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異世界ギルド創始譚  作者: イワタニ
第八章 最終決戦編
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第213話 必勝の布陣

「こうやって見ると壮観だな」


 先代クリフォード侯爵がそう笑った。

 視線の先にはティムサ川と、それを挟んで対陣するノーザンブリア王国軍、ローランド王国軍の宿営地がある。

 川から数百メートル離れて対陣しているのは、大雨などが降り、ティムサ川が万が一増水した時の備えなのか、それともそのくらい離れていないと奇襲に対応しづらいからなのか――


 ここはかつての先代クリフォード侯爵の領土――今もクリフォード侯爵家の領土だ。

 その自領で両国軍が対陣しているのは思うところがあるだろうに、先代クリフォード侯爵は壮観と言い切っていた。

 それは武人たる先代クリフォード侯爵の本音なのか、それとも領主たる先代クリフォード侯爵の強がりなのかまではユートにはわからなかった。

 しかし、いずれにしてもクリフォード侯爵領南部はローランド王国軍の侵略を受けていて、このまま長対陣が続けば、クリフォード侯爵家の受ける経済的な打撃はますます増えるということだ。


「ロドニーはこう見えて内政は上手いから心配することはないぞ」


 クリフォード侯爵家の財政状態を心配したユートの表情を読んだのか、すぐ傍のロドニーを見ながら先代クリフォード侯爵はにやりと笑う。

 少し前まで間道の方を守っていたロドニーだが、クリフォード侯爵領軍を率いて南部貴族領軍として参加している。

 その間道にはまず敵の侵攻はないだろうと、かつてクリフォード侯爵領軍に所属しながら、老齢となって引退した老兵たちを充員召集して送ってある。

 戦闘力としては期待出来ないが、まあ監視任務であるならばそれで十分――間道から本格的な攻勢が始まるならば、どのみちティムサ川戦線に張り付けてある主力を回さなければ対処できないという判断だ。


「それに今回は救恤金が陛下から下賜されるだろうしな」


 本来ならば貴族領の統治は領主たる貴族の仕事であり、そこの財政状態が悪化しようが王国は何も面倒は見ない。

 とはいえ、天災や、あるいは天災にも等しい他国の侵略などを受けて著しく貴族領が荒廃した場合には、さすがに放っておく訳にもいかず、いくばくかの金穀が下賜されるのが通例だった。


 今回の第三次南方戦争(ザ・ファニー・ウォー)の場合、クリフォード侯爵領は主戦場になっており、クリフォード城すら包囲されたくらいにクリフォード侯爵領は侵攻されている。

 ローランド王国軍はノーザンブリア王国軍に比べて軍律が緩いところがあり、掠奪されている領民も多いらしいし、そもそもノーザンブリア王国軍に比べて兵站面が未発達なので、ローランド王国軍は軍として麦などを徴発しているという話もユートは聞かされていた。

 いや、そもそもとして、馬蹄で畑が荒らされたり領民がローランド王国軍を恐れて山などに逃げているので種蒔きや収穫なども上手くいっていないし、経済活動も停滞しているのだから、クリフォード侯爵領の経済は最悪だろう。

 今は蓄えを切り崩してどうにかしているのだろうし、富貴に溺れず有事に備えてそうした蓄えをしてきた代々のクリフォード侯爵家当主の慧眼と責任感は讃えるべきだが、それもまた限度がある。

 そうしたことを考えると、恐らく戦後にはアリス女王からクリフォード侯爵家に救恤金が下賜されるのは確実だった――恐らく財務卿のハントリー伯爵はまた頭痛がひどくなるだろうが。


「ところでウェルズリー伯爵(レイ)の奴はどこにいるのだ?」

「ウェルズリー伯爵なら、ティムサの街で指揮を執っているらしいです」


 さすがに病気で野営しつつ指揮を執るのは危険、ということでカニンガム副官以下がティムサで指揮を執ることを勧めたとユートは聞いている。

 ウェルズリー伯爵もまた、決して先頭に立って鼓舞するタイプの指揮官ではなく、むしろ帷幕のうちにあって知略を巡らすタイプの指揮官だけに、それですんなりといったようだった。



 ティムサの街は、どことなく陰鬱だった。

 元々はシルボーとの交易、そして南方植民地との交易の拠点であり、同時に南西街道の宿場町でもある街だった。

 南西街道は西アストゥリアスを通ってやはりそのまま南方植民地に到達する、南部の大動脈の一つだ。

 ところが第三次南方戦争(ザ・ファニー・ウォー)の開戦後、西アストゥリアスが陥落し、事実上ここが最前線となっており、一時はクリフォード城まで包囲されて完全に孤立すらしてしまった。

 当然ながら交易どころではなく、街には職を失った人があぶれ、また職を探してティムサの街を去る人が増えていった。

 唯一、兵隊向けの商売だけは好調だったが、最前線であるがゆえに駐屯する将兵もまた張り詰めた緊張感と、次の戦いがあれば自分たちも死ぬのでは、という虚無感を持っている者が多く、決して明るい雰囲気ではない。

 そうした様々な事情が重なり、クリフォード侯爵領第二の都市であったティムサはどこか退廃的で陰鬱な街へと変貌していたのだろう。


「やあ、ユート君。それに先代クリフォード侯爵(ジャスト)アーノルド(サイラス)、よく来てくれました」


 ウェルズリー伯爵の本営に入ったのは、この三人だった。

 病状を考えると、余り多くの人と会うのはウェルズリー伯爵の負担になりかねない。

 その為、ユートの他は気心の知れた二人としたのだ。


「その顔を見る限り、ともかくは死神を追い返したみたいだな」


 ウェルズリー伯爵の顔を見るなり先代クリフォード侯爵はそう笑った。

 シルボーにいた頃に比べればまだ顔色はましになっているように見える。


「お陰様で。まあその分、目の前の敵軍が死神に見えているんですけどね」

「その死神を倒すのが私たちの仕事だろう――まあ貴様の場合には本物の死神すら煙に巻きそうだがな」


 褒めているのか貶しているのかわからない先代クリフォード侯爵の言葉に、ウェルズリー伯爵も苦笑で応える。


「ところでそんなに苦しいんですか?」


 別にウェルズリー伯爵の体調ではない。

 目の前のローランド王国軍の話だ。


「ええ――彼らは八万を超える数であるのに対して、私の指揮下にある兵はその六割程度ですからね」


 ウェルズリー伯爵は素直にそれを認めた。

 今のノーザンブリア王国軍は、中央軍が一万六千、南方城塞軍を再編したアダムス支隊が三千、北方軍抽出部隊とウェルズリー伯爵領軍が二個大隊ずつ計四千でウェルズリー伯爵の指揮下にあるのが二万三千、西方軍四千にエーデルシュタイン伯爵領軍五千、それと南部貴族領軍六千に、東部貴族領軍五千でユートの指揮下にあるのが計二万、それ以外にアーネスト前宮内卿の指揮下にある近衛軍が六千ほどで合計五万弱でしかない。


「全面的な攻勢に出られた場合、かなり危険です」


 ウェルズリー伯爵の言葉にユートも頷く。

 実際に地形を見る限り、この戦線正面は河口付近ということもあってかなり広い原野となっている。

 この為、数に任せた全面攻勢に出られた場合、ノーザンブリア王国軍は予備隊をも投入して防戦するしかなく、どこかで数の暴力に屈することになるだろう。

 それは美しさも何もない勝ち方だが、そうであるがゆえに不確定要素が少ない勝ち方だ。


 もちろん、ウェルズリー伯爵はただ悲観しているわけではない。

 ノーザンブリア王国軍には切り札とも言うべきエーデルシュタイン伯爵領軍と近衛装甲騎兵がいる。

 魔法使いを揃えているこの重火力の両部隊がいるということは、この戦場におけるノーザンブリア王国軍はこれまでにない法兵火力の集中運用が出来ている、ということだ。

 そうした法兵火力をもって撃退することは不可能ではないだろうという予想もあったし、何よりも心理的な圧迫をかけることで全面攻勢に踏み切らせない小細工はいくつも考えていた。


「ほかに我々にとって有利なのは戦場地形の把握が出来ていること、ですが、それもこうして対陣しているうちに追いつかれるでしょう」


 実際、あちこちを騎兵が走り回っているらしい。

 それらは後方に潜り込むわけではなく、地形把握の為の騎兵とウェルズリー伯爵は踏んでいたし、その見込みは正しかった。

 地形さえ把握してしまえば、あとはひたすら愚直に力押しをすれば破れると踏んでいるのだろう。


「まあそれでもこちらの再編が終わって良かったですよ。そうじゃないと抵抗すらさせてもらえないところでした」


 指揮系統のめちゃくちゃになった二万程度の軍勢で八万の攻勢を防ぐなど、どんな名将をしても不可能だろう。

 ローランド王国軍は数で優るがゆえに少しでも確実に勝利しようとして、ノーザンブリア王国軍に貴重な時間を与えてしまっていた。

 これはアダムス支隊長やアーネスト前宮内卿が早い段階でティムサ川を盾にした組織的な抵抗を見せたこともそうした慎重な判断をさせたのだろう。


「ところで、ウェルズリー伯爵」


 ユートは真剣な面持ちをして言葉をかけた。


「なんですか?」

「兵站線を叩くのは駄目ですか?」


 少し前に思いついた構想――機動性に富んだエーデルシュタイン伯爵領軍が後方に進出し、ローランド王国の兵站線を断ち、撤退に追い込むのはどうだろう。

 ユートはそのことをウェルズリー伯爵に説明する。


「悪い作戦ではありませんね。ただ、エーデルシュタイン伯爵領軍五千が抜ければ、事実上ティムサの戦線を支えるのが敵の半分強となってしまいます。分遣したエーデルシュタイン伯爵領軍がやられればこの戦争は負けでしょう」


 エーデルシュタイン伯爵領軍が敵後方に進出している間、全面攻勢さえ受けなければ問題は出ないだろう。

 軍勢の数を多く見せかけるような小細工はウェルズリー伯爵の得意とするところだし、マンスフィールド内国課長からもたらされた情報によると相手の指揮官はまたもピエール王太子らしいので指揮官同士の心理戦になっても有利と踏んでいる。

 しかし、もしエーデルシュタイン伯爵領軍が敵の有力部隊に捕捉され、撃滅されれば――


 兵站線の憂いがなくなった以上、ウェルズリー伯爵がいくら小細工を弄してもいつかはローランド王国軍は全面攻勢に出る。

 それをせずに引き上げるのはピエール王太子が出陣している以上、許されないからだ。

 そして、その時に切り札になるべきエーデルシュタイン伯爵領軍がいない、となると、勝ち目は薄いだろうし、エーデルシュタイン伯爵領軍を投入しての後方兵站線の遮断はさすがに博打が過ぎると二の足を踏んでいたのだ。


「そうですか……」

「まあ追い込まれたらそういう作戦も考えないといけないでしょうけどね」


 起死回生、回天の作戦などというものは、最終的には追い込まれて破れかぶれで打つ、確率の低い博打のようなものだ。

 ウェルズリー伯爵はそんな判断をすることがないことを祈っていた。



 ユートに任されたのは戦線のうち東半分だった。

 前にアーネスト前宮内卿とアダムス支隊長が分担していたが、ウェルズリー伯爵もまたユートとウェルズリー伯爵でその分担をやろう、というのだ。

 ティムサは街であり、病身のウェルズリー伯爵が指揮を執る分には便利だが、ティムサ川の河口にある為、三キロに渡る戦線を把握するには不向きな場所でもある。

 しかし、ウェルズリー伯爵を野営させながら指揮を執らせるのは酷であるということもあって、こうしたやり方となったのだ。

 これでちょうど河口側の西半分の予備隊は近衛軍、山側の東半分の予備隊はエーデルシュタイン伯爵領軍という形になり、ローランド王国軍の全面攻勢の時には濃密な法兵火力の元でノーザンブリア軍は戦うというウェルズリー伯爵の構想もまた現実の物とできるだろう。


「それにしても、随分と立派な仮設司令部よね」


 ユートもエリアも、ウェルズリー伯爵に東半分を任された時は天幕のみの野戦司令部で対陣するとばかり思っていた。

 しかし、誰よりも地形を知悉している先代クリフォード侯爵がすぐに司令部として使えそうな建物を提案してくれたのだ。

 それはここら辺にある山林を管理する為にクリフォード侯爵家が置いた代官屋敷であり、司令部要員を収容してなお余りあるものだった。


「まあ大っぴらには言えんが、万が一の時に司令部として使うことも考慮して随分と前の当主が建てたらしい」


 先代クリフォード侯爵はそんなことを言っていたが、長年に渡ってローランド王国の侵攻に備えてきたクリフォード侯爵家らしい話だった。


「布団も意外とふかふかだしね」

「代官たちはちゃんと手入れをしていたようだな」


 かつての家臣である代官たちが日々、常在戦場の心構えでこの代官屋敷を守っていたことに先代クリフォード侯爵は満足げに頷いていた。


「それはそうとして、ユート。配置図よ」


 明らかに司令部の会議を開く為の地図台としか見えない、大きなテーブルにエリアが軍機の地図を広げる。

 今ここにいるのはエーデルシュタイン伯爵領軍の各隊と、西方軍の先任大隊長となっているセオドア・リーヴィス大隊長、先代クリフォード侯爵、先代カニンガム伯爵くらいしかいない。

 その他の部隊は既にティムサ川に沿って展開し、敵の攻勢に備えている。


「配置は西から先代クリフォード侯爵の南部貴族領軍、先代カニンガム伯爵の東部貴族領軍、そして西方軍になっていて、いざという時に備えて後方のこの代官屋敷付近にエーデルシュタイン伯爵領軍と西方軍直属法兵中隊、それに王立魔導研究所臨編小隊がいるわ。そして西方軍の警備大隊はいつも通り、クリフォード城に置いた補給廠と、この代官屋敷までの兵站線の警備」


 いつもならば王立魔導研究所臨編小隊も戦闘慣れしていない、という理由で補給廠か、あるいは兵站線の警備に当たっている。

 一人の法兵がいるだけで騎兵には対抗しやすくなるので、兵站線の安定という意味では地味だが重要な役割であり、また戦い慣れていない王立魔導研究所臨編小隊には最適の任務だった。

 しかし、今回はノーザンブリア王国軍の再編がなり、戦線全体が埋められたことで敵騎兵の後方浸透の可能性は著しく下がったのと、少しでも法兵火力を増強したいことから、敢えてエーデルシュタイン伯爵領軍と同じ配置としていたのだ。


「これで問題はないかしら?」

「教科書通りの間違いのない布陣だろうな」


 先代カニンガム伯爵がそう頷く。

 指揮官の中でも特に果断であり、かつウェルズリー伯爵とも親しい先代クリフォード侯爵を、ともすればユートとウェルズリー伯爵の担任地域の分かれ目であり、指揮権が錯綜しやすい最西部に置き、冷静で柔軟な指揮を行える老将と言える先代カニンガム伯爵を中央に置く。

 そして、万が一の際には山中で延翼運動を行う可能性も考慮して、猟兵運用にある程度の慣れがある西方軍を山に一番近い東側、最左翼に置くというのは誰が見ても最適の配置だった。


 これで、ノーザンブリア軍の布陣は完了した。



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