第212話 全軍の集結
クリフォード城に着いたのは九月二十日の夕刻のことだった。
ユートはともかくクリフォード城に入り、ウェルズリー伯爵はそのままティムサ川まで南下することになった。
本来ならば病身のウェルズリー伯爵がクリフォード城という比較的過ごしやすいところで指揮を執った方がいい、とユートは言ったのだが、ウェルズリー伯爵は聞き入れなかった。
曰く、私の指揮するべき部隊は、ティムサにある、ということらしい。
確かにユートがウェルズリー伯爵から第三軍に編入されたのは南部貴族領軍であり、彼らは今もクリフォード城に集結しつつあった。
また、クリフォード侯爵領軍もティムサ川ではなく、内陸側の迂回路に出ているので、クリフォード城に集結させるのが正しいのはわかっている。
心配なのはウェルズリー伯爵の体調だけだったが、ここ数日は少しは食べられるようになったのか、いくぶんましな顔色にはなっている。
ともかく急がねばならないのは、再編だとユートはわかっている。
もっとも、ユートのやるべき再編というのはかなり少ない。
というよりも、事実上は南方貴族領軍の再編であり、それもこうした仕事には長けている先代クリフォード侯爵がほとんどやってくれるので全く問題がなかった。
せいぜいユートがやったことは、クリフォード侯爵領軍を一度呼び戻す為にセオドア・リーヴィス大隊長の西方軽歩兵第一大隊を内陸道の方へ送ったことくらいだった。
「軍司令官閣下、クリフォード侯爵ロドニー、ただ今戻りました」
クリフォード城に戻ってきたロドニーと久々の再会を果たす。
前に会ったのはもう二年も前、確か王城で開かれた舞踏会の時だったはずだ。
その時から比べて、少し日焼けはしているようだが、それでも物腰や受け答えを見る限り、武官にはほど遠いな、と思わざるを得ない。
「おかえりなさい。それで聞いていると思いますが、クリフォード侯爵領軍を含む南部貴族領軍は全て、第三軍の指揮下に入ることになりました――あ、命令書はこちらです」
「ええ、承知しております」
「それで、南部貴族領軍の指揮なのですが……」
一般的に複数の貴族が集まって編成される貴族領軍の指揮は、その中に著名な戦術家がいない場合、最大の貴族家から選ばれるのが通例だ。
この場合、クリフォード侯爵家が最大の貴族家であり、クリフォード侯爵家が指揮を執るのが慣例に則ることになるが、クリフォード侯爵家の武の要である従騎士ジャスパー・ジェファーソンを怪我で欠いている。
その為、クリフォード侯爵家に南部貴族領軍全ての指揮を執らせるのはユートとしては怖かった。
「申し訳ありません……」
ユートの言葉をロドニーもわかっている。
いくさ下手ではあるが、無能ではない――むしろユートが話してみた感覚や、王都で見た立ち居振る舞いを考えると、文官としてならばいいところまで進めたのではないかと思う。
先代クリフォード侯爵が軍人として出世していた以上、ロドニーが中央に行ける可能性は余り高くなかったが、これまでも大過なくクリフォード侯爵領という大領を治めていたわけであるし、第三次南方戦争さえ起きなければ治世の名侯爵と言われた可能性すらあった。
「指揮官は、当家の方で用意します」
ロドニーも黙って頷くが、後ろに控えているクリフォード侯爵家の家臣団からはどよめきが漏れた。
それは意外と大きく、クリフォード侯爵家の不満を意味していた。
ジェファーソンにかわってロドニーの補佐をしているらしい、初老の男が一歩前に出て、ユートに何か言おうとすらした。
クリフォード侯爵家は南部一の大貴族であり、それが新興の伯爵家の陪臣に指揮されるというのは、補佐役を欠いてしょうがないとわかっていても素直に受け入れられるものではないのだろう。
だが、先代クリフォード侯爵ならば大丈夫――何せ彼らの先代だ。
ユートがその名を告げようとした時、不意にドアが開け放たれた。
「私が南部貴族領軍の指揮官を拝命した。エーデルシュタイン伯爵家傘下恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドのジャスティンである」
どう大声で名乗る。
少しばかり芝居がかったことでもしてみたくなったのか、先代クリフォード侯爵らしからぬ稚気と思ったが、本人は大まじめのようだ。
「父上!? なぜここに!?」
ロドニーの混乱もむべなるかな。
「今言われただろう? 私は今は恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドにいる身だ。そして総裁であるユート卿が、出陣を命じた以上、出陣せねばならん。恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドは陛下からエーデルシュタイン伯爵家に賜った領地であり、私はそこの領民ということになるからな」
それで話は終わりだ、とばかりにロドニーからクリフォード侯爵家家臣団の方を向き直った。
「貴様ら、さっきの態度は何だ!? ドアの外まで聞こえたどよめきは!? ノーザンブリア王国存亡の危機に際して、たかだかクリフォード侯爵家が大貴族だからエーデルシュタイン伯爵家の指揮に入るのは嫌だという、手前勝手な理屈で不満を持つのか!?」
「いえ、そうではありません……」
初老の重臣が答える。
青菜に塩、まさにそんな感じだな、とユートは内心で苦笑いをする。
「では、なんだった? ロドニーがいくさ下手であることを指摘された不満か? こればかりはこの私も認める事実だからやむを得ん」
「父上……」
公の場で貶されたロドニーはうつむいている。
「先代クリフォード侯爵……そのくらいで……」
ユートが止めに入らなければ、先代クリフォード侯爵の公開処刑はまだまだ続いただろう。
家臣団についてはどうでもいいが、別に不満を漏らしたわけでもないロドニーまでが公開処刑されるのはいささか不憫だった。
「わかった。ただ、貴様らに言っておく。我らは王国の為に存在しているのだ。このような国の危機に際して、高貴なるが故の義務ということを、もう一度よく考えろ」
先ほど一歩歩み出ようとした初老の重臣は頭を垂れた。
「では、先代クリフォード侯爵、あとはお願い出来ますか?」
「任せてくれ」
あとは先代クリフォード侯爵に任せれば大丈夫だろう。
公式の立場としてはエーデルシュタイン伯爵家の陪臣という立場なのかもしれないが、クリフォード侯爵家の先代に向かって、エーデルシュタイン伯爵家の陪臣だから指揮を拒むなどという貴族家が南部貴族――しかもクリフォード侯爵家の元寄子たちにあるわけがない。
それはクリフォード侯爵家に真っ正面から喧嘩を売る行為であり、第三次南方戦争が終わった後、クリフォード侯爵家の力の強い南部では貴族領としてたちいかなくなることが明らかだからだ。
ユートは安心してその場を先代クリフォード侯爵に任せると、執務室へと戻っていった。
そこからのユートの仕事は単純だった。
一つは南部貴族たちが兵を率いて来る度に、挨拶をすること。
これは順調だった。
クリフォード城に集結するということはロドニーの指揮下に入るのか、と不安に思っていた貴族もいたらしいが、指揮を執るのは――ウェルズリー伯爵に言わせればやや堅実すぎるという部分があるにしろ――堅実な良将として知られていた先代クリフォード侯爵であったことを感謝すらされた。
いくら危機に際しては身命を賭すのが高貴なるが故の義務、と言っても無駄死にをしたくないのは当然であり、先代クリフォード侯爵を選んだことについての不満は一つもなかった。
もう一つは、ウェルズリー伯爵の求めに応じて兵を派遣することだった。
ティムサ川の戦線の立て直しは進んでいるようであり、疲弊した各隊、あるいは撤退時に手近な部隊を全て組み込んだだけの非効率な応急防御部隊を一度クリフォード城まで下げて再編するのだ。
この再編は主にアーノルドが中心となって行ってくれた。
ポロロッカの頃ですら軍司令官一歩手前の立場だったアーノルドにとって、これらの指揮官はアダムス兵団のルーパート・アダムス兵団長を除いて全員が後輩であり、こちらも特に問題はなかった。
そのアダムス兵団長は近衛装甲騎兵を率いるアーネスト前宮内卿とともに、最後に引き上げてきた。
この時点でユートの手持ちはエーデルシュタイン伯爵領軍だけであり、第三軍はエーデルシュタイン伯爵領軍、南部貴族領軍、中央軍の一部、南方城塞軍を改編したアダムス兵団のあたりからなるという不思議なことになった。
もちろん、ユートも間もなくこれらを率いてティムサ川まで進出する予定であり、現地で西方軍を第三軍指揮下に戻し、中央軍などを第一軍の指揮下に戻す予定だった。
「久しぶりです。アダムス兵団長」
「エーデルシュタイン伯爵閣下、お久しぶりです」
アダムス兵団長はようやく最前線で事実上の指揮官となる重圧から解放されたせいか、晴れ晴れとした顔をしていた。
歴戦のアダムス兵団長と言えども、一国を背負う、というのは押しつぶされそうな重圧なのだろう。
「アーノルドも先代クリフォード侯爵も元気そうだな」
「ああ、元気だ。アダムス兵団長もご苦労だったな」
「遅滞戦闘ばかりが上手くなったぞ」
そう言い合いながら、先代クリフォード侯爵とアダムス兵団長――かつての訓育委員長二人が笑い合う。
「遅滞戦闘と言うことはアダムス兵団長、劣勢なのか?」
「まあ撤退時の話だから今はそうでもない。ティムサ川という天険があったお陰でどうにかこれを盾に凌いでいる」
ふむ、とユートは考える。
「持久戦で追い返せますかね?」
基本的には、敵地に侵攻している方が兵站の負担は大きいことは自明であり、ユートはそれを利用して、延々と対陣し続けるだけでどうにか出来ないか、と思ったのだ。
「どうだろうか……いや、我々としては積極的に攻勢に出る戦力がなかったので、余り考えていなかったが」
確かにアダムス兵団長からすれば攻勢やローランド王国軍を追い返すことなど考える余地もなかっただろう。
少しばかり無神経だったかとユートは反省するが、アダムス兵団長自身はむしろ追い返す算段すら出来るようになった、と喜んでいるようだった。
「まあそこら辺はウェルズリー伯爵の判断だな」
先代クリフォード侯爵がそう纏める。
また、この間に王都からの援軍も到着しつつあった。
第一陣は近衛たち――最大戦力の近衛装甲騎兵を一個中隊出しているとはいえ、まだまだ一般部隊は残っている。
さらにアリス女王は一個大隊、つまり五個中隊しか存在しない近衛装甲騎兵を更に追加で二個大隊派遣してくれていた。
これら近衛兵は合わせて六千、これはとりあえず第三軍の指揮下で近衛兵団を編成、アーネスト前宮内卿が指揮を執ることとなった。
この他に東部貴族領軍も到着した。
指揮官は王位継承戦争を共に戦った先代カニンガム伯爵だった。
元軍人であり、いくさ上手の先代カニンガム伯爵が来てくれたのは有り難かった。
「ユート卿、よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします」
先代カニンガム伯爵は武人らしく短く挨拶をしただけだったが、ウェルズリー伯爵の居場所を聞いていたのは、孫であるカニンガム副官チェスターがウェルズリー伯爵の司令部にいるからだろう。
白髪の総髪で、まさに古強者という雰囲気を湛えた先代カニンガム伯爵だったが、それでも孫は心配らしい。
「なんでこの戦いは、父ちゃんや祖父ちゃんが突然登場することが多いんだニャ?」
ユートがそんなことを思っていると、レオナが恐らく驚かされるだろうカニンガム副官のことを思ってそんなことを言う。
そういえばレオナも父親であるアルトゥルが突然王都にやってきて驚かされた口であるし、先立ってもロドニーが先代クリフォード侯爵の登場に驚かされていた。
「というよりもあたしたちを知っている人ばかりよね。どうしてなのかしら?」
レオナの話を聞いて、エリアがそんな疑問を出す。
「指揮官同士がお互いに知悉していることは戦場においてあうんの呼吸で動くのに有益ですからな。逆に仲の悪い者同士を組ませたりすれば、戦いにすらならないことも考えられます」
アーノルドの答えにエリアは頷いていたが、ユートはそうした人事をする軍務省の役人はたまったもんじゃないだろうな、と思う。
誰がどこでどうやって把握しているのか知らないが、それこそ口うるさい親戚のいる葬儀の焼香順より悩むことになるだろう。
まあ焼香順も承行順も大差ないか、とユートは内心でどうしようもないことを考えて苦笑していた。
この先代カニンガム伯爵率いる、東部貴族領軍の参陣をもって、ノーザンブリア王国軍の集結は完了した。




