第229話 残り、一〇〇キロ
昨日の更新分が上手く投稿できていなかったようです。本日2話更新になります。
「ふむ、どうしますかね?」
ウェルズリー伯爵の声が響いた。
クリフォード城の近くに設けられた野戦司令部であり、そこにはウェルズリー伯爵とカニンガム副官以下の総軍司令部要員の他、近衛軍司令官のアーネスト前宮内卿、第三軍の事実上の指揮官となった先代カニンガム伯爵もいた。
要するに、今ここにクリフォード城の外でシルボー方面にローランド王国軍を進ませない為に編成された防衛部隊の指揮官が全て揃っていた。
なぜ彼らが揃っているのか、といえば、重大な報がもたらされたからだった。
「まさか先代クリフォード侯爵が行方不明とは……」
殿軍を担ったクリフォード侯爵領軍は騎兵の追撃と猛獣の夜襲こそ先代クリフォード侯爵の機転でしのいだものの、次の朝から更に追撃を受け、更にはまたも猛獣の強襲を受けて、その半数近くを失いながら這々の体でクリフォード城に逃げ込んだ。
しかし、その過程で管制地雷を以て猛獣と渡り合った先代クリフォード侯爵は行方不明、次席指揮官たる重臣のジャスパー・ジェファーソンがどうにか兵を纏めてクリフォード城に入城したという報告がもたらされたのだ。
「総軍司令官閣下、クリフォード城は大丈夫ですかな?」
アーネスト前宮内卿が心配そうに聞いた。
クリフォード城で敵を引きつけ、もしクリフォード城を無視してウェルズリー伯爵たちの防衛線に仕掛ければクリフォード侯爵領軍が側背を突く、クリフォード城に全力で襲いかかれば第一軍以下がやはり側背を突く、という形での持久を目論んでいたのだ。
しかし、それはいくさ上手の先代クリフォード侯爵がクリフォード城にあって籠城するということが前提になっており、先代クリフォード侯爵の行方不明は戦略構想に大きなマイナスとなりかねないとアーネスト前宮内卿は危惧していたのだ。
「ともかくジェファーソンが無事だったので大丈夫、と思います。彼は先代クリフォード侯爵の薫陶を最も受けた軍人ですから」
「あの先代クリフォード侯爵閣下の教え子ならばまだ信頼出来そうですが……」
「大丈夫です。ロドニーも安心して任せるでしょう」
アーネスト前宮内卿はロドニーがジェファーソンに任せるか危惧しているようだったが、ロドニーからすれば父親の行方不明は痛恨事にしろ、ジェファーソンだけでも還ってきてくれてほっとしているだろう。
内政の手腕はともかくとして、こと軍事的な才能はない人物であり、同時にそれをわかって優秀な部下に丸投げ出来るだけの度量のある人物でもあることは、生まれた頃からロドニーを知っているウェルズリー伯爵には容易に想像がついた。
「では予定通りにするかの?」
椅子に背を丸めて座り込んでいた先代カニンガム伯爵が、億劫そうにそう言った。
「もちろんですね。アーネスト前宮内卿、腕の見せ所ですよ」
今回の場合、戦闘正面そのものは決して広くはない。
クリフォード城とその周辺をうかつに通れば、クリフォード侯爵領軍の横撃を受ける危険性があるので、ローランド王国軍の予想針路が限定されるからだ。
そうなると、重装甲でかつ全員が法兵という重火力を持ち、一方で機動力の低い装甲騎兵の出番となる可能性が高かった。
「勿論ですな。やってみせましょう」
アーネスト前宮内卿はエーデルシュタイン伯爵領軍の猟兵戦術という新戦術を認めていないわけではなかったが、それを騎士道に照らし合わせて好意的に見ているわけでもなかった。
いよいよ騎士らしい、旌旗堂々押し立てたいくさが出来る、と喜んでいた。
「大変だな」
アーノルドは道なき道を歩きながらそう呟いた。
既に五十の声を聞いているにしては肉体は若かったが、酷使された身体は一晩の休息で疲労を回復してくれない。
周囲にいる冒険者や兵たちはいずれも二十代の者が大半であり、アーノルドにとって、疲れを知らないその若さが羨ましかった。
「アーノルドのおやっさん、そんな調子じゃ先が思いやられますぜ」
そういったのはレイフだった。
レイフ、それにジミーは本来ならばアドリアンの片腕として、ユートの指揮下に入るはずだったが、これまでユートの側近くにあって猟兵の扱い方を見てきたとはいえ、指揮する経験は皆無のアーノルドが頼み込んで指揮下に入ってもらったのだ。
「わかっておる。これでも若い頃は二晩三晩寝ずに戦闘したこともあるのだ。大丈夫だ」
そう胸を張るが、二十年三十年も前の経験談を持ち出されてもジミーは苦笑いをするしかない。
「それにしても冒険者というものはすごいものだな」
アーノルドは素直に感心している。
アーノルド支隊と名付けられた部隊の大多数は冒険者で占められていたが、既にアストゥリアス山脈にさしかかっている。
ノーザンブリア王国軍では魔物の多いこのアストゥリアス山脈を軍が踏破することは不可能であると考え、東西アストゥリアスに城塞を築いて南の守りとしていた。
それを先代クリフォード侯爵が撤退時に踏破したのは驚異的な出来事であったが、それも敗残の部隊であり、戦いのことを考えなくていい、という前提だからという見方がノーザンブリア王国軍の士官たちでは一般的だった。
だが、冒険者たちはその常識に真っ向から逆らっていた。
険峻な山脈とともに、軍の踏破を阻んでいた魔物たち――特に手強いや魔猪や魔鹿などは狩人たちの手によって狩られ、食糧となっている。
アーノルドはジミーやレイフに準備の内容を言われた時、明らかに兵糧が少なすぎると思ったのだが、こうして現地調達すればよいのか、と驚いていた。
「何を驚いているんですかい? おやっさんだってあの死の山を超えたんでしょう」
レイフはそう笑う。
確かに王位継承戦争の折、アーノルドはユートたちとともに西方首府レビデムから北方首府ペトラへの旅をやっている。
レイフの目には死の山越えに比べればアストゥリアス山脈の方が劣るように映るのかもしれなかったが、それでもあの時は数人の少人数、今回は一個の部隊と考えると全く違う、と軍人の常識が語っていた。
「山越えはいいんですけどね、問題は山越えした後ですよ。そっから先は自分らは軍人でもなんでもないからわかりませんぜ」
「おや、ユート様と一緒に戦っていたからわかるだろう?」
「総裁と一緒に戦ったからって総裁の考えてることがわかるわけないですぜ。というか、そんな簡単にあんな英雄になれるわけないでしょ」
「それもそうだな」
「正直、ユートの旦那は頭がおかしいとすら思いますぜ。数年前まで傭人だ、狩人稼業について教えてくれって言ってたのに、気付けばエーデルシュタイン伯爵様、しかもお姫様を嫁さんにしちまってる。物語の中の英雄ですらもっと慎み深いってもんですわ」
あけすけなレイフの言葉にアーノルドは大笑いしていた。
ユートのことを人外の何かのようにいいながら、冒険者から出た不世出の男に対する尊敬と、そして同じ冒険者としての誇りを持っているのが伝わってきたからだ。
「まあユート様には散々な目に遭わされたからな」
「へぇ、アーノルドのおやっさんですらそうなんですかい?」
「ああ、そのかわり、猟兵として常に戦うという得難い経験もさせてもらったよ。王立士官学校で学び、猟兵として戦ったことがあるのは王国広しといえども私だけだ。お陰でしがない馬商人の倅が今や王国屈指の大貴族エーデルシュタイン伯爵家の一の重臣、しかも王国軍に戻ってくるならば、軍務卿の一つ下くらいの立場にしてやるとすら言われておる」
「ははは、馬商人の息子がほぼ大臣様ってのも中々ない話ですね。そいつぁいい。エーデルシュタイン伯爵に勝るとも劣らない立身出世譚だ」
レイフもまた大笑いしていた。
「まあそうやってアーノルドのおやっさんが得てきたものを信用しますぜ。山越えはあっしらの仕事として、そこから先はおやっさんの仕事です」
「ああ、わかっている」
そう、このアストゥリアス山脈を踏破した後、どこを拠点にして、どこでローランド王国軍の兵站線を破壊するのか――
それはアーノルドの仕事だった。
もっとも、既に先代クリフォード侯爵から南方植民地の中でも狙いやすそうなところは聞いているし、地形を見ればそのくらい把握出来る経験値はあるつもりであり、そこまで気負うものではない。
そして、アーノルド支隊の冒険者や兵たちもそうした泰然としたアーノルドの姿勢を信頼していた。
アーノルド支隊は意気軒昂に、アストゥリアス山脈を踏破していっていた。
「さて、ここからどうしようか」
一週間ぶりの大地を踏みしめながら、ユートがぽつりと呟いていた。
あの敵艦隊の襲撃の直後、主隊は海岸沿いに進み、座礁する船が出た。
天測で現在の緯度経度はおおよそわかるものの、精密な海図がない為に起きたことだった。
潮流もわからず、暗礁もわからない状況で長く航海を続けるのは危険、と判断し、ユートは上陸を命じたのだった。
恐らく、と言いながらあの海尉心得――グリンガムという名らしい――が示してくれたのはローランド王国ローランディアからおおよそ百キロ離れたあたりの海岸だった。
その天測によって得た緯度経度は正しいにしろ、その地図が完全に正確とは言い難い。
ノーザンブリア王国は、第三次南方戦争前には一応ローランド王国と交易していたが、それも低調であったからローランド王国の隅々まで人が入り込んでいたわけではない。
まして地形を把握しようなどとすれば、ローランド王国の兵が飛んできただろうから、数百年前のものに、商人たちの頼りなげな証言を組み合わせた地図がユートに与えられた一番精密な地図となっているせいだ。
「百キロは遠いわね」
「徒歩だと二日でどうにかいけないか?」
「そりゃ街道や宿場が整備された王国内なら行けるわよ。でもここはローランド王国よ。ノーザンブリアよりも貴族の力が強い分、街道は整備されてないっていうし、そもそも堂々と野営出来る立場じゃないでしょ」
エリアの言葉はもっともだ。
しかもこのままだとイエロ海兵隊長たち海軍の兵もいる。
陽動といっていたが、それはあくまで当初の計画の話であり、現状だと分離するべきかは悩みどころだが、一緒に連れて行けば海軍軍人など陸上ではまさに陸に上がった河童――特に野営やらのあたりでは何の役にも立たないかもしれない。
「やっぱりイエロさんたちも一緒に行くように変えた方がいいかな?」
「俺はそう思うぞ」
アドリアンがいう。
「これだけ離れたところに上陸したんだ。行軍距離が伸びるんだから、敵と遭遇する可能性も高くなる。奇襲ならばあいつらは足手まといだが、正面切っての戦闘になれば数は意味を持つだろう?」
「確かにそれはそうですね」
「ユート、それだけやないと思うで」
今度はゲルハルトも賛意を示す。
「俺らの中でローランド語しゃべれるん、ユートだけやろ? 餓狼族はローランド語なんか見たことも聞いたこともあらへん」
「妖虎族も同じニャ」
「それやったら、もし戦いになって捕虜取って尋問するにしろ、そこら辺の奴脅して道を聞くにしろ全部ユートがやらなあかんやろ。前の計画やったらそんな必要なかったやろうけど、今回は行程長いから必要出てきそうやし、それやったらローランド語を話せる奴がいるんとちゃうか?」
ユートの仲間である冒険者たちはその南方から遠く離れた、西方や北方の生まれだから、間違いなくローランド語を解するのはユートだけだろう。
確かに尋問から何から全てユート一人でこなすなどというのは不可能に近い。
王立士官学校で教える学問の中には、当然外国語としてのローランド語もあるし、そうでなくとも貴族出身の士官ならば教養としてローランド語を身に付けている。
その点でも海軍の陸戦要員たちの同行は必要と言えた。
念のため、イエロ海兵隊長にも聞いてみると、イエロ海兵隊長もまた作戦の変更には賛成だった。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、西海艦隊臨時陸戦隊八百名、揃ったとのことです」
連絡将校となったグリンガム海尉心得がそう告げる。
本来ならばユートの補佐をするのはイエロ海兵隊長だったのだろうが、イエロ海兵隊長にも海兵隊長として特設陸戦隊を統括する仕事がある。
かわりに派遣されたのが、面識もあるグリンガム海尉心得だったが、この機転の利く若い士官にユートは何も不満もなかった。
「ユート、こっちもいけるぞ」
アドリアンが冒険者たちの準備も整ったことを告げると、ユートはさも余裕があるように、鷹揚に頷く。
「よし、エーデルシュタイン伯爵ユート以下――そうだな、エーデルシュタイン挺身隊はこれよりローランド王国王都ローランディアを陥落させる。進め!」
当たり前のようにそう告げるユートに、冒険者も海軍陸戦隊も余分な力が抜けたようだった。
少しばかり軽くなった足音を響かせ、ユートが今名付けたばかりのエーデルシュタイン挺身隊が進み始めた。
王都ローランディアまで、あと百キロだった。




