第233話 城門突破の一撃
「あかん! 門が閉まり始めよった!」
隣を走るゲルハルトが呻くように言った。
ユートたちの脚に合わせているので、少しばかり余裕があるゲルハルトだが、声には余裕はない。
言われて見ると、警備兵たちがその前に集まった人の群れを追い払いながら、城門が閉まっていくのがユートの目にも映った。
これはローランド兵から見れば当然の処置だろう。
客観的に見れば、見慣れぬ風体の一団が、砂塵を巻き上げて一路ローランディアの城門を目指してきているのだ。
しかも、その背景には、馬蹄の重低音、剣と剣がぶつかり合う金属音、そして蛮声と悲鳴の合唱が奏でる戦場音楽が流れているというおまけもついている。
これでも閉門命令を出さないのであれば、その指揮官は無能を通り越して内通を疑われるだろう。
「先、行くで!」
ゲルハルトはそう叫ぶと、ぐっと前に出た。
ユートたちに合わせていただけで餓狼族たちはやはりまた脚を残していたようだ。
「頼む!」
ぐんぐんと小さくなるゲルハルトの背中に、ユートは祈るように叫んだ。
ゲルハルトたちは、そのまま城門まで駆けた。
「コラ! 開けんかい!」
ゲルハルトはそう怒鳴りつけると、閉まりかけている内開きの城門に体当たりをして開けようと試みる。
だが、さすが王都ローランディアの正門を守る敵兵も然る者、すぐに用意されていた礫を降らせてゲルハルトたちを牽制する。
「こんなもん物の数に入るかい!」
ゲルハルトも餓狼族も優れた動体視力で、降り注ぐ礫を打ち落とす。
どころか、礫を拾って投げ返すものも出る有様だった。
礫のほとんどは狭間胸壁に当たって跳ね返されたが、運悪く礫を投げ落とそうとした敵兵がその身に受けてのけぞるのも見える。
だが、そうしていた一瞬にも城門は閉まり続け、ほとんど閉まりきってしまう。
重量のある馬車を通す為か、水濠があるにも関わらず跳ね橋でないことが唯一の救いだったが、破城槌を持たないエーデルシュタイン伯爵領軍にはこのままではどうしようもなくなってしまう――
「ゲルハルト、そのまま押し込むニャ!」
ようやくレオナが、そしてユートたちが追いつけたのだ。
「わかっとるわい!」
「閂をかけさせないで欲しいニャ!」
レオナの注文通り、あとわずかというところで餓狼族と門扉の開閉機構――もっとも王都のような場所だとどういう構造をしているかはわからないが――の力比べが始まった。
「儂に加勢させろ!」
怒鳴り声と共に、アルトゥルが得物の大木槌を振り回す。
かつてラピアの城門を破壊したアルトゥルの得物が門扉を直撃するが、あの時のように吹っ飛ばすことはできない。
やはり王都だけあって、もっと頑丈なものとなっているようだ。
「うぬ!」
もう一度、二度と大木槌をぶつけ、その度に門扉は大きくきしむ。
しかし、頑丈な門扉はそれでもアルトゥルの膂力に任せた“攻撃”を防ぎきった。
一人の獣人と、門扉の戦いは続いた。
「まるで人間破城槌ね……」
余りの光景にエリアが戦場であることも忘れたかのように、そんな呆れ声を上げた。
「父ちゃん! もう大丈夫ニャ!」
何度目かの大木槌の一撃をアルトゥルが見舞った直後、不意に上から声が降ってきた。
気付けばレオナがいつの間にか城壁の上に上がって、狭間胸壁から顔を覗かせている。
「上はもう制圧したニャ! みんな父ちゃんとゲルハルトに気を取られてたからすぐだったニャ!」
「儂を囮に使いおったのか……」
実の娘に囮にされるとは思ってなかったのか、アルトゥルが少しばかり愕然とした顔をしていて、ゲルハルトは苦笑いをしている。
「まあこういうのは妖虎族の得意技やからな」
勝手に囮に使うのが、なのか、それとも城壁を駆け上がってしまうのが、なのかまではゲルハルトは言及しなかった。
「今門を開けるニャ」
レオナがそう言うと、きしむような音を立てて門扉が少し動き、そして人一人がどうにか通れるくらいの幅が開いたところで止まる。
「どうした?」
「……父ちゃんが殴りすぎたせいか動かないニャ……」
情けない声が降ってきたが、ともかく通り抜けられれば問題はない。
体格の大きいゲルハルトやアルトゥルですら通れるのだから問題はないだろう。
馬を連れていればそうはいかなかっただろうが、幸い誰一人として馬なんかには乗っていない。
まずゲルハルトが抜け、続いてユートが抜ける。
ユートは抜けた瞬間に矢が飛んでくるか、とおっかなびっくり抜けたのだが、それもまた徒労に終わる。
どうやら向こう側には既に妖虎族の連中が降りて制圧してあったらしい。
「ユート、一気に王城目指すニャ!」
「あ、ああ。でもよく上り下り出来るな」
ユートは頷き、そして王城の方向からどの道筋が、と思案しながらレオナにそんな感想を言ってみる。
「こっち側には階段ついてるニャ」
「向こう側は?」
「これニャ」
事も無げに言いながら、レオナは投げナイフを見せる。
「前に護衛やってた時に作ってもらったのと同じ投げナイフニャ。これがあれば城壁の石の継ぎ目に突っ込んで登れるかと思ったら登れたニャ」
もちろんそんなことが出来るのはレオナたち妖虎族だけだろう。
ユートは相変わらず規格外のレオナたちの力に呆れるしかなかった。
「あんた、本当におかしいことばっか考えてるのね」
「おかしいこととは失礼だニャ!」
「褒めてるのよ」
「全然褒められてる気がしないニャ!」
エリアとレオナのそんな掛け合いを聞いて、ユートは噴き出す。
「おい、ユート、笑っとらんで道決めようや。真っ直ぐ進むか?」
そう言われて、ユートはローランディアの街を見た。
初めて見る、ローランド王国の王都は、大通りに沿って石造りの建物ばかりが建ち並んでいるように見えて、一本裏通りに入れば古い木造の建物――掘っ立て小屋に近いような建物があるようだ。
恐らく、貧富の格差が激しいのだろう、とユートは当たりをつける。
意外なことに喧噪はなく、むしろ不気味なまでの静寂に包まれていた。
大通りには人っ子一人おらず、商店や商会が立ち並んでいる大通りの一等地の建物は全て戸を閉め切っている。
王都なのに、と思ったが、少しばかりの視線は感じるような気がするので、人がいないわけではないだろう。
恐らくゲルハルトの言うとおり、今いる王都の正門から大通りを真っ直ぐ進めば王城に辿り着くのだろう。
これはノーザンブリア王国の王都シャルヘンもそうであるし、大通りの向こうにそびえ立つ王城を見る限り、このローランディアもそうだと判断出来た。
問題は、そこを進めば必ず待ち受けているであろう敵兵だ。
こちらは餓狼族と妖虎族ばかりとはいえ、二百足らずしかいないのだ。
恐らく敵は城門の警備兵たちから報告を受けて敵襲と判断し、近衛兵以外にも警備兵から退役兵までかき集めての応急防御部隊を編成しているに違いなかった。
数は不明だが、どう考えてもエーデルシュタイン伯爵領軍よりは多いはずであるし、それと正面からぶつかると個々の力の差など簡単に数の暴力で跳ね返されるだろう。
「裏道なんかわからないわ」
「あちきらが動いた方がいいかニャ?」
俊敏なレオナたちならばあちこちをかけずり回ってすぐに裏道なんか把握してくるだろう。
だが、いくらすぐに、と言ってもそれでも時間が全くかからないわけではない。
「いや、もう正面から行こう。時間の方が大事だ」
ユートは決断した。
どちらがよいのはユートには判断はつかない。
だからこその決断だ。
その決断は、もしかすればノーザンブリア王国がこの第三次南方戦争負けるかもしれない決断となるだろう。
本来ならば、こんな簡単に決断できることではなかっただろう。
もしかしたら負ける、などと考えれば、最終的に正しい答えには行き着いたという自負はあるが、それでも逡巡しただろう。
しかし、すっとこの決断が出来た――それは、気負ってはいないという証拠だった。
腹の底から笑いがこみ上げてきた。
「なあ、ゲルハルト」
「なんや、“兄弟”?」
「勝つか負けるかわからんけどな、もうすぐ王城なんだよな?」
ユートの、たがが外れたかのような哄笑と、そしてその後に軽く口からついて出た言葉に、ゲルハルトは訝しげな表情を見せた。
どう考えても厳しい局面であり、笑う局面でもなければ、勝つか負けるかわからない、などというのは戦場で指揮官が簡単に口に出していい言葉ではない。
それを聞いた配下の将兵は確実に不安に思い、士気を大きく下げる要因になるからだ。
それ故に、ゲルハルトは何事かと思った。
「なんや? どないしたんや?」
「いや、今大事なこと思い出した――ローランド王の名前すら知らなかった」
一瞬の間を置いて、ゲルハルトが笑い出した。
“兄弟”と言い合っているだけあって、ゲルハルトはその言葉の意味を全く誤解しなかった。
そう、意味はない。
だが、意味がない言葉が、ここで出てくる意味を、ゲルハルトは誤解しなかった。
そして、それはエリアも、レオナもそうだった。
「そういえば知らんかったな」
そう言いながら、ぽん、とユートの肩を一つたたく。
「まあどうせこの後すぐにわかるわ」
「だな」
「ねえ、ユート」
今度はエリアがユートに話しかける。
「あたしたちは自分たちの力だけでここまで来たわ。もしここで負けてすべてを失っても、あたしたちみんながいれば、それをもう一度出来ないわけはないでしょう? 今回たとえ駄目でも、またやり直せばいいだけのことよ」
そう、もし負ければ恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドだってどうなるかわからない。
でもユートには頼りがいのある仲間たちがいた。
ここにいる多くの仲間たち、そしてここにはいないが、後ろで戦っている仲間たち、遠くノーザンブリア王国西部で、今も冒険者として、傭人、狩人、護衛、探検家として依頼を遂行している仲間たち。
「あちきらはいつも通り、生き汚く戦うだけニャ。その結果が勝っても負けても大差はないニャ。ただ、勝ったらちょっとだけ楽できるだけ――だから、勝つにしろ負けるにしろあちきら冒険者はこうやって戦ったと見せつけるニャ」
「妖虎族の言う通りや。派手に行こうや」
「だな――」
ゲルハルトの言葉をユートが引き取る。
「俺たち冒険者は進む覚悟、退く勇気、どっちも持っている。あとは、ただ自然体に戦うだけだ」
ただただ、自然体に――ユートはそう思えたところで、また笑みがこぼれた。
笑いが止まらない。
この第三次南方戦争が始まって以来――いや、もしかしたらポロロッカ以来背負っていた、双肩の重みがいつのまにかなくなって、身が軽くなっていた。
ふと、背後を守ってくれているアドリアンや、エレルで恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドの留守を守ってくれているセリル、遙か北方にいてノーザンブリア王国と恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドの危機に奮闘してくれているだろジークリンデや、苦労を背負い込まされたはずのアーノルド、それにジミーに、レイフに、アンドレスに、多くの冒険者たちの顔が浮かんだ。
それはユートが守りたい者であり、そしてユートを支えてくれている頼もしい仲間だ――
妙に長い時間が過ぎたかのように感じたが、一瞬だった。
また、くすり、とユートは笑った。
周囲にいる餓狼族や妖虎族の者たちは最初こそ心配そうな表情で見守っていたが、いつの間にかユートたちのやりとりを聞いて安心したかのように笑っている。
「ユート、死んではならないのですよ」
アナは穏やかな笑みを浮かべていた。
ノーザンブリア王国先王トーマス王の忘れ形見であり、ユートの婚約者――彼女もまた、ユートのかけがえのない仲間だった。
「保証は出来ない。けど、努力はする」
「それでいいのです。では、行きましょう」
頷き、そしてアナがまるで先導するかのように進む。
「野郎ども! 敵の王都を行く。こんなわずかな軍勢で、はるばる王城を攻め、敵王を討ち取ろうなどというのは、後世に語り継がれる痛快ないくさだ。このようないくさに加勢できるは男児の誉れぞ!」
アルトゥルの蛮声に、野郎どもも、そうでない者も破顔してアナの後に続いた。
ユートたちの一団は静まりかえった街を征く。
ノーザンブリアの旗の下に、狐の耳を生やした王女と、人間の貴族と、冒険者と、獣人たち――まさに混沌の一団が。
出来るだけ堂々と、そして何よりも素早く。




