第217話 死闘、そして魔弾
少し推敲に手間取り、1時間更新が遅れて申し訳ありませんでした。
「ユート、どうする?」
エリアはそう言いながら、剣帯を叩く――
エリアの“どうする?”は雄弁だった。
近衛装甲騎兵中隊が駆けつけるまでの間、打って出るのか、それとも申し訳程度――少なくとも法兵である装甲兵の近接法撃に耐えられるようには設計されていない――陣地に拠って戦うのか、だ。
「陣地に拠るのはじり貧ですかね」
基本的に神銀の重量に耐えている装甲兵は起伏に弱いだろうから、空濠を築いていれば進撃を食い止められただろう。
しかし、ノーザンブリア王国軍の陣地はどこも空濠は築いていなかった。
目の前にあるティムサ川を盾に戦えばいいと考えていたし、その考えは地雷を埋設した後はより顕著なものとなって、誰も空濠が必要とは思っていなかったのだ。
もし、装甲兵がいるとわかっていれば――そんな考えがユートの頭にちらりと浮かんだが、すぐにそれを追い払う。
戦場で死んだ子の歳を数えてもしょうがない――たらればは何よりもの禁句だ。
「じり貧でも構わん。近衛装甲騎兵が駆けつけるまでの間、耐えればいいだけだからな。それに何もない河原で殴り合いをやるよりは損害は少なくなるだろう」
先代クリフォード侯爵はそう言い切る。
やることは時間稼ぎならば、陣地に拠って一人また一人と玉砕していく戦い方にも意味はあるだろう。
神銀の装甲には剣は通らないし、至近距離から法撃を食らうことを考えれば、河原で殴り合いをやるよりは生残率はましになるはずだというのもその通りだ。
「ただ、問題は陣地内で乱戦になったところに近衛装甲騎兵が駆けつけてきたとしても、戦いづらい可能性があること、ですかね?」
近衛装甲騎兵はその名の通り、人馬ともに神銀の装甲で固めた騎兵――機動力が低いこともあって遮蔽物の多い陣地内は戦場としては苦手だろう。
というよりも本来は戦場を悠々と突撃するような戦い方こそが近衛装甲騎兵の本領であり、こんな陣地戦そのものが苦手なのだ。
「最終的にはどちらが犠牲が減りますかね?」
河原で殴り合いを演じて足止めをし、近衛装甲騎兵が駆けつけると同時に入れ替わる――それが出来れば陣地に拠るよりも最終的な被害は小さくなるかも知れない。
「うむ……難しいところだな」
歴戦の先代クリフォード侯爵と言えども、装甲兵相手に殴り合いを演じた経験などあるわけがない。
なにしろノーザンブリア王国軍の中でも装甲兵科を持つのは近衛軍だけであり、その近衛軍との戦闘を研究するということは取りも直さず叛乱の研究をするようなものだ。
もし仮想敵国であるローランド王国が装甲兵科を持っているという情報があれば、対装甲兵科相手の戦闘方法も研究していただろうが、やはりそれもたらればだ。
そんな研究がない以上、ユートと先代クリフォード侯爵が、自分たちの指揮官としてのセンスを信じて、よりよいと思う方法を選択するしかなかった。
「先代クリフォード侯爵でも判断つきませんか……」
「……すまない」
「いえ、それならば指揮官である自分が判断します。打って出ましょう。堂々と打って出て雌雄を決する方が、陣地で玉砕戦をやるよりは士気を保てる可能性が高いはずです」
ユートの判断が正しいとは限らない。
士気を保てるというのも希望的観測であり、もしかすれば遮蔽物のない河原でぶつかった方が、僚友たちが眼前で装甲兵にやられていくのが見える分、潰乱しやすいかも知れないのだ。
だが、先代クリフォード侯爵はきっぱりと答えた。
「よし、わかった」
それは百パーセント、ユートの判断が正しいと思っているわけではないのだろう。
しかし、この材料ならば判断ではなく決断をしなければならないのを、先代クリフォード侯爵はわかっている。
そして、一度上位権者が決断したならば、指揮下にいる自分が異を唱えるべきではないという根っからの軍人としての考えだった。
「南部貴族領軍各隊歩兵、抜剣。目標、前方の装甲兵団、躍進距離五十!」
先代クリフォード侯爵の声が響く。
それに合わせて、勇猛をもって鳴る南部貴族領軍から剣を抜き放つ金属音が聞こえる。
各貴族領軍の歩兵たちが前に出る。
「各隊、隊伍を成せ! ――突撃に進め! 駈足、前に!」
どこからともなく、蛮声が上がる。
装甲兵相手に、一般の歩兵が突撃するなどというのは、ノーザンブリア王国軍の長い歴史の中でも初めてのこと――緊張するなという方が無理だ。
それを振り払うように、蛮声が木霊する。
そして、黒い、恐るべき破壊力を秘めた塊が、怒濤のように装甲兵に向かった。
ローランド王国装甲兵は、まさかノーザンブリア王国軍が打って出てくるとは予想していなかったらしい。
常識的に考えれば、神銀の装甲と剣を持ち、法撃も可能な装甲兵に一般の歩兵が突撃するなど馬鹿げた話だ。
一般歩兵の剣は神銀の装甲を貫けず、逆に装甲兵の剣は一般歩兵の鎧を簡単に貫くだろう――いや、それ以前に魔法でやられてしまうかもしれないが。
少しばかり面食らったようだったが、冷静に火球や土弾といった魔法が飛んでくる。
ローランド王国軍であってもそれは変わらないのだな、と思いながら、ユートもまた陣地を出た。
さすがに軍司令官ともなれば突撃の先頭に立つことは叶わないが、それでも一人陣地に隠れているわけにはいかない。
「やっぱり苦しいわね……」
戦場から目を離していないエリアが、苦々しげな言葉を吐く。
火球や土弾、水球といった魔法に抗う術を持たない南部貴族領軍の歩兵たちは次々と倒れていく。
「騎兵に突撃させた方がよかったんじゃないの?」
接近するまでの間、魔法を受けるわけだから、脚の速い騎兵ならばその分だけ浴びる魔法を減らすことが出来るだろう。
「既に南方騎兵は消耗しているからな……可哀想だが、育成に時間のかかる騎兵は、出来るだけ温存せねばならんのだ……」
同じく苦々しげに先代クリフォード侯爵が答える。
騎兵は人馬ともに育成に時間のかかる兵種だ。
それでもノーザンブリア王国軍ならば、潤沢な予算と継続的に王立士官学校や教育団から輩出される将兵によってある程度は補いがつくが、こと貴族領軍ともなればそうはいかない。
どこの貴族領も自前の軍学校を持っているわけではなく、王立士官学校に陪臣の子弟を送り込んで教育を受けさせたりしているのであり、特に優秀な下士官兵の育成には大いに苦労している。
だから、育成に時間のかかる騎兵を大量消耗してしまえば、なかなか補いがつかないわけであり、それを知っている先代クリフォード侯爵も時間稼ぎの為に投入を躊躇ったのだ。
「世知辛い話だがな」
ぼそり、と先代クリフォード侯爵が呟き、ユートも首肯した。
そして、ようやくたどり着いた歩兵たちだが、今度は神銀の剣を抜き放った装甲兵たちになぎ倒されていく。
剣と剣がぶつかる剣戟の音は、すなわちノーザンブリア兵の剣が折れる音であり、時折上がる断末魔の悲鳴はノーザンブリア兵の人生が終わる瞬間だった。
「もう耐えられないわ!」
エリアは思わず剣を抜き放った。
何をするつもりなのかは誰にでもわかる。
兵たちだけを死地に追いやり、後ろから傍観しているだけの自分に耐えられなくなったのだろう。
「やめろ、エリア!」
あわててユートが止めようとしたが、エリアは殺気だった目つきでユートを睨みつける。
「あたしが突撃するだけよ。あんたはここにいていいわ。それでエーデルシュタイン伯爵家は南部貴族を見殺しにしたって言われなくて済む」
それは建前なのは明らかだったが、エリアの血走った眼を見て、それ以上何も言えなくなりそうだった。
それでも、止めようとした時、先代クリフォード侯爵が手で制した。
「やめておけ。どうせ私たちが戦う時は迫っている」
そう言いながら、周囲に固まっている先代クリフォード侯爵直卒の一個大隊を見やった。
いずれもクリフォード侯爵領軍であり、南部貴族の中でも精鋭の一つだ。
他の大隊は突撃させたが、この一個大隊は身一つで駆けてきた間抜けな軍司令官の警護をかねて先代クリフォード侯爵が手元に残しておいたのだ。
その、軍司令官警護の一個大隊が戦わねばならない、という理由は一つ――前方の戦いで南部貴族の歩兵たちが破られた場合しかなかった。
もちろん、南部貴族領軍は敗退したわけではないし、潰乱したわけでもない。
ただ、鈍重ながらも力強い足取りで前に進む装甲兵を相手に、足止め出来なかったに過ぎない。
その証拠に、破られたのは中央だけであり、両翼は果敢にも無謀な戦いを繰り返している。
「さて、ユート卿は下がりたまえ」
「え?」
「軍司令官の仕事は一個大隊を率いることではないだろう――まあエーデルシュタイン伯爵領軍ならばそうかもしれんが、ここにいるのはクリフォード侯爵領軍だ」
つまり、先代クリフォード侯爵は部下とともにあの装甲兵に突撃しようというのだろう。
「いえ、そうはいきませんよ」
それはどう考えても冷静な判断ではない。
先代クリフォード侯爵は困ったような表情を浮かべたが、そうしている間にも装甲兵は接近してきていた。
「というよりも、議論している間がありません」
しょうがない、というように、先代クリフォード侯爵は頷く。
そして、一個大隊と三人は、前に出た。
幸いなことにクリフォード侯爵領軍のあたりまでやってきた装甲兵はわずか百人ほど――とはいえ、一個大隊を叩きつぶすには実に十分な数だった。
まず仕掛けたのはエリアだった。
剣を構え、装甲兵と相対する。
「いくわよ!」
そう叫ぶと、無意味かも知れないが、剣で斬りつける――と見せかけて、思い切り相手の膝を正面から蹴り飛ばした。
くぐもった悲鳴が、兜の中から漏れる。
不意打ちで膝を正面からもろに蹴りつけられればどんな大丈夫だろうが耐えられるわけがない。
神銀の装甲を持っていようが、中に入っているの生身の人間なのだ。
膝の靱帯がどうかなってしまったらしいその装甲兵は左膝に力が入らないのか、そのままどう、と倒れた。
ユートもまた、まともに勝負はしなかった。
やはり、剣で斬りつける、と見せかけて、火炎旋風を兜目がけて叩きつける。
火球程度の火の粉ならばともかく、真っ正面から開口部の多い兜に火炎旋風を叩き込まれれば、神銀の装甲は無事でも中から丸焼けになるだろう。
装甲兵の蒸し焼きを作るなど、非人道的にも程があったが、手段を選んでいる余裕などユートにあるはずはない。
そして、ユートも目論見もまた当たったらしく、身の毛もよだつような悲鳴が上がり、その装甲兵は七転八倒しようとして、自らの装甲の重さでただ倒れるだけで七転八倒も出来ぬまま、やがて悲鳴すら発さなくなった。
エリアとユートが一人ずつ装甲兵を倒したことで、戦場に奇妙な静寂が訪れた。
クリフォード侯爵領軍の歩兵たちは軍司令官と軍司令部副官が見事な人殺しの手練手管を披露したことに勇気百倍しつつ、しかしそれは簡単になせるわけではないこともわかって、どうしていいかわからないのだろう。
そして、ローランド装甲兵たちは、無敵と思っていた自分たちの目の前で起きた惨劇に、どうしていいかわからなかったようだ。
だが、その奇妙な静寂も一瞬だった。
生きながらに焼かれるとしても、命令である以上、彼らもまた前進しなければならないし、そこに立ちはだかる者は討ち果たさねばならなかった。
袋だたきにしようというのだろうか――装甲兵たちはユートとエリアを半包囲していった。
「軍司令官閣下を救え! 突撃せよ!」
先代クリフォード侯爵の声が響き、乱戦となった。
乱戦になってしまえば、さっきのような手は使えなかった。
火炎旋風を叩き込もうにも、それ以前に半包囲されて数に押されてしまってどうしようもないのだ。
突出したことを少し悔いたが、しょうがないと諦める。
幸い、装甲兵は鈍重であり、冒険者らしい革の鎧しかつけていないユートやエリアにとってはかわすだけならばそう難しいことではない。
これが一般歩兵のように鋼の鎧を身に纏っていれば、何発ももらうことになっただろうし、それ以前に死んでいただろう――そう、今クリフォード侯爵領軍の歩兵がそうなっているように。
だが、クリフォード侯爵領軍の歩兵がその数を減らしていくにつれて、ユートとエリアも苦しくなってきていた。
先代クリフォード侯爵はどうしているのだろう、とちらりと見たが、驚いたことにクリフォード侯爵家伝来の家宝である火炎剣で渡り合っている。
よく考えれば、火炎剣も魔道具の一種――魔石を使わず本人の魔力を使う物を魔道具というかユートにはわからないが――なのだから、神銀製なのも当然であり、それならば切り結べるのも当然だった。
エリアは、とそちらを見ると、前後左右にすばしっこく動き回って装甲兵の的を絞らせず翻弄している。
装甲兵から見れば小さなエリアが、ひらりひらりと装甲兵を翻弄する姿はまるで弁慶と牛若丸だな、とユートは内心で笑っていた。
「ユート、危ないわよ!」
よそ見をしているユートに、エリアが叫ぶ。
いつの間にか背後を取られていて、神銀の剣が振りかざされたのが視界の端に映った。
とっさにユートは自分の剣でそれを防ごうとする。
「駄目!」
悲鳴のようなエリアの声――そして、神銀の剣と、ユートの剣がぶつかり合い、ユートの剣が折れるのが想像された。
ユートは思わず目を瞑っていたが、予想された頭への衝撃は訪れず、そのかわりに手が痺れていた。
「なっ!?」
目の前からくぐもった驚きの声が響く。
それはユートを斬ろうとした装甲兵の声に間違いなく、慌てて何が起きたのか理解して鍔迫り合いを押し込もうとした。
だが、目を開けると周囲には装甲兵の壁が出来ていた―― よそ見をした一瞬、目を瞑った一瞬で囲まれていたのだ。
「くそっ!」
ユートはそう叫ぶと、身を低くして装甲兵の間を転がるようにして通り過ぎる。
近づき過ぎて同士討ちを恐れたのか、装甲兵の追撃は飛んでこないが、それでも体勢も状況も不利すぎた。
その時、不意に陣地の方から喧噪が聞こえた。
近衛装甲騎兵か、とユートが思った時、聞き慣れた声が耳朶を打った。
「ユート! あちきが来たからにはもう大丈夫ニャ!」
それは頼みの綱の装甲騎兵ではなく、レオナだった。
「レオナ! あんた自分の大隊はどうしたのよ!?」
「父ちゃんに丸投げしてきたニャ! どうせ妖虎族だから大丈夫ニャ!」
確かにレオナの率いる部隊は、妖虎族の面々であり、レオナの父アルトゥル・レオンハルトが率いるのもまた妖虎族――ただ冒険者ギルドに加入しているか加入していないかの違いしかないのだから、妖虎族の族長たるアルトゥルが率いても何ら問題はないだろう。
「で、あんたが一人で来てどうするのよ!?」
「あちきにはこいつがあるニャ」
そう言いながら、レオナは自慢げに魔石銃を一つ叩くと、引き金を絞る。
ユートのすぐ背後にいた装甲兵の頭に弾丸が叩き込まれ、その装甲兵はものも言わずに味方の装甲兵を巻き込んで後ろへと倒れ込んだ。
「神銀の弾丸を食らいやがれニャ!」
そう言いながらあっという間に四人、五人、と射倒していく。
地雷なる未知の武器を恐る恐る踏みつぶしながら、死兵と戦い、目の前で僚友が蒸し焼きにされ、神銀の剣を防ぐ剣を持つ者が二人もいた挙げ句に、わけのわからぬ方法で無敵だったはずの神銀の装甲が破られていく。
そんな事態に、装甲兵の精神力が限界に来たようだった。
一人、二人と後ずさりを始め、そして六人目が倒れた時には、完全に戦意を失い、逃げ始めた。
「大丈夫、ユート?」
「ああ、どうにか」
そう言いながら、レオナを見やる。
「レオナ、ありがとうな」
「六発でけりがついてよかったニャ」
「どうしてよ?」
「大森林には『六発は 当たる, けれども 七 発目 は 悪魔のものだ』って言葉があるからニャ」
そう言いながらレオナは魔石銃を愛おしそうに撫でた。




