第188話 攻勢の準備
ユート率いる軍勢がシーランド侯爵率いる軍勢とメルバーン城で会同したのは既に四月になってから、四月十日のことだった。
「シーランド侯爵さん、お久しぶりです」
「ユート卿、お久しぶりです」
そんな風に久闊を叙するところから始まったが、シーランド侯爵はウェルズリー伯爵ほど疲れ切ってはいなかった。
戦場で言えば、シーランド侯爵の方がよっぽど過酷であるし、確かシーランド侯爵の方は一つ年上だったはず、と思いながらもユートはともかく健康そうであることを喜んだ。
「苦戦だったようですね」
「ええ、長雨で厳しくなりました。このあたりは北方と違って雨が降っても凍らないので、余計です」
北方ならば長雨が降ろうとも冬場は凍ってしまうから、泥濘より寒さに苦しむことが多い。
その北方を衛戍区とする北方軍からしたら、冬場でも泥濘むだけ、という戦場はあまりにも相性が悪かった点もあるのだろう。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、ようこそおいで下さいました」
シーランド侯爵の後ろから出てきたのは、このメルバーン城の主メルバーン子爵。
もちろん南部貴族であり、王国南東部における南部貴族――つまり旧タウンシェンド侯爵の寄騎だった連中のうちで、王国側についたの数少ない貴族の一人だった。
「メルバーン子爵、お世話になります」
「さすがに我が城に全軍は収容できませんが、エーデルシュタイン伯爵閣下が兵を率いて駆けつけてくれると聞き、駐屯地は造成しておきましたぞ」
駐屯地などと言ってもだだっ広い原野なのだが、それは想定内なので、輜重段列が運んできた資材で宿営地を作ってしまえばいい。
「ありがとうございます。早速、部下たちに宿営地を作らせます」
「なんの。エーデルシュタイン伯爵閣下の兵は強いと聞きます。どうかよろしくお頼み申しますぞ」
どうやらクリフォード城の会戦でエーデルシュタイン伯爵領軍が見せた働きは南部貴族の間でも広まっているらしい。
クリフォード侯爵領軍そのものが南部貴族の中では飛び抜けて強い軍勢であるのに、それすら苦戦する相手を破った、となれば武名が鳴り響くのも当然だった。
「そういえば北方軍の軍勢はどのくらいいるんですか?」
「欠編成の八個大隊、六千名ほどです」
八個大隊ならば、本来は八千名前後いたはずだが、二千名は相次ぐ戦いで打ち減らされてしまったのだろう。
「シーランド侯爵領軍、それに南部貴族領軍を併せて四千そこそこ、合計で一万ほどしかいません」
「シーランド侯爵、旧タウンシェンド侯爵領軍の軍勢は?」
「旧タウンシェンド侯爵領軍そのものはせいぜい二千といったところでしょう。彼らも相当消耗していますから。前タウンシェンド侯爵の寄子たちの軍勢が二千から三千、それに加えてローランド王国の援軍が一万といったところでしょう」
合計で一万五千――つまりユートの率いている軍勢と同じくらいだ。
「攻めきれますかね?」
「いくさは兵の数で決まるものではありません。後方兵站、兵の士気、地形、戦術、あらゆる要素が絡み合ってきます。その点、前タウンシェンド侯爵の反乱軍は大きな問題を抱えています」
「大きな問題、ですか?」
「ええ、彼らのうち、前タウンシェンド侯爵は旧タウンシェンド侯爵領を守りたい。ローランド王国軍はともかく我らを破りたい、元南部貴族どもは自分の領地を守りたい、そしてそれを纏める指揮官がいない」
シーランド侯爵の言葉にユートも頷く。
「前タウンシェンド侯爵では貫目が足りない、ということですね」
「それもありますが、王権のような明確な権威がない場合、ものを言うのは兵の数です。今の兵の数で一番多いのはローランド王国からの援軍であり、そして前タウンシェンド侯爵は元南部貴族どもの貴族領軍よりも兵は少ない。それでありながら、叛乱の首魁であるという理由で指揮をとっている前タウンシェンド侯爵の指揮権はかなり制限されているはずです」
「まあ、それを狙って旧タウンシェンド侯爵領軍だけを狙って戦ってきたのもあるんだがな」
メルバーン子爵がそう笑った。
「ええ、メルバーン子爵には無理を言いましたが、あらゆる方法で旧タウンシェンド侯爵領軍を狙って戦いました」
「なに、南部貴族の不始末だから儂らが苦労を背負い込むのは当然のことよ」
メルバーン子爵はそう言って胸を張る。
もちろんその内心には、戦功によって陞爵と加増を狙っているのはありありとわかったが、それは貴族として当然のことであり、ユートも特に咎め立てをする気も無い。
だいたい、ユートもこの第三次南方戦争を通じて、冒険者ギルドの勢力を安定させることを目論んでいるのだから、人のことは言えない。
「とはいえ、苦戦続きでしたが、ユート卿の軍勢が来たことで総反撃に出ることが出来るでしょう。ユート卿が指揮を執られるのですよね?」
「ええ、ウェルズリー伯爵から僕の方が先任だから、シーランド侯爵以下の第二軍を指揮下に入れて戦うように命じられています」
「わかりました。では、第二軍は本日を以て解散、第三軍の隷下に入ります」
シーランド侯爵はそう言うと会釈の礼を取り、メルバーン子爵もそれに続いた。
「ふむ、さすがシーランド侯爵、といったところですな」
シーランド侯爵との会談を終えて司令部に帰ったユートに、アーノルドがそう言った。
「まあ前タウンシェンド侯爵の奴はそこまで統率力のある奴ではなかったからだな」
同じ南部貴族の中心的存在だった先代クリフォード侯爵は前タウンシェンド侯爵のこともよく知っている。
先代クリフォード侯爵から見れば誰が相手でも、統率力がない奴になりそうだったが、そのことはユートは何も言わないでおく。
「それで、ユート様。全体としてはどのような戦いを組み立てられるおつもりですか?」
アーノルドはそう言いながら、王国南東部の地図の置かれた地図台へと歩み寄った。
ユートも初めて見る地図だ。
地図というのは便利であり、敵国に知られれば、その便利さが侵攻に利用される。
ゆえに、軍務省測量部は製作した全ての地図を軍の機密として扱っており、個々の領主が持つ自領の地図以上のものは簡単な略図を除いてどこからも公表されていない。
それが第二軍の出征にあたり供与されていたのだが、第二軍の改編にともなって第三軍へともたらされたのだ。
地図を見ると、ノーザンブリア王国南部は東部と接する北側から、アストゥリアス地峡のある南側に向かって、逆三角形のような形をしており、中央から東側は起伏に富んだ地形となっている。
そのうち南東部は東海洋と接する海岸線のあたりが平野になっており、そこからアストゥリアス山脈に至るあたりまでその平野部に伯爵などが治める中規模の貴族領、そして丘陵地帯に男爵などが治める小規模の貴族領が存在している。
特に最南端の旧タウンシェンド侯爵が最も広大であり、そのすぐ南が東アストゥリアスである。
その旧タウンシェンド侯爵から南東部のちょうど真ん中あたりにある元王室直轄領ラピアまでが旧タウンシェンド侯爵領軍が支配する地域となっていた。
「旧タウンシェンド侯爵領を制圧するためには一つずつ潰していかないといけないんですかね?」
「ええ、まずはその入り口のところ――このラピアのあたりを落とさねばなりませんが。どうもシーランド侯爵たちはここを攻略するための戦いで苦戦しているようです」
「攻めにくい地形やな」
「旧タウンシェンド侯爵家が敵に回らなければ、万が一東アストゥリアスを失陥しても、その後、遅滞戦闘が出来るはずだったのだ」
先代クリフォード侯爵がそう言う。
確かに東アストゥリアスが落ちたとしても、すぐに旧タウンシェンド侯爵領があるので、ここで抗戦出来るだろうし、その後も中規模の貴族を拠点に反撃できるのだろう。
防衛戦略としては真っ当なものであり、よく練られていると思うが、前タウンシェンド侯爵の叛乱、という状況下では完全に裏目に出ていた。
「迂回するのは駄目なんですか? 西側から第一軍の一部が圧力をかけてくれているので、恐らく丘陵地帯の小貴族は西側に出張っていると思うんですよ」
かつてユートもそこで戦ったことはあったが、旧タウンシェンド侯爵領軍の援軍などを入れてもそう大規模ではなかった。
地形的にも兵站線を整えられるところではないし、何よりも本命である北からの侵攻に旧タウンシェンド侯爵領軍も手一杯の今、地元の小貴族たちが糧秣すら持ち寄りで防衛に当たっている可能性が高いと踏んでいた。
「迂回か。ユート卿はそればかりだな」
先代クリフォード侯爵が笑いながら毒づく。
「先代クリフォード侯爵も騎兵ならわかるだろう。迂回、伏撃、包囲は戦術の基本中の基本。残念ながら王国の軍制では出来なかっただけで猟兵部隊はそれを行うのに必要な、機動力と大隊規模で完結した戦闘能力を持っているのだ」
「まあそれは否定せんよ。ただ、一つ覚えで戦うと、そうした戦いが出来ない時に苦しむことになるぞ」
「ええ、そうした時には何か考えないと駄目ですね」
先代クリフォード侯爵の忠告にユートは素直に頷く。
「ともかく、ラピアを落としてからの話だな」
「アーノルドもそう見るか。まあラピアを落として、シーランド侯爵の部隊だけでしっかり守れるようにしてから、迂回するか各個撃破するかを考えていっても良い」
先代クリフォード侯爵の言葉にアーノルドもユートも頷いた。
王位継承戦争で謹慎を食らったり、謹慎中なのに第三次南方戦争に出陣して勅勘を蒙ったりと、色々と問題を起こしていることは間違いないが、それでも先代クリフォード侯爵は一流の軍人であることも再確認できた。
「先代クリフォード侯爵さん、冒険者の一個大隊をお願いしますね」
ユートは素直にそう頼んだ。
先代クリフォード侯爵の戦術能力を考えれば、一個大隊を預けても大丈夫だし、今回の冒険者大隊には先代クリフォード侯爵とともにあの山越えを戦った冒険者が数多くいる。
だから、ポッと出とはいえ見知った指揮官であり、同時に侯爵家の隠居、前軍務卿ということも考えれば先代クリフォード侯爵の指揮に従うことに否やはないだろう。
「私が率いるのか? ジミーやレイフといった奴らがいるだろう?」
「ジミーさんやレイフさんでもいいんですが、大隊の指揮経験がありませんしね」
今回はアドリアンとセリルがエレルに残留しているので、ジミーとレイフが冒険者のまとめ役として出征している。
しかし、二人ともパーティ戦闘以上の指揮を執った経験はないし、戦いも王位継承戦争で戦ったくらいだ。
「それに何より、先代侯爵がいるのに自分が指揮を執る、と先代侯爵に命令できるような強心臓じゃないです」
ジミーもレイフも貴族が好きではないが、同時に貴族の権力の強さを知っている。
だから、王国の中でも大貴族に属するクリフォード侯爵家の先代に命令して、面子を潰されたとクリフォード侯爵家に睨まれれば一介の冒険者など消し飛んでしまうことはわかっていた。
「うーむ、私はそんなつもりはないのだが……」
先代クリフォード侯爵はそう腕組みをしたが、先代クリフォード侯爵がどう考えているかではなく、ジミーやレイフがどう考えているか、だ。
「わかった。それならば指揮を執ろう。しかしユート卿、恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドは貴族だろうが平民だろうが平等が建前、そう考えると、貴族に遠慮するというのはいささか問題だぞ?」
「まあ今回みたいにエーデルシュタイン伯爵領軍として出征しているならしょうがない気もしますね。これがギルド内で起きるなら、色々と考えますが」
先代クリフォード侯爵の懸念にユートはそう答え、そして部隊編成を見直した。
エーデルシュタイン伯爵領軍が先代クリフォード侯爵が率いることになった冒険者の猟兵大隊、それにゲルハルトが変則的ながら餓狼族の増強一個大隊という形で一千五百名ばかりを率い、同じくアルトゥルも妖虎族の増強一個大隊という形で一千五百名を率いる。
最後がレオナの妖虎族一個大隊一千名で、エーデルシュタイン伯爵領軍が一千名。
西方軍が三個軽歩兵大隊に一個騎兵大隊、それに軍直属法兵でおおよそ四千名ちょっと。
東部貴族領軍が、雑多に六千名弱。
まずはこの戦力で、ラピアを落とさねばならなかった。




