第176話 採用面接
結局のところ、大隊の編成や訓練方法については議論百出、という結果になった。
一応大隊・中隊・小隊といった組織を維持することは決まったが、それでも効率的な運用を行う上で、あうんの呼吸で行えというのは困難であり、どのように進めるかということについて、アーノルドとゲルハルトはまた議論し続けなければならなかったのだ。
もっとも、二人ともちゃんと軍を率いてきた経験があっての議論であり、更にいえば猟兵の運用についても専門家といって過言ではない二人であったので、ユートは安心して任せることが出来た。
その間にユートもしなければならないことがあった。
年末、デイ=ルイスから新兵受け容れの連絡があった際に、保険の運用についてデイ=ルイスが心当たりといっていた人物に連絡が取れた、ということも同時に知らされていたのだ。
その人物を迎え入れて、色々と意見を聞かなければならなかった。
デイ=ルイスの書簡によると、その人物――ダリル・フェアファックスという人物らしいが――は元々は王立大学でデイ=ルイスと同期だったらしいが、官僚機構は肌に合わないと任官後わずか三年で退官していたらしい。
その後、様々な職を転々としていたが、いずれも長続きせず辞めており、能力は確かなのだが、一癖ある人物であるので長続きをしないのが欠点と書かれていた。
「個性的な人物、ね……」
セリルは冒険者ギルドにいる期間が長く、個性的な冒険者を多く見てきていたが、それでもデイ=ルイスが個性的と評するこのフェアファックス氏がどんな人物なのか、と戦々恐々としていた。
事実上恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドの会計面を切り回しているのはセリルであり、恐らくフェアファックス氏と一緒の仕事をすることになるのはまずセリルだろうからだ。
「まあ、デイ=ルイスさんがそんなとんでもない人物を紹介するとは思えないので、大丈夫じゃないですか?」
「そうだといいんだけど……でも、王立大学出たのに、あっさり官僚を辞めるとか正直一癖どころじゃない癖のありそうな人よね」
王立大学はノーザンブリア王国最高学府――というよりも唯一の高等研究機関であり、同時に官僚を養成するための唯一の機関でもある。
当然、その入学試験は王立士官学校に並ぶ難易度を誇っており、貴族たちが作っている私学校とは比べものにならない難易度の高さだ。
そんな王立大学を出たにも関わらず、三年で退官するなどというのは本来ならばありえないことであり、その後転々としていることもあわせて考えれば、ややコミュニケーション能力に問題を抱えているのではないか、ということは容易に想像がついた。
「まあ、一緒に仕事するのが駄目な人なら、いくら運用やそこら辺に力がある人でもお断りしますから」
「いいの?」
「別にデイ=ルイスさんもこの人が唯一の候補ってわけじゃないと思いますし、デイ=ルイスさんの人脈以外にもプラナスさんやエリックさんの人脈に頼るってことも出来ますし」
ユートはそう笑った。
デイ=ルイスだってフェアファックス氏がそうした問題を抱えている人物であることを把握しているならば、ユートが断ることも計算に入れているだろう、という期待もあった。
そのフェアファックス氏がエレルのエーデルシュタイン伯爵家屋敷に着いたのは二月の十日のことだった。
ユートはすぐに応接室に通して対面する。
初めて会うフェアファックス氏はブロンドの髪、そして長身でがっちりとした体躯は、一見すれば軍人然とした人物だった。
年齢はデイ=ルイスと同い年くらいのはずだが、もっと上、四十代半ばではないかとすら思えるような風貌だった。
「ダリル・フェアファックスです」
その野太い声もまたどちらかといえば軍人ではないかと思わせるものだった。
「イメージが違いましたか?」
「ええ、少し」
そう斬り込んで、ユートが苦笑いしながら答えると、フェアファックスは呵々と笑った。
「デイ=ルイスのような優男を想像されていたのでしょうかな。まあ、これでもいろいろな仕事をしていますからな」
「ええ、正直に申し上げれば軍人か、と思いました」
「ははは。当代の英雄と名高いエーデルシュタイン伯爵閣下にそう言われるのは誉れですな。もっとも実戦など盗賊を斬った程度であり、エーデルシュタイン伯爵閣下の足元にも及びませんが」
「盗賊を斬ったんですか?」
「ええ、商会にいたこともありますので、その時に護衛の冒険者と一緒に戦ったことがありまして」
どうやらフェアファックスは相当に破天荒な人物らしい。
ユートは同じ冒険者としてこんな人物に付き合わされた護衛の冒険者に同情したが、ともかく胆力はある、ということで前向きに評価することにした。
「それで、なぜ当家に仕えようと思ったのですか? いえ、デイ=ルイスさんから話がいったのは知っているんですが、王立大学出の俊英ならばどこの貴族家でもそれなり以上の待遇で召し抱えようという話もあったんじゃないですか?」
実際、専門的な官僚教育を受けた王立大学出身者は貴族家の垂涎の的だ。
もちろん各貴族家も自家で貴族領を統治するための人材を育成しているのだが、どうしても出世にはその貴族家の家臣としての家柄が重視されるため、家臣の家に生まれたわけでもない者はだいたいが王立大学を目指す。
しかも、貴族家の私学校とは比べものにならない環境で育成された王立大学出身者が何らかの理由で致仕した場合、争奪戦になることも珍しくなかった。
身元は確か――これは王立大学入学時に検査されている――で、能力もしっかりと教育を受けているわけだから、私学校の教員としても、実際統治するための人材としてもどこも欲しがるのは当然のことだ。
恐らくフェアファックスもあちこちから誘いがかかったはずなのだが、それら全てを断るか、仕えたとしても短期間で致仕しているのだ。
「ああ――簡単な話ですよ。これまで仕えたり、お声がけを頂いた貴族家は全てが私にとっては保守的すぎる。その点エーデルシュタイン伯爵家はそうではないのではないかと思った。それだけのことです」
フェアファックスは事も無げに言ってのける。
「保守的?」
「ええ。なぜそれが必要なのか、なぜそれを求めるのかという原理原則を考えずにこれまでの慣例、これまでのやり方を墨守するだけの仕事をしても意味は無い。私は内務省を退官したのも、内務省で何か新しいことなど取り組めず、伝統を墨守するだけの仕事に嫌気が差したからです」
「それはエーデルシュタイン伯爵家にはない、と?」
「デイ=ルイスがそう言っていた、というのが半分。もう半分はエーデルシュタイン伯爵閣下がこれまでされてきた、冒険者ギルドという仕事に興味を持った、というのが半分ですな」
なるほど、とユートは腕組みをして考える。
確かにエーデルシュタイン伯爵家は他の貴族家から見れば伝統も何もない家であるし、貴族としての慣習に必要以上に囚われる必要もないとユート自身も思っている。
ただ、怖いのはフェアファックスがそうした貴族の慣習全てを悪と看做すのではないか、という点だ。
これまでもいくつもの貴族家や商会を辞めていることを考えれば、決してその可能性は低くないし、そこまで必要ないと思っていても意固地になっている可能性もある。
そんなつまらない意地に巻き込まれるのは真っ平御免という気持ちは非常に強かった。
「えっと、フェアファックスさん。具体的にフェアファックスさんはどういう仕事をされるのか、デイ=ルイスさんから聞いていますか?」
「ええ、大ざっぱには。エーデルシュタイン伯爵家の家業である恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドの資金管理と聞いております」
「では自分の方からもう一度しっかりと説明させてもらいますが、フェアファックスさんにお願いしたいのは冒険者ギルドを引退する者に支給する保険の資金運用です」
ユートの言葉に、フェアファックスはよく理解出来なかったような顔をする。
「保険の資金運用、ですか?」
「ええ。傭人すら戦う必要がある以上、冒険者ギルドはちょっとした怪我でも引退せざるを得なくなることがあります。そうした冒険者のために、報酬から一部を保険料として納めてもらって、それを運用して年金にしよう、ということを計画しています」
「なるほどなるほど」
フェアファックスはユートの話を聞いて顔をほころばせた。
「その制度が保険なのですな。そして、どういう風にすればエーデルシュタイン伯爵家が儲かるか考えなければならない、と」
「……儲ける必要はないのですが」
「損をしない、とんとんで運用出来ればよし、ということですかな?」
「ええ、そうです」
「なるほど。これはやり甲斐のありそうな仕事だ」
フェアファックスはそう言いながら笑う。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、是非とも私を家臣として頂きたく。将来、エーデルシュタイン伯爵家に領地が下賜された際にも私の知識は役に立ちますし、何よりもその保険制度というものを私の力で形にしてみたいのです」
保守的な家や官僚機構を嫌っているあたり、保険制度の話をすれば乗ってくるとは思ったが、やはりだった。
これでフェアファックスのやる気には問題ないことはわかったから、あとは人間関係で上手くやっていけるかだけだ、とユートは考え、そしてこほんと咳払いをする。
「ええ、デイ=ルイスさんから聞いておりますので、フェアファックスさんの能力については全く問題は感じておりませんし、このまま家臣になって頂きたいな、と思うところではあります」
「それでは、是非――」
「しかし、一つ懸念があります」
勢い込んでユートに迫るフェアファックスに対して、ユートはそう押しとどめた。
「あなたは確かに能力はあるのでしょう。しかし、それだけではありません。例えば冒険者ギルドの資金管理を担っているのはセリルさんという女性です。また、保険制度を運用していく上で、あなたがこれまで嫌っていた保守的な商会や貴族と上手く付き合う必要もあるでしょう。それらと上手くやっていけますか?」
つまるところ、人間関係だ。
「……エーデルシュタイン伯爵閣下がご懸念されている点はよくわかります――私がもしエーデルシュタイン伯爵閣下の立場であれば、同じように懸念したでしょうから。その上で、これは私を信じて頂くしかないのですが、確かに保守的な貴族や商会は嫌いですが、自分のやりたい仕事をする上で、そこまで融通が利かないことをいうつもりは毛頭ありません。また、女性の方が資金管理を担われているということについては、さすがエーデルシュタイン伯爵家と感心しております」
フェアファックスは今までからは一転してまじめくさった口調でそう述べ立てる。
ユートはじっとフェアファックスの目を見る。
果たして今言った言葉は真実の言葉なのか、それとも取り繕っただけの嘘の言葉なのか、ユートはそれを見抜こうとじっと目を見る。
「わかりました。デイ=ルイスさんの紹介もあります。あなたのことを信じましょう」
一瞬の沈黙の後、ユートはフェアファックスの目には邪なものがない、と判断してそう言い切った。
もともと、信用についてはこのフェアファックスが信用できる、というよりも紹介者であるデイ=ルイスを信じている。
ユートが引き立てたと周りに認識されているデイ=ルイスが、ユートにとんでもない人物を押しつけたとあれば、それは彼のキャリアの終わりを意味する。
王都の人事担当者もエーデルシュタイン伯爵家と仲違いしたらしいと知ればデイ=ルイスには何も配慮しないだろうし、他の貴族家も引き立ててもらった恩を仇で返すような人物に深く関わることはしないだろう。
だから、デイ=ルイスはユートに人を紹介するならば能力も人柄も信用できる人しか紹介しないはずであり、このフェアファックスも大丈夫と踏んだのだ。
ユートの言葉を聞いて、フェアファックスは立ち上がる。
「有り難き幸せ」
フェアファックスはそう言うと、大仰に立ち上がり、そしてユートの傍らに跪いた。
それはユートが呆気にとられるほどの変身ぶりだった。
「――これからよろしくお願いします」
「さしあたり、保険制度の運用について考えていけばよろしいでしょうか?」
「ええ、それでお願いします――ああ、あとでセリルさんにも紹介しますし、細かいことはセリルさんから聞いて下さい」
もちろんユートも関わる気はあるが、セリルの方がこの問題については詳しいと思っている。
「わかりました。エーデルシュタイン伯爵閣下のご期待に添えるよう、粉骨砕身努力致します」
フェアファックスはそう言うと、再び拝跪した。




