第170話 アナスタシアの悪戯
夕食はあいも変わらずジークリンデが作ってくれている。
今日も塩漬け肉と豆と赤蕪を煮込んだ煮込み料理、それにサワークリームの入ったキャベツのスープに川魚のゼリー寄せを作っているようだった。
ジークリンデの作る料理は、大森林料理らしく海産物は少なく、またどちらかといえばソースに頼りがちなノーザンブリア王国の料理よりも素朴な味付けであることが多い。
「ジークリンデはどうして料理を覚えたんだ?」
料理が並んだあたりで、ユートはそうジークリンデに訊ねた。
ユートの婚約者三人のうちでちゃんと料理が出来るのはジークリンデだけ――エリアは料理を作らせるとかたまり肉を塩して焼くだけの豪快な冒険者料理を披露してくれるが、それを料理というのかは不明――であった。
「料理は、出来ないと生きていけないと思いますが……」
目の前にエリアと、アナがいるんだよ、と言いかけたが、さすがにそれは言わずに次の言葉を待つが、ジークリンデの言葉の前に、レオナが口を開いた。
「大森林では誰でも料理は出来ないと駄目ニャ。イリヤ神祇官ですら出来るニャ。そうじゃないと何かあった時に死ぬニャ。大森林で生きていく以上、自分のことは自分で出来るのが前提ニャ」
「なるほど……ってゲルハルトも料理できるのか?」
「もちろんできるで。言うても焼き物ばっかりやけどな」
「あちきは庖丁が得意ニャ」
意外なゲルハルトの特技と、レオナの庖丁の腕にユートは驚いていた。
「料理なんて適当に切って焼いたらいいんでしょ。別に難しくないじゃない」
エリアが微妙にふてくされていたが、レオナが生暖かい目で見守っている。
「何よ」
「肉を適当に切って焚き火であぶるのは料理じゃないニャ」
「なんでよ!?」
「毎日そんな生活したいかニャ?」
そう言われて黙り込むエリア。
つまりはいつもの光景だった。
「それで、旦那様……今日のお料理はどうでしたか……?」
ジークリンデがすまなそうに聞いてくる。
「うん? 美味しかったと思うけど……」
なぜそんなすまなそうに聞いてくるのか、何か見落としがあるのかとユートは細心の注意を払いながらそう答える。
「よかったです……今度のパーティーに、何か料理を出そうと思っています……」
「ああ、それでこれはどうかって話か。でもそれなら俺よりアナに聞いた方がいいんじゃないのか?」
「もう聞いているのです。でも、旦那様はノーザンブリアが故郷ではないので、旦那様に合うかはわからないから聞いた方がいいと言ったのです」
なぜそこまでユートに合わせようとしているのかわからなかったが、ともかくユートは頷く。
「うん、美味しいしこれでいいと思うよ」
「ありがとうございます……」
「というか、貴族って料理しないわよね? ジークリンデが作った料理なんか出しても大丈夫なの?」
エリアがそう訊ねる。
ノーザンブリア王国では料理を自ら行うのは庶民であり、貴族ならば専門の料理人が作るもの、というのが常識だった。
もちろん趣味でお菓子などを作る貴族の令嬢や、自分で釣った魚を料理するなどという貴族はいることはいる。
だが、それはあくまで趣味の範疇であり、野戦食を日常的に作る軍人やそれに類する尚武の気風を持つ貴族以外は一切料理をしないのが一般的だった。
だからこそ、大森林の王族とも言うべきジークリンデが手ずから料理を作ることは卑しいことと蔑まれないかとエリアは心配しているのだ。
「それは大丈夫なのです。大森林では純エルフを筆頭にみな料理する文化がある、というならば、それに合わせるのが礼儀なのです」
「ああ、今回はジークリンデとアリス女王の共催のパーティーだからか?」
「そうなのです。パーティーに招待されて自分のマナーや常識を振りかざすのなら、そういう人はノーザンブリア王国の貴族としてふさわしくないのです」
そして、それがわかっているからこそ、貴族たちもアリス女王の前でそうした“非常識”を振りかざすことはしないのだろう。
「それなら大丈夫よね。なんかあったらユートが守ってあげるのよ」
「何を言っているのですか? エリアも参加するのですよ?」
「え? あたしは無理よ! 礼儀とかマナーとかわからないもん」
「エリアは正騎士なのですから、王家のパーティーに招待されれば来るのが筋というものなのです」
そう言われてエリアはユートに助けを求めるような視線を送って寄越したが、ユートも出す助け船はない。
「エリア、大丈夫ニャ。あちきらと一緒のテーブルであちきらの真似しておけば大森林のマナーなんかわからない貴族は合ってるか間違ってるかわからないニャ」
レオナにそう言われてエリアはようやく諦めたように頷いた。
「ユート、パーティーを楽しみにしておいて欲しいのです」
なぜか主催者ではないアナがそう笑った。
パーティーまではもうしばらく時間があったが、ユートはその間もずっと事務仕事に忙殺されていた。
「あんた、そのうちアナやジークリンデに見捨てられるわよ」
エリアにそう言われるくらい、執務室に籠りきりの仕事人間となっていたが、それもしょうがない。
西方軍の再建、そして何よりも本格的に冬が来る前にエレルに戻らないといけないことを考えると、パーティーまでに片付けておくことが多すぎたからだった。
ゲルハルトのアイディアである、猟師を利用するという案は、軍務省軍務部のセッションズ部長によって少しだけ調整された。
単に猟師を集めるよりも、現在軍内にいる、猟師の次男坊三男坊を転属される方が効率的だという提案だった。
また、同時に冒険者のうち身分の保証のある軍人になりたいものがいれば短期間の教育を経てこれまでの実績に応じた立場で軍に迎え入れることも提案してくれたので、ユートもそれにしっかりと乗っている。
また、保険制度は今回の引退者に支給する年金の原資をどうするかということを除いてはセリルとレオナの手で問題点が洗い出されては実現に近づいていっていた。
そして、問題が一つ解決して実現に向かう度にユートの事務仕事は増えるのが道理であったが、それもこれも冬までにエレルに戻るために必要なことだった。
そうしているうちに、十一月に入り、パーティー当日を迎えた。
「ユート、準備はいいですか?」
「ああ、問題ない」
そう言いながらユートはアナが用意してくれたテールコートに身を包む。
アナとエリアもまたドレス姿であり、アーノルドとアドリアンはやはりテールコートだ。
ジークリンデは主催者として既に会場に入っているので、ユートたちがアナの馬車に乗り込む。
「そういえばゲルハルトたちはどうするんだ?」
「あっちで合流よ。さすがにエーデルシュタイン伯爵家の屋敷から向かうのは体面が悪いから、迎賓館から馬車を仕立てるらしいわ」
普段はユートの屋敷に居着いているのだが、正式なパーティーともなればそうはいえないようだった。
「アナ、舞踏会もあるって聞いたんだけど……」
「大丈夫なのです。ユートやわたしは姉様の近くにいるので、まず誘われないのです」
さすがに格というものがあるのと、婚約者が傍にいるのに誘うのはマナーとしてよくない、ということらしい。
さらに周囲に恐らく舞踏会に慣れていないだろうゲルハルトやレオナもいるならば、誰も誘いにこないのは明らかだった。
「よかった。あたしは剣舞くらいしか出来ないし」
エリアの言葉にユートが噴き出す。
「エリアの剣舞って、酔っ払って剣抜いてふらふらしてるだけじゃ……」
「あれは剣舞なの! 剣舞!」
「どっちでもいいのです。でも姉様の前で剣を出すのは駄目なのです」
「わかってるわよ!」
王の前で剣を抜く。
そんなことをすれば謀叛同然に扱われることくらいエリアも理解していた。
「そろそろ着くのですよ」
ぎりぎりの時間になって、ユートたちは会場に滑り込む。
ユート――というよりもアナのために空けてあった、上座に一番近いところの丸テーブルに着くと、不意に長身の男が目の前に立った。
「アナスタシア王女殿下、エーデルシュタイン伯爵閣下、席をご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?」
見上げると、レオナを連れたゲルハルトだった。
「……え、ええ」
「失礼」
「わたくしも失礼します」
ゲルハルトと一緒にテーブルに着いたのはもちろんめかし込んだレオナだった。
あちきでもニャでもないレオナに折り目正しいゲルハルトは新鮮であり、大森林の代表として気張っているのだろうが、昨日の夜、エーデルシュタイン伯爵家屋敷の大広間でくつろいでいた姿を知っているユートからすればどう対応していいかわからない豹変振りだ。
「えっと……」
「ゲルハルト、此度はジークリンデ殿下の守護大儀です。お楽になさって下さい」
困り顔のユートを尻目に場慣れした
「では、お言葉に甘えて。ユート、お疲れさん」
「ああ、ゲルハルト――でいいのか?」
「あちきも肩こってしょうがないニャ」
レオナがそう笑ったところで、不意にざわめぎが止む。
「姉様です」
アナが小声でそう言いながら立ち上がり、ユートもみなも同じように立ち上がった。
アリス女王がジークリンデとともに入場し、そして上座に立つ。
沈黙の中、視線が上座に立ったアリス女王に集中する。
何か話さないのか、と思った絶妙の間で、アリス女王が言葉を発する。
「みなの者、今宵はよくぞ来ました。ローランドの卑劣な奇襲により、我が国は苦しい戦いを強いられていますが、北方の友人、そして王国を守り抜く頼もしき貴族たちによって、我が国は必ず勝利を収めるでしょう。今宵は北方の友人との親睦を深めるための、そして王国の為に戦った英雄のための宴です。宴の料理は、ノーザンブリアの料理に加え、こちらのジークリンデ殿下が大森林の料理を振る舞いたいと手ずから作られたものです」
ほう、と言う声と共にジークリンデが進み出て、同時にあちこちで葡萄酒の栓が抜かれる音がする。
給仕がテーブルの間を優雅に動き、そしてグラスに葡萄酒が注がれる。
「大森林では、このような時に言う言葉があります」
ジークリンデの鈴の音のような声が響く。
「今宵の出会いに感謝を、と」
ジークリンデの言葉を唱和する声が響いた。
「あー緊張したわ」
エリアは乾杯の葡萄酒を一気に飲み干すと、そう笑った。
「つぶれるなよ」
「大丈夫よ」
そう笑うが、酒の上でのやらかしの多いエリアのことだから全く信用できない。
そんなユートの気持ちなんか知らないと言わんばかりに間髪入れず給仕に注がれた葡萄酒をまた飲み干してぐるりと会場を見回す。
「知らない貴族ばかりね……いえ、ハントリー伯爵とか、サマセット伯爵とか、ハミルトン子爵とかはわかるけど」
彼らは王国重鎮ということもあって、多くの貴族から握手攻めを受けている。
他の貴族たちも身分の近しい者同士、あるいは領地の近しい者同士で挨拶を交わしている中、ユートのテーブルは大森林の大物二人に王女のテーブルということもあって、奇妙な静寂があった。
「まあ、ゆっくり食べれていいじゃない」
エリアはそう言いながらジークリンデが作ったという塩漬け肉と赤蕪の煮込みを食べながら葡萄酒をまた飲み干していた。
「アナスタシア王女殿下、エーデルシュタイン伯爵閣下、少しお話しさせて頂いてもよろしいですか?」
傍観者の立場でいながら、ただ食事をしているうちに、時間は刻々と過ぎていく。
これで面倒なことは避けられるか、と思ったその時、不意に声を掛けられた。
声の方を見ると、どこかで見た顔――
「ロドニー卿、何用ですか?」
ユートが思い出す前にアナが返事をしていた。
そう、クリフォード侯爵の嫡子ロドニー――いや、先日王城で襲爵したらしいので当代クリフォード侯爵だ。
「はっ。先日陛下よりクリフォード侯爵家存続のお言葉を賜りました。その折にはエーデルシュタイン伯爵閣下には骨折りを頂きまして、誠にありがとうございます」
「あ、ああ。軍状報告のことですか。あれだけでなく、ウェルズリー伯爵やシーランド侯爵、フェラーズ伯爵のあたりも
「存じ上げております。ウェルズリー伯爵にもシーランド侯爵フェラーズ伯爵にも南部に戻ればご挨拶に伺わねばならないと思っているところです」
戦場では頼りない男に見えたが、こうした場では生まれながらの貴族であるロドニーとポッと出のユートでは立場が逆転していた。
恐らくユートが戦場でロドニーのことをそう思っていたように、今のユートはよっぽど頼りなく見えていることだろう。
「南部の軍権を取り上げられたと聞きましたが、姉上もクリフォード侯爵家を憎く思ってのことではなく、王国の為、決断されたのだと思います」
「ええ、もちろん大御心はよくわかっております。先立ってのいくさで、自身の非才は思い知った次第、軍権を失うのは当然のことでございます」
アリス女王をフォローするアナの言葉にロドニーは一にも二にもなく頷き、そしてユートに弱い微笑を浮かべて話しかける。
「エーデルシュタイン伯爵閣下と違い、私は軍を率いるのは出来そうにありませんし、家臣たちはともかく、自分としては軍権を失ってほっとしておるのです」
「いえ、自分もなんとかやっているだけですよ」
「ご謙遜を。私のような非才ならばともかく、父ですらエーデルシュタイン伯爵閣下の軍才は素晴らしいと讃えております」
そこでふう、とロドニーは息を吐く。
「全く羨ましいことです。恐らく戦争はまだ続くでしょうし、軍権を返上したとはいえクリフォード侯爵家は王国の盾となって戦わねばならないことにかわりはありません。貴族としてあるまじきことかもしれませんが、私は怖いのです」
ロドニーは酔っているのか、そう吐露していた。
「エーデルシュタイン伯爵閣下はなぜそのように戦われるのですか?」
ロドニーの言葉にユートは返事できなかった。
それは自分の考えがまとまっていない、というのもそうだったが、アリス女王が何かを話すために立ったからだった。
「みなの者、聞きなさい」
アリスの言葉に全員が直立不動となる。
「先のクリフォード城の会戦において、決定的な働きをし、劣勢を覆して王国に勝利をもたらした英雄がいます。朕が妹アナスタシアの婚約者、そしてジークリンデ殿下の婚約者でもあるエーデルシュタイン伯爵ユートです」
アリス女王がそう言うと、ユートに注目が集まる。
「ユートには、朕から何か褒美を下そうと思いましたが、戦争はまだ終わっておらぬのに自分だけ褒美を受け取るわけにはいかないと固辞されました。そこで、戦後にはその大功に見合った然るべき褒美を与えることを約束とするとともに、ユートが持つエレル冒険者ギルドなるギルドに国号と当座の賄領を与え、恩賜ノーザンブリア冒険者ギルドと名乗ることを差し許します」
アリスの言葉にユートは目をぱちぱちとさせた。
所領の件もそうだが、何よりもギルドの名のことは初耳だったのだ。
「ユート」
声に振り向くと隣でアナが悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
そして、万雷の拍手が鳴った。
「ロドニーさん、自分が戦うのは一番守りたいものを守る為ですよ」
ユートはそう照れくさげに答えた。
 




