第023話 進むべきか、退くべきか
翌日から再び暇な毎日が始まった。
とはいえ、レオナとセリルは前日の会談で、ほとんどしゃべらなかったのに疲れ切っており、宿でゆっくりとするしかなかった。
そして、五日後、二度目の護衛となった。
「今回はルーカスさんがいないから気を引き締めて行こう!」
すっかりリーダーが板に付いてきたユートはそう言って出発の言葉とする。
「先頭はエリア、続いてレオナ、俺、セリルさん、アドリアンさんでいくぞ」
「俺は最後尾か?」
「頼みますよ。接敵の確率は高いから俺は前に行くことが多くなるし、もしその時に挟み撃ちにされたら前を叩くまで粘って下さい」
「ああ、わかった」
アドリアンは頼りにされている、と顔をほころばせる。
「そういえば年末年始はちょうどエレルで過ごせるな」
「あら、年末年始って何か特別なことするの?」
「こっちではしないんだ」
「ニホンじゃ何かやるのね。じゃああたしたちもやるわよ!」
「あ、楽しそうだから私も参加するわ」
「あちきも参加するニャ!」
「俺も勿論参加するぞ」
「そんな楽しいもんじゃないんだが……」
「まあいいじゃない。知らない文化を味わうって大事よ!?」
そんな他愛ない会話をしながら始まった護衛だったが、レビデムを出たあたりでいきなり襲撃され、その後も次々と襲われた。
もっとも、魔物の群れは小規模であり、損害も大きな怪我もなくやり過ごすことは出来ている。
「とはいえ、困りましたね……」
昼過ぎになって昼食を摂りながら隊商のリーダーであるマシューがそう言った。
度重なる魔物の襲撃を受け、その度に隊商が停止するのでいつもよりも行程が遅れているのだ。
「停止せずに魔物の群れを突っ切るのてどうですか?」
「護衛のリーダーとしては賛成出来ません。多少の損害を覚悟する場面とも思えませんし」
「ですよねぇ……ちなみに宿場以外での野営はどうお考えですか?」
「どうしようもなくなったらやりますけど、よっぽど広いところでもない限り、馬車の配置の問題で襲撃されたら後手に回ると思います」
まったく儘ならぬものだ、と二人して頭を抱えた。
「多少危険を冒してでも夕闇の中で進むのがベスト、でしょうか」
「一番リスクは少ないんじゃないですかね」
「わかりました」
結局、普段はやらない夕闇の中を突っ切ることにする。
御者たちも馬に鞭を入れ、出来るだけのスピードを保ってどうにか夜には宿場町へたどり着くことが出来た。
その代償として馬は疲れ切っており、このまま翌日も進めるのか、不安を残すことになった。
翌日、朝市が終わったと同時に出発した。
本当ならばもっと馬を休ませてやりたかったが、出発が遅れてまた夕闇の中を移動することになれば、よけいにリスクは高まる。
だから、疲れが残っていても、馬に無理をさせる方が安全と踏んで出来るだけ早い時刻に出発したのだ。
何度かの襲撃でレオナやエリアも怪我してしまい、火治癒で止血することになった。
幸いなことに火治癒ではどうにもならないほどの怪我ではなかったので戦い続けられたが、ユートは危うさを感じざるを得なかった。
「ルーカスさん一人抜けただけでこんな苦労することになるとはな……」
野営の時にそんな愚痴を漏らすと、エリアも頷いた。
「魔物の数も明らかに増えているわ」
「あちきもレビデムの近くでここまで多いのは見たことないニャ」
エリアとレオナに言われるまでもなく、ユートも魔物の多さは感じていた。
だからユートが悩むのはそこではない。
「撤退、するべきか……」
「それはお前に任せる。俺たちが言い争っても益はないからな」
ばっさり切り捨てるようなアドリアンの言葉。
だが、ぶっきらぼうなその言葉の裏には、ユートへの信頼があるのだろう。
「頼むぜ、我らがリーダー」
「ま、ユートが引くって言うならあたしは何も言わないわ」
「まだ進めるとは思うし、マシューさんも現時点で撤退は同意しないと思うからともかく明日は進もう」
「わかったニャ」
「ちょっと配置は変えて欲しいわ。魔物が増えるところに突っ込んでいく、となるとあたしの盾の技術じゃちょっと厳しいし」
「アドリアンさん、かわってもらってもいいですか?」
「ああ、構わんぞ。こっちは余り戦ってないしな」
アドリアンの減らず口が空しく響くような沈鬱な空気が支配する中、先頭と最後尾の入れ替えを決定すると、隊商で用意された簡単な夕食を食べて一時の眠りに就く。
翌日もあまり状況は改善されなかった。
魔物と遭遇する回数は減ったものの、一度に遭遇する魔物の数は増える一方だった。
一度など、アドリアンが十匹近い魔狐に囲まれるような場面もあり、大盾で上手くいなせるアドリアンだからこそ破られはしなかったが、ユートからすれば冷や汗の流れる局面だった。
(撤退するべき局面かも知れないな)
ユートはそう思い、その夜にマシューとの会談を持った。
「撤退、ですか……」
ユートの提案を聞いたマシューは不満げな表情でそう言った。
マシューからすれば戦いの素人であるが故に、危険度を測ることは出来ず、結果だけで見るしかなかった。。
つまり、ユートたちが大怪我もせずに戦っているのを見ると、まだいけるのではないかと思ってしまうのだ。
勿論、安全に関する最終決定権はユートの側にあるのだが、だからといってマシューに発言権がないわけではない。
「出来れば私は進みたく思います。今回持ってきた商品が惜しいというのもありますが、商品の中には貴重な薬草、それに塩などもあります。もしエレルが魔物に襲われているのであれば、薬草などは重要でしょう」
「困難とは思いますが……」
「もし駄目だと思われたらその時点で引き返すのでも構いません。ただ、先行する隊商が引き揚げてきている様子もありませんし、明日には帰途に就いている隊商とすれ違うはずです。その情報を得てからでも遅くはないと思うところです」
結局、ユートはマシューに押し切られる格好となった。
「まあ確かに撤退を判断するだけの材料は乏しいわな。魔物の数は増えている、とはいえ」
アドリアンはそう言いつつも、自分の歴戦の冒険者としての勘からマシューの判断は甘いのではないか、と思っていた。
マシューを説得する材料にはなり得ないのはわかっていたので、それ以上言うことはなかったが……
翌日、ユートは配置を変更した。先頭の馬車にアドリアンだけではなくレオナも乗せ、ユート自身はマシューの乗る二番目の馬車に乗った。
そして三番目、ユートたちの借りている馬車は御者のみとして護衛をつけない。
分断される危険性は高まるし、中央の馬車が失われる可能性も上がるが、一番襲われやすい先頭の馬車に、魔法を使えるユートが近づくことでアドリアンの負担は減らすことが出来る。
そうした変更もあって、翌日以降は安定して進むことは出来た。
すれ違いの隊商からは、やはりエレルの近郊も魔物の出現率は飛躍的に上がっており、これ以上上がれば街道の安全は確保できない、という判断だった。
とはいえ、実際に隊商が抜けてきたことはマシューが進むことを主張する理由になり、ユートが撤退を主張しづらい理由となった。
結果として、進むという判断そのものは誤りではなく、その後も度々の襲撃を受けながら、なんとか五台全ての馬車が無事、エレルにたどり着くことは出来たのだった。
「ホントに疲れたわ……」
年末も年末、十二月三十一日になってようやく自宅に帰り着いたエリアはぐったりとしていた。
一週間戦い詰め、途中からは狩人にあるまじきことに、解体も出来ず魔石も毛皮も放置せざるを得ない状態になったのだ。
「あのマシューって人、ちょっと無茶し過ぎよ!」
何度かユートが撤退を申し入れたにもかかわらず、最終的にはマシューの意向で突破することになったのはエリアにとって腹に据えかねることだったらしい。
「あんた、聞いた? 西方商人の同職連合の方は定期の隊商を止めたみたいよ。今のままじゃ危険すぎるってことでね。そのせいでレビデムから来る薬草の類は相場が高騰してるみたいだし、さぞ儲けたんでしょうね。あんな無茶させられるなら割増料金でももらわないと割が合わないわ」
冗談めかして言っているが目は笑っていない。
「まあ帰路は段々遠ざかるわけだから、そこまで危険でもないだろう。本音を言えば増員して欲しいけどな」
魔物が増えたとはいえ、群れを構成するのは魔狐、魔鼬、魔犬、魔鹿などという、比較的小型から中型の魔物であり、個々に見れば今のパーティならばそう簡単に負けることはないとユートも思っている。
だが、連戦が続けば体力的にきついのだ。
だからこそ、護衛の数を多くして欲しい、というのがユートの切実な思いだった。
「プラナスさんに相談してみる?」
「駄目で元々だし、一応相談してみるか。明日……いや、新年早々は悪いし明後日だな」
ユートはそれだけ言うと、眠りに就いた。
翌朝、新年だからといって何かすることもなく、過ごした。
レビデムを出発するときにはエリアも、他の仲間たちも日本風の新年の過ごし方に興味津々だったが、もはやそんな元気も残っておらず、ひたすらにレビデムへの帰路のために体力を温存したのだ。
ユートはエレルに滞在している間にプラナスに相談にも行ったのだが、申し訳なさそうに断られた。
「正直、うちも定期便の運行はやめるべきと思うんだが、組織が大きくなりすぎて身動きが取れん……」
プラナスはそんなことを言っていた。
どうやら先立っての隊商に、一時的な運行中止を進言する書状をもたせたのだが、その書状が着く前に出発した隊商がまだまだいるらしく、場合によってはエレルからその隊商を掩護する増援を出す必要すらあるのではないかと考えていたのだ。
「レビデムへ戻るのを取りやめた方がいいですかね?」
「難しいところだな。徐々に楽になっていくルートだから、最初さえ乗り切ればレビデムへ戻るのは容易いだろうし、駄目ならとんぼ返りしてくればいいとも言える」
一番きついのは体力を消耗した状態でエレルの近くの、最も魔物の密度が高いところを突破することだ。
一番体力が充実している時にそこを突破できる帰路はそこまで大変ではない、というのがプラナスの意見だった。
「わかりました。ではうちの隊商は予定通り出発します」
「ああ、書状も預けるが、向こうに着いたら必ず隊商を止めるようにプラナスが言っていたと伝えてくれ」
結局、ユートたちは予定通り、エレルを出発した。
「お前たち、本当に気をつけてな」
門のところでヘルマンが真剣な表情をしてそう言ってくれた。
いつもの、挨拶代わりの気をつけてとは違う、心底心配している言葉だった。
「大丈夫よ! それよりヘルマンさんの方こそ気をつけて」
「ああ、エレルの街は守り抜いてみせるさ」
そう言って笑った。
もっとも、土塁や石垣程度しかない近郊の村とは違って、エレルの街は高い市壁と空濠に囲まれているから、まず魔物程度に突破されることはない。
「じゃあ行ってきます」
エリアはそう言ったのとほぼ同時に、馬車ががらがらと車輪の音を立てて動き始めた。
空はどんよりと曇っていて、魔の森は一層と黒々しているように、ユートには見えた。
プラナスが言った通り、エレルの近くが一番魔物の数は多かった。もはや遭遇、というレベルではない為、ユートが先頭に立って魔法を叩きつけ、魔物がひるんだ隙を突いて突破する、ということすらやらざるを得なかった。
ここに至ってマシューもようやく危機感を持ち始めたようだったが、もう他の選択肢を採ることは出来なかった。
一応、エレルに戻るという選択肢も無いわけではなかったが、その為にはもう一度エレルの近くの魔物の群れを突破しなければならない。
それは可能か不可能かで言えば可能だが、敢えて危険な目に遭おうという気になれる者はおらず、ただひたすらに、レビデムに戻る道を急ぐしかなかった。
途中の村でも、普段とは違う喧噪が満ちあふれていた。
既に一部の者たちは家財をまとめて村からレビデムへ移動しようとしており、その光景がますます現実離れした雰囲気を醸し出していた。
「まさかこんなことになるとは……」
事態が刻一刻と悪化していくような錯覚――それが錯覚であることを願いながら――に囚われながらユートが呟いた。
「ああ、俺も二十年近い冒険者生活の中で初めてだ」
「というかこの村の人たち、みんな逃げられるのかしら?」
セリルは疎開している人たちの心配をしているらしい。
ユートたちのように戦うことが専門ならばともかく、家族を連れて逃げ切れるかは怪しいところだ。
まして、今もまだこの宿場町となっている村には多くの人が残っており、その人たちは今後魔物が増え続ければ、頼りない石垣を頼みに防戦しなければならなくなるかもしれなかった。
「あたしたちが心配してもしょうがないわよ……」
「あちきらに出来ることは早くレビデムについて、この悪化している事態の報告をすることニャ」
そう言いながらもエリアもレオナも唇を噛みしめている。
「クソ、やっぱりこの世はろくでもないぜ」
アドリアンがそんな呪詛を吐いた。
翌日からのユートたちは、少し襲撃される頻度はましになった。
「エレルから離れたからかしら?」
セリルの言葉に、誰もが無言だった。
遠くなったからなのか、それとも逃げている家族連れの誰かが襲われたせいで、ユートたちが襲われなくなっているのか。
そんな想像をしてしまって、考えることすら嫌気が差したのだ。
「駄目だ。気持ちを強く持たないと」
ユートは夜、馬車の中で毛布にくるまりながら、独り言ちた。
だが、気持ちを強く持とうと思うというのは弱気になっている証拠でもあった。
エレルから離れるにつれて、襲撃の頻度は徐々に落ちていった。
そして、四日目、つまり明日はレビデムに到着する日となった。
「ともかく、ここまで無事に来れて良かった……」
「今日の襲撃は本当に少なくて助かったニャ」
「もう私は護衛はこりごりよ。狩人に戻ろうかしら」
囲まれて最も疲労するポジションであるアドリアンとエリアは口を利く元気すらなかった。
それでもレオナの言う通り、今日の襲撃は少なくなっており、宿からあぶれて同じように野営している避難民たちは異常事態が収まりつつあるのでは、という楽観的な雰囲気すら出てきていた。
さすがにユートたちはそこまで楽観はしていなかったが、それでも今日を無事に過ごせた、という安堵の気持ちが強かった。
この誰も体験したことのない異常事態、急速に悪化する状況、そして気の休まる暇も無く死線を潜る毎日に、ユートたちは精神的にも肉体的にも疲弊しきっていた。