第191話 戦う準備は出来ているか?
ラピア陥落――
それは前タウンシェンド侯爵叛乱以来、三年に及ぶノーザンブリア王国軍と旧タウンシェンド侯爵領軍との戦争における、明確なノーザンブリア王国軍の勝利だった。
もちろん、先立ってのクリフォード城の会戦でも明確にノーザンブリア王国軍が勝利を収めているが、あれはあくまで侵攻してきたローランド王国軍を撃退しただけであり、旧タウンシェンド侯爵領軍やローランド王国軍から何かを奪ったわけではない。
要衝ラピアを落とし、周辺の王室直轄領を奪還したことで、いよいよ旧タウンシェンド侯爵領軍の本領に手を付けられると、ノーザンブリア王国軍の士気は高まっていた。
「まああちきらにとってはここからどうするかが問題ニャ」
レオナはそう言いながら、地図を見ていた。
もとより冒険者ギルドについてはともかくノーザンブリア王国にはそこまで思い入れのないレオナにとって、別に一戦の勝った負けたはどうでもいいと考えている節がある。
だから、これからどうするかの方が彼女にとっては大事なのだろう。
ここからの選択肢は二つであり、一つは東海岸沿いに広がる平野部を南下するという選択肢だ。
この場合、全軍を挙げて南下できるので、兵力を分散させず、兵站線も脅かされることなく南下できること。
一方でその平野部に存在しているのは伯爵領などであり、比較的大兵力を持っている可能性が高く、またほとんどの家は数百年の歴史を誇る名門貴族であるから、兵たちのみならず領民まで総力を挙げた抵抗を試みるかもしれない。
もう一つの選択肢は、このラピアと周辺の王室直轄領を守りながら、ユートたち猟兵部隊だけを分遣して東海岸から離れた丘陵地帯を突破する選択肢だ。
このあたりの丘陵地帯は小貴族が多い上に、平野部の大貴族に比べれば歴史的にも新興の貴族が多いので、そこまで激しい抵抗を試みる可能性が高くない分、被害を局限できる可能性が高かった。
一方で、丘陵地帯であるから交通の便が悪いところも多く、平野部のような兵站線を築けないし、何よりも兵力を二分することから各個撃破の可能性もある。
「あちきは丘陵地帯突破が一番と思ってるニャ」
「というか、エーデルシュタイン伯爵領軍のあたりは全員同意見でしょ。問題は西方軍をどうするか、と東部貴族領軍が納得するか、ね」
「シーランド侯爵は大丈夫なのかニャ?」
「あの人は合理主義者だから大丈夫じゃないか?」
レオナ、エリア、ユートでそんな話をしている中、ゲルハルトは少し深く考えている。
「東部貴族領軍も連れてってったらあかんのか?」
「連れてってどうするのよ?」
「東部貴族領軍は機動戦やるのは無理ニャ?」
エリアとレオナの反論を聞きながら、ゲルハルトがにやりと笑う。
「いやな、落とした貴族領を暫定的に統治する為に使うたらええんちゃうか? あいつらは戦闘には慣れとらんけど、警備関係は得意やろ。変に置いていかれるってなったら役立たずの烙印押すみたいになって反発もあるやろし」
貴族領軍のややこしいところは、高貴なるが故の義務で出陣しているのだから、面子にはこだわるところだ。
任務として適切なものを与えられるならともかく、今回のように役に立たないからと置いてくと反発が出る。
一方で、貴族領軍の質はまちまちであるため、前線に出してなお戦力となるかわからない。
しっかりと訓練をされた貴族領軍ならば、国軍に匹敵するような働きも見せるが、小規模の貴族領軍は日常的には犯罪者の逮捕や治安の維持といった警備任務しかしていないので前線になどとうてい連れて行けない。
そして、今回はサマセット伯爵領軍が中心となっており、彼らは大丈夫としても、サマセット伯爵領軍を率いるのが陪臣で従騎士のピーター・ハルということもあって、他の貴族は小貴族が大半だった。
そう考えると、サマセット伯爵領軍だけは前線に出ても戦えるだろうが、他の小貴族はあまり当てに出来ない――にも関わらず、置いていくのには反発されるならば、連れて行って警備任務に当ててしまえばいい、とゲルハルトはいうのだ。
「うーん、それでも現地で反発しないかしら?」
「さすがにそこまでアホちゃうやろ。もともとは高貴なるが故の義務で出てきとる奴らなんやし」
ラピアのような完全に掌中に収めた安全地帯での会議ならば、面子やらにこだわるとしても、いざ戦場に立ってなお面子やらに拘れば、抗命罪に問われる危険性すらある行為になる。
それに、一度でも戦場に立っていれば面子は保たれた、としてくれるというのがゲルハルトの予想だった。
「わかった。じゃあ旧第三軍で迂回作戦をとろう。シーランド侯爵さんにはそう伝えてみる」
最後には、ユートが断を下した。
「迂回作戦には自分も賛成です」
旧第二軍――今はシーランド兵団と名を改めたその部隊の司令部で、ユートから話をされたシーランド侯爵はすぐに頷いた。
後ろには数人、シーランド侯爵の副官らしき者たちもいるが、その表情を見ても納得しているようだった。
ユートは思わず、後ろにいたアーノルドの方を見る。
アーノルドが事前に窮地のシーランド侯爵に根回ししてくれたのかと思ったのだが、どうやらそうではないということがアーノルドの表情からわかった。
「意外ですか?」
驚いた顔をしているユートに、シーランド侯爵はそう笑った。
「ええ、まあ。シーランド侯爵さんたちは置いていかれる格好になるんで、一度は反対するんじゃないかと思っていました」
置いていかれる側は一度反対した上で、ユートが再考して、再び同じ作戦を命じる。
それならばシーランド侯爵は臆病風に吹かれた、などと言われないわけで、こうした作戦の時には時折必要になる作法だ。
「そんな、虚飾にこだわってもしょうがないでしょう。それに、私の率いている軍勢はさすがに生半可なやり方で旧タウンシェンド侯爵領軍に勝てるとは思ってませんよ」
シーランド侯爵率いる旧第二軍は総軍勅令が出て以来、ずっとこの戦場で戦い続けてきていた。
だからこそ、力押しで南下することの危険性もわかっているし、丘陵地帯の戦闘ともなれば自分たちがついていけないこともわかっているのだろう。
戦場は、人を合理主義者にする――
「というわけで、このラピアは私が預かりましょう。出来ればサマセット伯爵領軍を置いていって頂けると有り難いのですが……」
サマセット伯爵領軍は東部貴族領軍の中dフェラーズ伯爵も唯一、統制だった戦闘が行えそうな部隊であり、それだけでなくシーランド侯爵にとってもピーター・ハルは王位継承戦争で共に戦った仲間でもある。
実戦経験、指揮官との人間関係、戦力としての価値、いずれをとってもサマセット伯爵領軍は防衛戦の要になりそうだった。
「わかりました。サマセット伯爵領軍だけ置いていきましょう」
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
乞われて残り、防衛戦の中心として見られているならば、ピーター・ハルも文句は言うまいとユートは考えていた。
これで、攻めるための陣容が固まった、
「ユート、偵察に出てくるニャ」
「騎兵も出します」
ユートが第三軍司令部に戻ってきて、作戦をシーランド侯爵が納得した、と告げるとすぐにレオナとアーノルドが動き出した。
レオナは恐らく捜索大隊の連中を連れて出張るのだろうし、アーノルドはリーガン大隊長と一緒に驃騎兵による捜索計画を立てる気らしく小さな声で話し合っている。
本来ならばこうした捜索任務は騎兵の独壇場だったのだが、レオナたち妖虎族と戦うようになってからは妖虎族の捜索大隊がそのお株を奪っていた。
そして、西方軍を猟兵戦術に基づいた機動野戦軍として再編成する中で、アーノルドたちもまた騎兵の強みである機動力を生かした戦術を模索しているのも知っている。
つまり、西方軍全体にはよい競争が生まれており、それに基づいて二人は動こうというのだ。
「任せた」
ユートは門外漢なので、下手に口を出すつもりもない。
「こっちはそれまで昼寝でもしとくわ」
役割のないゲルハルトはそう笑う。
「ちょっと、ゲルハルト。出撃する準備くらいしときなさい」
「エリア、そう怒るなや。どないでもなるわ」
ゲルハルトはそう笑い飛ばしながら、自分の部隊の方に戻っていった。
そんな司令部の様子を見て、リーヴィス大隊長、ブラックモア大隊長、エイムズ補給廠長といった主要な大隊長も頷き合っている。
馬鹿を言い合いながらも必要なことは絶対に間違えない――そんな司令部に対する安心と信頼が彼らにはあるのだろう。
ユートは身が引き締まる思いだった。
情報が出そろったのは、翌日の夕方だった。
「一般戦術情報を、共有します」
アーノルドがそう言って始めた会議には、指揮官たちが出席している。
「まず、このラピアから一番近い丘陵地帯の貴族領はギールグッド正騎士領となります。続いて、南西方向にストレイチー男爵領、ファモイ男爵領と続き、ここまでは一本道です。ここまでの経路について、西方驃騎兵第二大隊の驃騎兵が捜索いたしました」
「まず街道についてですが、目立った損傷はなく切って落とせる橋梁の類にも現時点では工作痕は見られませんでした。つまり、我々の進軍に応じる余裕がないか、予想していないかのどちらかとなります」
「リーガン大隊長、伏兵で防ぐという可能性は?」
「それはあちきの方から報告することニャ。街道の伏兵出来そうな――あちきらならここで襲うだろうってポイントにはあちきの部下を置いているニャ。もし伏兵を置くつもりなら、先に発見できるニャ」
レオナの言葉にエイムズ補給廠長が頷く。
「それならば大丈夫だろうな。なにせ俺が率いてるのは戦えない馬と輜重輸卒どもだ。伏兵一つで四分五裂してしまうぜ」
実際、輜重段列とはそんなものだ。
軍馬として調教していない馬は臆病な生き物だから、ちょっとした物音で暴走するし、輜重輸卒と呼ばれる人夫たちも兵としての教練を受けていないからすぐに混乱を来してしまう。
そして、輜重段列を失った部隊が待つのは、餓死だけだ。
「で、そのファモイ男爵領までは馬車が通れるんだな?」
「それも大丈夫です。そこから先は駄載して運ばないといけないと思いますが……」
「わかった。それに従って輸送計画は立てよう。それと、ファモイ男爵領を占領したら補給支廠を開設した方が良さげだな」
「エイムズ大隊長さん、そこら辺は後で話し合いましょう」
「おっと、悪いな。ユート……卿」
思わずいつもの調子でしゃべりかけそうになったエイムズ大隊長がそう笑う。
そういえばユートが最初にエレルを訪れた時には、ただの門番かと思っていたヘルマン・エイムズが今や西方軍の補給を一手に担う補給廠長だ。
「どうされたのですか、軍司令官閣下!?」
ユートが微笑を浮かべていたのに、アーノルドは怪訝そうな顔でユートのことを見ていた。
「人の運命ってわからないものだな、と思ってな」
もちろん理解出来なかっただろうアーノルドは、しかし上官にそれ以上何か言うわけにもいかず曖昧な笑みを浮かべてそのまま話を続けた。
「それと、リーガン大隊長、敵の動員状態はどうだったんだ?」
「あ、報告を続けます。動員状態――というよりも、敵の兵数なのですが、ギールグッド正騎士領で百そこそこ、他の男爵領二つはいずれも二百そこそこと思われます」
「それは、どうやって確認したんや? 中まで見通せへんやろ?」
「いえ、それがこの程度の男爵領ですと、街を全て収容した居城を築く余裕はないので、館のみ城塞化しているのです。このため、隠れていても兵士の数を外から把握することが出来ますし、その数に四割を乗じた数で推定しております」
「この数はこれら貴族領の税収から予想される動員よりも少ないので、貴族領軍としてどこかに動員されている可能性がありますな」
アーノルドがそう指摘する。
「つまり、三つの貴族領はある程度、どこかに動員されていて主力は留守ってことか」
「そういうことです」
ふむ、とユートは地図の上を指を滑らせた。
ファモイ男爵領までは南西方向に一本道――しかし、そこから先は二手に分かれている。
丘陵地帯の奥――西方向に進む街道と、南へ下る街道へと分かれるのだ。
「そこから先のことはあとで考えたらいいんじゃない? そもそも三つの貴族領軍がどこにいっているかわからないわけだし」
エリアの言葉にユートは頷いた。
「そうだな。とりあえずこの三つの貴族領を奪うこと。それも出来るだけ犠牲を払わないかたちで」
それが今回の戦いの目的――それが共有された。
「ええか」
最後にゲルハルトが発言を求める。
ユートが頷くと、ゲルハルトは立ち上がって全員の顔を威嚇するように睨みつけた。
偉丈夫のゲルハルトがそんな表情をすれば、小さな子供などひきつけをおこすのではないか、という迫力がある。
「戦う準備は出来とるやろな!? ええか、勝つで! 勝つんやで!」
ゲルハルトがそう檄を飛ばし、全員が緊張した面持ちで頷いた。
 




