第199話 トリスタンの意地・前編
「いいか、ここまでローランド軍も南部諸貴族も全てはエーデルシュタイン伯爵一人にやられているのだ。奴さえ討てば王国軍は総崩れ、ウェルズリー伯爵一人などものの数ではない」
前タウンシェンド侯爵はそう吠えて部下を鼓舞しながら、ユートの本営へと迫る。
それに従う兵たちも、まさに決死の士であり、前タウンシェンド侯爵の命令通り、ユートの首だけを狙っていた。
彼らは、一丸となって駆けていた。
「早くしろ!」
先代クリフォード侯爵が怒鳴りつけるが、冒険者たちは慌てふためいている。
一度切れた緊張感というのはそう簡単に戻るものではない。
ましてそれが命のやりとりをする、という緊張感ならばなおさらだ。
「ユート卿、貴様は下がれ。前タウンシェンド侯爵の狙いは貴様の首だ」
「何言ってるんですか!? 冒険者の仲間を見捨てて下がれるわけ無いじゃないですか」
先代クリフォード侯爵の言葉にユートが怒鳴り返す。
先代クリフォード侯爵は黙って、ちっ、と一つ舌打ちをして、ぎろりと旧タウンシェンド侯爵領軍と、そしてもたついている味方を睨みつけた。
「早くしろ! 総裁閣下がここまでの覚悟を示しているんだぞ!」
そういいながら、自らも愛剣の柄に手を掛けた。
「私が先頭に立つ。私に続け!」
言い終わるや否や、火炎剣を抜き放ち、敵目がけて駆け出した。
「先代クリフォード侯爵!」
ユートはその後ろ姿に思わず声を掛けたが、先代クリフォード侯爵は立ち止まらない。
「ユート、あたしたちもいくわよ。先代クリフォード侯爵だけを見殺しになんか出来ない」
「ユート様、下がって下さい! 下がらないならば、せめてここに!」
アーノルドが苦渋に満ちた表情でそう言う。
止めているが、それが不本意であることはユートにもわかった。
なにせアーノルドにとって、先代クリフォード侯爵は王立士官学校に入って以来、四十年近い付き合いの親友だ。
いくら命のやりとりをする因果な商売をし続けているとはいえ、そこらへんがすれているような男ではない。
だから、第三軍司令部副官として、そしてエーデルシュタイン伯爵家の重臣として、苦渋の表情で止めたのだとユートにははっきりとわかる。
「アーノルドさん――」
ユートは一瞬、逡巡した。
だが、言うべきことは言おう、と思い直す。
「――いや、アーノルド! 俺に続け!」
その言葉を聞いて、エリアは両手剣を抜き放ち、ユートもまた、片手半剣の柄に手を掛ける。
アーノルドは、嬉しそうな、それでいながら困ったような、なんとも難儀な表情を浮かべた後、愛用の騎兵刀を抜き放った。
「行くぞ! エーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊、突撃だ! 駈け足ーっ!」
ユートの大音声に、ようやく気持ちが切り替わったらしい冒険者たちも吠える。
「おう! 負けるな!」
「突撃だ!」
ユートは抜剣し、そして駆け出した。
レオナが配置されていたのは、ユートの司令部である丘の、ガルデヤ川側のふもとであり、対岸や渡河点付近での戦闘はよく見えていた。
既にゲルハルトたちエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊と、レオナ自身の父であり、同胞たちのいる第二陣のアルトゥル兵団、そして第三陣のシーランド兵団の活躍で勝利は明らかだった。
「ゲルハルトが本営に突入していくニャ。もうこれで勝ちは動かないニャ。あちきは何もしなかったけどニャ……」
レオナは自身が戦いに加わる機会なく終わったことを少し残念には思っていたが、長く続いた戦いもようやく終わりが見えた、とほっとした気持ちの方が強かった。
エーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊が配置されたのは、司令部がある丘のガルデヤ川側だった、ということもあり、レオナたちエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊の位置からではユートの司令部がある丘が視界の妨げになっていて、前タウンシェンド侯爵率いる旧タウンシェンド侯爵領軍がユートの司令部に殺到していることを視認できていなかった。
だから司令部の方が何か騒がしい、と聞いた時も、司令部のユートやエリアもまた、勝利に喜んでいるのだろう、と確信していた。
もし危急があれば赤色信号弾が打ち上げられる、という事前の取り決めがあったのもレオナの判断を補強していた。
だが、そこに泡を食った伝令が駆け込んできたのだ。
「レオナ! 司令部に前タウンシェンド侯爵以下の旧タウンシェンド侯爵領軍が殺到しております。至急、司令部を掩護せよとの命令です!」
「反対側から前タウンシェンド侯爵が襲ってきたかニャ!?」
レオナは伝令の言葉を聞くと、慌てながらもすぐに部下たちに出撃を命じようとする。
「なんでお前、裸踊りしてるニャ!? なんでそっちは祝杯あげてるニャ!?」
元々、同じ氏族の寄り合い所帯であり、軍紀という意味ではノーザンブリア王国軍ほど厳しくない妖虎族の面々は、戦勝気分に浮かれていたらしい。
レオナは目が据わったまま、薄い笑いを浮かべる。
「父ちゃんが聞いたら激怒するニャ。お前ら、厳罰を覚悟しておくがいいニャ」
その台詞を聞いて、浮かれていた妖虎族の連中は背筋に寒気が走ったらしい。
獅子心王アルトゥルの雷名は北方大森林に轟いているわけであるが、その恐ろしさを誰よりも知っているのはここにいる妖虎族の面々だった。
アルトゥルの名を出されて、急いでエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊が出撃する――
ユートが司令部のある陣地の端、簡易の柵が築かれたあたりに来た時、既に先代クリフォード侯爵は柵外へと飛び出していた。
「先代クリフォード侯爵、無茶です!」
ユートは大声で呼び止めようとしたが、先代クリフォード侯爵は止まらない。
数人の、恐らく心得の良かった冒険者たちが先代クリフォード侯爵の後に続いて飛び出して行く。
「ユート、まだ追いついてきてないわよ!」
エリアの声が後ろから聞こえる。
冒険者たちは三々五々、ユートを追いかけているのだが、まだまだ追いついてきておらず、ユートの周囲にはせいぜい百人ほどがいるだけだ。
「あんた、無茶しちゃ駄目よ。先代クリフォード侯爵を見捨てたくはないけど、一緒に死んでも何の意味も無いんだから!」
エリアがユートの両肩を掴んで、詰め寄るように言う。
「わかってる。でも、先代クリフォード侯爵を――」
ユートがそう言いかけた時だった。
先代クリフォード侯爵に背を向けてエリアと離していたユートは背中の方からの閃光を感じた。
いや、正確には天幕なりの照り返しで気付いたのだろうが、ともかくとして何があったのか、と慌てて振り返った。
振り返ると、一面、火に覆われていた。
「エリア!? 何があった!?」
「先代クリフォード侯爵が件を一振り二振りすると、火が……」
困惑しているユートに、やはり困惑気味の答えを返すエリア。
ユートが振り返ってみると、エリアの言うように先代クリフォード侯爵が剣を振るう度に炎が飛び出し、そして敵兵を焼き払っていた。
「先代クリフォード侯爵か!」
前タウンシェンド侯爵はもちろん、その炎が先代クリフォード侯爵であることにすぐに気付いた。
同じ南部貴族の大物同士、そしてクリフォード侯爵家の火炎剣と言えば王国建国の話には必ず出てくるほどの有名な武器だったからだ。
王国建国以来、王国南部を守ってきた剣を見れたことに、一瞬前タウンシェンド侯爵は驚きを隠せなかったが、同時にこれは恐ろしくも強大な敵が現われた、と戦慄する。
「先代クリフォード侯爵! 我こそは前タウンシェンド侯爵!」
名乗りを上げる大音声――
「前タウンシェンド侯爵か。久しぶりだな」
既に百人以上の旧タウンシェンド侯爵領軍を屠って不敵な笑みを浮かべる先代クリフォード侯爵に、前タウンシェンド侯爵は苛立ちと恐れの感情なない交ぜになる。
「……南部貴族の誇りを忘れたか! 先代クリフォード侯爵!」
「南部貴族の誇りとは、寄騎を巻き込んで絶望的な戦いをすることを言うのか? 前タウンシェンド侯爵?」
「そんなことを言うてはおらん! しかし、王国建国以来認められた南部貴族の軍権を無視するような愚王の下で、唯々諾々と従う貴様は、南部貴族の風上にもおけん!」
「これは心外――私は、いや、クリフォード侯爵家は確かに軍権を剥奪された。しかし、それはひとえに私の失態によるもの。そうした失態をあげつらうことが南部貴族の誇りとは思わなんだ」
先代クリフォード侯爵は元より話す気などなかったのだろう。
ユートや、三々五々集まってきた冒険者たちが集まってくるのを横目に見ながら、そう前タウンシェンド侯爵との会話を打ち切った。
「あとは、尋常勝負されよ。互いの貴族としての面目にかけて」
先代クリフォード侯爵はそう言いながら、火炎剣を構え、そして前タウンシェンド侯爵もまた剣を抜き放つ。
「先代クリフォード侯爵!」
ユートが後ろから声を掛けた。
「邪魔立てするな。こやつは南部貴族の手で討たねばならん」
「エーデルシュタイン伯爵か。ここで出会ったが百年目ぞ!」
渋い顔をする先代クリフォード侯爵と、目を爛々と輝かせてユートを見る前タウンシェンド侯爵。
「我が愛剣の錆びとしてくれよう!」
そう言いながら前タウンシェンド侯爵は剣を抜き放った。
レオナは必死になって丘を駆け上がった。
妖虎族の面々が気を抜いていたこともあり、準備に手間取ったが、それでもまだ丘の上は喧騒には包まれていない。
ユートが退却するならば、レオナたちがいる丘の反対側に下りてくるはずであったし、乱戦になるならばもっとひどい戦場音楽が聞こえてくるはずだった。
そのいずれもがない、ということは、司令部を囲う柵で食い止められているはずだ、とレオナは信じて上った。
そこには盟友であるユートやエリアがいるはずだった。
だが、駆け上がった時の司令部天幕のあたりは、ただ閑散としていた。
「どうしたニャ?」
周囲を見回すが、人っ子一人おらず、まるで狐に化かされたような気分となる。
血の一滴も流れた後がないようなのだから、ユートが討たれたり、ここが戦場になったわけでもないのだろう。
「おい、お前たち。ユートはどうしたニャ?」
手近な冒険者を捕まえてそう聞いてみる。
その冒険者は、どこか怪我をしているところを、レオナに胸ぐらを掴まれて苦しそうに息を吐きながら答えた。
「エーデルシュタイン伯爵閣下は先代クリフォード侯爵閣下やアーノルド様とともに迎撃に向かわれました」
それだけ聞くと、レオナはすぐにその負傷した冒険者を放して、部下たちとともにユートの下に向かう。
「ユート、頼むから無事でいてくれニャ……」
前タウンシェンド侯爵が剣を抜き放つのとほぼ同時に、乱戦となった。
先代クリフォード侯爵と前タウンシェンド侯爵が言い合っているうち、そしてユートたちが駆けつける間に冒険者たちは集まり、そして三々五々と戦いに加わった。
とはいえ、冒険者の数はせいぜい三百から四百。
旧タウンシェンド侯爵領軍は三千を超えており、ユートや先代クリフォード侯爵は苦戦を免れなかった。
「先代クリフォード侯爵! 一度柵まで引きましょう!」
「そうしたいところだが、この数を相手に牽制する方法がない! もう火炎剣を使うには魔力が足りん!」
なんで柵外に出てきたのだ、と言いたげな顔をしながら先代クリフォード侯爵がそう怒鳴り返す。
ユートにはわかっていた。
恐らく先代クリフォード侯爵は、自らが突撃することで敵の注意を引きつけて、そしてユートが柵内で守りを堅める間を稼ぎ出すつもりだったのだ、と。
つまり、先代クリフォード侯爵にとっての最大の誤算は、ユートが自分を助けるために死の危険を厭わずに柵外まで出てきたこと――
「魔法で牽制します。先代クリフォード侯爵が下がって下さい」
ユートがすぐに決断する。
対軍、あるいは対魔物の群れならば絶対的な威力を持つ魔法をユートは持っている。
そして、今日は司令部の井楼から戦場を眺めるだけだったから、まだ魔力も余っている。
「大丈夫なのか?」
「実戦で経験済みです」
軍人というものは、実戦で証明されたものを何よりも好む。
それは、武人の蛮用に耐えられることを、実地で証明しているからだ。
この時のユートの言葉もまた、同じ意味を持っていた。
先代クリフォード侯爵が下がり、エリアとユートと、そして逃げ遅れた数人の冒険者だけが残る。
「火炎旋風!」
ユートはそう叫んだ。
炎が荒れ狂い、前タウンシェンド侯爵を呑み込む。
その炎舞踏を、まるで美しいダンスを見るようにユートは眺めていた。
「ユート!」
エリアの声で我に返る。
「ユート! 下がるわよ!」
エリアの言葉に従って、慌てて柵内まで駆け戻っていく。
「ひるむな! 先代クリフォード侯爵はさておいても、エーデルシュタイン伯爵さえ討てば良い!」
前タウンシェンド侯爵の声が迫る――
次の更新は明日になります。




