第218話 内紛
「ふむ、それは重畳でしたな」
「ご足労おかけしてすいません」
どうにか装甲兵を追い返した直後、ようやく近衛装甲騎兵が駆けつけてきた。
歩くのとほとんど同じ速度しか出せない近衛装甲騎兵がえっちらおっちら駆けつければ、戦闘はもう終わっていた、という状況に、ユートは少しだけ申し訳なさを覚えて頭を下げる。
「いえいえ、問題はありませんよ」
アーネスト前宮内卿はそう笑う。
「それにしても装甲兵を相手によく追い返せましたな」
アーネスト前宮内卿がそういうと、後ろにいた近衛装甲騎兵の士官たちも口々にユートや先代クリフォード侯爵の奮戦を讃える。
彼らの中には、装甲騎兵は最強の兵種であるというエリート意識の強いものもいるだろうが、だからこそその強い強い装甲兵を追い返したユートは先代クリフォード侯爵の奮戦を讃えようという気分にもなるのだろう。
もしかすれば、その何分かは、ノーザンブリア王国の装甲騎兵を真似したような、まがい物の装甲兵を打ち破ってくれた、という気持ちもあるのかも知れない。
「いい的だったニャ!」
その雰囲気の中、レオナが薄い胸を張ったのだが、それを見て少し近衛装甲騎兵たちがざわつく。
「いい的、ですか?」
「あちきの魔石銃で狙い撃ったニャ。魔石銃の弾丸は神銀だからあっさり装甲兵の鎧を貫通したニャ」
レオナのその発言に、ざわめきが再び大きくなる。
「なるほど……」
「アーネスト前宮内卿、何か言いたげだな」
何も言わずに、しかし顔には少し不快の色を見せていたアーネスト前宮内卿に先代クリフォード侯爵がそう問いかける。
「存念を言え」
「言うべきか悩みましたが、先代クリフォード侯爵閣下のお言葉ゆえ。確かに奮闘されたのは素晴らしいことであり我ら一同、敬意を表すものでありますが、魔石銃なる武器をもって敵兵を狙い撃つのはいかがなものかと……」
アーネスト前宮内卿の言葉に、後ろの近衛装甲騎兵の士官たちも頷いているようだった。
つまりは、騎士道に悖る、ということだろう。
ユートにはその感覚は納得出来なかったが、近衛装甲騎兵の面々が不満に思っていることだけははっきりとわかった。
「なるほどな――」
先代クリフォード侯爵がそう頷いたのを遮るように、怒鳴り声が上がった。
「じゃあ何かニャ? あちきらに正々堂々戦って全滅してりゃよかったって言うかニャ?」
もちろんレオナだ。
レオナの反論に、アーネスト前宮内卿もまた眉をしかめる。
「そういうことではない。しかし、騎士――士官を狙い撃つというような戦い方を是とすれば、例えば大将から順に狙い撃っていけばよい、という非道がまかり通ることになる」
ユートも感じた、騎士道が、日本でいうところの戦時国際法的な性格を帯びている、ということをアーネスト前宮内卿はレオナに説く。
しかし、もちろんレオナがそれで納得するわけがない。
「それは正々堂々馬鹿正直に戦うことの方が、あちきやユートが生きてることより大事ってことニャ!」
「馬鹿正直とはなんだ!? そちらの方が騎士道に悖り卑怯千万であろう」
アーネスト前宮内卿より先に、後ろにいた近衛装甲騎兵の士官が激昂しかけていた。
「エーデルシュタイン伯爵閣下――」
アーネスト前宮内卿は困ったようにユートを見た。
「レオナ、止めろ」
「止めないニャ。だいたい、あちきのことを騎士道に悖るというのはどういうことニャ!? あちきにはお前らは勝ち負けよりかっこよさを大事にする大馬鹿野郎にしか見えないニャ!」
「なんだと!? エーデルシュタイン伯爵家の家人風情が!」
近衛装甲騎兵の士官たちがとうとう激昂してレオナにそう詰め寄る。
「なにを言ってるニャ。あちきは獅子心王アルトゥル・レオンハルトの子、ユートとは共に戦い、背中を預けられる親友ではあっても、エーデルシュタイン伯爵家の家人になった覚えはないニャ」
そこでレオナは何か思いついたのか、悪い笑みを浮かべた。
「あちきや父ちゃ――獅子心王アルトゥル、それにルドルフ氏族の雷神ゲルハルトは北方大森林を代表してノーザンブリア王国に援軍に来ているニャ。その援軍を、ノーザンブリア王国近衛軍は騎士道に悖る集団である、というのかニャ?」
「レオナ――」
「ユートは黙っておくニャ。これはあちきら大森林と、ノーザンブリア王国の問題だニャ」
レオナはこの近衛士官をやり込めるだけの理屈が見つかった、と言わんばかりに嬉々として問い詰めていく。
北方大森林とノーザンブリア王国の問題まで拡大しやがって、という思いはあるが、それでもレオナが言っていることは間違いではない。
援軍に来てもらっておいて、その戦い振りを卑怯だ、騎士道に悖る、と言い始めるのは失礼にあたる、というのは当然であり、正論である。
――そして、正論であるがゆえに質が悪かった。
「レオナ卿、この度の発言は本職の誤りであった」
たっぷりふた呼吸も、一触即発の沈黙が続いたあと、結局はアーネスト前宮内卿が頭を下げるしかなかった。
少なくとも他国の貴族相手に、一方的に騎士道に悖る、と部下が言ってしまった以上、彼が頭を下げるしかない。
それでレオナは気が晴れたのか、矛を収めたが、ユートは頭痛がしていた。
なぜならば、後ろにいる近衛士官たちの表情は、レオナを糾弾したことを反省するよりも、自分たちの長、近衛軍司令官であるアーネスト前宮内卿が頭を下げさせられたことに対する怒りが先に立っていた。
もちろん、それを口に出すほど頭は悪くはないが、だからといって今後の火種にならないとも限らなかった。
「なんでアーネスト前宮内卿を煽ったんですか?」
アーネスト前宮内卿たち近衛装甲騎兵が去り、そしてレオナもまた原隊へ復帰する為に戻ったところでユートは先代クリフォード侯爵に言った。
「すまん」
これもプライドの高い先代クリフォード侯爵が素直に頭を下げてきたので、ユートは面食らいながらも次の言葉を待つ。
「アーネスト前宮内卿はともに七卿をやっておった頃からの付き合いでな。ああ見えて頭も良いし空気も読める、穏やかな男だ。しかし、どうも近衛士官の悪癖というか、戦場でも騎士道を重んじすぎるところがある。今回の一件も不満に持っているのはわかっていたので、それを実際に口に出させた上で、今の戦場がどのようなものか説くつもりだったのだが……」
先代クリフォード侯爵がそこで口ごもった。
先代クリフォード侯爵は先代クリフォード侯爵で、アーネスト前宮内卿のそうした教条的なところを不安に思っていて、せめてこの戦場にいる間は、騎士道より勝利を重んじさせようとしたのだろう。
だが、レオナがアーネスト前宮内卿に食ってかかって、あとは売り言葉に買い言葉――近衛軍と北方大森林ないしエーデルシュタイン伯爵家が対立しかねない状況を作ってしまったのだろう。
先代クリフォード侯爵の意図もわかるだけに、ユートはそれ以上は何も言えなかった。
「まったく、先代クリフォード侯爵もレオナも、あのアーネスト前宮内卿も余計なことばかりしてくれるわよね」
一部始終を黙って聞いていたエリアの感想がそれだった。
全くの同感――誰もがもう少し上手く立ち回っていれば、恐らく今回のようなことは起きなかっただろう。
それが一つ、二つ、とボタンを掛け違えた結果、エーデルシュタイン伯爵家と近衛軍の内紛という、戦場では一番有り難くない結果を生んでしまったのだ。
先代クリフォード侯爵がもう少しレオナに配慮していれば、レオナが先代クリフォード侯爵の話を最後まで聞いていれば、アーネスト前宮内卿がもう少し部下を抑えられていれば、とたらればをついつい考えてしまう。
「まあしょうがないわ。それより一度レオナと話しましょう」
ユートも頷くしかなかった。
「ユート、お帰りだニャ」
なぜか司令部に戻れば、レオナがいた。
わざわざ出迎えてくれたあたり、罪悪感はあるのだろう。
北方大森林とノーザンブリア王国の関係、といっても、その関係のど真ん中にいるのはエーデルシュタイン伯爵家であり、恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドであり、つまりはユートたちだ。
近衛軍――というよりも近衛軍を含む宮内省は王に近侍する立場にあり、そことエーデルシュタイン伯爵家が対立するのはノーザンブリア政界やノーザンブリア社交界でやっていくには大きなマイナスであることは明らかだ。
「レオナ、あんた何猫被ってるのよ!」
「……失礼だニャ! あちきは獅子の子だニャ! 猫じゃないニャ!」
どう見ての猫の耳を生やしたレオナがそう抗議するが、それもまた親友同士の砕けた間柄ゆえのものだろう。
「あんたのせいで、これから大変なんだからね」
「迷惑かけてすまないとは思ってるニャ。でもあちきは間違ったことを言ってるつもりはないニャ……」
「言ってることが正しいか間違ってるかと、やり方が正しいか間違ってるかは別の問題よ!」
エリアに怒られて、珍しくレオナがしゅんとしていた。
「それで、どうするかよね。アナとジークリンデにきてもらうのが一番かしら」
ジークリンデは北方大森林の指導者とも言うべきエーデルシュタイン氏族の純エルフであり、アナは今のところ王位継承権一位のノーザンブリア王族だ。
彼女らが上手く取り持ってくれれば、レオナと近衛軍、ひいてはエーデルシュタイン伯爵家と宮内省の関係も改善するだろう。
ただ、問題はここが戦場、ということだった。
「さすがにここに連れてくるのは危険過ぎるだろう」
「それは、そうね」
エリアもその点については全く疑問を持っていない。
レオナやエリアのように戦えるならばともかく、まともな実戦経験もない深窓の令嬢や王女様など、もし戦いに巻き込まれれば殺されるか捕虜にされるか、しかない。
「とりあえず棚上げしかないわね」
エリアがそう結論付けたが、すぐにユートはウェルズリー伯爵に呼ばれることになった。
「まったく、先代クリフォード侯爵も余計なことをしてくれますね」
ユートに事の次第を聞いたウェルズリー伯爵はそう頭を抱えた。
劣勢の王国軍にあって最大の戦果を挙げているエーデルシュタイン伯爵と、王家の盾である近衛軍の司令官アーネスト前宮内卿が対立、というのは予想外の波紋を呼んでいるらしい。
基本的には、こうした争いについて一般の兵卒は上の方の偉い人たちがしょうもない争いをしている、という認識であるのだが、その揉めている相手が近衛軍とエーデルシュタイン伯爵家となればそうも言ってられない。
もともと兵卒には一冒険者から王国屈指の貴族にまで成り上がったユートに対する羨望は強いし、近衛に対しては古き良きノーザンブリア王国を体現する存在として、やはり信頼が強い。
戦力として見ても、ユートの猟兵戦術にこそ馴染まないが、王国最強の戦力と謳われている近衛装甲騎兵と、最大の戦果を挙げてきた猟兵――つまりはノーザンブリア王国の命運を握る二大戦力が対立している、という状況なのだ。
そんな対立が激しくなれば、兵卒にとって生残率の大幅な低下を意味するわけであり、当然ながら士気の上でも大きくマイナスである。
「アーネスト前宮内卿にも話を聞きましたが、なんとも言えないところですね。いえ、一番悪いのは余計なことを言った近衛士官なのですが……」
それをウェルズリー伯爵が処分するわけにもいかない。
近衛は軍にあって軍にあらず――ノーザンブリア王家の私兵であり、ノーザンブリア王国の正規軍ではないという微妙な立場が、軍務卿たるウェルズリー伯爵の権限をもってして処分させるということが出来ない、という状況を生んでいた。
このあたりは突き詰めていくと、王国改革をやったとしてもノーザンブリア王国がまだまだノーザンブリア王家の私的な側面を抱えている統治機構だった、というしかないのであるが、それを今指摘しても全く無意味な話だ。
「いちおう、戦いが終わってからはジークリンデとアナを通じて、上手くやろうとは思っていますが……」
「ええ、アーネスト前宮内卿もそこら辺については上手く考えているようです。すくなくとも今回の一件が、ノーザンブリア王国と北方大森林との関係に影を落とすことはないでしょう」
つまりは、目の前にある、兵の士気という問題が解決できればいいのだろうが、ユートもウェルズリー伯爵もまた、ため息を吐くばかりだった。




