第208話 進退伺い
ユートたち第三軍主力が東西支街道を抜けて王国南西部に入ったのは、九月になってからだった。
東西支街道は前に来たときと同じく、相変わらず道幅が細く、特に輜重段列は行軍が難渋したが、それでもどうにかシルボーまで行軍することが出来た。
「なんか、慌ただしいわね」
シルボーの様子を見てエリアはそう言ったが、それも当然だ。
シルボーにいる兵は、前に来たときと比べても数は増えているし、いずれも恐らく戦場帰りの兵士達だ。
「第一軍が来ておりますな」
紋章を読んだらしいアーノルドがそう断言する。
「アーノルドさん、よく紋章を覚えていますよね」
「戦場では必要ですからな――ああ、大隊長に必要なのであって、軍司令官は紋章を覚えるよりも、覚えている部下を使えばよろしいのです」
「……あたしは覚えないといけないってことよね」
エリアが情けない声を出しながら、往来を忙しそうに行き来する輜重段列の馬車や、負傷者の呻き声が聞こえる法兵馬車を見て、眉をしかめていた。
どこへいけばよいのだろう、という疑問を抱く間もなく、使者がやってくる。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、フェラーズ伯爵閣下がお待ちです」
そう言って案内される。
「お久しぶりです。フェラーズ伯爵」
「ユート卿か。久しぶりだな」
ユートが挨拶をすると、フェラーズ伯爵は顔を上げてそう返事を返してくれた。
その頬はやせこけていて、目の周りには隈が出来ていて、顔色は悪いのに、眼光だけが異様にギラギラとしている。
どこかで見たな、と記憶の糸を辿って、それがポロロッカのエレル籠城戦の時のサマセット伯爵であることを思い出す。
「申し訳ない。目も当てられない総敗軍だ…………」
ぼそりと、呟くようにフェラーズ伯爵はそう話し始めた。
「ウェルズリー伯爵のかわりは私には務まらなかった。どう詫びていいのかすら見当もつかん…………」
「ウェルズリー伯爵はどうされてるんですか?」
ユートは、第三軍の誰もが気になっていることを訊ねる。
「ウェルズリー伯爵もこのシルボーにおるよ」
驚きの言葉だった。
フェラーズ伯爵が『ウェルズリー伯爵のかわりは務まらなかった』と言った時点で、ウェルズリー伯爵は不測の事態で戦死なりをしたと思っていたのだ。
「なぜ、ウェルズリー伯爵が指揮を執らなかったんですか?」
「ウェルズリー伯爵が病に倒れてな……それで、私が指揮権を代行することになったのだ……」
ともかくウェルズリー伯爵は生きている、という事実がわかってユートはウェルズリー伯爵のことを頭から追い出す。
あとで見舞いには行くとして、ウェルズリー伯爵が生きているならば今、一番大事なのは戦況の把握や情報共有だ。
そのあともぽつり、ぽつり、とフェラーズ伯爵は話してくれた。
フェラーズ伯爵が言うには、第一軍はあの後も西アストゥリアス城塞への攻囲を続けていたらしい。
ユートたちが奪還した東アストゥリアス城塞とは違い、西アストゥリアス城塞は十二分に強化がされていたらしい。
具体的には一番北側の、本来の搦め手の城壁の前には空濠が掘られて、事実上城壁の高さが積み増しされていたし、それを突破しても本来の第三城壁が北向きに作り替えられていたという。
「そんなの簡単に出来ることなの?」
エリアは驚きの声を上げたが、門扉を付け替え、多少改修すれば出来ないことはないらしい。
東アストゥリアス城塞は前タウンシェンド侯爵の管轄であった為、予算やらの関係と、そして何よりもタウンジェント城より南の東アストゥリアス城塞を強化するメリットがなかったからやらなかっただけだったようだ。
逆にクリフォード城を落とせず、策源地となった西アストゥリアス城塞を強化する必要性が高まっていた為に、相当な資源や人員が投入されて強固な要塞線となっているようだった。
それでも攻城陣地を築き、法兵や近衛装甲騎兵を投入して城壁を叩いていく、という地道な戦術で攻略出来ないことはない。
実際、搦め手城壁は陥落寸前となっており、その向こうにある、西アストゥリアス城塞の施設を巡っての市街戦に近い状態にもなりかけたらしい。
そうした最中、ウェルズリー伯爵が吐血し、そのまま倒れてしまった。
ウェルズリー伯爵は戦地にあっては危険と判断され、シルボーに後送されて治療を受けることになり、指揮権はすぐに先任指揮官であるフェラーズ伯爵が継承して攻囲戦を続けたのだが――
「あの時は、漫然と攻囲を続けており。敵も活発な反撃を仕掛けてこなかった為、どこか油断していたのだと思います」
その時の状況を、フェラーズ伯爵はそう絞り出すように語った。
確かに戦場という非日常な場所にありながら、毎日がルーティンワークのように同じ戦いを繰り返すようになれば、慣れからどこか油断をしてしまう。
そうした時ほど危ないのだが、フェラーズ伯爵はその陥穽に陥ってしまったらしい。
ちょうどその頃合いで、ウェルズリー伯爵が倒れたのがどこからかローランド王国軍に漏れたらしく、大規模な攻勢が始まった。
だが、フェラーズ伯爵はそれをクリフォード城への侵攻まで含めた大規模な攻勢ではなく、単に搦め手城壁を狙った攻勢と読み違った。
そして、初動対応を誤った結果、大規模攻勢に耐えられず、搦め手城壁の失陥のみならず一気に攻城陣地が蹂躙され、第一軍は総崩れとなったらしい。
「本来ならば、ウェルズリー伯爵が病気に倒れたことも、すぐにローランド王国軍に伝わると判断して対処しなければならなかったのです。ウェルズリー伯爵のように、そうした予測をもとに罠にかけるような真似は出来なくとも、冷静に対処さえすればここまでの大敗には……」
懺悔の言葉だけが、響いた。
「……フェラーズ伯爵、過ぎてしまったことはどうしようもありません」
そんな慰めにもならない言葉をかけるしかなかった。
「フェラーズ伯爵、いい加減に泣き言を言うのはやめろ」
ユートの言葉を聞いても相変わらず暗い顔をしていたフェラーズ伯爵を見て、先代クリフォード侯爵が苛立ったように睨めつける。
「現在の戦況について、ちゃんと報告しろ。貴様の職責を果たせ!」
先代クリフォード侯爵がフェラーズ伯爵の胸ぐらを掴むと、そう一喝する。
「……すまん。現状、クリフォード城の付近が戦線となっている。我が方は第一軍主力の他、南方城塞軍残部に各隊を加えたアダムスのアダムス集成団、それにアーネスト前宮内卿の近衛装甲騎兵が戦線を張っている」
「そうか。クリフォード侯爵領軍は?」
「一応出てもらっているが……」
「何かあったのか?」
「実は、ジェファーソン殿が重傷を負っている……」
先代クリフォード侯爵は一瞬だけ瞬きをすると、そうか、と短く言った。
クリフォード侯爵家家臣団中の武官では先代クリフォード侯爵の最も信頼するジャスパー・ジェファーソンが重傷――となると、指揮を執るのは先代クリフォード侯爵の息子である当代クリフォード侯爵ロドニーということになる。
「このいくさはロドニーには厳しいな」
先代クリフォード侯爵は笑った。
親の贔屓目ではなく、息子だからこそその能力の限界をしっかりと見極めていた。
「ジェファーソンは?」
「軍野戦病院だ。今、このシルボーに野戦病院は開設されている」
「ふむ、ジェファーソンが傍におるならばともかく、ここにいるとなるとクリフォード侯爵領軍が心配だが、まあ戦線を崩壊させるほどではあるまい」
先代クリフォード侯爵は少しばかり親の顔になったが、すぐに軍人の顔を取り戻す。
「それでフェラーズ伯爵、我々はどうしたらいいですか?」
ユートとフェラーズ伯爵は王位継承戦争前から軍司令官をやっていたフェラーズ伯爵が先任だ。
ウェルズリー伯爵が指揮を執れない以上、軍司令官の中で最も先任のフェラーズ伯爵が総軍司令官の指揮権を継承しなければならない。
「それが、私は先ほどウェルズリー伯爵――総軍司令部に進退伺いを出してきたばかりなのだ……」
その言葉を聞いて、ユートは目が点になり、エリアは何が起きたかわからないという顔をし、アーノルドは呆れたようにため息をつき、そして先代クリフォード侯爵は鼻白んだ。
「貴様……とことん何をやっている……」
「他にどうこの責を負うというのだ……それにもう、アダムス集成団長ですら私の指揮に疑問を持っている状況なのだぞ」
先代クリフォード侯爵の怒りが滲む言葉に、フェラーズ伯爵はそう返す。
次の瞬間、先代クリフォード侯爵の拳がフェラーズ伯爵の左の頬を捉え、二メートルも吹っ飛ばされていた。
「ちょっと! 先代クリフォード侯爵!」
「放せ、ユート卿! こいつを修正してやらんと気が済まん!」
ユートが羽交い締めにしてもなお殴りかかろうとする先代クリフォード侯爵と、目を伏せて何も言い返さないフェラーズ伯爵――その間にアーノルドが割って入る。
「先代クリフォード侯爵、少し頭に血が上りすぎだ。君は今はエーデルシュタイン伯爵家の家臣扱い、エーデルシュタイン伯爵領軍の大隊長に過ぎん。もちろん先代侯爵としての立場もあるので、ただちにエーデルシュタイン伯爵家とフェラーズ伯爵家の問題という話にはならんだろうが、大隊長と軍司令官の問題にはなるのだぞ」
アーノルドに諭されて、先代クリフォード侯爵がようやく収まった。
「それとフェラーズ伯爵、君が悪いのは当然だ。総軍司令官であるウェルズリー伯爵が病気で倒れるという非常事態に、第一軍司令官の君までが進退伺いを出してのだ。戦況を把握していない上、欠員ばかりの第三軍司令部で指揮を執れると考えているのか?」
「第三軍司令部にはアーノルドに先代クリフォード侯爵までいるだろう。それに第三次南方戦争の英雄までがいる。私が指揮を執るよりもよっぽどましだろう」
やはりか、という顔でアーノルドがフェラーズ伯爵を見る。
「その為の進退伺いか?」
その問いに、フェラーズ伯爵は無言で答える。
「そういうことか」
先代クリフォード侯爵もまた納得したように呟いた。
つまり、フェラーズ伯爵はこのまま総軍司令官の指揮権を自分が代行するより、ユートがいて、更に副官にアーノルド、指揮下には先代クリフォード侯爵までがいる第三軍が指揮を執る方がいいと判断した、ということだろう。
「無責任に投げ出したいわけではない。しかし、今のノーザンブリア王国軍に必要なのは希望だ。初動対応を誤って大敗を喫した無能な指揮官ではなく、英雄が必要なんだ」
フェラーズ伯爵はそう言い募った。
「貴様……」
また先代クリフォード侯爵が少しこめかみに青筋を立てている。
「先代クリフォード侯爵、余計なことはするなよ」
アーノルドはそう先代クリフォード侯爵を牽制した後、じろりとフェラーズ伯爵の方を見て、そしてユートに目線を戻した。
「ユート様、いかがしますか?」
余りの成り行きに、ユートは何も言えない。
「司令官がいなくなった第一軍の再編、総軍全ての指揮、第三軍の指揮、いずれもやらねばならなくなりますが……」
一度、進退伺いを出してしまった以上、フェラーズ伯爵はそれを取り下げることは出来ない。
軍司令官は親補職である以上、進退伺いについてはアリス女王がどう判断するか、という一点に尽きるわけで、それまでの間はフェラーズ伯爵が指揮を執るわけにはいかない。
「とりあえず、ウェルズリー伯爵に一度話をしてみます」
ユートとしては青天の霹靂であり、第三軍の指揮ならばようやく慣れてきたとはいえ、それよりも上級部隊の指揮を執るなど、不可能としか思えない。
ウェルズリー伯爵ならば司令部にはカニンガム副官を先任副官として業務を処理する多数の副官がいるし、第一軍司令部でもたった二人ということはない。
第三軍司令部にここまで副官が少ないのは、猟兵戦術という新戦術を用いる為に士官の育成が間に合っていないという状況があったのと、もともと西方軍が小所帯だから、という事情があってのことだった。
「まあ、ウェルズリー伯爵も頭を痛めているでしょうから、一度話し合うのがいいかもしれませんな。せめて司令部要員だけでも譲ってもらわないと……」
「あたしは正直、副官としてはまだまだだしね」
「いえいえ、そういう意味ではありません。ただ、業務量が莫大なものになりますから、人数が必要です」
エリアに対して配慮しながらも、司令部を切り回しているアーノルドは強く増員を求めていた。
「まあ、そこら辺もわかりました。いずれにしても、ウェルズリー伯爵に話をしないと始まりませんね」
ユートのため息交じりの言葉に、アーノルドも先代クリフォード侯爵もエリアも頷いていた。




