第180話 偉大な凡人
「水球!」
ユートは木陰から水球を放つ。
直撃を浴びた古参兵がずぶ濡れになり、死亡扱いになる。
続いてエリアが鏃のついていない矢を放って一人の古参兵を仕留める。
「半弓も面白いわね」
「エリーちゃん、油断しちゃ駄目よ」
そう言いながら、セリルは出来るだけ小さな火球を叩きつける。
直撃を受けた古参兵は一瞬炎上するが、ごろごろと転がって消火する――だが、もちろん彼も死亡判定だ。
「土弾!」
古参兵の一人が拙いながらも土弾を放とうとしたのを見てユートが咄嗟に迎撃した。
「というか、一方的すぎるでしょ」
「迂回して囲もうとしていたのをあちきが潰したからニャ。多分まだ味方がやられたのを気付いていないニャ」
「他に迂回してる奴はいないの?」
「いるわけないニャ。あちきの警戒に引っかからないでここまでこれたら即教官にしてやるニャ」
レオナはにやにやと笑っている。
「でも状況判断は悪すぎるわ。迂回して囲もうとしているのが何かの手違いで迂回失敗しているのに気付かないと」
セリルが残酷で的確な講評をしてみせるが、それに頷かない者はいない。
結局、そのまま古参兵たちは全滅――文字通りの全滅判定を食らって模擬戦闘は終わりを告げた。
「魔法を使ったのはいい判断だった。しかし、魔法の使い手が少なすぎる。弓で攻めようにも相手が見えないならば、一度退くという判断をするべきだった。その為に魔法を使えば、追撃を振り切れた可能性もあっただろう。即ち、今回の失敗は一度決定した方針を容易に転換できなかった柔軟性の欠如にある」
エーデルシュタイン伯爵家当主、恩賜ノーザンブリア冒険者ギルド総裁、そして西方軍司令官であるユートがそう講評するのを古参兵たちは真剣に聞き入っていた。
本来ならば訓練に対する司令官クラスの講評など、古参兵となればなるほど聞き流す者が多い。
所詮は精神論、抽象論に終始し、具体性を持たないことが多く、そうした具体性を持たない講評は古参兵にとっては何も価値を持たないものと認識されるからだ。
しかし、ユートの講評は違っていた。
というよりも、そのユートの率いるたった五人のパーティに、二十人以上いた古参兵たちが近寄ることも出来ずにやられてしまったから、聞き入らずにはいられなかったのだ。
ユートは訓練を真剣にさせる効果もあるし、何よりも忙しくて数日間、エレルを空けての魔物狩りなどとうていいけなかったから、せめて身体を動かすのに仮想敵役を買って出ていた。
エリアなどは古参兵たちを狩り立てる仮想敵役が意外と楽しくなっているらしく、積極的に参加していたし、セリルもそうだった。
「以上。明日以降、本日の模擬戦闘の教訓を活かして訓練に励むように」
「かしらーっ、なかっ!」
声が響き、全員がユートに敬礼する。
ユートは型の崩れた――というよりも習っていない――答礼でそれに応じると演台を下りた。
「あんたもああやって演説するの上手くなったわね」
「慣れ、かな。上手いとは思わないけど、緊張はしなくなったな」
「まあ伯爵家のご当主様なんだから当然よね」
エリアはそう言いながら、なぜか自分のことのようにご満悦だった。
「ところでもう三月末よね。そろそろ冒険者の受け容れも教導団の方で始めるのかしら?」
「四月一日から、らしい」
「そっか。ベッキーとキャシーに聞いたけど、結構集まってるらしいわよ」
恩賜ノーザンブリア冒険者ギルド教導団と名付けられた、冒険者ギルドの組織はまだ“実験台”である古参兵たちを受け容れただけで冒険者の受け容れは始めていない。
その教導団の主なカリキュラムは基本的な野営の仕方や、魔物の処理の仕方といった座学から、教官を伴って実際に魔物狩りに行ったり、仮想敵役を盗賊に見立てた模擬戦といった実地訓練まで多岐にわたる。
このほかにも武器の使い方や選び方なども教えてもらえるわけであり、アドリアンが自身の冒険者生活で得たノウハウを全部つぎ込んだと豪語するだけのことはあった。
その噂は既に冒険者の間に広まっており、訓練希望者が何度も受付の二人のところに来ているらしい。
「そんな噂になってるのか?」
「ええ、アルバが自警団の面々にも参加した方がいいって言ってくれたみたいだしね」
アルバはポロロッカで滅んだセラ村の村長の息子であり、かつての村民たちを募って組んだ大規模パーティであるセラ自警団のリーダー、そしてギルドの準幹部でもある。
「逆にニールさんはあんまりいい顔はしていないみたいね。あの人は傭人を中心でやっていこうという考えが強いみたいで、親しい連中にも訓練にいくより、傭人の依頼を、と言ってるみたい」
ニールは不思議な人物であり、それなりに体格もあるし、恐らく戦えばそれなり以上に強い――少なくとも専門的に鍛えていたのではないか――と思うのだが、なぜか傭人の依頼しか受けず、狩人や護衛といった、割のいい依頼を受けようとはしていない。
「不思議な人だな」
「ねえ。でもまあ傭人の仕事を回してくれる人がいないと困るからちょうどいいけどね。今後アルバたちも傭人主体から狩人や護衛主体になっていくでしょうし」
もともと西方直轄領でも辺境――つまり魔の森の近くに居住していたセラ自警団の面々は冒険者ではなかった割には戦闘力は高い。
しかし、同じ村の出身者ばかりが集まっているという閉鎖的な集団であることや、中途半端に戦闘力が高いことから専門的に護衛や狩人のノウハウを持つ者を加えることがなかったので、今でも傭人か簡単な狩人の仕事をするに留まっていた。
そのセラ自警団が護衛や狩人を専門にするパーティに生まれ変わるならば、ニールのように傭人を専門にする冒険者の顔役がいてくれるのは冒険者ギルド全体を見ればプラスであるとユートもエリアも考えている。
「そういえばあんたとフェアファックスとセリーちゃんでやってる保険の資金運用の方はどうなの?」
「資金集めは上々、ただ集まりすぎかもな」
三月の頭から募集を始めた生命保険だが、こちらはユートやフェアファックスの予想を超える勢いで加入者が増えていた。
第三次南方戦争が起きている戦時下という状況、王位継承戦争に端を発する政情不安という状況が不安を煽り、万が一に備えて生命保険に加入しようという者が増えたらしい。
もっとも戦争で命を落とした場合には免責となるのだが、それを説明した上でも加入しようというのは、人の心理は不思議だ、とフェアファックスが首を捻っていたほどだった。
「集まりすぎたら何が問題なのよ?」
「資金の運用先がなくなったら困ったことになる。まあ貸付先はフェアファックスさんが上手くやってくれてるけど、問題は新規事業の方だな」
「もともと少ないってフェアファックスさんも言ってたもんね」
そうそう新事業をやろうという人物はいないのだ。
冒険者ギルドを引退して交易でもやろうという冒険者も、このところの冒険者の減少でそれどころではないらしく、ほとんど出ていない。
腕利きの冒険者が減ったことで腕のいい狩人や護衛の報酬は値上がりする一方であり、濡れ手に粟の状況で引退しようという冒険者が出るはずがない。
「まあ、考えないといけないだろうなぁ……」
ユートがそんな風に言っていたのは数日の内に現実になった。
「事業への投資が全く足りない状況なのですが……」
フェアファックスはそこまで深刻ではなさそうな表情でユートにそう言ってきた。
「やっぱりそうなりますよね。貸付は?」
「こちらは意外なほどに順調です。ですので、リスクが高い投資が少なくともどうにかなる可能性はあります」
「つまり、貸付だけでもやっていける、と?」
「ええ。それと例の資金決済の方を動かせれば……」
フェアファックスの四つの提案のうち、一つ目の新事業への投資こそあまり上手くいっていないが、生命保険の販売、平民へのリスクを取った貸付は上手くいっており、最後の商会などの資金決済を請け負う事業が出来れば上手く回りそう、というのがフェアファックスの感触らしい。
「わかりました。じゃあゲルハルトに聞いてみましょう」
ユートはそういうと、今日も仮想敵役を買って出て、餓狼族と一緒に古参兵たちを蹴散らしているはずのゲルハルトを呼び出した。
「前にユートが言うてた奴やろ。構へんけど、問題は戦争になったらどないするか、やな。まあ餓狼族の方にも人余ってるみたいやから、そいつらを連れてきてもええけど」
「余ってるのか?」
「そらこれまでアホみたいに戦争で死んどったし、栄養も足りてへんかったからな」
冒険者ギルドに加入する前の餓狼族には戦死、病死、餓死――そうした悪魔のような死の多様性があったらしい。
そうした状況から解放された場合、起きるのはどういうことかわかっている――人口爆発だ。
「大森林の諸部族やと寿命の長いエルフ連中以外は子供を多く作ろうとする文化があるからな。まあ大森林で環境が厳しい中やから当然っちゃ当然やねんけどな。んでオレがこっち来てから成人した連中がやることもなくなっているらしいから、こっちに連れてってくれへんかって話は親父から来とってん」
「じゃあそれを連れてきて、エーデルシュタイン伯爵領軍に組み込めばいいのか?」
「せやな。まあ一度ギルドに加入させて傭兵団に入れて、その後エーデルシュタイン伯爵領軍って流れやろ」
「わかった。じゃあそれで護衛は組めそうだな」
「おう、いくら盗賊やらが襲ってきてもどないにでもしたるで。それにオレも族長の息子として、若い奴らに働き場所を与えてやれるのは有り難いしな」
ゲルハルトは頼もしい笑みを見せる。
「じゃあ、頼む」
「任しとき」
あっさり請け負うと、すぐに大森林にいる父親に宛てる手紙を書き始めていた。
「これでよし、と。ほなあとは二ヶ月か三ヶ月待ってくれたら餓狼族ご一行様が到着するわ」
「三ヶ月、ですね」
ユートとゲルハルトのやりとりを聞いていたフェアファックスが確認するように言う。
「ああ、それだけあったら到着するはずや。護衛の隊長は今いる連中の中から選ぶし、あとはそっちに任せるで?」
「ええ、お任せ下さい。ゲルハルト」
運用に関してはフェアファックスに任せておけば大丈夫だろう、とユートも安心して見ていられると思っているし、あとは餓狼族立ちが到着し次第、フェアファックスが上手くやってくれるだろう。
「でもゲルハルト、部下に任せるって大丈夫なのか?」
ユートは知っている。
前にレオナやゲルハルトと飲んだ時、餓狼族にしろ妖虎族にしろ、族長の命令が絶対的であり、また少人数であるがゆえに、部下たちが指示待ちばかりで困ってると愚痴っていたのを――
「それがな、教導団で古参兵たちに自主的は判断をするように訓練してたやろ? あれをうちの部隊でもやってみたら、意外と上手くいってるんや。もともと階級とかないようなもんやし、適性のある奴らをそのまま隊長にするわ」
ゲルハルトはそれだけ言うと、みんな成長してるんやで、と小さな声で言い残した。
「なんだかんだ言って恵まれているよな」
夜、珍しくエリアと二人で晩酌しながらユートは感慨深げにそう言った。
「どういうことよ?」
「いやさ、人に恵まれているな、と」
「何よ!? どうしたの!?」
「いや、今回の一件でフェアファックスさんもそうだし、ゲルハルトもそうだし、誰か一人でも欠けてたら成り立たなかっただろ。そういうのに、何か感謝したい気持ちになったんだ」
「まあ、確かにそうね。でもそれも全部あんたのお陰よ」
「俺のお陰? なんかしたか?」
「んー別にあんたは何もしてないわ」
エリアの言葉に、ユートは酔っているのか、と心配になるが、エリアは言葉を続ける。
「あんたは別に剣だって魔法だって天才ってほどじゃない――器用だとは思うけど。妙な知識はあっても、それもあんたが閃いた知識じゃなくて、あんたが知っているものに過ぎないわ」
エリアの言葉にユートも頷く――別に自分を天才と思ってるわけでもないし、否定することもない。
「でもあんたはあたしと最初会った時から冒険者ギルドのことばかり考えてたでしょ? そんなあんたの姿勢が周りを巻き込んだんじゃないかとあたしは思うの」
「姿勢か」
「そうね。平々凡々、でもあんたが愚直に一つのことを目指しているから、周りに力を貸そうって思う人が一人また一人って増えていくんじゃない。それだけはあんたが誇っていいと思うわよ」
そう言うと、エリアはにやりと笑いながらエールの入った木のコップを掲げた。
「偉大な凡人に、乾杯!」
ユートは苦笑いをしながらそれに応じた。




