第214話 神経戦
久しぶりの更新となりました。今後は火曜金曜で更新します。
小競り合いは毎日起きているが、決戦には至らない睨み合い――ティムサ川戦線ではそれが毎日続いていた。
主導権を握っているのは、数に優るローランド王国軍であり、ユートたちノーザンブリア王国軍は守勢に回らざるを得なかった。
ローランド王国軍は好き勝手に小競り合いを主導している。
ある時は騎兵が戦線の隙間――特に戦線中央の先代クリフォード侯爵率いる南部貴族領軍とアーネスト前宮内卿率いる近衛軍との間――を衝こうとしたり、突然夜中に法兵を前進させて先代カニンガム伯爵率いる東部貴族領軍に擾乱法撃を見舞ったり、といった行動に出ていた。
騎兵の時は先代クリフォード侯爵が即座にクリフォード侯爵領軍騎兵を出して対処したお陰で事なきを得ていたし、擾乱法撃の時は夜戦に強いレオナが妖虎族の連中とともに飛び出していって一晩中敵法兵を追いかけ回したりしたが、いずれも大きな問題には至っていない。
とはいえ、今のところは、という但し書きを付けなければならない話でもあり、いくら問題が起きていないとはいえ、そうした攻勢が起きるに走る緊張感はユートを筆頭とする指揮官と、そして兵たちにストレスを与え続けていた。
「兵の粘り強さには助けられますな」
ティムサ川戦線の最東部――最左翼に位置するユートの司令部でアーノルドがそう呟いた。
兵というものは攻勢に出て自分たちが主導権を握っている間はそうでもないが、こと守勢に回り、相手に主導権を握られる状況になれば一気に士気が落ちるものだ。
いつ終わるとも知れない敵の攻勢を受け、常に命の危険がある状況、ともなればそうなるのはやむを得ないことである、というのはユートにもわかる。
だが、今回の西方軍、東部貴族領軍、南部貴族領軍の兵たちはそうではなかった。
もちろん、疲労はたまっているようだったが、未だ意気軒昂であり、敵が出現する度に積極的に反撃をして追い返していた。
「防衛戦闘の利点、ですかね?」
「そういうことですな。もちろんその前提には、陛下をはじめとする貴族の者たちが、民を慈しんできたという事実があってのことですが」
防衛戦闘では、比較的兵の士気はましになる。
当然ながら、自分たちが敗れれば故郷が滅ぶかもしれない、という危機感から兵たちが自発的に戦おうとするからだ。
もちろんその前提にはこれまでの政策によって臣民の愛国心が涵養されているという前提があってのことではあるが、その点についてノーザンブリア王国は王国改革以来、平民であっても国家の枢機に関われるような制度になっており、歴代の王が善政を敷いてきたこともあって全く問題はなかった。
「でも、疲労がきついわよ」
確かにエリアの言う通りだ。
日中はいつ攻めてくるかとじりじりする状態で待たされて心身共に疲労が溜まった上に、夜間に擾乱法撃を加えられてからは満足に眠れない兵も増えているらしい。
エリアの言葉にユートは渋い顔をした。
そのエリアの言と同じことを感じている人はもう一人いた。
いや、加速度的に兵の疲労が溜まっていっているのは全員知覚していたが、特に強い問題として認識していた、というべきだろう。
それはほかならぬ軍務卿にしてノーザンブリア王国総軍司令官――ウェルズリー伯爵だった。
「ユート君、これはよくないですね」
ユートが呼ばれてやっていくと、アーネスト前宮内卿とともに難しい顔をしたウェルズリー伯爵が開口一番、そう呟くように言った。
少しだけ顔色の良くなったウェルズリー伯爵に、ユートは安心しながらも、同時にその言葉の持つ問題について眉間にしわを寄せた。
「ええ、とはいえ、解決策が浮かびませんが……」
恐らくローランド王国軍は交代でああいうボディーブローのような攻撃を仕掛けてきているのだろう。
数が多い上に主導権を握った戦いともなれば、ローランド王国軍の方は士気も疲労も大きなマイナスはない。
もし最初からローランド王国軍が本格攻勢に出てくれれば、ウェルズリー伯爵も防衛体制には自信があったのだろう。
しかし、こうしたちくちくと嫌がらせのような攻撃を続けられれば、兵の疲労や士気の観点からノーザンブリア王国軍は極めて不利な状況に追い込まれる。
「いやらしい攻撃ですな」
アーネスト前宮内卿が嫌悪感をあらわにする。
近衛軍とはかつての王宮騎士団が王国改革で改編されて編成された経緯があり、今も騎士道精神を強く受け継いだ部隊だ。
アーネスト前宮内卿も近衛出身であり、高潔で清廉な人物であるがゆえに、こうした相手の精神を痛めつけるようなローランド王国軍のやり口とは相容れないのだろう。
むしろ勝つ為ならばなんでもあり、というローランド王国軍の考え方はユートたち冒険者の方がよっぽど近かった。
もちろんユートにもアーネスト前宮内卿のような騎士道精神もわからないではなかったし、ウェルズリー伯爵の、騎士道精神が国際慣習法の役割を果たしているから、戦時でも非人道的な行為が少ない、という考えは理解も納得も出来るものだ。
とはいえ、勝てるならば多少こずるいことをするのには全く抵抗はない。
「ユート君、どう思いますか?」
ウェルズリー伯爵はにやにやとしながらユートにそう声を掛けてきた。
ちょっと体調がよくなったと思えば、またいつもの先生モードに入っているのかも知れない。
「兵を休める為にこちらも交代制をとる、ですかね?」
「それでは勿論落第点です。わかっていますよね?」
「ただでさえ劣勢なのに、戦力を分割するのはローランド王国軍が攻勢に出た時に危険、ということですよね」
「その通りです」
ウェルズリー伯爵は満足げに頷く。
単なる交代制をとることはまずいとわかった上で、交代制を提案しているならば、それにはちゃんと意味がある。
「では、どうすればいいと思いますか?」
「防衛陣地の強化、ですよね?」
「ええ、ええ、その通りです。問題は、その強化がままならない、ということですがね」
問題点を共有して、それに帯する解決策を探っていく。
もちろん会議の進行を誰がやるか、というところで効率が大幅に変わるのは当然だが、そのあたりは古今東西、どこの会議でも変わらない。
そこら辺の会議と違うのは、共有されている最終目標が、いかに効率的に人を殺すか、という一点であるだけだ。
「総軍司令官閣下、戦線正面の縮小はどうでしょうか?」
アーネスト前宮内卿が別の提案をする。
「それも一つの選択肢ですが、戦線正面を縮小した場合、相手騎兵による後方浸透が考えられます。そして、我々より後方に有力な味方部隊はいません」
「空いた両翼を騎兵で埋める、というのは?」
「騎兵に苦労を背負い込んでもらって、歩兵の疲労を軽減する、ですか」
「ええ、その通りです。来たる決戦において、主力となるのは歩兵ですし、浸透とそれを防ぐ機動戦をやる、ということはこちらの騎兵だけが一方的に疲弊するわけではありません」
ウェルズリー伯爵は少し思案顔となる。
やがて、思索が終わったらしく、アーネスト前宮内卿の方を向き直る。
「それも一案ですね。ただ、問題はやはり数です。いくら南部貴族領軍の騎兵がいて質は我が方の方が高いとはいえ、数で押されている以上、我が方だけが疲弊する、という局面も考えられます」
「南方軍の再編が間に合っていればよかったのですが……」
アーネスト前宮内卿が悔しそうな声を出した。
本来、騎兵を中心とした機動戦を得意とするのは南方軍だった。
王国南部はやや丘陵がおおいこともあり、農地としては不適だが牧場にするには十分な土地が多い。
その為、古くから馬産地であり、当然ながら騎兵の精強さというのは知れ渡っており、南方軍もまた騎兵の強さに定評があった。
その南方軍がタウンシェンド侯爵アイザックの引き起こした王位継承戦争によって大損害を受けた上に士官以上の徹底的な思想検査、そしてオールドリッチ機関の浸透工作を受けて、軍としての形を為していない状況だ。
特に致命的なのが、南方軍に関しては下士官まで旧タウンシェンド侯爵家や、クリフォード侯爵家の係累が多かったこともあり、多くの下士官が王位継承戦争の責任を問われて軍を追われたり、自発的に旧タウンシェンド侯爵家に従って叛乱に与したりしている。
優秀な下士官は軍の背骨であり、その下士官までもを失った南方軍は再建の目処が立っていないままなのだ。
「しかし防衛陣地の強化、といっても限度がありますぞ」
「それもわかっています。しかし、少しでも交代できるような状況を作らないと我々の負けです」
ウェルズリー伯爵もまた、悔しそうだった。
布陣そのものは必勝の態勢といってもいい。
優秀な指揮官の下に、指揮権が再編され、戦線のどこを見ても有力な打撃部隊を置くことが出来ている。
その上、ティムサ川の天険に拠っているのだから、多少敵の方が多い程度でどうこうなるとは思っていなかったのが、こうした形で覆されようとしているのだ。
防衛陣地の強化、ということでユートには少しだけ、地球で使われていた道具が思い浮かんだが、すぐにそれを打ち消す。
ともかく防衛陣地を正攻法で強化出来ればいいのだ――それが簡単なのか困難なのかが問題だが。
「相手の指揮官はそうとう優秀ですね」
ウェルズリー伯爵の言葉が現状を表わしていた。
「ユート、おかえりだニャ」
最右翼のティムサにあるウェルズリー伯爵の司令部から、最左翼のユートの司令部までは距離に直せば一時間くらいで歩ける距離である。
しかし、いつ敵襲があるかと殺気立っている陣地内を突っ切るわけにもいかず、ぐるりと回る関係で意外と時間がかかるのだ。
そのせいで会議が終わって戻ってきた頃には、既に夜のとばりが下りつつあった。
「どうした?」
「あちきが今晩の当番だニャ」
「昨日もだったんじゃないのか?」
「こないだ、敵の法兵を取り逃がしたニャ。次あんなふざけた真似をしてきたら、すぐにこの魔石銃で撃ち殺してやるためにあちきが当番に志願したニャ」
当番、というのは勿論夜間の警戒を指揮する者の当番だ。
基本的には西方軍司令部の副官二人――アーノルド、エリア――と、エーデルシュタイン伯爵領軍の指揮官四人――アドリアン、ゲルハルト、レオナ、アルトゥル――で回しているが、夜戦指揮を執るとなるとやはりレオナかアルトゥルが適任だろう。
「でも、大丈夫なのか?」
もちろん体力的なことだ。
「父ちゃんは正直キツいらしいニャ。でもあちきはまだ若いから大丈夫だニャ。心配してくれてありがとうだニャ」
レオナはそう笑いながらサムアップを見せた。
それから数日、ノーザンブリア王国軍は防衛陣地の強化を図っていたが、結果は芳しくなかった。
理由としてはそうした工事をしようとすると、決まってローランド王国軍騎兵などを出して牽制してきたせいで、工事が遅々として進まないまま、兵や中級指揮官が苛立つ、というだけの結果になりつつあったのだ。
「さすがにあちきもきついニャ」
毎晩毎晩、敵襲に備えているレオナがそう音を上げ始めていたし、ユートやエリアも時折交代していたが、明らかに疲弊していた。
ユートは何回かエーデルシュタイン伯爵領軍やその他の指揮下の部隊を視察したが、いずれも疲労がたまっているのが見て取れている。
「ユート、ちょっと何か考えないとまずいわよ」
エリアの言うことはユートもわかっている。
一つだけ、腹案がないわけではなかったが、それを口に出すのははばかられるところもあった。
「ユート、ちょっと、聞いてるの?」
「なあ、エリア。魔道具で戦線正面を狭めるのはどう思う?」
「どういうことよ?」
「地面に埋めてさ、踏んだら爆発するんだ」
ユートの頭に浮かんでいたのは、地雷――対人地雷だった。
躊躇していたのは、もちろんその対人地雷がもたらす負の影響を考えてのこと――とはいえ、このような状況の下であれば地雷があれば戦線を大きく縮小するのに役立つはずだった。
「いいんじゃないの? ていうかあんた、なんでそんなアイディアあるのに黙ってたのよ?」
「いや、日本では似たような兵器があったんだけど、安価に量産できて、関係のない人まで巻き込むから非人道的だって言われてたんだ」
魔石銃の時も色々と逡巡したが、対人地雷はそれ以上の逡巡があったのは当然のことだ。
いくらこの世界に馴染んでいるとはいえ、倫理観まで簡単には変えられない。
「あら、でも魔道具でしょ? 王国だと作れる人限られるし、ウォルターズ小隊長なら黙っておいてくれるでしょ?」
エリアは事も無げに言った。
二人の食い違いは、エリアが地雷の怖さを知らないからなのか、それともユートが地雷の怖さを知りすぎていたからなのかはわからなかった。




