第203話 タウンジェント城攻囲戦・前編
タウンジェント城までの道のりは楽だった。
敗残兵や、恐らく警備兵とおぼしき連中との戦いは先行するゲルハルトのエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊とレオナのエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊が引き受けてくれていたし、奇襲を受けないよう、西方驃騎兵第二大隊、中央驃騎兵第五大隊は走り回っている。
その結果、大きな抵抗も受けないユートの本隊は一度も戦わないまま、タウンジェント城から十キロの距離まで進出していた。
「さて、いよいよタウンジェント城だけど、な」
「ここから先にはもう村しかあらへんで。確認はしといたけど、誰もおらへんかった」
「タウンジェント城に収容されたのかしら?」
「いや、それはないでしょう。タウンジェント城はそこまで糧秣が豊かとは思えません。戦闘に役に立たない女子供まで収容するとは思えません」
アーノルドの答えに、先代クリフォード侯爵もシーランド侯爵も頷く。
「多分だが、勝手に疎開したのか、それとも籠城関係なしに廃村なのか……」
「つまり、重税や徴発に耐えかねて村が夜逃げしたってことですか?」
「そういうことです。ここら辺は前タウンシェンド侯爵のお膝元ですので、そこまで無茶な徴発はしていないとは思いますが」
つまり、シーランド侯爵は疎開したのだろうと言っているらしい。
「まあこの時期って小麦の収穫終わってるし、秋までには戻ってくるつもりなのかもね」
小麦は秋撒き小麦と春撒き小麦があるが、秋撒き小麦は初夏に刈り取ってしまうし、春撒き小麦は秋口まで刈り取らなくていい。
だから、今の時期は村から逃げても大丈夫なのだろう。
もちろん、籠城戦をやろうとする旧タウンシェンド侯爵領軍に青田刈りをされてしまう可能性はあるが、それは村人がいたところで止められるものではない。
「早く終わらせないと、冬に食べるものがなくなりそうだな」
「あたしたちは補給廠が運んでくれるからどうにでもなるけど、領民はそうね」
「まあ、籠城戦になって安定すれば戻ってきますよ」
シーランド侯爵は楽観的な言い方をする。
「春撒き小麦が全く刈り取れなければ、彼らは飢えて死ぬしかないというのをわかっています。だから、村が戦場にでもなっていなければ、秋口には戻ってくるでしょう。もちろん二ヶ月ほど手入れをしていないのだから、収穫高は落ちるでしょうが……」
それでも餓死者が続出するよりはましだ。
それに、秋口ならばパストーレ商会が新しい商隊を派遣してくれるだろうし、どうにか冬は越せるのではないかと目算を立てた。
「まあ、その為にも前タウンシェンド侯爵を封じ込めて、最低でもこのあたりまで実効支配しないと駄目ですよね」
それがユートの結論だった。
そこから警戒しながら、三時間くらいかけて進むと、タウンジェント城が見えてきた。
やや時間がかかったとはいえ、まだ日は高いし、このままタウンジェント城の近くに攻城戦の拠点となる陣地を構築する余裕はありそうだ。
そう思っていた矢先、先行するゲルハルトたち旧タウンシェンド侯爵領軍突撃大隊から信号弾があがった。
赤色信号弾――意味は、敵影見ゆ、だ。
「一部が打って出てきたのかな?」
ユートは馬上から遠くを見ようと背伸びをするが、ゲルハルトたちより向こうに何がいるかは見えない。
「恐らくそうでしょう。一戦も交えずに籠城、となった兵の士気を維持するだけで一苦労です。一当てして、こちらの先陣を破った上で、さっと引くつもりかと」
果たしてアーノルドの言ったとおりの伝令がやってきた。
敵の一部――恐らく騎兵中心の部隊がタウンジェント城を出て、タウンジェントの街の飲料水を供給するタウンシェンド川のほとりに陣取っている、と。
「水源を守ろうってことかな?」
「常識的に考えれば、籠城戦を考えたタウンジェント城がそんな位置に水源を置いているわけはないかと」
「ユート卿、タウンジェント城の取水塔はもっと西、一番川上側にあったはずだ」
やはり詳しいのは先代クリフォード侯爵。
すぐに取水塔の位置を教えてくれる。
「南部貴族ってそういうことを教え合っているんですか?」
「教えてもらわんでも、出入りする機会など何回もある。何がどう転んで戦いになるかなどわからんから、取水塔の位置くらいはしっかり把握するさ」
南部貴族同士といえども、旧タウンシェンド侯爵家とクリフォード侯爵家は南部の二大巨頭であり、何かまかり間違えば干戈を交えることもあると踏んでいたらしい。
もちろんノーザンブリア王国があるうちはそんなことは起こりえないものの、政変などで王国が混乱すれば、一番身近で、強大な軍事力を持つにはクリフォード侯爵家にとっては旧タウンシェンド侯爵家、旧タウンシェンド侯爵家にとってはクリフォード侯爵家なのだから、把握するのは当然らしい。
ある意味、大物貴族らしい反応にユートは苦笑いするしかなかったが、ともかくこれで取水塔の位置もわかった。
「ああ、なかなかに破壊するのは厄介だぞ。それに城中には井戸もある。そもそもクリフォード城もタウンジェント城も、南部防衛の拠点であるが故に、いざという時に籠城戦で水不足にならんように考えられている」
本来のノーザンブリア王国の防衛構想でいえば、ローランド王国との戦争が起きれば、両アストゥリアスを最前線として、このタウンジェント城やクリフォード城に軍司令部が置かれ、総軍司令部が南方首府シルボーに置かれて督戦することになっていた。
万が一西アストゥリアスが落ちれば、タウンジェント城は最前線になってシルボーからの援軍を待つことになるのだから、タウンジェント城はクリフォード城と並んで王国屈指の城塞なのだ。
「厄介ですね」
「ただ、タウンジェント城が――いや、クリフォード城もそうなのだが、城塞に十全に能力を発揮するには八千くらいの兵は必要だろう。城域が広大すぎて、それ以下の兵では苦戦は免れん」
つまり、今はタウンジェント城がその実力を発揮していない、千載一遇の好機ということだ。
「わかりました。必ず落としましょう」
「ユート、それもいいけど、目の前の戦いよ」
エリアに言われて、戦場に目を移すと、ゲルハルトが突進していくのが見えた。
一当てして士気を高めようとしていた旧タウンシェンド侯爵領軍の騎兵にとって不幸だったのは、先陣がゲルハルトだったことだ。
一見すればただの歩兵――しかしその内実は騎兵相手に殴り合いも出来る屈強の歩兵であり、不完全とはいえ自ら法兵ともなれるという存在だ。
歩兵と思い込んでうかつに突撃を開始した旧タウンシェンド侯爵領軍騎兵大隊は土弾を撃ちかけられ、突撃が混乱したところを逆襲を受けた。
「なんや、お前ら口ほどにもないの!」
ゲルハルトはいつものように狼筅を振るって先頭に立ち、何騎もの騎兵を地面へ叩きつける。
部下たちもそんなゲルハルトに勇を得て、騎兵と歩兵の殴り合いというのに一方的な展開となってしまっていた。
「勝ち、ですな」
「向こうも粘る必要はない戦いですからね」
司令部からそれを見ていたユートとアーノルドはそんな呟きを交わしたが、先代クリフォード侯爵は苦笑いしている。
「相変わらずゲルハルトはデタラメだな。どこの世界に騎兵に逆襲を仕掛ける歩兵がいる」
「同じ騎兵としては可哀想にもなるが、戦場なのでな」
先代クリフォード侯爵とアーノルド、騎兵科の二人のそんな会話もありながら、ともかく蚊でも追い払うかのようにゲルハルトが旧タウンシェンド侯爵領軍騎兵大隊を一蹴してみせたのを喜んでいる。
「これで士気も落ちるわよ」
エリアはそう不敵に笑っていた。
エリアの言った通り、その後、第三軍がタウンジェント城を囲むまでの間、旧タウンシェンド侯爵領軍は何も仕掛けてこなかった。
籠城戦では役に立たない騎兵ならばともかく、これ以上歩兵を失えば打撃が大きいと判断したのかもしれないが、ともかくユートたちは夜までの天幕を張り、宿営地を築くことが出来た。
明日以降は歩兵が頑張って攻城陣地を築いていくことになるし、輜重段列が糧秣を集積していくことになるだろう。
さすがに戦場に補給廠は持って来れないから、集積だけになるが、それでも十二分だ。
「物資というものも、攻城戦には重要な武器ですからな」
アーノルドはそう笑っていたが、たしかに籠城側が配給制を敷いて食糧に困っているすぐ目の前で、たらふく飯を食っている兵がいれば士気を落とす要因になり得るだろう。
「あたしたちもエレルの時は嫌だったもんね」
エリアがポロロッカのことを思い出してそう笑った。
「確かにな。あの時も王都からの援軍を待っていたら間違いなく食糧は足りなくなっていただろうし」
「それどころか、サマセット伯爵とタウンシェンド侯爵の仲の悪さを考えたら、本当に援軍来たのか疑問だわ」
あの頃は知らなかった――そして出来れば知らないまま終わりたかった王国政界の関係を知った今はそう思える。
「それはそうとして、この後どうするのよ?」
「東アストゥリアス?」
「そう」
当初の予定では、まずはタウンジェント城、そして余裕があれば東アストゥリアスまで押し出して、ローランド王国の援軍を断とうという作戦計画があった。
ユートはとりあえず棚上げにして状況を見て判断すると結論付けていたのだが、今がまさにその判断するときだろう。
「ユート、いつでも行けるで」
「あちきか父ちゃんのどっちかの部隊も連れてってほしいニャ」
ふむ、と考える。
現状、城内の数は把握し切れてはいないが、捕まえたタウンジェントの住民から聞き込んだところによると、籠城する旧タウンシェンド侯爵領軍はおおよそ三千から四千――事前の予想通りといったところだった。
これならば攻囲に一万七千も割いておくのは勿体ない。
ゲルハルト率いるエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊一千五百、レオナ率いる同じく捜索大隊一千を割いてもまず逆襲を食らう可能性はないだろう。
特に攻城陣地さえ完成してしまえば、逆襲を仕掛けようにも数的劣勢の側が陣地に攻めかかる格好になるから、まず逆襲は成功しない。
「いっそのこと、エーデルシュタイン伯爵領軍全部で行くのは?」
エリアがそんな提案をした。
「そこまで出さんとあかんか?」
「別に東アストゥリアスを抑えるだけなら、ゲルハルトたちだけでもいいけど、もし援軍がやってくるようなら……」
「ああ、本格的な戦闘になれば、後詰めもいてくれた方が楽やな」
「アーノルドさんはどう思います?」
ユートに話を振られたアーノルドが少し黙考する。
「……エリア殿の考えに私も賛成ですな。少数の部隊を分遣するのは、いかに精強といえども危険が伴います。せめて五千の兵は欲しいところですし、そうなると臨機応変な戦闘が可能となるエーデルシュタイン伯爵領軍で行動するのが最適でしょう。本来ならば、司令官直属のエーデルシュタイン伯爵領軍を動かすのはいかがかと思いますが、幸いシーランド侯爵もいますし」
「では、攻城戦の指揮はシーランド侯爵に任せて、東アストゥリアスには自分がエーデルシュタイン伯爵領軍を率いていく、という形にしましょう」
ユートの言葉に、みなが頷いた。
「これは奇想天外といいますか、ユート殿らしくないと言いますか……」
話を聞かされたシーランド侯爵は笑っていた。
第三軍の司令官はユートであり、シーランド侯爵はその次席指揮官に過ぎない。
もちろん経験値で言えば王立士官学校を出ているシーランド侯爵の方がよっぽど高いのだが、軍司令官に就任したのはユートの方が先という理由でこういう形になっている。
その軍司令官というものは原則として隷下部隊の全てを指揮するし、分遣する場合には最大の部隊を率いるのが原則だ。
今回でいえば、最大の部隊は一万二千のタウンジェント城攻囲軍であり、原則的に言えばシーランド侯爵か、ゲルハルトあたりが分遣隊の指揮を執るべきだった。
「でも、私に猟兵の運用はわかりませんし、性格的にも即断即決の野戦よりは攻城戦や籠城戦の方が得意ですね。というわけでお任せ下さい」
シーランド侯爵はそう胸を叩いた。
「敵の数倍の大軍を率いて攻囲するのですから、本来ならば楽な戦いです」
本来ならば無理はしないでくれ、と念押しするところだから、ことシーランド侯爵に関してはそうした念押しはいらない、と思った。
先代クリフォード侯爵のように派手な戦いもせず、ウェルズリー伯爵のように帷幕で知恵を巡らせることもなければ、ロナウド提督のように果断すぎるくらいに勇猛果敢というわけでもない。
しかし、戦場においては、一足す一は二になるような確実性を持ち、粘り強く慎重なのがこのシーランド侯爵という人物であることを、ユートはよくわかっていた。
だから、敢えて念押ししなくとも、シーランド侯爵は無理せず、しかし必要なことは全てやると信じられたのだ。
「シーランド侯爵、よろしくお願いします」
ユートはそれだけ言うと、馬上の人となった。




