第166話 つまりは、教育
一週間お休みを頂いたことで体調も回復しました。
今週からまた平日更新で更新していきますのでよろしくお願いします。
軍状報告を終えて数日たち、ユートの周囲の喧騒はようやく落ち着いてきた。
あの軍状報告の後、ユートの周囲には多くの貴族が群がることになった。
アリス女王が愛して止まない妹アナスタシア王女の夫、幾多の戦いで勝ち抜いてきた英雄ともなればよしみを通じておきたい、という者は決して少数派ではない。
しかも、ユートに近づく貴族に対して睨みを利かせていたウェルズリー伯爵ははるか南方の戦陣にあるとくれば、ユートに近づけるのは今しかない、と考える者が多いのは当然だ。
結果、ユートは多くの貴族からパーティーに招かれる羽目になり、辟易とさせられつつ、全て断ることに奔走していたのだ。
「一つくらい行ったらよかったのに……」
エリアはそんな感想を言っていたが、アナがすぐにそれに反論する。
「エリア、それはよくないのです。一人のパーティーに出れば他の貴族から不満が出るのです」
「でもさ、それってユートは付き合いが悪いって評判悪くならない?」
「それならば大丈夫なのです。ジークリンデが既に手を打っているのです」
アナはそう言うと、にこりと笑った。
その、少し大人びた笑顔に、アナももうすぐ十二歳なんだよなぁ、とふと思う。
初めて会った頃はまだまだおしゃまな子供だったが、最近はずいぶんと大人びて少女と言うべき存在になってきていると思うことが多い。
「ジークリンデが?」
「ええ、北方大森林と王国の縁を深めるためにパーティーをしてはどうかと姉様にこっそり伝えてあるのです」
今回の戦いで北方大森林の連中――つまりゲルハルトとレオナたちが重要な役割を果たしたことは疑う余地もない事実であり、それを労う意味も込めてアリス女王とジークリンデが主催でパーティーでも催そうというのだろう。
「今、ゲルハルトとレオナに調整してもらっております……」
「ああ、それであの二人いないのね。ジークリンデのお使いじゃ断れないか」
エリアが納得したように頷く。
「というわけでパーティーはそれだけで終わらせるつもりなのです」
アナがそう言ってくれてユートはほっとした。
これまで邪な考えを持ってユートに近づいてきた貴族連中はウェルズリー伯爵が睨みを利かせてくれていたが、今はウェルズリー伯爵はいない。
ウェルズリー伯爵はユートと同じ伯爵ではあるが、ただの伯爵ではない。
アリス女王を即位させた立役者であり、雷光のウェルズリーの異名を持つ将軍であり、そして何よりも王立士官学校以来、クリフォード侯爵家、シーランド侯爵家と強い繋がりを持つ伯爵である。
つまり、軍務閥を率いるウェルズリー伯爵はノーザンブリア政界で言えばサマセット伯爵、ハントリー伯爵、ハミルトン子爵のあたりと並ぶ大物政治家と言える存在だ。
そのウェルズリー伯爵がいない、ということから今回の王都滞在でユートはあちこちの貴族を上手く捌かないとならないと思っていたがどうやらアナやジークリンデが上手くやってくれそうだった。
「じゃあ貴族絡みはそれでいいとして、問題はギルドよね」
「それと西方軍の立て直しもな」
「それはユートとアーノルドさんで話し合うことでしょ。ちゃんと教育受けてないあたしじゃどうにもならないんだし」
エリアとユートのそんな掛け合いをセリルがぱん、と一つ手を打って止めて話し始める。
「ギルドの問題は大きく分けて二つ、ね。一つは今回の戦いで冒険者が五百人も戦えなくなったけど、それをどうするのか。もう一つは今回の戦いで――いえ、今回の戦い以外に冒険する中で出た、戦えなくなった者をどうするのか、ね」
セリルが上手くまとめてくれたのでみなが頷く。
「廃兵院に頼んでみるのはどうでしょうか? 今回の負傷者たちは受け容れてくれるでしょうし、今後冒険者から出たそうした者たちも、エーデルシュタイン伯爵家として頼めば受け容れてくれる可能性は高いと思います」
アナの言葉にアドリアンが鼻を鳴らす。
「何言ってやがる。廃兵院なんぞ怪我した兵を押し込めておく姥捨て山だろうが」
「アドリアン、言い過ぎよ!」
「かもしれねぇけどな。アナ殿下はどのくらい廃兵院のことを知っていらっしゃるんで?」
「……何度か慰問には行ったことがあるのです」
「俺はまだガキだった頃に廃兵院の手伝いに行かされたことがあるけどよ、あそこは控えめに言って地獄だぜ。重傷の奴がうんうん唸っててよ、多少は包帯かえてくれたりはする――ていうか俺が傭人としてやってたんだけどよ――が、結局は死ぬのを待つだけだ……まあ王女様の慰問でそんなとこ見せないものわかってるけどよ」
アドリアンの言葉にアナは言葉を失う。
「廃兵院に冒険者を送り込むくらいなら、何もしねぇ方がマシじゃねぇか? だいたい廃兵院で給金が出るわけでもなし、残された家族が路頭に迷うのは一緒だろ?」
アドリアンの言葉にユートはその通りとは思う。
「弔慰金、ですかね?」
「死んだのと同額ってか? そいつはエーデルシュタイン伯爵家の財政やギルドの財政としてどうなんだ?」
アドリアンがセリルの方を向く。
いつの間にかセリルがエーデルシュタイン伯爵家やギルドの事実上の財政担当になっていた。
「無理、ね。まず無理。今回みたいな大きな戦いがあったらあっという間にギルドもエーデルシュタイン伯爵家も破産するわ」
「やっぱりそうだろうな。それによ、ギルドの依頼で再起不能になった奴には弔慰金を出すけど、死んだ奴には出さない、では通らんだろう?」
「それもそうですね……」
まさか冒険者が行方不明になる度にギルドから弔慰金を出していては、ギルド財政が破綻するのは目に見えている。
下手をすれば口減らしと弔慰金目当てにギルドに加入させようとする者が出てきてもおかしくないのだから。
「なかなからちがあかないわね」
「どないしたんや? しけた面して」
いつの間にか戻ってきていたらしいゲルハルトがそう笑う。
「ああ、ゲルハルト君。怪我をした冒険者をどうやってサポートしていくか、ってことを話し合っていたのよ」
「そういえば北方大森林ではどうしてるんだ? あれだけ北方軍とやり合っていたら死傷者結構出てるよな?」
最初、死の山で会った時にゲルハルトの率いる餓狼族は負傷者続出だったのを思い出してユートがそう訊ねる。
「ああ、オレらか? オレらは普通にお互いで面倒見とるで」
ゲルハルトは事も無げに言う。
そういえば餓狼族というのは狩り場が北方屯田領の、人間が住む村なだけで実質的には原始共産社会に近い社会だった、と思い出す。
「それは冒険者では出来ないわね」
「せやろな」
「あちきが怪我した冒険者の面倒見ろって言われたらお断りだニャ」
レオナの言葉にアドリアンが複雑そうな表情をしているが、にやりと笑うレオナはどうやらわざとそう言ったらしい。
「ひでぇな」
アドリアンがぼそりとそう呟いてこの話はおしまいとなった。
西方軍の再建もまた難題だった。
「近接戦闘の出来る法兵も、魔法の使える歩兵も、王国には基本的にはいません」
翌日、執務室で再建について話し合っていたが、アーノルドは開口一番、ユートにそう告げた。
「基本的に法兵の養成は王立士官学校でしか行っておりません。これは法兵は全て士官であることからもわかると思います。そして、王立士官学校入学時に、四種魔法を全て使える上に、一定以上の魔力がなければ法兵士官課程には進めないのです」
「ねえ、なんで四種全てを使えないといけないの? あたしたち冒険者はそんなの関係なしに使える魔法を使えばいいって感じなんだけど……」
エリアの言う通り、例えばセリルは火魔法しか使っていないし、ゲルハルトは土魔法だけしか使っていない。
「軍においては均質化されていることが何よりも重要です。一人の英雄が無双するよりも、百人の兵士で戦うのが軍なのですから。それに法兵の重要な任務として、敵への攻撃だけでなく味方を守る、という仕事もあります」
シェニントンの会戦で、クリフォード侯爵領軍やタウンシェンド侯爵領軍が放ってきた魔法を打ち消したのがそれだ。
「例えば敵が……そうですな、火球を使ってきた時に、味方の法兵がたまたま水魔法の使える魔法使いが少なければどうなりますか? 法兵の運用とは非常に難しいものになってしまうでしょう。ですから軍では四種全て、しかも制式魔法という軍が定められた標準的な魔法を全て使えることを必要としています」
「でもそれなら、例えば火魔法小隊、みたいなのを作ればいいんじゃないの?」
「ええ、それも一つの案でしょう。しかしそうすると軍の法兵の人数も大幅に増やさねばなりません。全員が士官である法兵を大幅に増やすとなれば、特に海軍は大型艦から作り直さねばなりませんし、大幅な予算措置も必要となります」
結局は金、ということなのだろう。
「それに、法兵自身も四種使える者が法兵というプライドの高さもあります。それ故に一種類の制式魔法を使える者も法兵である、とするのには抵抗は非常に大きい」
アーノルドはそう言ってため息を吐いた。
ウェルズリー伯爵も前に法兵のプライドの高さを嘆いていたことを思い出す。
王国軍人にとっては法兵とは確かに戦場においては頼りになる存在なのだが、こと軍政においては頭痛の種なのだろう。
「つまりは教育、よね」
エリアがそうまとめ、そしてユートは西方軍の猟兵部隊化もまた難しいと悟ることになった。
「つまりは、教育よ」
夜、テーブルを囲んで夕食を食べながら、セリルがそう強く言った。
昼間のエリアと同じ言葉にユートは少し苦笑をしながら、教育の重要性を主張するセリルの言葉を待つ。
「アドリアンと話してたんだけど、少なくなった冒険者の補充をしないといけないって話だったでしょう?」
「ええ、まあそっちは人を集めるってことになるんで、エレルに戻ってからかな、と思っていますが……」
「それはいいのよ。でも単純に募集して、いきなり狩人や護衛が出来る冒険者が集まると思う?」
基本的にそれは難しいと思う。
確かにアルバのセラ村自警団のように、辺境の農村にはある程度魔物とやり合える者はそれなりにいる。
とはいえ、彼らは戦えると言ってももちろん数が多くなれば無理だし、基本的には魔兎くらいまでの弱い魔物相手が限界だ。
狩人となれば魔牛や魔鹿と戦うのは当たり前であり、護衛は護衛で盗賊やらと戦わないといけない。
そうなると、いきなり即戦力になる冒険者は少ないだろうと考えるのが普通だ。
「つまり、教育ですか」
「ええ、教育ね」
禅問答のようなセリルとユートの言葉に全員が頷く。
「あちきが昔言ったことがあるような気がするニャ」
「そういえばあんたがそんなこと言ってたような気もするわ。いつの話だったっけ?」
「まあいいニャ。でも訓練所はありと思うニャ」
「教官は俺がやってもいいぞ?」
「アドリアンはそんな時間ないでしょ! ギルドの幹部辞めるつもりなの!?」
エリアに突っ込まれてアドリアンが頭を掻くが、ユートとセリルは顔を見合わせて笑っていた。
「そうね。怪我をして護衛や狩人として戦うのは出来なくなったけど、まだ動ける人を雇って教官にするのはありね。アドリアンをいれるわけにはいかないけど」
「ですね。アドリアンさんは別だけど」
「おいおい、俺も参加させろよ」
「まあ暇な時にちょっと訓練に参加するくらいならええんとちゃうか? なんやかんや言うてアドリアンの武器の多彩さは貴重やで」
「それよりも訓練所よ。どんな感じで作るか考えないとダメだわ」
エリアがなぜか俄然張り切っている。
「道場はやっぱり作るのよね?」
「どうしてそんな張り切ってるんだ?」
「あたしの父さんは元撃剣師範よ? 道場とかわくわくするじゃない」
エリアのよくわからないテンションの上がり方にユートは放置することを決め、セリルの方を向き直る。
「セリルさん、アドリアンさんと相談して大体必要な技能をまとめてもらえませんか?」
「わかったわ。一週間くらいで、細かいところを詰めたたたき台を出したらいい?」
「ええ、十分です」
本当ならばみんなでわいわいやって決めたいのだが、ジークリンデとアリス女王のパーティーもあるし、西方軍の再建もあることを考えるとここはアドリアンとセリルに振るのがベストと判断する。
どうせ最終的には夕食の時にがやがや言いながら決めることになるのだろうし。
「任せといて。最近事務仕事は大分早くなったんだから」
そういって笑う。
それは冒険者として必要な技能ではなかったが、冒険者ギルドには絶対に必要な能力であり、ユートたちが出征している間のセリルの献身に、ユートは頭が下がる思いだった。




