第174話 幹部人事
先代クリフォード侯爵が加わる、という予想外のことがあったにしろ、ようやくエレルの屋敷まで戻ってきたユートたちはほっと一息ついていた。
「ようやく落ち着いて休めるわ」
エリアは大広間のソファに身体を沈めて、そうぼそりと呟くように言った。
確かに王都でもエーデルシュタイン伯爵家の屋敷ではあったのだが、エリアにとっては生まれ故郷のエレルとは雲泥の差だったのだろう。
ユートもまた、エレルの生まれでははないとはいえ、その気持ちには同感だった。
エリアの横に座り、同じようにソファに身体を沈めると、ジークリンデも寄ってきてユートの隣に同じように座る。
「あ、ずるいのです」
アナがそう言いながら、とてとてと小走りにやってきて、ユートの膝の上に座る。
「アナ、重くなったな」
ユートは膝の上に座るアナの頭を撫でながら、そう言うと、アナはぷーっと頬を膨らませた。
「ユート、わたしはレディなのですよ」
「おっと、ごめんごめん」
そう言いながら改めてアナの頭を撫でる。
「もう! 子供扱いしないで欲しいのです」
アナはそう言うが、十二月生まれの彼女は先日十三歳になったばかりであり、ユートからしたらまだ子供にしか見えない。
身長もまだ百三十センチ台だろうし、体重も随分と軽い。
「ユート、顔がやらしいわよ」
隣でエリアがにやにやしながらユートを見ていた。
そんなのんびりとした時間を過ごせたのは一時のことだった。
夕食はマーガレットが作ってくれて、簡単な歓迎会をギルドでやるというので、出かけないといけない。
「楽しいはずなのに、ちょっとしんどいわ」
旅の疲れもあってか、エリアはそんなことを言っていたが、ユートはどうせ飲むのだろう、と笑った。
歓迎会は予想通り、だった。
マーガレットの庶民的だが美味しい料理に舌鼓をうち、そして近しい冒険者――例えばジミーやレイフ、それに今はエレルに戻っているアルバといったところ――と一緒に酒を酌み交わした。
エリアは疲れていたはずなのに、気付けばどこからか持ってきた葡萄酒の小樽を抱え込んで離さなかったし、アドリアンもまたへべれけになるまでエールをがぶ飲みしていた。
「ユートよぉ、これは俺の引退式だぞぉ」
酒臭い息を吐きながら、アドリアンがそう絡んでくるのをユートは苦笑いしてあしらい、それを後ろで見ていたアーノルドは家臣にあるまじきこと、と青筋を立てていた。
ユートはそんなアーノルドの様子に気付いて、恐らく明日怒られるのだろうな、と思いながらアドリアンを生温かく見守っている。
「ユート、あんたもちょっとは飲みなさい!」
そう言いながらエリアが小樽から葡萄酒をレドールで注いでくれる。
「飲み過ぎじゃないのか?」
「まさか。あたしが飲み過ぎになるわけ無いじゃない」
「前にマーガレットさんの店で大暴れしたの忘れたのか?」
「……ヤなこと思い出させないでよ」
そう言いながら、エリアは懐かしげな表情になる。
「そういえばもう五年も前のことになるのね」
「ポロロッカより前だからそんなもんだな」
「あの頃は何もなかったのに、今じゃあんたは伯爵様、あたしだって正騎士で、アドリアンだって従騎士よね」
「立派になったもんだな」
「何も考えずに、ただ冒険者を出来ていたあの頃がある意味懐かしいけどね」
「そんな風に懐かしむようになるのは年を食った証拠らしいぞ」
「誰が年寄りよ!」
久しぶりにエリアと掛け合いをやっていると、アナが近寄ってくる。
「ユートー、エリアー、楽しいのですー」
見ると顔が真っ赤だ。
「誰だ!? アナに酒を飲ました奴は!」
「何を言っているのですかーユートー、わたしは立派なレディーなのですよー」
完全にろれつの回っていない口調でアナがそう言う。
自分の金で飲む分には何も言われないとはいえ、さすがに十三歳のアナに飲ませるのはやり過ぎだ。
「アナ、とりあえず水飲め、水」
「ユートがそう言うのなら飲むのですー」
そう言いながら、アナは水をがぶがぶと飲むと、そのままテーブルに突っ伏して寝てしまった。
「……幸せね」
「エリアも似たようなもんだろ」
「あたしはここまで弱くないわよ」
「問題はそこじゃない」
そんな平和な掛け合いをしているうちに、宴はお開きとなった。
翌日、アドリアンはアーノルドからユートに対する態度について叱られ、酔いつぶれた件でセリルに怒られていた。
「……飲み過ぎるんじゃなかったぜ」
二日酔いで青い顔をしながら、散々怒られて憔悴しきった表情でアドリアンは呟く。
「いや、アドリアンさんが悪いんだから知りませんよ」
「アドリアン、そろそろあんた歳なんだし、加減を知りなさい」
「ユートに言われる分には主君だから諦めるが、エリアに言われるのは何か腹が立つな……」
そんなことを言い合いながら、エーデルシュタイン伯爵家屋敷の大広間に七人が揃う。
「まず一番の問題は、アドリアンが引退したし、体制をどうするか、ね」
「変える必要はあるんですか?」
「ええ、一つは今まで本部付って形で補佐してくれていたジミーとレイフがいらなくなるわ。あたしとアドリアンがいれば、だいたいのことはどうにかなるし。それともう一つ。これはアルバ君から言われてるんだけど、今アルバ君はレビデム支部の支部長をギルバートと交代でやっているでしょう? あれのせいでセラ自警団の活動の支障を来しているから、ちょっと頻度を減らして欲しいって言われてるの」
ユートがレビデム支部を作った際、元西方冒険者ギルドの幹部だったギルバートと、ユートの古い知人でもあり旧セラ村の人々からなるセラ自警団のリーダー格アルバが交代で支部長をすることになっていた。
一ヶ月単位で交代していたのだが、そうすると移動まで込みでアルバは二ヶ月でせいぜい二週間くらいしかセラ自警団に関わる時間がなくなってっているらしい。
そのせいでセラ自警団がちゃんと活動できず、抜ける者、生活苦になる者がかなり出ているという。
「じゃあジミーさんやレイフさんをそっちに回せばいいってことですか?」
「それも一つね。ただ、ジミーやレイフはあくまで冒険者の傍ら、私たちを手伝ってくれているところもあるから、レビデムに派遣となると……」
「傭人ならいざ知らず、狩人や護衛の仕事はほとんど出来ませんね」
「そういうこと。私もそうだけど、幹部って半分引退しているようなものだしね」
確かにユートも冒険者ギルドを作ってからは一般の冒険者として動く機会は随分と減ってしまっている。
ランキングは確認していないが、恐らく最下級のJ級のままだろう。
エリアやアドリアンは出征そのものが依頼扱いなので、恐らくA級とかそういう高位にいるのだろうが……
「というわけで、全体的に人事を見直した方がいいと思うのよ」
「アルバさんも冒険者をしたいってことですよね」
「そういうこと。冒険者をしながら準幹部クラスの働きってのはちょっと厳しいわね。ランクも維持出来ないし」
「まあ準幹部になったらランクってあんまり関係ないような気もしますけどね」
「それでも気になるのが冒険者よ」
セリルはそう言って笑う。
セリル自身もなんだかんだ言ってランクを気にしているらしく、エレル本部を切り回し、更にデヴィットの母親をやりながら、傭人としての仕事を請け負って出来るだけランクが落ちないように頑張っているらしかった。
「もう僕はランク維持するのは諦めました。出征が依頼扱いにならないと、結局、貴族として何かしないといけなくなったらランクを大幅に落としてしまいますし」
「まあユート君はしょうがないけど、幹部が軒並みJ級だったら示しつかないしね」
「あーそれはセリーちゃんの言う通りね。あたしもこの休みの間にランク落とさないように気をつけるわ」
エリアがそう言いだしたが、そもそもエリアは士官扱いでの出征なので実入りもよく、またこのところ冒険者の増加に伴ってA級の人数も増えているので、まず間違いなくランクを落とすようなことはない。
少しばかりずるいような気もするが、ユートはそれ以上何も言わなかった。
「それで、ユート君、ジミーとレイフを含めてローテーションにする?」
「ジミーさんとレイフさんと一度話をしないと駄目かな、と思いますけど、出来たらその方がいいんじゃないかと思います」
「あいつらもそろそろ引退後を見据える頃だしな」
一番親しいアドリアンがそう言うと、セリルも頷く。
「もう二人とも五十近いんだっけ?」
「俺より十ほど上のはずだからそうだな」
十歳の頃から冒険者をしているアドリアンは年齢の割にはベテランであり、逆にそのアドリアンと年数的に大差ないジミーやレイフはそろそろ年齢的に限界が見える年齢になっている。
冒険者として一線を退いた後は、傭人をやりながら食いつなぐか、または冒険者時代に貯めた資金で行商人などをやって一旗揚げるか、ゆっくり余生を過ごすかくらいしかない。
余生を過ごせるくらい資金を貯められた冒険者は勝ち組だが、残念ながら冒険者は宵越しの銭は持たない主義の者が多く、多くは傭人にもなりたくなくて狩人や護衛として無理をして死ぬか、付け焼き刃で行商人になろうとして商売に失敗するか、という者が多い。
そう考えると、ギルドの準幹部という立場は決して魅力がないものではない。
一線で働けなくなっても冒険者たちに関わっていられるし、給料も悪くないし、危険も少ない。
そう考えるとジミーとレイフも老後を見据えて準幹部をやりながら冒険者を続ける、という道を選ぶのでは無いかというのがアドリアンの予想だった。
「まあ説得はアドリアンに任せたわ」
「ああ、説得するまでもないと思うが、一度話してみるわ。あいつらがいればギルドの訓練施設の方も引き締まるだろ」
「そういえばそっちも考えないといけないですね」
「俺がトップで、何人か引退した冒険者を置いときゃいいだろ。山も使わせてもらえるんだよな?」
「ええ、年明けからですが」
「十分十分。そもそも春先まではちゃんと組織も出来ねぇし余裕で間に合うわ」
「そうしたら問題は幹部人事だけね」
セリルが話を引き戻す。
「これからはアドリアンがエレルの本部長、私が副本部長、ギルバートがレビデムの支部長として、ジミー、レイフ、アルバ君とレビデムの副支部長とエレルの本部付をローテーションさせるって感じでいいかしら?」
「いいと思うニャ」
「オレは別にかめへんで」
今まで黙っていた二人も頷く。
一応この二人も幹部なのだが、こと人事になると付き合いの深いアドリアン、セリル、エリアの独壇場だ。
ユートも決して浅い付き合いをしているつもりはないのだが、エリアですら十年くらいの付き合いがある冒険者が多く、ましてアドリアンに至っては今の中堅からベテラン冒険者がひよっこだった頃から知ってるのだ。
その為、どうしてもユートたち三人は聞き役に回ってしまう。
「じゃあ、そういう方向でいきましょう」
ユートがその言葉を発した時、二階から誰かが起きてきた足音が聞こえた。
「あふ……おはようなのです……」
眠そうに目をこするのはアナだった。
「おはよう」
「どうしたのです……? みんな集まって……?」
「ちょっと幹部人事を、ね」
「ああ……ギルドの幹部人事なのですね。そういえば王都に置くのは誰になったのですか……?」
何気ないアナの一言に、ユートたちの頭は疑問符で埋め尽くされる。
「王都に支部を置くのではないのですか?」
「いえ、王都に置く予定はないわよ?」
「……恩賜ギルドが、王都に支部を置かないのはさすがにまずいと思うのです」
アナの言葉にユートたちは顔を見合わせる。
確かによく考えれば、アリス女王自身が王国臣民の幸せのために必要と思って財産を下賜したギルドだ。
その恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドが、王都に支部を置かない、となるとアリス女王の気持ちを無視している、と取られかねないだろう。
「でも、王都に仕事なんかあるの?」
「仕事の有無ではないのです……それに、どうせエーデルシュタイン伯爵家としても王都に誰かを駐在させなければならない頃合いなのです」
アナの言葉に、それはそうだ、とも思う。
普通、貴族ならばどの家も王都の屋敷に重臣を置くか、または貴族自身が滞在している。
これは何かあった時にすぐに連絡がつけられるために置いているのであり、エーデルシュタイン伯爵家はこれまで新興の貴族家ということで置いていなかったが、そろそろ置く必要があるのは間違いない。
「ああ、そういえば徒弟保護令の関係で王都の商会でも傭人に依頼したい、というような動きもあるようです」
「仕事もある、か。ちなみにアーノルドさん、その情報はどこからきたの?」
「兄上です――ああ、兄上は王都で馬商人をやっておりまして」
「なるほど。じゃあ間違いない情報ね」
エリアはそう言うと、蠱惑的な瞳をらんらんを輝かせて言った。
「それなら色んな意味でチャンスじゃない。ユート、王都に支部出すわよ」
「いや、そう簡単にはいかないだろ……」
「なんでよ? 敷地なら王都のエーデルシュタイン伯爵家屋敷を使えばいいんでしょ? ――まあ多少は改築しなきゃいけないけど。あとは向こうに人を置けば終わりじゃない」
「だから誰を置くんだ?」
「そんなの決まってるわ。ねえ、アーノルドさん」
エリアはそう言いながらアーノルドの方を見た。
「王都の商会につてがあって、エーデルシュタイン伯爵家第一の重臣で、と考えたらアーノルドさんしかいないでしょ?」
エリアの言葉に、アーノルドは苦笑するしかない。
「まあ、私が王都の屋敷を預かるのはやぶさかではありませんし、依頼先が商会や貴族となるならば、王都支部の支部長を務めることも構わないのですが……ただ、私はそこまで冒険者に詳しいわけではありません。ですので、出来れば補佐役がほしいところですな」
「補佐役か……」
そう言いながら、ユートは他の冒険者を思い出そうとするが、なかなか思いつくような人はいない。
「しょうがないわね。ともかく王都支部を開設する方向で、あとはもうちょっと人を探してみましょう」
最終的にエリアがそう言ったが、ユートにはそう簡単に人が見つかるのか、という思いしかなかった。




