第196話 ガルデヤ川の会戦・前編
そして、一週間が過ぎた王国暦六〇七年七月一日、いよいよ旧タウンシェンド侯爵領侵攻に向けて、ユートたち第三軍はレノックス城を出た。
「勝てるわよね」
エリアの言葉に、アーノルドも頷く。
行軍中ということもあって、レオナやゲルハルトといった大隊長たちは部隊にいるが、司令部の空気は明るい。
「実はですな、シーランド侯爵がレノックス伯爵家の令嬢を尋問したところ、かなり詳細な叛乱軍の内情がわかったらしいのです」
「手荒なことはしてないよな?」
「そこら辺はシーランド侯爵ですから大丈夫でしょう。これがウェルズリー伯爵ですとどうだかわかりませんが。ウェルズリー伯爵は目的のためには手段を選ばないところがありますから――それで、レノックス伯爵自身がかなり詳細な話を家庭でしていた……というより愚痴っていたらしく、そのあたりの情報を踏まえると叛乱軍は内部崩壊もいいところのようです」
アーノルドがシーランド侯爵から聞いた話に、ユートもエリアも興味津々、といったところだ。
「ていうかそれ、いつの情報よ?」
「昨晩遅くに、シーランド侯爵が持ってきてくれました。機密情報とのことですので、すぐに伝えようかと思ったのですが、ユート様は眠られていたので、情報の内容としては機密性は高いものの緊急性は高くないと判断し、私の判断で伝えるのを遅らせました」
「それはいいよ。で、どうなんだ?」
「前タウンシェンド侯爵の方針としては守りづらい貴族領を捨てて、堅固な貴族領と旧タウンシェンド侯爵領で籠城しつつ、東アストゥリアスからローランド王国の支援を受けて長期持久というものだったようです」
「まあ、こっちの予想通りの方針ですよね。実際、二年前に丘陵地帯の石塁陣地で戦った時には、そうした雰囲気がありましたし」
エリアもアーノルドもユートのその見解に否やはない。
「そうなのですが、長期戦になるにつれて、領地を引き払った貴族からの不満が出るようになってきたようで。そうした貴族たちには旧タウンシェンド侯爵家から扶持を出していたようなのですが、旧タウンシェンド侯爵家の財力も無制限ではない、ということです」
「つまり、前タウンシェンド侯爵は領地を引き払った貴族たちへの扶持を削減しようとした?」
「それもありますが、旧タウンシェンド侯爵家だけではなく、他の領地を引き払っていない貴族たちにも扶持の負担を求めたのです。当初は同じ南部貴族同士、やむを得ないと出していたのですが、どこも戦争中ゆえに財政は楽ではなく、不満が高まってきたようです」
「それで瓦解、か」
「レノックス伯爵などは間に立たされて相当苦労されたようですな。その上、内紛を起こしている前タウンシェンド侯爵とレノックス伯爵以下の南部貴族たちを見たローランド王国軍も少しばかり見放しつつあるようで」
確かに手伝いいくさとアストゥリアス山地を越えて旧タウンシェンド侯爵領くんだりまでやってきた挙げ句に、本来ならば一致団結して戦うべきである南部貴族たちが内紛を起こしていたら、ローランド王国軍からしたらたまったものではないだろう。
「結局は金、ということね」
「身も蓋もないまとめ方をするなよ……」
エリアの端的すぎるまとめにユートは苦笑いしつつも、確かに財力がなければ戦争などやってられない、とも思う。
そういう意味では、後方にいるだけのハントリー伯爵以下の七卿連中は、三年を超えたこの無益な戦いに、よく王国財政をもたせてくれていると感謝する気持ちも出てくる。
「しかし、エリア殿の言葉にも一理ありますな。我が軍の敵に最も優る点はこうした後方支援でしょう。後方兵站がしっかりしているお陰で、どこでも食事は満足に取れますし、兵たちも給金を得ることが出来ます。その結果、兵たちの士気は維持されております」
「まあもともとが貴族領軍が大規模な戦争をやる時には、王国軍の指揮下に入って後方兵站は全て王国軍任せってシステムですしね」
貴族の叛乱を食い止めるために財布の紐はしっかりと王国が握っている、という仕組みを作っていた、賢王エドワードの勝ち、ということだろう。
今回はローランド王国と結んでの叛乱であったためにその仕組みがあっても叛乱を食い止めることは出来なかったが、十分に意味はあった。
「ともかく、あと一息です。これで押し切れば……」
「あとは聖ピーター伯爵やサマセット伯爵、ハミルトン子爵あたりが講和を進言してくれるでしょう」
ユートもそこら辺には疑問は持っていない。
こうした時にいけいけになって継戦を叫びそうな軍部は既にウェルズリー伯爵が掌握済みであるし、ハントリー伯爵以下の七卿はほぼ全員が王国財政の急速な悪化に悲鳴を上げている状況だ。
あとは政治的には比較的中立の立場である聖ピーター伯爵が口火を切ってくれれば、七卿の中でも重鎮の二人が中心になって王国を纏めてくれるだろう。
アリス女王の内心まではユートにはわからなかったが、少なくとも叛乱軍である前タウンシェンド侯爵以下の貴族たちが討ち果たされているか、鎮定されているならば、面目も立つし南方植民地を捨ててのローランド王国との講和に反対まではしないだろう。
もうすぐ戦いは終わる。
ユートはそう信じて、旧タウンシェンド侯爵領を目指して進撃を開始した。
第三軍の行く手が最初に阻まれたのは、旧タウンシェンド侯爵領とレノックス伯爵領を分ける大きな川のほとりだった。
対岸には旧タウンシェンド侯爵領軍らしき軍と、ローランド王国軍、それに附属する南部貴族領軍の兵が見える。
ユートは油断なくその敵兵たちを見据える。
「この川の名前は?」
「リーガン大隊長の報告によりますと、ガルデヤ川というそうです」
「敵は二万もいないな」
「ですが、死兵の可能性があります」
アーノルドは暗に油断するな、とユートに忠告したが、ユートも元より油断するつもりはない。
「とりあえず指揮官集合を。そして陣形を整えましょう」
ユートが騎虎の勢いでそのまま不期遭遇戦を演じなかったことに、アーノルドはほっとした様子で指揮官を集めた。
「敵はローランド王国軍と南部貴族領軍が主力、旧タウンシェンド侯爵領軍は一部のみのようだ」
会敵するや否や、すぐに斥候を飛ばしたらしいリーガン大隊長がそう告げる。
「旧タウンシェンド侯爵領軍が少数なんですか?」
「みたいですぜ。戦旗まで確認してるから、間違いないと思います」
ふむ、とユートは考える。
「ユート、何も難しく考えんでええんとちゃうか? 一気に突き崩せばええだけやろ」
ゲルハルトの勇ましい発言に、リーガン大隊長やリオ・イーデン大隊長も笑う。
彼ら騎兵というのはとかく勇敢な作戦というものを好む傾向にあるが、今回もそうだったらしい。
「いや、待たれよ」
それに反論したのがブラックモア大隊長だった。
「私としては、主力であるはずの旧タウンシェンド侯爵領軍が少ない、という事実に違和感を覚えます。むしろ、これは旧タウンシェンド侯爵領軍が別働隊として動いている、ということではないでしょうか?」
「旧タウンシェンド侯爵領軍はもしかして南東支街道の方に回ってるんちゃうか?」
ブラックモア大隊長にゲルハルトがそう言う。
「それならば我々がこちらに転進した時点で転進させるでしょう」
指揮官会議はブラックモア大隊長たち歩兵指揮官と、ゲルハルトやリーガン大隊長、リオ・イーデン大隊長ら騎兵指揮官で真っ二つに割れた。
兵種ごとの慎重さの違いなのか何なのか、面白いなと思いながらユートは見ているが、戦いを前にして味方同士で言い争うのは決していいことではない、と思い直したところでアーノルドが口を開く。
「シーランド侯爵はどう思う?」
「そうだなぁ……まあいないのは怪しいよね。ただ、別働隊として動いているのと、単に転進が間に合っていなかったりするのが五分五分って感じかな」
シーランド侯爵の言い分に、うーんとアーノルドが唸る。
その表情はこの騎兵科と歩兵科の言い争いをシーランド侯爵の言葉でどちらかに天秤を傾けようとしたのに、五分五分と言われて困っている表情だ。
「アーノルドさん。別働隊がいなくとも備えておいたらいいでしょう。こちらの方が数的には優勢ですし、補給状態や士気も上です。それならば、多少、別働隊に備えをしておいたとしても、正面の戦闘で遅れはとらないでしょうし」
「しかし、そうなると……」
「ゲルハルトは先陣を頼む。続いてアルトゥルさんの指揮下でリーヴィス大隊長、ブラックモア大隊長、お願いします。第三陣はシーランド兵団に任せ、後衛は南部貴族領軍にします。機動力のある騎兵大隊とレオナの捜索大隊は本営に置いておいて予備隊です」
ユートが一息に命令をすると、騎兵大隊長も歩兵大隊長も黙った。
統率として、上から押しつけるのは決していいことではない場合が大多数だが、今回のような対立がある場合ならば上位権者として押し切るのも一つの手法ではある。
今までにないユートの命令に、押しつけがましいと反発されるよりも、どうやらうちの大将はやる気だ、と目の色を変えたらしい。
王位継承戦争の頃だとならこうはいかなかっただろうなぁ、とユートは少し苦笑いして、いつの間にか出来てしまった“自分の立場”というものを再確認した。
「今回の戦いで勝って、旧タウンシェンド侯爵領を鎮定できれば、戦いは終わりです。あとはローランド王国と講和して、我々は復員でき、そして王国は平和を取り戻します。その為に、最後の詰めを誤るわけにはいきません」
ユートの言葉に、指揮官たちは神妙に聞いている。
「絶対勝ちましょう! そして平和を取り戻しましょう!」
おう、という声が司令部天幕の中に響いた。
戦いは例によって例の如く、ゲルハルトの先陣だった。
猛り狂う餓狼族たちの群れの中にあって、ゲルハルトは今か今かと戦機を待っていた。
ユートの司令部から、青色信号弾が打ち上がるタイミングが火ぶたを切るタイミングだ。
「後詰めは任しとけ」
すぐ後ろから野太い声が聞こえる。
「アルトゥルのおっさんか。頼むで」
「何かあっても妖虎族を上げて戦おう。ゲルハルト殿は心配されるな」
ユートがいたならば野武士のようなとでも評しただろう力強い言葉に、ゲルハルトも頷き返す。
「そろそろ出るわ」
ゲルハルトは常に部隊の先頭を切って駆ける。
今日もまた、その為にわざわざ最前列へと進んでいった。
そして、青色信号弾が打ち上がり、ゲルハルトは敵陣へと勇躍突進した。
「意外ね」
ガルデヤ川の左岸にある小高い丘の上に設けられた司令部の、井楼の上から戦況を見ていたエリアがそう言った。
普段ならば司令部天幕の前から見ていれば戦況が把握できるのだが、今回に限っては部隊規模が大きすぎて全容を把握できないのでこうして井楼の上から戦況を眺めているのだ。
「両翼は動いていないな」
「当たり前でしょ。待機命令を三回も出してあるわ」
両翼は血気に逸るリーガン大隊長の西方驃騎兵第二大隊と、リオ・イーデン大隊長の中央驃騎兵第五大隊だ。
同じように積極論を唱えたゲルハルトが先陣を任され、自分たちは予備隊とされたことにどう思っているかわからない。
だから、副官であるエリアがサンドも命令書を出したらしい。
「ちょっと、しつこすぎないか?」
「そのくらい言わなきゃあの人たちはわからないわ――大丈夫よ。アーノルドさんの名前で出しといたし」
二人にとって騎兵科の先輩であるアーノルドは、いくつになっても怖い存在らしい。
「まあ、アーノルドさんが承知してるなら大丈夫だろ」
「あんた、私のこと信用してないの?」
「こと、軍人とのやりとりに関してはアーノルドさんの方を信用してる」
「なによ!」
そんなくだらない言い合いを井楼の上でしている間にも戦況は刻々と変わっていた。
ゲルハルトのエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊が敵軍の先陣である南部貴族領軍に突っかかっていき、そして激しい乱戦を展開する。
「今日の戦いはさすがに相手も粘るな」
「当たり前よ。あいつらはこれに負けたら破滅なんだから。まあ領地捨ててきた貴族たちは、負けなくても破滅しそうだけど」
「それをいうなら前タウンシェンド侯爵だって破滅じゃないか? ここまでがっつりローランド王国に首根っこ掴まれたら、侯爵位は維持されたとしても実態はただの植民地だろ?」
「そうかもしれないわね。地道にアリス女王の信頼取り戻そうとしていたらよかったのに、焦って大失敗、よね」
エリアは井楼の下でアーノルドと談笑しながら待機している先代クリフォード侯爵の方をちらりと見る。
あの王位継承戦争ではゴードン王子派だった上に緒戦で失策をやらかしたにも関わらず、いつの間にか上手くエーデルシュタイン伯爵領軍の一個大隊を率いるようになっている先代クリフォード侯爵と比較すれば、前タウンシェンド侯爵の叛乱は大失敗としか言いようがない。
「よし、押し込んできたわ」
もし前タウンシェンド侯爵が反乱を企てなかったら、どんな未来があったのだろうか、と感傷的になっているユートの傍で、エリアが大きな声を出した。
見るとゲルハルトが南部貴族領軍を切り崩していっている。
「さすがゲルハルトだな」
ホント、ゲルハルトがいてくれなかったらあたしたち、王位継承戦争でも第三次南方戦争でも負けてたかもね」
「だな」
そう言っているうちに、ゲルハルトのエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊は崩れた敵勢へ追撃を仕掛けていく。
そこで思いも寄らなかった事態が起きた。
追撃を仕掛けていたゲルハルトたちに向かって、一度は崩れたはずの南部貴族領軍がきびすを返して反撃してきたのだ。
それだけならば窮鼠が猫を噛んでいる、というだけだったかもしれない。
恐らくゲルハルトはそう思ったのだろう。
きびすを返した南部貴族領軍をもう一度敗走に追いやろうと、いきり立って攻めかかった。
しかし、どうしても視野が狭まる最前線のゲルハルトからはともかく、後方で指揮を執るユートからは見えていた。
「まずい!」
そう叫ぶユートの目には、いつの間にか叛乱軍の両翼が大きく展開し、そしてゲルハルトのエーデルシュタイン伯爵領軍突撃大隊を押し包もうとしているのが見えていた。




