第231話 たとえそれが掠奪でも
「さすがにキツいな」
アドリアンが呻くように呟く。
エーデルシュタイン挺身隊は今、行軍途中にあった。
上陸地点よりローランド王国王都ローランディアは地図上ではおおよそ百キロだったが、それはとんでもない話だった。
ユートたちはとりあえず直線距離で測っていたが、山がちな地形はとうてい真っ直ぐ進ませてくれなかった。
「山を踏破するのは駄目かニャ?」
「方向を見失わないか?」
「あちきがいれば大丈夫ニャ」
レオナの山中における方向感覚が抜群なのはポロロッカにおける黄金獅子討伐の時に証明された事実だ。
だからレオナとそんな会話をしたあと、エーデルシュタイン挺身隊は山に入っていった。
だが、それが間違いだった。
確かにレオナ――というより妖虎族の一部の方向感覚は抜群であり、どちらに進めばいいかは簡単に把握して教えてくれる。
しかし、山の地形上、そちらに進めるかは別問題なのだ。
黄金獅子討伐の時は、詳細な地形はわからないにしろエレルの近くの山であり、死の山の時はレオナが勝手知ったる山だった。
しかし、今回に関しては誰も知らない未知の山なのだ。
真っ直ぐ進めると思って進んだところ、切り立った崖に阻まれる、迂回しようとしたら今度は谷に出くわしてしまう――そんなことが何度も重なれば精神的に疲弊していく。
「まだ俺たちはどうにかなるがよ、海兵の連中はきつそうだぞ」
ユートたち冒険者は詳細がわからない山で狩人として狩りをすることもないとはいえないし、そういう時はこうした経験をすることもある。
また、妖虎族や餓狼族は元より大森林育ちであり、山野で野営することは慣れている。
しかし、イエロ海兵隊長以下の西海艦隊西海艦隊臨時陸戦隊はそうではなかった。
そもそも船の上でハンモックで眠っている水兵連中は、寝袋で眠るのは初めて、というような状態であるし、士官たちにしても王立士官学校の共通課程で体験して以来、寝袋など使ったことはない、という者がほとんどだ。
道なき道を進み、進んだと思えば行き止まりだからと引き返し、夜は慣れぬ寝袋で、獣の立てる物音に怯えながら眠る――そんな生活は西海艦隊臨時陸戦隊の者たちの精神を苛んでいた。
「しかも、緊張してますしね」
「ああ――俺たちが船の上でそうだったように、あいつらにとってここは二重に未知の世界だからな」
それがどれだけきついのかは、船酔いに悩まされたユートにもよくわかっている。
とはいえ、解決する方法は思いつかなかった。
「あちきらが先行した方がいいかニャ?」
「マッピングを担当するってことか?」
「そうだニャ。それでルートを確定した上で本隊が動けば疲労は軽減出来るはずだニャ」
ユートは思案する。
手持ちの食糧も意外と乏しくなりつつあるし、何よりも山中で一千人以上の部隊が水を得るのは一苦労の状況だ。
沢筋を見つけて川から汲もうとしても、一千人分ともなれば数トンの水が必要であり、小さな沢では賄いきれないのだ。
「適当な野営地を見つけたら、そこで一度西海艦隊臨時陸戦隊を待たせるか」
それで西海艦隊臨時陸戦隊の連中は楽を出来るし、少し下がりつつある士気の低下もましになるだろう。
その分、レオナたち妖虎族の苦労は増すだろうが、そこは目を瞑るしかない。
「任されたニャ! 捜索大隊の名は伊達じゃないことを見せてやるニャ」
レオナは胸を叩いて請け負ってくれた。
翌日からレオナたちが動き回ってルートを把握してくるようになった。
これで安心して進めるようになったわけではあるが、二百人に満たない妖虎族たちの疲労は一気に高まった。
イエロ海兵隊長やその他の西海艦隊臨時陸戦隊の士官たちもなぜユートが行軍方法をそのように変更したかわかっているので、すまなそうな顔をしていた。
また、問題は他にも生じていた。
「食糧がちょっと足りないのよね」
難しい顔をして帳面を睨んでいたエリアがそう呟いた。
食糧は艦船にあった中から持ち出せるだけは持ち出してきている。
一応陸戦向きではない者を艦の保護――要するに敵が来た場合の自沈要員――として残してきており、その者たちの分を除いて担いでいた。
とはいえ、いくら屈強な兵士たちでも戦闘用の装備や、野営の道具と一緒に持てる分には限りがあった。
非常用の堅パン類を除けば、おおよそ五日分しかなく、既にここまでの行軍でその過半を使っていたのだ。
「残りの距離は直線で三十キロってところか……」
「せやけど雰囲気では山が深くなる方向やで」
ゲルハルトの言葉にユートも渋い顔をするしかない。
「魔物が狩れたらええねんけど、そうもいかんしな」
そう、ゲルハルトの言うとおり、なぜかこのローランド王国の山には魔物がいなかった。
王都の至近とはいえ、これだけ山深ければ普通は魔物がいると思っていたし、それらを狩れば食糧は補えると思っていたユートたちにとって、これは大きな誤算だった。
「一応、普通の獣は狩ってるけど、な」
魔物の方が基本的に生息する密度は高い。
理由は知らないが、狩人――いや、冒険者の全員はそれを経験則として知っている。
この為、普通の獣では腹を満たせない、という状態になっていた。
「魔物って意外とありがたいのね」
エリアがそんなわけのわからないことを言っていたが、ユートもこっそり同意はしたくなっていた。
少なくとも魔物を資源として見た場合には、美味しくて数が多い――そのかわり極端に凶暴で牧場で飼うような真似は出来ない――資源と言えるのだ。
「ぐずぐずしているよりも、海軍の連中はほっといて俺らだけで進むべきちゃうか?」
「でもさ、この山中に海軍の人たち放置したらそれこそ凍死するんじゃない? 凍死しなくても餓死しそうだし」
そろそろ冷え込む時期であり、特に標高が高い山の上にいる為に夜の気温は零下になりそうな天候だった。
しかも、海から決して遠くはない山の上なのだから、もう少し気温が下がれば確実に雪が降るだろう。
そんな中、野営にすら慣れていない西海艦隊臨時陸戦隊を山中に放置すれば遭難死する未来しか見えないのもエリアの言うとおりだった。
「強行突破しかあらへん、のか……」
ゲルハルトが呻くように呟いた。
流石に西海艦隊臨時陸戦隊を遭難死させるわけにはいかない、ということで行軍速度こそ上げたものの、そのまま進むしかなかった。
「少し遠回りになるけど、山を下りて平野に近いところを行くルートに変えたニャ。もう少しで開けてくるニャ」
レオナはそう言って励ましてくれたし、事実少しずつ山を下っているのはユートにもわかった。
それに何よりも一番かけずり回っているレオナの前では苦しい顔をするわけにはいかなかった。
その気持ちは西海艦隊臨時陸戦隊もそうだったらしく、減らした配給の中からも妖虎族の皆さまに、と食糧を余分に渡そうとする水兵たちもいたほどだった。
そういう意味では部隊の関係はよかったが、それだけのことだった。
部隊の関係がよいからといって、苦境が改善されるわけではない。
「ねえ、ユート。山を下ったところでどうにかして食糧を補給出来ないかしら?」
「……掠奪、するのか?」
エーデルシュタイン挺身隊――というよりもエーデルシュタイン伯爵領軍の大半はただの平民であり、しかも冒険者という、決して社会的な身分が高くはない者たちだ。
つまり、何かあれば掠奪する側ではなく、される側に回る可能性が戦った庶民であり、掠奪するなどと言い出せば反発する者は多いだろう。
「別に掠奪する必要はないでしょ。金貨は持ち込んでいるんだから、それで買い上げればいいのよ」
もちろん買い上げる、といっても強制的なものにはなるだろうが、そのくらいならば冒険者たちも許容してくれる限度か。
「問題は敵に発見される可能性が高いことやろうな」
「それはしょうがないわ。餓死するのと戦うの、どっちがいいって話だもん」
「まあせやねんけどな」
ローランディアにどのくらいの兵がいるかはわからない。
今回の第三次南方戦争が乾坤一擲の戦いとしても、常識的に考えてもぬけの殻ということはないだろう。
いくら餓狼族、妖虎族という一騎当千の兵がおり、冒険者という魔法を得意とする連中がいたとしても、たった一千そこそこで一国の王都を正面から陥落させるのは難しい。
どう考えても奇襲で王城を陥落させなければならず、それを考えると食糧の調達をするのは出来れば避けたかった。
とはいえ。背に腹はかえられない――
エーデルシュタイン挺身隊が山を抜け、おおよそ王都から二十キロそこそこの山村に出現したのは、十二月二十日の早朝のことだった。
すぐにグリンガム海尉心得を通訳にしたエリアが手配して食糧を購入に走る。
もちろん、断ることは出来ない購入だが、子供たちの泣き声が響き、大人たちは顔を強張らせて慈悲を乞うている中、代金で払っているとはいえ食糧を持っていくのはいい気分がすることではない。
「ユート、任しとき」
ゲルハルトはそんな中を自ら買って出て掠奪紛いの購入に当たってくれた。
元々、北方辺境領の村を襲っては掠奪を繰り返して餓狼族を養っていたゲルハルトは自分が一番手慣れていると買って出てくれたのだろう。
「ちゃんと金は払ってるねんから気にせんでええで」
そう笑いながら、ゲルハルトは必要な堅パンや小麦粉などを次々と“買い上げて”は各冒険者たちが持てる量に小分けしていく。
一部の者たちはその場で小麦粉を使って堅パンを作る。
王都まであとわずかなのだから、保存が利く粉よりも、すぐに食べられる堅パンの方がよっぽどいい。
「倍付けで払っといたわ。冬のまっただ中に食糧奪っちゃったから、ローランディア落としたら売りに行かせないとね」
エリアはそう言っていた。
当面の分は残しているからすぐに餓死することはないしし、後で商人なりを捕まえて売りに行かせれば、村には大きな被害はないだろう、というのがエリアの見立てだった。
“買い上げた”パンやら干し肉やらで腹ごしらえをした後は、村人たちからは道を聞き出した上で口止めする。
それがどれだけ有効かはわからない――ローランド王国の臣民たちの忠誠心なんかわかるわけもないが、それでもしないよりはましだろう。
「あと、十五キロ、か」
「日が暮れる前にはローランディアに着くわね」
ユートの言葉にエリアも頷く。
山中ではなかなか温かい料理を作る余裕もなくなっていたが、村ではちゃんと食事が出来たので単に空腹だけではなく、精神的にも満たされている。
「夜襲、仕掛けるのが一番かな?」
「だな」
どうにかしてローランディアの王城を落とすとなると、夜襲が一番だ、というのは周知の事実だった。
「まずは無灯火でレオナたちが城門を制圧、ゲルハルトと冒険者を中心に警備兵たちを制圧しながら王城へ、西海艦隊臨時陸戦隊は市中の警戒にあたる、って感じ?」
エリアの言葉にユートは頷く。
実際問題、兵力が限られれている今、取り得る選択は極めて少ないのだ。
正面から落とせないならば奇襲しかないし、奇襲を仕掛けるならレオナたち妖虎族の能力を目一杯活かした夜襲しかない。
「まあ、どうにかなるわよ」
楽観的な言葉にユートは笑った。
冬の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、王都ローランディアが見えてきた時には既に薄暮だった。
「いよいよ、王都まで来たわね」
「おう、ユート、絶対落とすぞ」
「まあ大丈夫やろ。緊張感あらへんし」
エリアたちがそんな感想を漏らした時、不意に悲鳴のような声が上がった。
気付かれたか、と思った――それはある意味正しかった。
「後ろに敵兵だニャ!」
レオナの声だった。
「海軍の連中でどないか出来るんか!?」
最後尾をいく西海艦隊臨時陸戦隊は、指揮官であるイエロ海兵隊長にこそ陸戦経験は豊富とはいえ、大多数は陸戦は初めてという面々であり、しかも本来ならば教範にはない薄暮の戦いだ。
「というか、誘い込まれた!?」
「それはないと思うニャ! もし誘い込むなら王都に攻めかかる時まで待っているはずニャ」
一度攻めかかってしまえば騎虎の勢い、そう簡単に兵を引けないし、背後を襲われた時の対処はより難しくなっていたはずだった。
「アドリアンさん!」
「わかった。海軍の連中が戦列組んでいやがるから、そこで受け止めさせて敵の側面を冒険者たちで奇襲する!」
アドリアンはそういうとエーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊を転回させ、側面に回り込もうと動き出した。
恐らく槍を中心とした西海艦隊臨時陸戦隊の戦列で敵の初撃は防ぎきれると判断したようだった。
「ユート、あたしたちは城に向かうわよ!」
エリアがそう叫ぶ。
既にレオナはエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊を率いて飛び出している。
第三次南方戦争最後の戦いが始まろうとしていた。




