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異世界ギルド創始譚  作者: イワタニ
第八章 最終決戦編
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第226話 我に続け

 この撤退戦において戦端が開かれたのは、大方の予想通り、殿軍(しんがり)を務めながら撤退しようとするクリフォード侯爵領軍と、追いすがろうとするローランド王国軍の間のことだった。


「ふん、来たか」


 先代クリフォード侯爵は鼻で笑うようにそう呟くと、すぐに命じた。


「管制地雷の起爆を行え!」


 先代クリフォード侯爵の命に従って、管制地雷の起爆スイッチが入れられる。

 数瞬後、次々と起きる爆音――そして阿鼻叫喚の悲鳴までが先代クリフォード侯爵の耳には聞こえた気がした。


「ふむ、上手くいったようだな」

「ですな」


 クリフォード侯爵家の重臣にして先代クリフォード侯爵の右腕とも言うべきジェファーソンがそう答えた。

 四十がらみのこの男は、先立っての戦いで負った手傷はまだ治ったわけではない。

 しかし、クリフォード侯爵家の、そしてノーザンブリア王国の命運を賭けた一戦と聞き、無理をして復帰したのだ。


「奴らの装甲兵は、我らの装甲騎兵よりもなお鈍重だ。追撃戦のような機動力が必要な戦いには最も不向きな兵種ゆえに先頭に押し立てることは出来まい」


 だからこそ、最初に管制地雷を見せておけば、追撃の手が緩むかもしれない、と先代クリフォード侯爵は踏んでいた。


「それは間違いありませんが……」


 ジェファーソンは近衛装甲騎兵を鈍重と口走った主君に、いささかの危うさを感じているようだった。

 近衛装甲騎兵――というよりも近衛軍は直接の権力を持つわけではないが、ノーザンブリア王室の私兵であり、臣民からは陛下の直臣として尊敬を受けている存在である。


「構わん。あいつらは間違いなく鈍重だ――前はそうは思っていなかったのだが、今となっては、な」


 先代クリフォード侯爵はそれだけ言うと反論を許さぬ、という姿勢で瞑目した。

 ここ数年――王位継承戦争以後、いくさというものは大きく様変わりしていた。

 そしてそれをもたらしたのは、今まさに決死的な任務に就いているエーデルシュタイン伯爵ユートであり、ユートのもたらした猟兵戦術は戦場における流動性を高めた。

 だからこそ、それまでは気にならなかった近衛装甲騎兵の鈍重さが特に際立って見えているのだ。


 恐らく主君の胸の内を、ジェファーソンも察したのだろう。


先代クリフォード侯爵(御屋形様)――」

「もうただの隠居だ」


 ジェファーソンは何か言おうとして、先代クリフォード侯爵にぴしゃりとそう言われると、それ以上何も言おうとはしなかった。

 だが、ジェファーソンには、その先代クリフォード侯爵の言葉は、単にクリフォード侯爵家の隠居、先代という意味ではなく、先代クリフォード侯爵がまるで俺は時代遅れだ、と自分のことを自嘲しているように聞こえた。



 その間にもクリフォード侯爵領軍とローランド王国軍の追撃は続く。

 しかし、初撃で管制地雷によって多大な損害を出したこともあって、ローランド王国軍の追撃の足はそこまで鋭いものとはならなかった。

 また、機動力の高い騎兵が追撃の中心となっていたが、ローランド騎兵と比べてクリフォード侯爵領軍の騎兵の技量は卓抜しており、数的劣勢でありながらもこれをあしらっていた。


「ローランド王国軍、さほどのものではないですな」


 そのローランド王国軍に手傷を負わされているのだが、それゆえの悔しさもあってだろう。

 クリフォード侯爵領軍のジェファーソンがそう笑った。


ジェファーソン(ジャスパー)、油断するな。あいつらがまだ出てきておらん」


 先代クリフォード侯爵は厳しい顔つきのまま、視線を戦場から逸らさない。

 あいつら、というのは間違いなくルーテル伯マクシム率いる兵のことだろう。

 ローランド王国の名の知れた武人であり、あの夜襲部隊を率いたルーテル伯のことを、先代クリフォード侯爵は決して侮ってはいなかった。


「そこまで、なのですか?」

「間違いない。ユート卿ほどではないにしろ、奴もまた常識を変える戦術家かもしれん」


 その先代クリフォード侯爵の評価に、ジェファーソンはそれ以上何も言わなかった。



 そのルーテル伯の黒衣の軍勢は、まだ動いていなかった。

 先代クリフォード侯爵はもしルーテル伯の軍勢がくればすぐに報告するよう厳命していたが、その報告は見られない。


「妙だな」

「夜襲部隊ですから、このような昼間の戦いには出てこないのでは?」


 先代クリフォード侯爵の言葉に、ジェファーソンは当たり障りなく返す。


「そうかもしれんが……それならば撤退中に夜襲を仕掛けられるかもしれんな」


 撤退中は夜間といえども行軍しなければならない。

 相手が嵩にかかってくる撤退戦であれば、果断な騎兵指揮官が一人でもいえば、夜間行軍を厭わず追撃を仕掛ける可能性は高いし、そうなれば簡単に追いつかれてしまう。

 朝起きたら敵に包囲されていた、などというのは洒落にならないから、夜を徹して行軍する必要があるが、当然それは散漫な集中力の元に行軍することになる。

 そこをあのルーテル勢に襲われればひとたまりもないだろう。


「しかし、それはやむを得ない犠牲ではないでしょうか」


 ジェファーソンの言葉は冷たいようだが、仕方の無い話でもある。


 そもそも大隊以上の夜襲などというものはノーザンブリア王国軍においては図上演習ですらまず見ることのない、王立士官学校の教範の片隅にすら記載されていない概念だ。

 もちろん、ノーザンブリア王国草創期にはそうした夜襲を行うこともないわけではなかった。

 しかし、多数の兵を運用することが当たり前となっている今日のノーザンブリア王国軍における夜襲は、中隊長以上の指揮官が部隊の掌握が困難となり、相互に連携した戦闘が不可能であり、却って危険を招くだけの戦術と認識されていた。

 こうした考えから、教範では小規模な部隊による夜襲というものは想定されているが、それは兵の数に頼んで宿営地の警戒を厳にしておけば混乱を招くようなものではない、とされていた。


 であるから、撤退中に大規模な夜襲を受けた場合、などというのはノーザンブリア王国軍の戦術の埒外であり、ジェファーソンの言うように犠牲を覚悟で突っ切るしかない、という話だったのだ。


「仕方あるまいか」


 先代クリフォード侯爵もそれ以上何か言うことは出来ない。

 有能な軍官僚でもある先代クリフォード侯爵に今少しばかりの時間が与えられていれば、普遍的な戦術を編み出したかもしれない。

 しかし、今はそんな時間は先代クリフォード侯爵にはなく、それゆえに諦めるしかなかった。



 先代クリフォード侯爵とジェファーソンがそんな話をしている間にも殿軍(しんがり)は続く。

 一度は追撃の足が鈍ったローランド王国軍だったが、すぐにこれ以上の管制地雷はないと判断して騎兵が追撃を再開した。

 こうした果断さは騎兵指揮官特有のものであり、そしてそれは自身もまた騎将である先代クリフォード侯爵も承知していた。


「よし、戦列を組め」


 敵の騎兵が迫ると知って、行軍隊形からすぐに戦列を構成させる。


「管制地雷を使いますか?」


 ジェファーソンが即座に聞く。

 ティムサ川の陣地線を捨てる時に使った管制地雷はユートから譲り受けたおおよそ半分であり、残り半分は撤退中に必要に応じて使う為に運ばせている。

 もし使うならば敵に追いつかれるまでに敷設しなければならないのでジェファーソンは急いで訊ねたのだ。


「いらん。管制地雷を使うまでもない。法兵掩護下で徹底的に破るぞ」


 見通しの悪いところを選んでは歩兵に戦列を組ませて槍衾を構成させ、その後ろから法兵で叩くだけだ。

 歩兵に向けて襲歩(ギャロップ)で突撃態勢に入った騎兵の破壊力は恐ろしいものであるが、法兵の火球(ファイア・ボール)水球(ウォーター・ボール)土弾(アース・バレット)で追い散らして梯団を崩してからならば決して怖いものではない。

 単騎となった騎兵は、転回しようにも周囲の奔馬が邪魔となって転回出来ず、そのままバラバラに襲歩(ギャロップ)を続けるしかなかった。

 運が良いものでどうにか歩兵の戦列に当たらずに戦術的には意味の無い騎行を続けることとなったが、運が悪い騎兵は複数の歩兵が繰り出す槍の前に抵抗出来ず、馬上で、あるいは落馬後に止めを刺される。

 また、最も運が悪い騎兵は、魔法の直撃を受けて、あるいは周囲の騎兵と接触して落馬し、味方の馬蹄にかかってその人生を終えることになった。


「無惨だな」

「結局のところ、歩兵、騎兵、法兵の協同なき戦いなどはこういうものでしょう」


 もちろんそんなことは軍人と名乗るものならば誰でも知っている戦術の基礎だ。

 にも関わらず、ローランド王国軍が騎兵のみで追撃してきたのは、犠牲を覚悟してでもノーザンブリア王国軍を逃したくないという面と、勝ちいくさと気が逸っている面があるに違いなかった。

 前者は追撃が上手くいかなければ焦りを招き、後者は思わぬ反撃を受ければ気勢を削がれることになるのだから、先代クリフォード侯爵としてはいい傾向ではないかと思っている。

 そして、今はちょうどその後者――つまり気勢を削ぐことには成功したと判断し、殿軍(しんがり)はうまくいっていると考えていた。




「それにしても、こうも夜襲の備えをするとなると落ち着きませんな」


 馬上で行軍しながらジェファーソンがそんなことを呟いていた。

 先代クリフォード侯爵もそれには同意見だが、まさか指揮官がそれを言うわけにはいかないと思っている。

 ジェファーソンもそれは承知しているらしく、小声で先代クリフォード侯爵にだけ聞こえるように言っていた。

 苦笑いしようとした時、先代クリフォード侯爵は妙な感覚に苛まされた。


ジェファーソン(ジャスパー)、何か……」


 そう先代クリフォード侯爵が言いかけた時、馬は一ついなないた。


先代クリフォード侯爵(先代様)?」

「馬が、何か落ち着かん」


 先代クリフォード侯爵は確信を持ってそう言い切った。

 この心粟立つような感覚は、若い頃からその身を置いていた戦場で何度も味わったことのある感覚だった。

 それを、先代クリフォード侯爵は親友アーノルドからこう聞いたことがある――馬が教えてくれる、と。


ジェファーソン(ジャスパー)、備えを厳にせよ」


 そう言った時、後陣から悲鳴が上がった。


「猛獣だ! 猛獣が来たぞ!」


 怯えに支配されたその声に、先代クリフォード侯爵はしまった、と強く思った。

 確かに夜襲――しかし、夜襲部隊ではなく、猛獣だった。

 先代クリフォード侯爵はその猛獣の生態については全く知らなかったが、一般的には夜間行動する獣の類は多いのだから、恐らく夜闇を意に介せず行動出来るのだろう。

 あるいは蛮族ゆえの、何か特別な力でもあるのかもしれなかったが、もはやそれはどちらでもよかった。


「くそ、そういえばユート卿があの猛獣使いを始末されてから随分と時間が経った。その間に敵が再建せぬわけがないのだ」


 ルーテル伯の夜襲部隊に気を取られていて、南方蛮族の猛獣使いたちをすっかり忘れていたのは自分の落ち度、と先代クリフォード侯爵はほぞをかむ思いだった。


「騎兵で――」


 そう言って手綱を握りしめたが、愛馬の反応は少し違っているように感じた――いや、野性の本能で猛獣が迫っていることに怯えているのだろう。

 先代クリフォード侯爵は愛馬のたてがみを一つ撫でてやると、さっと馬を下りた。


先代クリフォード侯爵(先代様)!?」

ジェファーソン(ジャスパー)、下りろ。馬上では馬が怯えてはいくさにならん。下馬戦闘だ」


 わずかな愛馬の違いを読み取れたのは、先代クリフォード侯爵が何よりも馬を愛していたからだったのか、それとも長年の経験の賜だったのかはわからない。

 いずれにしても先代クリフォード侯爵が気付いていなければ、恐らく先代クリフォード侯爵もジェファーソンも猛獣を前に棹立ちとなった馬から振り落とされ、無惨な死を遂げていただろう。


「キャットニップやシルバーヴァインはあるか?」

「残念ながら……不要不急のものは輜重段列に預けて下げております」


 先代クリフォード侯爵は唇を噛みしめた。

 結局のところ、猛獣使いを忘れていた己が失策が全てだ、という後悔しかなかった。


「やむを得ん。最後の手段だ」


 先代クリフォード侯爵はそう呟くように、そして自分に言い聞かせるように言った。


ジェファーソン(ジャスパー)、管制地雷のコードを最も短いものに付け替えろ」

「は?」

「早くしろ!」


 呆けたような声を上げたジェファーソンだったが、先代クリフォード侯爵の剣幕に弾かれたように動き出した。

 部下たちを怒鳴りつけて、即座に管制地雷のコードを最も短いものに付け替えていく。


「管制地雷を担げ!」


 先代クリフォード侯爵はそう命じるや否や、自身もまた手近の管制地雷を担ぎ上げようとする。


「いいか、猛獣が来たら投擲するのだ! そして安全なところまで投擲出来れば起爆せよ!」


 先代クリフォード侯爵はそれだけ言うと、管制地雷を担ぎ上げ、同時に自ら起爆スイッチを持ち、そして周囲のクリフォード侯爵領軍の兵を見回した。


「今から指揮官先頭の原則に則り、敵猛獣集団に対して突撃に移る。指揮官の攻撃を手本とせよ! 我に、続け!」


 大音声と共に、先代クリフォード侯爵が走り出す。


 混乱する味方を掻き分けるようにして、野性のままに狂奔する猛獣たちに迫る。

 逃げ遅れた将兵が持っていた松明がいくつか落ちていて照明がわりとなり、少しだけ状況が把握出来る。

 猛獣使いの蛮族たちも、まさか猛獣をけしかけて夜襲を仕掛けたのに、それに生身で逆襲しようという者がいるというのは想像の埒外だったらしく、慌てふためいているのがわかった。


「投擲! 今!」


 絶叫するように命じ、そして管制地雷を投擲する。

 先代クリフォード侯爵の投擲した管制地雷は、狙いを過たず猛獣の頭上を通過する――その瞬間に起爆スイッチを入れる。


 なんとも言えない、猛獣とも人ともわからぬ悲鳴が上がった。


 だが、これは先代クリフォード侯爵の運の良さによるところが大きい戦果だった。

 そもそも訓練もしていない投擲――しかも神銀(オリハルコン)魔銀(ミスリル)の重量物の投擲――はそう簡単な作業ではない。

 先代クリフォード侯爵が上手くいったのも、結局のところは八分の運と、二分の高揚しきった精神によるものであり、大多数の兵たちの投擲は、よくて手前に落とし、危うく味方を巻き添えにするようなものだった。


 そして、もっと運が悪い者は、距離感を掴めずに猛獣の間合いに踏み込んでしまい、その鋭い牙、堅い爪で切り裂かれた。

 だが、そうしたものの中には、死なば諸共と管制地雷を起爆する者もいたようであり、猛獣を巻き込んで爆発が起きた。


 爆音と、絶叫と、彷徨と、血しぶきが、混沌をもたらしていた。


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