第221話 混沌の戦場
「おい、ユート、これってこっちでよかったんだっけ?」
「えっと、多分そうだと思います」
そんな会話を繰り広げているのはアドリアンとユート――
「ユート、ケーブルが全然足りないニャ!」
「おい、ユート、地雷の数と起爆装置の数が合うとらんで!」
レオナとゲルハルトがそんなユートたちにクレームをつける。
第三軍司令部はずっと仕切ってきたアーノルドとエリアを欠いている状態になって、完全にその機能を喪失していた。
常に戦場にあって、激戦の中ですら一時としてその機能を止めなかった第三軍司令部の機能喪失が、まさか地雷の敷設で起きるとは誰にとっても想定外だった。
「アーノルドさんの仕事ぶりってすごかったんですね……」
夜に向けての資材の用意をようやく終えたユートが司令部の、革張り椅子の背もたれに身体を預けながら愚痴るように言った。
「……俺はもう二度とあいつらがどっかに行くのを認めんぞ」
アドリアンはいつになく真剣な顔をして、そんなくだらないことを言う。
「馬鹿なことを言うな」
そうたしなめたのは先代クリフォード侯爵だった。
先代クリフォード侯爵は南部貴族領軍の司令官となり、司令部から離れていたが地雷の敷設にかかる第三軍司令部の混乱ぶりを知って司令部にやってきてくれたのだ。
南部貴族領軍は先代クリフォード侯爵の嫡男であり、現クリフォード侯爵であるロドニーが指揮しているようだが、戦場の指揮ならばともかく地雷の敷設ならばロドニーでも十分務まるだろう。
というよりも優れた内政家の素質を持つロドニーならば下手をすれば先代クリフォード侯爵よりも効率的に敷設してくれるかもしれない。
「だってよ、俺は学も何もないただの冒険者だぜ? それが一軍のあれやこれやをやれって言われて出来るわけねぇだろ」
アドリアンは先代クリフォード侯爵にぞんざいな口を利くが、これはあのアストゥリアス山脈越え以来、妙に親しくなった上、先代クリフォード侯爵が冒険者として家人に近い立場となったことからくるものだ。
良くも悪くも貴族の鏡のような先代クリフォード侯爵だが、そうであるがゆえに恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドにおける自身の立場を考え、エーデルシュタイン伯爵家の家人の筆頭格であるアドリアンのそんな態度を許しているようだった。
もちろんその裏には、共に死線をかいくぐった者たちにだけ生じる、一種独特の連帯感というものがあってのことではあるのだろうが。
「ならば、学べ。貴公はもうただの冒険者ではないのだからな」
辛辣な正論を吐く先代クリフォード侯爵に、アドリアンはばつが悪そうに苦笑いするだけだった。
とはいえ、先代クリフォード侯爵の掩護によってどうにか第三軍は地雷の敷設に取りかかれそうだった。
資材の配分はともかく、こと地雷の敷設に関しては第三軍――特にエーデルシュタイン伯爵領軍は経験豊富なのは間違いないからだ。
「そろそろ仮眠しておく方がいいか?」
「そうですね。アドリアンさんと僕は恐らく徹夜ですから」
「あちきもそろそろ寝るニャ。ゲルハルト、番を頼むニャ」
「任しとき」
司令部ではそんな声が交わされ、そしてユートは眠りに就いた。
ユートが起きた時には既に太陽は傾いていた。
いわゆる逢魔が時――
「ユート、起きたかニャ?」
既にレオナは戦いの準備を整えていた。
ユートもすぐに愛用の胸甲や草摺、剣帯などを素早く着けていく。
この世界に来て、アドリアンたちと出会った頃からずっと使っているそれは、もうユートの身に馴染んでいるし、着けるのも淀みなく着けられるようになっている。
「ユート、準備はいいかニャ?」
「ああ」
「行くで」
そう言い合いながら、ユートたちは司令部を出ていった。
作業そのものについてユートたちがやることはほとんどない、と言ってよかった。
アドリアンは現場で監督をしているが、実際の作業は西方軍の担任地域では西方軍の将兵とアドリアンが指揮する冒険者たちがやってくれている。
ユートやレオナやゲルハルトはただ敵襲がないかの警戒をするだけだった。
「眠いわ」
ゲルハルトが眠そうにそう大あくびをする。
「ゲルハルトはもっと真剣に見張るニャ」
「言うてもどうせ敵攻めてこないやろ」
そう、ここを守るのは夜目が利き、夜戦になれば無類の強さを発揮するレオナ以下の妖虎族だ。
この第三次南方戦争でローランド王国軍は妖虎族と餓狼族のいるエーデルシュタイン伯爵領軍には散々な目に遭わされているし、今回のティムサ川の対陣でも一度法兵を前進させて擾乱法撃を行ったところ一晩中レオナたちに追いかけ回されている。
その苦い経験から、エーデルシュタイン伯爵領軍にはしかけないだろうとゲルハルトは読んでいた。
「それでも任務は任務ニャ」
そう言いながらレオナは愛銃をさらりと撫でた。
緊張感は途切れさせられないものの、実際に何か起きるわけでもなくゆっくりと時間は過ぎていく。
ゲルハルトは相変わらず大あくびをしながら、それでも一応真面目に警戒はしているようだったし、レオナは神経を研ぎ澄ませている。
ユートは手持ち無沙汰だったが、軍司令官としてだらけた様子を見せるわけにもいかず、レオナやゲルハルトには及ばないまでも一応警戒していた。
ユートがふと空を見上げると、中天に満月が輝いていた。
この満月のお陰で夜目が利かない冒険者たちも滞りなく作業が出来ている。
だが、そんな軍事的なことよりも、降り注ぐ銀光の美しさの方がユートにとっては大事に思えていた。
「戦いとか、馬鹿だよなぁ……」
ふとそんな言葉が口を衝く。
「まあわからんでもないけどな。ただ、戦場にいる軍司令官が言う言葉ちゃうやろ」
ユートのそんな独り言を耳敏いゲルハルトはしっかり聞いていたらしく、苦笑交じりにそう返しながら、その表情は凍り付いた。
「どうした?」
剣呑な表情のゲルハルトに違和感を覚えたユートがそう訊ねた時、ぴくりとレオナも反応した。
そして、ゲルハルトが返事をする前に、ユートの耳にもまた、その音は届いた。
そう、それはユートが何度も聞いていながら、未だに聞き慣れない音――
男と男が命を賭して剣で奏で上げる戦場音楽――
「敵襲やで!」
そのゲルハルトの言葉を待つまでもなく、ユートより優れた聴力を持つ餓狼族と妖虎族は弾かれたように動き出していた。
「ゲルハルト、アドリアンさんたちをすぐに撤収させてくれ。アルトゥルさんもお願いします」
「任しとき!」
「レオナは周辺警戒!」
「わかったニャ」
「戦場はそう近くはあらへん。ウェルズリー伯爵のとこか、近衛軍のあたりやろ」
ゲルハルトはそう言い残すとエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊を率いて飛び出して行き、それにレオナの父アルトゥルも続く。
アドリアンたちが無事に陣地内に戻れるよう、撤退を掩護するつもりなのだ。
「近くには敵はいないニャ」
レオナは魔石銃を胸の前で抱えるように保持している。
ユートは確かめてはいなかったが、恐らく状況によってはすぐに発砲できるように弾丸も装填されているのだろう。
ユートはいつ敵襲が来るのか、とやきもきしていたが、幸いなことに敵襲の知らせも来なければレオナもまた敵を見つけることもないまま、エーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊と西方軍各隊の収容は終わる。
その頃には既に遙か西で火の手が上がっているのが見えた。
それはほぼ間違いなく、味方の陣地が燃やされている炎だろう。
「援軍を出すか……」
ユートは逡巡してそう独り言ちた。
第三軍の担任地域である戦線の東半分はまだ攻勢を受けておらず、そしてその第三軍の予備戦力としてエーデルシュタイン伯爵領軍がユートの手元にはある。
エーデルシュタイン伯爵領軍を西側に援軍として送ることはいつでも可能だった。
だが、もしエーデルシュタイン伯爵領軍を送り出してから、第三軍の担任地域が攻撃を受ければ、と考えると迷うのだ。
もしエーデルシュタイン伯爵領軍を送り出してから攻撃を受ければ、その時は予備戦力なしに西方軍、東部貴族領軍、南部貴族領軍は戦わねばならない。
西方軍はポロロッカ以来、転戦を重ねて生き抜いてきた精鋭であるし、東部貴族領軍の先代カニンガム伯爵、南部貴族領軍の先代クリフォード侯爵はいずれも名将だから予備戦力なしでも敵の攻勢を跳ね返せるかもしれない。
とはいえ、戦場に絶対はない。
「ユート、迷うのは終わりニャ」
レオナのその言葉は、決断を促すものではなかった。
「敵襲ニャ」
第三軍の担任地域で一番に攻勢を受けたのは一番中央の東部貴族領軍が守るあたりだった。
「地雷はどのくらい埋めてありますか?」
ユートの問いにアドリアンは眉をしかめる。
「ほとんど埋まってねぇよ。というか、これ装甲兵じゃないのか?」
「これだけの数の装甲兵がいたら、それはそれでおしまいですよ」
アドリアンの言葉をユートはそう否定する。
実際、攻め寄せている数は千や二千では利かない数であり、これまでローランド王国軍が見せていた装甲兵の数とは桁が違っている。
「ちっ。もう少し遅けりゃ地雷で全部吹き飛ばしてやれたのに……」
アドリアンが歯がみしたが、本当に運のないことだ。
地雷を敷設しやすい満月の夜は、夜襲をしやすい満月の夜だった、という話である。
いや、敵は敢えてノーザンブリア王国軍が地雷を敷設する夜を狙って夜襲を仕掛け、混乱を招こうとしたのかもしれない。
断片的に伝わってきたウェルズリー伯爵の担任地域では、事前に夜襲を察知できなかったことにより敷設部隊を収容しながら夜襲に対応せざるを得ず、苦戦を招いているのだ。
「まあ我々はどうにでもなるでしょう」
基本的に戦闘は装甲兵のような特殊戦力でも投入するか、混乱につけ込まない限り、陣地に拠る守備側の方が有利だ。
第三軍は敷設部隊を収容し、満を持して待ち受けたこともあって、ユートは夜襲の撃退には露ほどの疑念も抱いていなかった。
実際の戦闘もまたユートの思った通りに進んでいた。
第三軍の担任地域に攻め寄せたローランド王国軍は、まず敷設に成功した管制地雷の爆発、わずかに残されていた旧型地雷の爆発で混乱するところを弓で射すくめられ、法撃を叩き込まれてあっという間に混乱に陥った。
そんな状況先代クリフォード侯爵や先代カニンガム伯爵、セオドア・リーヴィス先任大隊長ではない。
あっという間に逆襲を仕掛けて有利に戦闘を運んでいる。
その後、数時間に渡って戦闘は続いたが、予備戦力であるエーデルシュタイン伯爵領軍はほとんど出る幕もなく、せいぜい出るとしても土魔法による掩護法撃程度で優秀な三つの部隊が夜襲を仕掛けるローランド王国軍をことごとく返り討ちにしていた。
そして、ローランド王国軍は数百の死者を出して交代を余儀なくされ、掩護に徹したエーデルシュタイン伯爵領軍の死者はゼロ、西方軍以下の第三軍各隊の損害も軽微なものだった。
だが、ユートやアドリアンの愁眉は開かれなかった。
「状況が全く掴めませんね」
ウェルズリー伯爵の本営があるのはティムサ川の河口にあるティムサの街であり、そこまで数キロの道は戦場となっている。
だからユートの下には二時間かかっても断片的な情報しか入ってこず、せいぜい戦線全域にわたって苦戦が続いている、という事実くらいしかわからなかった。
「ユート、あちきが偵察に出てきた方がいいかニャ?」
レオナはそう提案してくれたが、そうもいかない。
この混乱した状況でエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊を動かせば、どこで逆上した味方と同士討ちになるかわからないし、いくら隠密偵察の上手いレオナとはいえ、まさか単独で行かせるわけにはいかない。
「やめておこう。それより、全部隊にいつでも動けるような態勢を取らせて欲しい」
もはや混沌としているとしか言えない戦場に部隊を投入する愚は避けたかった。
部隊というものはしっかりとした秩序を保っていてこそその戦力を額面通りに発揮する。
混乱に巻き込まれ秩序を失ってしまえば、いかに強力な部隊といえども十全にその能力を発揮できないまま、潰乱しかねない。
それに、もう数時間もすれば夜明けになるだろう。
そうすれば戦場の把握もなんとかなるに違いない。
ユートは太陽が出るのをじりじりとした思いで待っていた。
そして、ようやく東の空が白み始め、ユートの眼にも戦場が見えるようになった時、そこにあったのは、潰乱する近衛兵団と第一軍の姿だった――




