第219話 弱音
レオナとアーネスト前宮内卿――というより近衛軍がもめた日から、ノーザンブリア王国軍の中に微妙な空気が流れていた。
一つは、騎士道よりも生き残るのが大切な兵卒による、レオナ・レオンハルトはよく言ってくれた、という空気であり、もう一つは士官――特に貴族出身の士官を中心とする、騎士道なんぞ知ったこっちゃないとはさすがにどうなのか、という空気だった。
また、これとは別に、古参下士官や、下士官から王立士官学校の選抜教育課程を経て士官に昇進した叩き上げ連中による、思っていてもあからさまに口に出すことではないだろう、という空気もあったが、いずれにしても一枚岩とはほど遠い状況にある、という点だけは間違いなかった。
しかし、そうしたノーザンブリア王国軍の動揺はローランド王国軍にとっては何も斟酌するべきことでないのは当然――むしろ、動揺しているならばつけいろうとするのが、敵としてのあるべき姿であるから、毎日のように攻勢にさらされることになった。
主に攻勢を受けているのは、ユートの指揮下にある南部貴族領軍が守る、戦線中央付近だった。
ここは先の装甲兵投入によって地雷が大きく除去――というよりも爆発してしまった部分であり、再敷設しようと四苦八苦しているものの、陣地から出た途端に敵法兵の攻撃を受ける上、地雷原に残った地雷が危険でなかなか再敷設は進んでいなかった。
そして、それをいいことに、ローランド王国軍は入れ替わり立ち替わり南部貴族領軍に攻勢をかけ、圧迫を強めていた。
「ユート卿、さすがに厳しいぞ」
ある夜の会議で先代クリフォード侯爵がうめくようにそう言った。
誇り高きノーザンブリア軍人として、弱音を吐くことは少ない先代クリフォード侯爵には珍しい発言だった。
「わかっています」
そう、ユートもわかっている。
度重なる攻勢で、徐々に南部貴族領軍が打ち減らされ、先代クリフォード侯爵が必死に督戦してどうにか戦線を維持しているのも、そしてそれ以外のエーデルシュタイン伯爵領軍や西方軍が守る戦線もまた装甲兵の攻勢を受けて、なかなか援軍を派遣する余裕がないことも。
ローランド装甲兵に対してはレオナが開き直って狙撃しているが、さすがに一挺の魔石銃では押しとどめることは出来ない。
ローランド装甲兵も前回、魔法で蒸し焼きにされたり、神銀の剣が通じなかったりしたのがトラウマになっているのか、あくまで地雷の除去の為に動き回るだけで、積極的に陣地線にまでは進出してこなかったが、彼らが動き回る度に地雷原がその数を減らされていた。
そうしたローランド装甲兵の動きに、別に装甲を破壊できなくとも、打撃で気絶させればよい、とばかりに大槌を持ったアルトゥルや、狼筅を担いだゲルハルトも相手を殴り倒しに出て行っていたが、地雷がネックになってなかなか思うように会敵出来ていなかった。
「どうするニャ?」
レオナの問いかけに、ユートはなかなか答えを出すことが出来ない。
いや、答えなどない――つまりは手詰まりなのかもしれない。
「ユート、弱気の虫を出しちゃ負けよ」
エリアがそう励ましてくれるが、結局地雷原をローランド装甲兵によって無力化されれば、地雷を作る前の段階――つまり散々翻弄されていた状態に逆戻りであり、それが刻一刻と近づいているのが、この会議の重苦しい雰囲気からもわかるように、ここにいる全員の共通見解となっていた。
「…………夜間の強行敷設、ですかね?」
ユートの言葉に苦々しげに先代クリフォード侯爵が頷いた。
「それしかあるまい」
「一応、ウェルズリー伯爵にも言っておきます」
「そうだな。ウェルズリー伯爵の方でもタイミングを合わせて、戦線全域で一斉に取りかかれば法兵弾幕も少しはましになるだろう」
とはいえ、それは夜間に兵を酷使することに他ならず、翌日果たして戦線を維持出来るのか、という点が、先代クリフォード侯爵の表情を苦々しくしているのだろう。
「戦術予備の少ない戦いがここまで苦しいとはな」
先代クリフォード侯爵の言葉にそこにいた全員が無言の同意をした。
既にノーザンブリア王国軍は、そのほぼ全戦力をもって布陣している。
西方軍がポロロッカで、南方軍が王位継承戦争で大打撃を受け、南方鎮護の要だったタウンシェンド侯爵家が叛乱によって潰えた。
そして、その過程でノーザンブリア王国軍は多くの兵を失っており、本来ならば対等以上だったはずのローランド王国軍との戦力比は大きく不利となっているのが、この苦戦の原因だった。
そして、それを解決する方法は、そこにいる誰もが見いだせなかった。
「ユート、降ってきたぞ」
アドリアンが怒鳴る声が聞こえる。
もはや武器を握ることは出来ないとはいえ、指揮官としてならば全く問題はない。
ユートのかすかな記憶でも、半身不随になりながら戦った戦国武将もいたと聞いたこともあるのだから、ただ踏ん張れない程度ならば指揮官としては戦える、と思っていた――いや、そう強く主張するアドリアンを信じていた。
「軍直属法兵に応射させます!」
そう、アドリアンが言う降ってきた、とはローランド法兵の魔法だった。
夜目に鮮やかに、火球の軌跡が光り、暗闇から土弾が兵士を奇襲する。
アーノルドが馬上の人となって、ローランド法兵の法撃一発でやられないように掩体濠に分散待機している西方軍直属法兵に命令を伝えに走った。
少し間を置いてユートたちの後方から西方軍直属法兵の法兵掩護が始まった。
ローランド法兵の魔法を、同種の魔法で打ち消したり、時にはローランド法兵目がけて対法迫射撃すら試みている。
だが、打ち消して掩護する方はともかく、対法迫射撃については暗闇から放たれていることもあって芳しい成果はあげられてなさそうだった。
「観測兵がいればな……」
ユートはウェルズリー伯爵やアーノルドから叩き込まれた知識の片隅から、そんな言葉を引っ張り出してきたが、いかんともしがたい状況には変わりがない。
「あちきが進出してこようかニャ?」
レオナがそう言うが、ユートは首を横に振る。
「無茶にもほどがあるからやめとけ」
もちろんローランド法兵を削るのは出来ればやっておきたいが、帰ってくる時は地雷原を踏破しなければならないし、恐らくローランド装甲兵もいるだろう。
いかにレオナが俊敏であっても多勢に無勢で追い詰められるのは確実であるし、レオナの帰還を待って地雷原の完成が遅れれば、明日以降の戦いにも悪影響だ。
「一方的にやられるのは性に合わないニャ」
「それなら魔法を撃てばいいだろう」
苛立った表情を見せるレオナの背後から、アルトゥルの声が聞こえた。
「と、父ちゃん!? 聞いてたかニャ!?」
「全く魔法の練習なぞほとんどせんと、鎧通しの練習ばかりしよってからに」
「だって、族長になるのに剣を扱えなくて先頭で戦えないとか駄目って思ったニャ……」
「程度というものがあるわ!」
そんな親子の心温まる会話を聞きながら、ユートは戦線を睨みつけていた。
今回の地雷再敷設は、エーデルシュタイン伯爵領軍は出ていない。
エーデルシュタイン伯爵領軍はもともと魔道具について無知――軍で教育を受けていないから当然であるのだが――であり、そこに新しく取り扱いを覚えさせるより、そうした教育を受けている西方軍と東部貴族領軍、南部貴族領軍が中心となって敷設作業を行っている。
「どうですかな?」
ようやく伝令から帰ってきたアーノルドがそう訊ねる。
伝令に任せてもいいのだが、アーノルドほどの馬術の技量を持っている伝令はおらず、重要な連絡はアーノルド任せとなっている。
「……予定より遅れてるんじゃないかしら?」
エリアが自信なさげに言う。
暗闇の中で、時折飛び交う火球を明かりがわりに状況把握しなければならないのだから、エリアを責めることは出来ないだろう。
「ふむ……」
アーノルドは暗闇にじっと目をこらした。
「確かに遅れていますな」
「やっぱりそうよね」
「喜ぶところじゃないだろ……」
エリアは嬉しそうにそう返したが、すぐにアドリアンに突っ込まれている。
「まあ黎明までにはどうにか終わりそうですが……」
「疲労が心配ですね」
ユートの言葉にアーノルドが頷き、気鬱な沈黙がその場を支配した。
結局、再敷設の作業はユートたちの戦線正面である東部貴族領軍と南部貴族領軍、それに西方軍の作業こそ、どうにか黎明前に終わったものの、ウェルズリー伯爵の方は黎明後まで続くことになった。
夜明けとともに正確になったローランド法兵の法撃に、ユートは西方軍直属法兵を派遣し、ウェルズリー伯爵指揮下の法兵と協力させてどうにか大きな損害なく再敷設作業を終わらせることは出来た。
しかし、その代償として兵は大きく疲労していた。
翌日からはまたローランド装甲兵を追い返す日々の始まりだった。
「いたちごっこね」
エリアはそう評したし、ユートにも否やはなかったが、それでもそのいたちごっこを続けて、向こうが音を上げるのを待つしかなかった。
「ユート、弾丸がないニャ」
ローランド装甲兵に対して、唯一遠距離攻撃を出来る魔石銃を持つレオナは戦線の端から端まで駆け回っては、ローランド装甲兵を次々と撃破していた。
それに対して、一部の貴族出身士官からの風当たりは強くなっていたし、近衛装甲騎兵の不満は溜まる一方であり、アーネスト前宮内卿が必死になってそれを抑えている状況だった。
「わかった。弾丸くらいなら量産できると思うし、作ってもらっておくよ」
「魔石銃をもっと作ったら駄目なの?」
レオナの出突っ張りぶりに、エリアがそう訊ねたが、ユートは首を横に振った。
「多角形施条を作れる人がいないらしい」
「え、あいつら王立魔導研究所の研究者よね?」
エリアが驚くのも無理はなかったが、それもやむを得ない事情があった。
今回の王立魔導研究所臨編派遣小隊は、あくまで戦闘法兵として編成されているもので、魔道具製作の腕よりも、攻撃魔法の腕と、実戦経験者であることが優先されたらしい。
結果、精密な神銀の整形を必要とする多角形施条を作れるような腕利きの魔道具職人は含まれていないことになっていた。
「最初から量産しておけば、慣れて作れるようになっていたかも知れないけどな」
「今慣れてもらえばいいじゃない」
「地雷の再生産もあって魔力が足りない上に、そもそも神銀そのものが払底しつつあるからんだ」
そう、いくら南部が神銀の産地であったとしても、戦時中であるにもかかわらずフル稼動して掘り出しているわけではない。
もちろん神銀も戦略物資として不要であるわけはなかったが、優先されるのは剣や鎧を作る為の鉄などの一般的な金属であり、神銀や魔銀の生産量はむしろ落ちていた。
「それに加えて、旧タウンシェンド侯爵領などでは神銀の生産がほぼ止まっているのも大きいですな」
アーノルドがそう補足した。
今はシーランド侯爵が軍政下に置いているとはいえ、領地のあちこちが荒廃し、畑が荒れたことと耕すべき若者が死傷したことで食糧すら満足に生産できない状況で、神銀の生産力は大幅に落ちていた。
いくらなんでも食糧より神銀の生産を優先しろなどという命令を出せば、第二、第三の叛乱が起きかねなかったからこのあたりはしょうがない。
「ていうかそれって危なくない?」
はっと気がついたようにエリアが口を開いた。
「ああ――つまり、地雷の生産もかなりヤバいってことだ」
一応まだ地雷の生産は続いている。
しかし、ローランド装甲兵とのいたちごっこの中で、地雷は無為に消費され続けており、このまままた再敷設ということになれば地雷が足りるのか、あるいは次回は足りたとしてもその次は、と考えていくと、暗澹たる気分となるしかなかった。
「どうなるのかしら……」
エリアの心配そうな呟きに、ユートは暗い顔になった。
「ユート様、こんな言葉があります。味方が苦しい時は、敵も苦しい時、と」
我慢比べでは先に音を上げた方が負け、どんな手段を使っても粘り続けろ、ということだろう。
ユートは力なく頷いた。
そして、ローランド装甲兵によって再び地雷原が虫食いだらけにされたのは、それから十日後のことだった。




