大柄ではないユートにとって、その重い剣は十分に脅威だった。
しかし、ユートは知っている。
もっと重い剣を使う男――ゲルハルトを。
「ゲルハルトに比べれば――」
ユートのつぶやいた言葉に、ルーテル伯がまたも笑う。
「雷神か。我が剣も北方一の勇者雷神に比肩したか」
幾多の戦いでノーザンブリア王国軍を苦しめ、そしてユートの親友としてエーデルシュタイン伯爵領軍に加わってからはローランド王国軍を苦しめている雷神ゲルハルトの名はルーテル伯もまた知っていたようだった。
その武名高いゲルハルトと比べられてご満悦のようだった。
勝てない――
ユートはふとそんな気分になった。
この戦いの最中ですら、ルーテル伯は自分がゲルハルトと比べられて喜ぶ余裕を持って戦っている。
しかもその余裕は、油断とは全く違うものだった。
相手の小さなつぶやきすら聞き漏らさない、ぴんと張り詰めた緊張感の上にある余裕だ。
ユートは全力で挑んでいるのに、いなされかわされてルーテル伯の手のひらの上で踊っているようにしか思えなかった。
でも――
「ユート、頑張るのです!」
アナの声が聞こえる。
さすがにアナは戦いには加わっておらず、火治癒で衛生兵役をやっているようだった。
よし。
覚悟を決めた。
残り少ない魔力だが、魔法で勝負する。
騎士の鑑のような先代クリフォード侯爵が魔法剣を使っている以上、魔法は決して一騎打ちの興を削ぐ、騎士道に反するものではないはずだ。
「火球!」
ユートの放った火球は狙いを過たず、ルーテル伯に直撃する――と、思ったところで、火球が消え失せる。
「え?」
剣の一振りだった。
そして、反撃の剣が飛んでくる。
火球をかき消されて唖然としているユートの虚を突こうという一撃を三歩、四歩と後ろに飛び退いてどうにかかわしきった。
だが、ユートの混乱は消えない。
火球は確実に当たっていたはず。
そういえば陋屋の戦いでもゲルハルトの放った土弾をたたき落としていたのを思い出した。
「魔法剣、ですか」
ユートの言葉にルーテル伯は無言でうなずいた。
恐らく、ルーテル伯の剣は魔法を打ち消すような魔導具らしい。
ユートは頭を必死になって回転させた。
魔導具職人の端くれとしての見立てでは、恐らく魔石は内蔵されていないはず。
ならば、先代クリフォード侯爵の魔法剣と同じく持ち主の魔力を消費するようなタイプの魔導具のはず。
魔法をかき消すような存在にはすぐに心当たりがあった。
魔箆鹿との戦いの時に、セリルが使ってみせた炎結界だ。
つまり、あの魔法剣はルーテル伯の魔力を代償に炎結界を展開してユートの火球をかき消しているのだろう。
炎結界は魔法をかき消す魔法だが、かき消す魔法と同じだけの魔力を使うという欠点もあることをユートは知っている。
「タネが割れれば怖いものはありません」
ユートはそう言いながら、ルーテル伯を見据えた。
ユートの雰囲気が変わったのをルーテル伯も悟ったらしい。
いつになく真剣な表情をして、ユートをにらみ返した。
「火球!」
ユートの言葉に、ルーテル伯が身構える。
火球が飛ぶ。
「火球!」
息つく間もない火球の連発。
炎結界の欠点である、打ち消した魔法と同じだけの魔力を要するというところを利用しての、魔力合戦に持ち込んだ。
もともと魔法を十全に使いこなすユートと、どう見ても戦士のルーテル伯では、魔力的にはユート有利。
しかしユートは火炎旋風や火治癒で魔力を使っている分のマイナスがある。
どちらかが勝つか予断を許さないが、少なくともユートは勝負に出た、とルーテル伯は思っただろう。
――が、違っていた。
火球はルーテル伯ではなく、ルーテル伯の足下に叩きつけられた。
エリアとともに初めて受けた依頼――魔兎狩りの時、族長個体相手にユートが見せた手だった。
虚を突かれ、動揺するルーテル伯――ユートはその隙を逃さなかった。
初めてユートの片手半剣が勝り、ルーテル伯の剣を跳ね上げる。
だが、ルーテル伯もさすがは歴戦の古強者だった。
ユートの剣に逆らわず、それでいながら上手くユートの力を利用して剣を逸らしてみせる。
だが、その分だけルーテル伯は体勢を崩す。
ユートはここぞ、と踏み込んだ。
踏み込めば極楽――
ユートの剣がルーテル伯の頭に届くその刹那、ぎりぎりのところでルーテル伯の大剣は間に合った。
しかし、さしものルーテル伯の剣技を以てしても、もはや技巧を尽くした受け流しなど出来なかったらしい。
ユートの剣はギリギリのところでルーテル伯の頭にこそ当たらなかったが、そのまま頸甲と肩当ての真ん中あたりを斬り割いていた。




