第184話 聖ピーター伯爵の依頼
聖ピーター伯爵の視線の先にいたのは、先代クリフォード侯爵に見えた。
「これはこれは、枢機卿座下、ご健勝そうでなにより」
先代クリフォード侯爵はさすがに元大貴族、聖ピーター伯爵を見て一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を作る。
「枢機卿座下がこちらにいらっしゃっているとは露ほども存じ上げませんでして、ご挨拶が遅れましたこと、お詫びいたします」
「あ、ああ。先代クリフォード侯爵閣下、お久しぶりです」
そう言いながら、聖ピーター伯爵は先代クリフォード侯爵の後ろにいた“誰か”を気にしているようだった。
「どうかされましたかな?」
「今、あなたの後ろに、アンドレスが……」
「はて、私の後ろ、ですかな?」
先代クリフォード侯爵はそう言いながら後ろを振り返るが、誰もいない。
「先代クリフォード侯爵閣下、私は確かに見たのです」
聖ピーター伯爵がそう言ったところで、ようやくユートが口を挟んだ。
「アンドレスとは、どなたですか?」
「私の弟弟子であり、そして私が私の後継者としてもっとも適切と考えている……いえ、考えていた者です」
「もしかして、西方を探してみる、というのは?」
「ええ、今回西方にやってきたのはもちろんエーデルシュタイン伯爵閣下と、第三次南方戦争の終わらせ方について話し合うことや、恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドを視察したいというのも嘘ではありません。しかし、西方でアンドレスを見た、という者がおりましたので、アンドレスを探したく思っている、というのも理由なのです」
先ほど遠い目をして考えていたのは、そのアンドレスのことだったのだな、とユートには想像がついた。
「先代クリフォード侯爵、見ませんでしたか?」
「いや、アンドレスなどという奴は見ていないぞ」
先代クリフォード侯爵はそう言いながら首を傾げる。
何か知っていそうな雰囲気もあったが、いくら冒険者ギルドに加入している一冒険者とはいえ、先代の侯爵をそれ以上問い詰めるわけにもいかない。
「それより依頼完了の手続きをしたいんだが……」
「……すいません。どうぞ」
先代クリフォード侯爵を通したところで、聖ピーター伯爵に目をやると、どうしたものかと思案している表情だった。
ユートはアドリアンと手分けしてそのあたりを探したが、結局、そのあたりにはおらず、アンドレスなる者はおらず、セリルに頼んで登録された冒険者も調べてもらったが、やはりアンドレスという名の冒険者はいなかった。
「本当にアンドレス氏だったんですよね?」
「間違いありません。教会にいた頃とは違って、髭をたくわえているようでしたが、二十年以上、ともに修業した仲なのですから、私が見間違えるわけがありません」
きっぱりと言い切る聖ピーター伯爵にユートはアドリアン、セリルは顔を見合わせる。
「おい、ユート。偽名か?」
「ちょっと、アドリアン、地が出てるわよ!」
あわててセリルが割って入ったが、アドリアンは意にも介さない。
そして肝心の聖ピーター伯爵はアドリアンの言よりもアンドレスの方が大事らしい。
「座下、少し不作法ですが、これもエーデルシュタイン伯爵家の家風と大目に……」
「え、ええ。それはエーデルシュタイン伯爵家の問題ですので……それよりも、偽名ということはありえるのでしょうか?」
「ええ、残念ながら一部には偽名を使う者がいます」
ユートは頷く。
ノーザンブリア王国は比較的住民の管理がしっかりしているが、ユートが簡単に住民として登録できたことからもわかるように、全国的に管理されているわけではない。
偽名を名乗ろうと思ったら、ユートがユートと名乗らなくても登録できたように、その都市で偽名で住民登録すればいいのだ。
そうやって偽名で冒険者ギルドに登録する者は後を絶たなかったが、ユートも根絶する方法は見いだせず、そのままにしていた。
「と、なるといくら人に聞いて探してもらっても無意味ですね……」
聖ピーター伯爵はそれだけ言うと、少し考えたあと、もう一度口を開く。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、冒険者ギルドでアンドレスを探していただくことは出来ませんか?」
「出来るか出来ないかで言えば、出来ますけど……」
現状の情報の少なさでは探しようがないだろうし、そんな依頼を受ける冒険者は恐らくいないだろう。
「どんな外見の方ですか?」
「黒髪で、髭――いわゆる西方髭を生やしております」
西方髭とは、口まわりからもみあげまで髭で覆っている髭の生やし方であり、西方の者が好んでこの髭の生やし方をすることからついた名だ。
日本で言えばフルビアード、あるいはカストロ髭と言われるような髭の生やし方だが、一般的には目立つはずのこの特徴も、髭を生やすことが咎められることもなく、その名の通り西方で流行っている生やし方でもあるので、あまり目立つ特徴とは言えない。
「服装はどのような? 鎧はつけていましたか?」
「いえ、鎧はつけておりませんでした」
聖ピーター伯爵の言葉にユートは頷く。
「だとすると冒険者ギルドへの依頼者ですかね?」
鎧に関しては傭人でも危険があることが多いのでほぼ確実に装備している。
それをつけていない、ということは傭人ですらなく、依頼者ではないかというのがユートの推測だった。
「依頼者にそんな髭の奴はいたかな……」
受付にいることが一番多いセリルが少し考え込んで、すぐにキャシーとベッキーを呼び出して聞いてみるが、二人とも首を横に振っていた。
「やっぱりいないわ。冒険者で西方髭は珍しくないけど、商会やらの人たちはなかなか髭をはやさないからね」
西方直轄領民が髭を生やすことが多いのは、兜の緒を引っかけて被りやすくする為であり、商人たちが髭を生やすというのはやや威迫する部分があるので、心得のある商人は髭を生やそうとはしない。
もちろんプラナスのような例外もいるのだが、あれはパストーレ商会という大きな商会の支店支配人であるから、髭程度何も言われないだけのことだ。
「てことはどこかの村から依頼に来たんですかね?」
農民ならば商人ほど身だしなみでどうこう言われることもないし、時には弱い魔物と戦うこともあるのが西方直轄領の農村であるから、その時に兜を被るために髭を生やす者も多い。
「元聖職者ということはもちろん読み書きは出来るんですよね?」
「ええ、それは当然です。教区司祭として教会に赴任した時、子供たちに教会学校で読み書きや計算を教えることも多いので、必ず修行中に身に付けます。アンドレスもちゃんと身に付けております」
「つまり、西方に来て、どこかの村で暮らしているうちに、読み書きや計算が出来ることからそこの顔役になった、というようなことも考えられますよね」
そして、村の顔役として冒険者ギルドに依頼に来て、そこで聖ピーター伯爵を鉢合わせしてしまった、ということだろう。
「なるほど、そういう可能性もあります」
「ところでそのアンドレスって人はなんで聖職者をやめたんですかい? 聖ピーター伯爵閣下が後継者に、と考える人物なら、普通に考えて聖職者としても上を目指せてるって思うのが普通じゃないですかね?」
おもいきり敬称を間違えた上に、ぶしつけな質問をするアドリアンに、聖ピーター伯爵は頓着せずに少し思案する。
「ねえ、立ち話もなんだし、一度エーデルシュタイン伯爵家屋敷に戻りましょう」
そんな聖ピーター伯爵の顔を見て、セリルが話を遮った。
エーデルシュタイン伯爵家屋敷に戻ってきた時、既にジークリンデが夕食の用意をしていたので、食事をしながら聖ピーター伯爵はぽつりぽつりと語ってくれた。
アンドレスは聖ピーター伯爵の二十以上も離れた弟弟子であり、聖ピーター伯爵の師匠であるゼス枢機卿の高弟となったのは聖ピーター伯爵が三十代も半ばにさしかかった頃という。
その頃から利発な少年であったアンドレスは、ゼスに目を掛けられており、長じて時には聖ピーター伯爵と同じ教会の助祭となったこともあったが、まだ二十そこそこでありながら説教するアンドレスの姿は、聖ピーター伯爵にとっても鮮烈な印象を残すものだったという。
そして、教区司祭になった後、王国各地の教会に赴任しては非の打ち所のない司祭としてノーザンブリア教会全体に知られた存在にすらなっていた。
「しかし、各地を巡っているうちに、アンドレスは教会に嫌気がさしたというのです」
「どういうことですか?」
「正直に申し上げれば、教会と言えども真っ直ぐに信仰に向き合う者だけではない。時には世俗の者と同じように……いや、それ以上に我欲を持っている聖職者もいるのが事実です」
聖職者が煩悩まみれになる、というのはどこの世界でもあり得ることだ。
「我が師ゼス枢機卿もそのような聖職者を憂いておりましたし、私ども一門もそのような聖職者にはなるな、と言われ続けて修業させられました。そして、アンドレスは各地に赴任するうちに、そうした教会の腐敗に嫌気がさしたのでしょう」
ユートにとってはそうなのか、と思うしかない。
そして、教会を辞したアンドレスは行方をくらましたが、数年前から西方にいるのではないかという噂が流れていたというのだ。
「恐らくあの心優しいアンドレスのこと、ポロロッカで傷ついた西方直轄領民を捨て置けなかったのでしょう」
そうかもしれない、とユートは思う。
ポロロッカの後、破壊された村々を見る機会も多かったユートにもその気持ちは痛いほどわかった。
「それで、西方直轄領に移り住んで、村の復興に尽力してきた、ということでしょうか?」
「そうではないか、と私は思います」
聖ピーター伯爵の言葉にユートは頷いた。
「わかりました。見つかるかはわかりませんが、デイ=ルイスさんにも協力してもらって探してみましょう」
「申し訳ありません。エーデルシュタイン伯爵閣下、よろしくお願いします」
そういって聖ピーター伯爵は頭を下げていた。
翌日からユートたちは手分けをして探すことにした。
聖ピーター伯爵がいる、ということを知ったアンドレスは場合によってはしばらく村から出てこない可能性もあったので、デイ=ルイスに頼んで、ポロロッカ後に外部から来た移住者をリストアップしてもらう。
「聖ピーター伯爵座下の依頼とあれば、西方総督府としても手を抜くわけには参りませんから」
急な頼みであったにもかかわらず、デイ=ルイスは嫌な顔一つせずに移住者のリストを出してくれたが、その数は意外と少なかった。
「まあ、ポロロッカがあったような値に移り住みたいと思う者はよっぽど酔狂ですからね」
そんなデイ=ルイスの言葉にユートも頷かざるを得ない。
また、先代クリフォード侯爵にも話を聞こうと思ったのだが、残念ながら先代クリフォード侯爵は翌日から護衛の依頼を受けていたらしくしばらくはエレルに戻らないようだった。
他にもセラ自警団のアルバにも相談したが、アルバも今、エレルを起点とする行商人の護衛を請け負っていることから、そのついでに探しておくようセラ自警団の面々に頼んでおいてくれるとのことだった。
「なかなか見つからないわね」
エリアが疲れたような顔をして言う。
もちろん探し始めて数日で見つかるとは思っていなかったが、それでも何の成果もないというのは精神的に疲労するものだ。
「こんなに疲れたのは黄金獅子を狙った時以来だわ」
ユートたちが戦った戦いの仲でも一番困難だったのではないかと思うあの戦いをあげてエリアは笑う。
冗談半分、本気半分といったところだろうか。
少なくともあの時の山よりも広い範囲だし、アンドレスは間違いなく黄金獅子よりも頭が切れるだろうから探し出すのは相当困難とすら思っている。
「ユート、別にこの依頼受けなくても良かったんじゃないの?」
エリアがそんなことを言う。
確かにノーザンブリア教会の有力者である聖ピーター伯爵が依頼者とはいえ、今回の依頼は流石に無理がある。
ちょっとした容貌を聞いただけで人を探し出せ、というのは困難な上、聖ピーター伯爵は伯爵とはいえ聖職者であり、報酬も雀の涙の方が多い、といった具合だった。
「んーでもな、困ってる人を助けたくてギルドを作ったんだしな」
それに、とユートが言葉を続ける。
「聖ピーター伯爵にとって、弟弟子というか弟みたいなもんだろ? 離ればなれのままってのも悲しすぎる」
「……わかったわよ」
ユートの言葉に、エリアは面倒くさそうに、しかしどこか嬉しそうな表情をし、そして知り合いの冒険者に片っ端から声を掛け始めた。
意外なところからアンドレスが見つかったのは、それから十日後のことだった。




