第158話 追撃と反撃と
ユートは再集結させた兵を率いて急いでいた。
たった二千そこそこのゲルハルトは、奇襲の利を活かしたとしてもそう長くは戦えないだろうし、一刻も早く後詰めしてやる必要があると思っていたからだ。
「ユート、あんまり思い詰めないの! 指揮官がしかめっ面してたら兵たちが怖がるわよ!」
「そうですぞ、ユート様」
二人の副官――エリアとアーノルドにそう言われても、ユートは眉間にしわを寄せたままだった。
ゲルハルトが強いのは知っている。
王位継承戦争以来、ユートは王国軍の誇る若手指揮官として勇名を馳せているが、その半分は常に一番槍を担っていたゲルハルトのものと信じている。
だが、そのゲルハルトも人の子、わずか二千で五万近いローランド王国軍と長く戦えば敗北を喫するのは目に見えている。
指揮官の気持ちが兵たちにも伝わったのか、ユートたちは行軍速度を上げて戦場に到着した。 二時間と経っていないのだが、流石ゲルハルトと言うべきか、既にローランド王国軍後衛は瓦解していた。
「ゲルハルト!」
灰色の髪とその長身ゆえにすぐにゲルハルトは見つかった。
だが、鎧は血にまみれている。
「おう、ユート、意外と早かったな」
「どうした? 大丈夫か?」
ユートがそういうのを聞いて、はて、とゲルハルトは首を傾げた後、自分の鎧が血まみれなことに気付いて大笑する。
「あわてんな。オレは怪我しとらへんで。返り血や!」
そう言ってユートの早とちりを笑い飛ばす。
「あちきも無事だニャ」
「よかった……」
「ユート、アドリアンのことを悔いているのかニャ?」
レオナがずばりと斬り込んできて、ユートは黙って頷く。
「アドリアンはまだ死んだって決まったわけじゃないニャ。それに、アドリアンが死んでいたとしてもあちきらまで死ぬと決まってるわけでもないニャ」
「……まあ、ともかく今はオレら無事やったんやし、それでよしとしとこや」
ゲルハルトは再び大笑――そして真面目な顔を作る。
「既に後衛は瓦解したし、本営はオレらから逃げようとしとる。ウェルズリー伯爵も呼応して積極的に打って出てるみたいやけど、どないする?」
ウェルズリー伯爵は呼応して積極的に打って出たというよりは半分破れかぶれになりながら死を覚悟しての突撃をしていただけなのだが、ともかくそのウェルズリー伯爵たちの突撃がゲルハルトたちとちょうどいい具合に噛み合って敵の前衛も瓦解させたらしい。
ローランド王国軍の両翼はウェルズリー伯爵とゲルハルトに中央を食い破られたため孤立しつつあったし、あとはその両翼を叩くか、逃げ腰となった本営を追撃するか、ゲルハルトはその判断をユートに求めていた。
「追撃しよう。ゲルハルト、兵は疲れてるか?」
「まああとひといくさ、しかも追撃やったら出来るやろ」
朝から戦って、早駆けしてまた戦って、そして追撃戦、である。
いかに屈強な餓狼族といえども体力の限界が近いようだったが、追撃戦ならばそこまで精神的に疲労しないと踏んだのか、ゲルハルトが頷く。
「アーノルドさん、臨編騎兵大隊を先頭に立てます」
「ユート様、任してください。王国軍は猟兵部隊だけではないというところをお見せしましょう」
ユートもさすがに先頭にゲルハルトを立てるのは、と判断して先陣を入れ替えるという判断をする。
「よし、じゃあ最後の追撃、いくぞ!」
ユートの号令一下、アーノルドのエーデルシュタイン兵団臨編騎兵大隊、そして軽歩兵たちが動き始め、最後にエーデルシュタイン伯爵領軍の二個大隊が動き始めた。
「ユート卿! 総軍司令官閣下より伝令! こちらのことは構わず、敵を追撃、必ず撃滅せよ、とのことです」
出がけにそんな伝令も来たが、それもまたユートの追撃を肯定するものであり、何もやりとりをせずともウェルズリー伯爵の本隊とエーデルシュタイン兵団が同じ考えの下に動けていることにユートは安堵と満足を覚えた。
ウェルズリー伯爵もまた、ゲルハルトたちがローランド王国軍後衛を崩し、本営を撤退に追い込んだことでようやく少しは楽な戦いになりつつあった。
とはいえ、ノーザンブリア王国軍も決して無傷というわけではない。
特に徹底的に叩かれた右翼の被害は甚大であり、騎兵を率いて果敢に戦ったナフィールド子爵を筆頭に多くの貴族が戦死しており、ヴィクター老人も負傷している。
左翼も子爵、男爵クラスに数人戦死者が出ているようであり、中央を破られて孤立している敵軍を一気に殲滅出来るほどの力は残っていなかった。
それでも逃げ腰になっている敵に逆襲されるほど間抜けではなかったらしく、じりじりと抑え込んでは殲滅していっている。
「どうにか、なりそうですね」
ウェルズリー伯爵の呟きにカニンガム副官も頷く。
「このままならば問題ないでしょう」
「とはいえ、右翼の損害は甚大です。ナフィールド子爵を殺してしまいました」
ウェルズリー伯爵も王立士官学校の後輩であるナフィールド子爵のことは知っていた。
堂々たる体躯を持つ、騎兵らしくさっぱりした男であり、どう見ても軍人には見えないウェルズリー伯爵はうらやんだこともあった。
「いくさの習いですよ」
慰めるようにカニンガム副官がそう言った。
「ええ、わかっていますよ。これでも長いこと軍人をやってるんです。せめて陛下に言上して、ナフィールド子爵の軍功はしっかりと伝えましょう」
ウェルズリー伯爵の言葉にカニンガム副官も頷いた。
「閣下、ほとんど上手くいってるようだぜ」
戦場の把握に出ていたリーガン大隊長がウェルズリー伯爵の本営にまで戻ってきてそう伝える。
「ただ、ちょいと奇妙なことがあるんですがね……」
「どうしました?」
「いやな、猛獣がどこにも見当たらんのです。あれだけ警戒していたんですがね……」
リーガン大隊長はそう言いながら首を傾げる。
会戦前にはどう防ぐか頭を悩ませてキャットニップやシルバーヴァインでどうにか防げるのではないか、などと考えていたのに、いざ会戦が始まれば影も形もなかったのは確かに不可解だった。
ここまでローランド王国軍を打ち破れたのは運がよかった部分もあることをウェルズリー伯爵は痛感しているし、もしあの猛獣が適切なタイミングで投入されていれば、ウェルズリー伯爵の命運は極まっていたことは明らかだ。
「こないだの戦いで消耗したから前に出していないんですかね?」
カニンガム副官がそう呟いた。
消耗したから前に出していない、というのはウェルズリー伯爵には余りぴんとこなかった。
確かにゲルハルトたちが相当数の猛獣を討っただろうが、それでも今回のような決戦で出し惜しみをする、というのは戦理に反すると思うのだ。
「消耗しているならいいんですが、もし温存だったら……」
ウェルズリー伯爵はそこに思い至ってはっとした。
後衛が崩されたとはいえ、一戦も交えずに本営が後退していったのをウェルズリー伯爵は撤退と受け取っていたが、適切な間合いをとって本営の部隊を中心に反撃するためだとしたら――
「もしかしすると、ユート君が危ない、かもしれません……」
ウェルズリー伯爵の独り言のような呟きに、カニンガム副官もリーガン大隊長も目を剥いた。
二人とも優秀な軍人であり、その呟きだけでウェルズリー伯爵が何を危惧しているかすぐにわかったのだ。
「しかし、餓狼族たちならば猛獣に襲われても大丈夫でしょう?」
「いいですか、エーデルシュタイン兵団の大多数は餓狼族ではありません。妖虎族と合わせて考えても多数は一般の部隊なのです。しかも籠城中でしたから、そう簡単にキャットニップやシルバーヴァインを手に入れるわけにもいかなかったでしょう――つまり彼らは無防備です」
ウェルズリー伯爵のことばにカニンガム副官、リーガン大隊長は一瞬黙りこくった。
「リーガン大隊長、至急隷下部隊からキャットニップやシルバーヴァインを集めてください。そしてそれを駄載して……いえ、駄載しなくても運べますよね? ユート君たちに届けて下さい」
「了解!」
そう言うが早いか、リーガン大隊長はキャットニップやシルバーヴァインを集めるべく飛び出して行った。
「頼みますよ、ユート君……」
ウェルズリー伯爵やカニンガム副官には祈ることしか出来なかった。
アーノルドの臨編騎兵大隊を先頭に立てて追撃戦に入ったユートだったが、すぐにローランド王国軍と相対することになる。
「殿軍、ですかな?」
アーノルドは独り言ちながら、じっと敵を見る。
アーノルドにとって、騎兵とはただ突撃するだけの存在ではなく、敵情を的確に把握し、機動力を活かして運動戦をやる存在だった。
このあたりは見敵必戦型のクリフォード侯爵とは同じ騎兵指揮官として知られていても大きく違うところであり、それ故にクリフォード侯爵のように突撃をすることはしなかった。
それが幸いした。
「堅陣、ですな。ん? あそこにいるのは猛獣使いでは……」
アーノルドの目にはカラフルな布を組み合わせたパッチワークという、特徴的な衣装をまとった連中が目に入る。
「下がれ!」
アーノルドが後続の騎兵に命じるのと、猛獣たちが動き出すのはほぼ同時だった。
すぐに馬首を巡らせて下がり始める臨編騎兵大隊と、敵部隊から飛び出して追跡を始める狩猟豹たち――
そして、先行していた臨編騎兵大隊がただならぬ様子で下がってくる様子を見たのは後続するクリフォード領軍の二個軽歩兵大隊だった。
「ジェファーソン! どうしたらいい!?」
ロドニーは慌てて傍に使える重臣ジャスパー・ジェファーソンにそう訊ねる。
クリフォード侯爵ならば即座に後退を命じただろうし、クリフォード侯爵家家臣団の者たちもこの嫡子の軍事的な才能の無さため息をつきかけたが、それでも周囲に聞いてくれるのは幸い、と思い直す。
「ただちに下げるべきですぞ。あのアーノルド殿が算を乱して後退させるというのは何かあってのこと。彼の判断に従うべきです」
「わかった。全軍後退だ!」
そうロドニーが命じるとさすが精鋭のクリフォード侯爵領軍、槍の穂先を並べて陣形を維持したまま、正規軍に勝るとも劣らない速度で後退を開始する。
それでも間に合わなかった。
追撃しているのがただの騎兵だったならば歩兵の戦列で食い止められただろう。
歩兵ならば追いつかれることもなかっただろう。
だが、追いかけていたのは獰猛な狩猟豹たちだった。
「下がれ! 猛獣が来るぞ!」
アーノルドが追い越し様にそう叫ぶ。
何が来るかを彼らが気付いていなければ大変なことになるし、それを防ぐために怒鳴ったのだが、それは逆効果だった。
「猛獣だと!?」
「猛獣らしいぞ!」
「またあいつらだ!」
「食い殺されるぞ!」
兵たちから悲鳴のような叫び声が上がる。
彼らの中にはクリフォード侯爵に従ってあの南方植民地の会戦を戦い、そしてクリフォード侯爵領まで逃れてきた者も多い。
それゆえに、狩猟豹に対する恐怖は人一倍だった。
「ええい、隊伍を乱すな! 隊伍を乱せば敵に利するだけだぞ!」
分隊長を務める下士官たちが怒鳴って必死になって隊伍を維持しようとする。
中には分隊長に切り捨てられる兵すらいたが、逃げ腰になりつつもどうにか潰乱を防ぐことだけは出来たようだった。
だが、それは金よりも貴重な時間を無為に失わせることになった。
既にアーノルドの臨編騎兵大隊はクリフォード侯爵領軍軽歩兵大隊を追い越している。
これはアーノルドが怯懦であるとか、卑怯であるとかということを意味しているわけではない。
どれだけ精強な騎兵であっても、どれだけ訓練を積んだ軍馬でも、馬が本能的に怯える肉食獣を敵に回して戦うことは不可能であることは明らかであり、何も出来なかった、というのが正しいところだ。
そして、むき出しとなったクリフォード侯爵領軍の軽歩兵たちに猛獣の牙が襲いかかった。
「絶対に隊伍を乱すな! 隊伍を乱したら全員食い殺されるぞ!」
下士官たち、小隊長たちが声を嗄らして兵を督戦する。
兵たちもその声になけなしの勇気を振り絞って隊伍を維持し、槍衾で狩猟豹を迎え撃った。
最初はよかった。
猛獣とはいえ生身で槍衾に突進すれば待っている結果は串刺しであり、そこここで土手っ腹に槍が突き刺さった狩猟豹の断末魔の悲鳴が響き渡る。
とはいえ、それは全ての狩猟豹ではなかった。
何頭かの狩猟豹は槍衾を飛び越したり、隙間から飛び込んだりして軽歩兵の隊伍へ躍り込んだ。
その牙と爪によって一瞬で数人の兵の人生が終わりを迎える。
食い破られた臓物が飛び散り、爪にかけられた首から激しい血しぶきが舞った。
それは、一言で言うならば、地獄絵図だった。
その地獄絵図を見て、恐慌しない兵士などいなかった。
隊伍が乱れ、その乱れによってまた狩猟豹に飛び込まれて死が大量に再生産された。
「若殿、下がられよ!」
ジェファーソンが無念そうにロドニーにそう進言し、本営を守る家臣団たちがロドニーを囲んで下がっていく。
ジェファーソンはそれを見送ると、腹の底から怒鳴り声を絞り出した。
「おめくな! 下がるな! ここを先途と心得よ!」
楽に思っていた追撃戦は混沌の極みに陥っていた。




