第194話 丘陵地帯攻略戦・後編
ファモイ男爵領の会戦で勝利を収めたユートの仕事は増える一方だった。
まずファモイ男爵領から南に伸びる南東支街道沿いの貴族領の制圧である。
ここの貴族領の貴族たちはファモイ男爵の会戦に従軍して大きな被害を出したことが、アーノルドが捕虜を尋問した結果、判明している。
ならば、防衛体制がガタガタとなっている今、前タウンシェンド侯爵が敗北の知らせを受けて援軍を出す前にこれを制圧しなければならなかった。
ユートはこの任務は西方軽歩兵第一大隊のセオドア・リーヴィス大隊長に任せた。
西方軍の先任大隊長であるリーヴィス大隊長に、西方驃騎兵第二大隊、西方軽歩兵第三大隊、軍直属法兵中隊といった西方軍主力をつけて送り出す。
そのほかにやらなければならなかったのは、ファモイ男爵領から西へと伸びる、東西支街道近辺の鎮定である。
このファモイ男爵領より西の貴族は、今回のファモイ男爵領の会戦に参加していない。
フェラーズ伯爵の中央軍の一部が警戒のために丘陵地帯に出張ってきており、それと睨み合っているようだった。
とはいえ、後方兵站線をエーデルシュタイン兵団に断ち切られる格好となっており、もはや抗戦能力はないに等しいとアーノルド以下のエーデルシュタイン兵団の高級士官たちは判断していた。
となると、これをどう降伏させるか、ということだが、ここで一つ難しい問題があった。
叛乱罪は死刑のみ、というノーザンブリア王国貴族法の規定だ。
「死刑になるとわかってて降伏してくる貴族はいるわけないわ」
エリアの言葉に、司令部の全員が頷く。
「でも叛乱罪で死刑にならない前例は大問題ニャ」
レオナの言葉にアーノルドも頷く。
叛乱は王政国家にとって最大の罪であり、叛乱を起こして許されるとなれば王国に不満を持つ貴族はすぐに叛乱を起こしかねない。
今、少し鎮圧を楽にするために将来の危険を高めるのは賛同できない、という話だ。
「いや、でも攻め潰すわけにもいかんやろ?」
「そうよ。無駄に犠牲を出すことになるわ」
ゲルハルトとエリアの言葉に、そこにいた誰もが反論できない。
実際、もう戦う気も無いだろう相手を皆殺しにしてわざわざ死兵に化けさせるなど、軍人にとっては悪夢以外のなにものでもないのも彼らはよくわかっているようだった。
「なんとかして降伏する利益を作るしかないやろ」
「ゲルハルトが言うことはわかるけど、無理ニャ」
ゲルハルトとレオナが言い合っている横で、ユートは黙っている先代クリフォード侯爵を見た。
「先代クリフォード侯爵はどうなんですか?」
「私か? 寛恕規定を使ったらどうかと思っている」
「寛恕規定ですか?」
「ああ、王国貴族法では、確かに叛乱は死刑のみとしているが、寛恕規定として、叛乱を止めようとした場合や、降伏のために叛乱貴族を説得した場合には罪一等を減じる規定はある」
それはギールグッド正騎士領を陥落させた時にアーノルドから聞いたのは覚えている。
「先代クリフォード侯爵、そんなことは俺も知っているぞ。だが、今回の場合には実際に叛乱を起こしているし、降伏のために叛乱貴族を説得した場合の規定にしても、一つ二つの貴族家は適用できるかもしれんが……」
「まあ一般論としては貴様の言う通りだろうな」
「ならば何を……」
言いたいことがわからない、と言いたげなアーノルドに先代クリフォード侯爵はにやりと笑う。
「まあ貴様は代々の貴族ではないからな。ユート卿、貴族にとって一番大事なのは何だと思う?」
「いえ、僕も代々の貴族じゃないんですが……」
「何を言っている。代々の貴族になっただろうが」
確かにユートはエーデルシュタイン伯爵家という代々の貴族の当主だが、自分が初代であるあたり、考え方としては先代クリフォード侯爵の言う代々の貴族とは違う気がしている。
「体面、ですか?」
貴族とおえばやはりプライドが大事だろう、とユートは思ってそう答えるが、先代クリフォード侯爵は首を横に振る。
「体面も大事だが、それ以上に大事なものがある。先祖代々受け継がれてきた家そのもの、だ」
代々の貴族は代々受け継がれてきた家そのものが大事――まるでなぞなぞのような答えだったが、わからないではない。
「まあそれはわかりますけど……」
「先代クリフォード侯爵、いささか迂遠な言い回し過ぎないか? 早くそれと王国貴族法の関係を言ってくれ」
「簡単なことだ。東西支街道沿いの貴族の当主は叛乱罪だが、その嫡男なりはそうではない、ということにしてしまえばいい」
「いや、さすがに寛恕規定を適用できないでしょう?」
ユートの指摘も正しい。
東西支街道沿いの貴族の嫡男が全員叛乱に反対していて、それこそ監禁されるレベルだったとは到底思えない。
そもそも家によっては嫡男はまだ幼児、などというところもあるのだから、寛恕規定を適用するのは無理がありすぎるところがある。
「それは貴様の政治手腕次第だな。王国の金庫の底が見え始めている今、七卿連中で貴様の意見に反対する奴はいるまい」
つまり、先代クリフォード侯爵も全員が寛恕規定を名目にして、ユートがアリス女王なりに上手く話をつけて、家だけは残るようにしろと言っているのだ。
「無茶言いますね……」
「貴様かウェルズリー伯爵くらいしか出来んだろう? サマセット伯爵やハミルトン子爵は最前線のことをわかっておらんだろうし、ハントリー伯爵はよくわからん」
そしてウェルズリー伯爵とユートならば、アナというコネクションがある分、ユートの方がアリス女王に無理に意見を通しやすいだろう。
「ティールームで歴史は進むのだ。仕方あるまい」
「まあ元々前タウンシェンド侯爵の寄騎だった奴らだしな。寄親の前タウンシェンド侯爵が叛乱を起こすとなっても寄親に従うくらい絶対的としてきたのは他でもないノーザンブリア王国だ。それを考えると当主は死刑、嫡男は助命し、減封、転封して家だけは残してやる、というあたりを落としどころにするしかあるまい」
このあたりのバランス感覚はさすが元七卿、王国の内政を司っていたうちの一人といったところだろう。
問題はその政治的なごり押しをユートが全てやらなければならないところであり、ため息しか出なかった。
「具体的には問責使を送って言外にそのことを伝える、ということですかね?」
「そうなるな。問責使は私が行こう」
「え、先代クリフォード侯爵さんがですか?」
先代クリフォード侯爵は大物貴族の先代であり、まさか自ら問責使となるなど驚くしかない。
「言い出しっぺが後ろで眺めているだけ、などというのは私の流儀には合わん。それにここいらの貴族は我がクリフォード侯爵家の寄子――いや、元寄子だな、元寄子と隣り合っている者も多い」
確かに顔も知らないノーザンブリア王国軍の士官から言われるより、同じ南部貴族の大物であり、薄いにしろ付き合いがあったような者から言われる方が相手を説得しやすいだろう。
「……任せます。護衛はどうしますか?」
「いらんさ。この火炎剣さえあれば数十人の囲みなど突破してみせる」
自慢げにぽんと剣柄を叩く。
古代帝国時代に作られたという伝説もある、初代クリフォード侯爵の愛剣、クリフォード侯爵家の家宝である、今は先代クリフォード侯爵の愛剣だ。
「このあたりの貴族連中はそこまで中央の動向には詳しくないから、私が害されたならば、クリフォード侯爵家が寄騎衆を挙げて報復すると考えるだろうから火炎剣の出る幕もないと思うがな」
その寄子たちに対する軍権はすでにアリス女王によって召し上げられているのだが、そんなことは知らないだろうと先代クリフォード侯爵は笑った。
先代クリフォード侯爵はすぐに東西支街道沿いの貴族の下に問責使として押しかけて回った。
クリフォード侯爵家と言えばタウンシェンド侯爵家と並ぶ南部貴族の重鎮であり、また先代クリフォード侯爵自身も軍務卿として七卿の一席を占めていたことから出迎えた貴族は平伏して迎えたらしかった。
「貴公の謀叛、曲事であり、陛下は激怒されておる」
面と向かって先代クリフォード侯爵にそう言われた貴族は、何しにきたのだ、という眼で見ていたが、続く言葉に考え込むことになる。
「貴公の嫡男は、貴公の不義に怒り、父親の愚行に落胆していると聞く。もはや神妙に縛に就かれるがよかろう」
もちろん、そんな事実がないのはお互いに知っている。
そして、いくら田舎貴族とはいえ、そんな言葉を持ち出した裏くらいは読める。
先代クリフォード侯爵が帰った後、どの貴族家でもすぐに嫡男を監禁した上で、家臣団の口裏を合わせ、そして開城していった。
「父親に逆らってでも叛乱を止めようとした心がけ、殊勝である」
ユートはようやっと解放された、といった風情――もちろん実際には数日監禁されただけなのだが――の嫡男をそう褒め称え、そして当主と首謀者とされた家臣たちを縛り上げて後送していった。
全てが猿芝居だったが、寛恕規定を使うためには必要な手続きでもある。
あとはアリス女王に彼らは叛乱を止めようとした者である、と納得されるだけだ。
そして、おおむね六月二十日までに東西支街道の鎮定は終わっていた。
全ての貴族家の当主は神妙に縛につき、貴族領は第三軍預かりとなって軍政が布かれている。
ここら辺は東部貴族領軍に任せているが、そろそろ王国内務省から官吏が派遣されてきて欲しいところでもある。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、お久しぶりです」
ともかく様々な処置に追われているユートの本営にやってきたのは、中央驃騎兵第三大隊の大隊長であるリオ・イーデンだった。
「イーデン提督の弟か」
「先代クリフォード侯爵、お久しぶりです」
先代クリフォード侯爵もリオ・イーデンのこと大隊長は知っているらしい。
よく考えれば決して世界の広くない王国騎兵の世界で、先代クリフォード侯爵とアーノルドは有名人であるし、兄の友人でもある、となれば知っていない方がおかしい。
「イーデン大隊長がどうしてここに?」
「ここの抑えを任されていたのですよ」
「え、丘陵地帯に騎兵ですか?」
丘陵地帯で騎兵を使うなど無理があるのに、フェラーズ伯爵はなぜリオ・イーデン大隊長の中央驃騎兵第三大隊を送ったのか、と疑問に思ったのだ。
「ええ、先立っての消耗で欠編成となっていますし、練度もまだまだ足りませんので、半分歩兵として戦わせてもいいだろう、ということで」
それは、とユートは続く言葉を失う。
その消耗はユートの指揮下に入っていた時に起きたことであり、
「それで、エーデルシュタイン兵団が丘陵地帯の小貴族を降伏させている、と聞き、フェラーズ伯爵閣下に連絡取ったところ、そのまま第三軍指揮下に入って旧タウンシェンド侯爵領の制圧に助勢せよという命令を受けております」
「それは心強い。ちょうど騎兵がいなかったんですよ」
リーガン大隊長の西方驃騎兵第二大隊はリーヴィス先任大隊長の指揮の下、南東支街道の制圧――というよりも接収に向かっている。
また、東部貴族領軍もあちこちに派遣している関係で、エーデルシュタイン兵団には騎兵が全くいなくなっていた。
もちろん、レオナのエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊は騎兵に勝るとも劣らない機動力を持つ部隊であるので、そこまで問題ではないが、打撃戦力として使いたいと考えると、索敵を受け持ってくれる騎兵が加わるのは有り難かった。
「なるほど、そういうことですか」
「よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそエーデルシュタイン伯爵閣下の指揮下で再び戦えることを嬉しく思います」
二人はがっちり握手した。
その頃、セオドア・リーヴィス先任大隊長に率いられたリーヴィス支隊は順調に南東支街道を南下していた。
いくつかの貴族家は抗戦する姿勢を見せたが、この南東支街道方面に国軍の精鋭三千名を相手に留守部隊だけで戦えるような貴族は存在していない。
旧タウンシェンド侯爵領軍も対応しようとしていたのかもしれなかったが、リーヴィス支隊の動きに間に合わなかったらしく、組織的な抵抗を見せた貴族領は一つもなかった。
このあたりは先陣を務めたリーガン大隊長の西方驃騎兵第二大隊の機動力もさることながら、当主が討死した家などは、たどり着けば屋敷はもぬけの殻、などということもあり、攻略は順調に進んでいった。
そして、リーヴィス支隊とエーデルシュタイン兵団は、六月末までに南東支街道近辺の小貴族領を全て制圧し終えた。
 




