第153話 入城、そして。
「えっと、エーデルシュタイン伯爵閣下でよろしいのですよね?」
ひっそりとクリフォード城に入城したユートたちを出迎えたのは、白髪交じりの壮年の軍人――ユートは知らなかったが、アダムス支隊の支隊長である正騎士ルーパート・アダムスだった。
「ええ、そうです」
ユートは困惑しているアダムス支隊長にそう答える。
一度入城したところで、逃げてきた妖虎族の夜襲部隊からレオナが一人で殿軍を務めていると聞いて、挨拶もせずゲルハルトやエリアとともにすぐに飛び出して行ったのだ。
そして、アダムス支隊長が困惑しているのは、ユートが――他の三人もだが――泥まみれだからだ。
別に泥遊びをしたわけではなく、逃げるために湿地帯を抜けて泥まみれになっただけなのだが、さすがに高位貴族とは思えない格好にアダムス支隊長は困惑を隠せなかった。
「エーデルシュタイン伯爵ユートです」
「北方大森林は餓狼族族長の子ゲルハルト・ルドルフや」
「同じく妖虎族族長の子レオナ・レオンハルトだニャ」
三人が名乗ったのを見て、アダムス支隊長はさっと見事な敬礼をする。
まだ困惑はしているのだろうが、それでも軍人として、王国貴族として取るべき行動はしっかり取れるのが訓練された軍人だった。
「はっ! 南方城塞司令官、正騎士ルーパート・アダムスであります。クリフォード侯爵家嫡子ロドニー卿はただ今御就寝中であります」
本来ならばユートは救援に来た王国軍の軍司令官であるので、クリフォード侯爵よりも優越した立場にいることになる。
この為、筋としては嫡子であり、クリフォード侯爵が行方不明となっている現時点でクリフォード侯爵家を代表しているロドニーが挨拶すべきだったが、どうやら寝ているようだった。
「ユート様、戦場においては睡眠もまた戦闘です」
アーノルドが上手くフォローして、ユートもそれを追認するように頷く。
「ああ、そういえばこれは軍務卿閣下からの命令書です」
そう言いながらユートはウェルズリー伯爵からの命令書を手渡す。
中身はユートも知っている――要するにアダムス支隊もクリフォード侯爵領軍もユートの指揮下に入れという内容のものだ。
「これは、ロドニーへのものですかな?」
「いえ、ロドニーへのものはこちらになります。それはアダムス支隊長へのものとなります」
「失礼」
そう言うと、アダムス支隊長はその場で命令書の封を破り読み始める。
これが一般の書状ならばとんでもなく無礼な行為だが、こと軍の命令書に関してはその埒外――当たり前のことだが、礼儀よりも命令の速達性の方が重視される――だ。
「命令を受領致しました。現時点をもちまして、アダムス支隊はエーデルシュタイン伯爵閣下の指揮下に入り、第三軍を構成致します。また、エーデルシュタイン伯爵閣下よりお預かりしていた西方軍派遣部隊に関しましては原隊へ復帰させます」
そう言うとアダムス支隊長はまたも見事な敬礼を見せる。
「ロドニーにも命令を令達して頂いてよろしいですか?」
「はっ。わかりました」
ユートがそう言うと、アダムス支隊長はすぐに近くのクリフォード侯爵家の家人らしき男にそれを伝える。
元々は南方城塞防衛部隊、西方戦列歩兵第一大隊、クリフォード侯爵領軍、それにあちこちの南方植民地の生き残り、クリフォード城に逃げ込んだクリフォード侯爵領民と正直、ここの人間関係が錯綜しすぎているような気がしたが、それを一本化するのもユートの仕事だ。
さて、どうしようか、と思ったが、すぐにアーノルドが声をかける。
「さて、少しばかりプライベートな話をさせてもらいます。お久しぶりですな、アダムス支隊長」
「アーノルドか。久しぶりだな」
「えっと、お知り合いですか?」
不意に馴れ馴れしくしゃべり始めた二人を見て、ユートが驚いたような顔をする。
「ええ、王立士官学校の一つ先輩でした。ちょうど私の所属していた訓育委員会の委員長だったのですよ」
「もう昔の話だ。それにしても因果なものだな。あの時の訓育委員会のメンバーで、俺がクリフォード侯爵の城で防衛に当たっていて、お前が助けに来てくれて、総指揮を執っているのはウェルズリー伯爵、ときたもんだ」
「ははは、そういえばそうですな。ちなみに第一軍司令官がシーランド侯爵、第二軍司令官がフェラーズ伯爵、海上ではイーデン提督がイーデン支隊を率いているはずです」
「みんな偉くなったもんだ。出世街道に乗れなかったのは俺だけか」
そう言いながら、アダムス支隊長は決して卑下しているわけでなく、過去を懐かしんでいるらしく、笑みを見せる。
「私も出世街道なんぞには乗っていませんよ」
「嘘をつけ。今をときめくエーデルシュタイン伯爵家の重臣だろうが」
「まあ幸いなことにユート様に拾って貰いましたからね。とはいえ、それがなければ恐らく軍歴は大隊長で終わりだったでしょうし、正騎士になることもなく終わったでしょう」
まあそうだな、と言わんばかりにアダムス支隊長が頷いたところで、寝間着から急いで着替えたらしい、三十過ぎの男がやってきた。
やや小太りで色白、どこからどう見ても武人には見えない、冴えない男だ。
「ああ、アーノルドおじ様、夜更けに何かと思えばアーノルドおじ様が来て下さいましたか」
アーノルドを見つけるなり、その男――ロドニーはそう言った。
やや甲高い声は女性的であり、ユートの中で父親のクリフォード侯爵とはかけ離れた男だ、という印象が強くなる。
「ロドニー君、命令です」
そう言いながらアーノルドが命令書を突きつけた。
「えっと、そちらのエーデルシュタイン伯爵の指揮下に入ればいいんですか?」
「その通りです。ちなみに私は今、エーデルシュタイン伯爵家の家臣でもあり、エーデルシュタイン伯爵ユート卿の副官をしております」
「わかりました」
ロドニーはそう言うと、ユートに向かって敬礼をする。
「クリフォード侯爵嫡子ロドニー、父の不在によりクリフォード侯爵領軍を預かっておりますが、ただ今よりエーデルシュタイン伯爵の指揮下に入ります」
「ロドニー卿、ありがとうございます」
ウェルズリー伯爵に微妙な扱いを受けたりしていたが、思っていたような馬鹿息子ではなく、少なくとも物の道理はわかっているようでほっとしつつ、ユートも答礼した。
「総軍の攻勢発起は予定通りならば明日の黎明をもって開始されるはずです」
深夜であるにもかかわらずユートは泥だらけのまま会議を始める。
眠い者もいるのだろうが、クリフォード城の最高指揮官であるユートが泥まみれで会議をしようとしている以上、文句は出なかった。
ユート自身も眠かったが、時間が惜しいという方が先に立った。
残された時間はあと丸々一日くらいしかないのだ。
今先に寝てしまえば、その三分の一を無為に費やしてしまうことになる。
「こちらには二個大隊が加わっただけなのですが……」
ロドニーが心細そうにそう呟いた。
「ロドニー君、大丈夫ですよ」
「アーノルドおじさん……しかし、たった二個大隊で……」
「軍事のことは軍人に任せておきなさい。この二個大隊はエーデルシュタイン伯爵家の精鋭にして、北方一の精兵です。まず間違いありません」
アーノルドがロドニーを諭すようにゆっくりと言う。
「……わかりました」
「エーデルシュタイン伯爵閣下、その二個大隊が噂の大隊ですかな?」
今度はアダムス支隊長がユートに訊ねる。
「噂の、が何かはわかりませんが、猟兵大隊ですよ」
「そうですか。実に頼もしい……あの南方植民地の戦いの時も、猟兵大隊は獅子奮迅の働きを見せてくれました」
アダムス支隊長の言葉に、隣に控えているエリアが息を飲んだのがわかった。
その獅子奮迅の働きを見せた大隊はギルドから選抜された冒険者の猟兵大隊、つまりアドリアンの大隊だ。
「……アダムス支隊長、その話はまた後で……」
「……そうですな。話さなければならないことが、ありますな」
アダムス支隊長もそれ以上は言わなかったが、恐らく自分の指揮下でエーデルシュタイン伯爵領軍を壊滅させてしまったことを悔いているのだろう。
「まあ……それは後で聞くとして……」
ユートは今すぐにでもアドリアンの話を聞きたかったが、軍司令官としての責任感でそれを胸の奥にしまい込む。
「作戦としては、たった一つです。総軍本隊と敵主力が対峙するとき、恐らくこのクリフォード城にはそこまで多くの戦力を割けないでしょう――僕らはこっそりと入城しましたし、打って出てもクリフォード侯爵領軍とアダムス支隊にプラスアルファ程度と予測しているはずです」
「なるほど、そこで二個猟兵大隊を中心とする部隊で敵を叩こう、というのですな」
「ええ、一番いいのは退路を完全に断つこと、です。そうすれば敵を労せず包囲できますし、後は勝手に四分五裂するでしょう」
「わかりました。では機動力に富む編成にした方がよい、ということでよろしいですか?」
「ええ、お願いします――えっと、クリフォード侯爵領軍は……」
ユートはいまいちロドニーの軍事的な才能は信用が出来なかった。
もちろんウェルズリー伯爵のように色白でどう見ても軍人に見えない容貌ながら、補給を整えて戦略的優位を築き、更には戦術的にも前例に囚われない柔軟さを持った軍人もいるのだが、さっきの発言といい、流石にロドニーに全てを任せるのは不安でしょうがなかった。
「ロドニー君、ジェイ・ジェイはいないのですか?」
「ジェファーソンならば就寝中ですが……」
「彼に任せれば大丈夫でしょう」
「わかりました」
ロドニーはアーノルドの言葉に素直に頷く。
素直なのは美点であるとは言えるが、主体性の無さにユートの不安は募る一方だった。
ともかく、会議はウェルズリー伯爵の本隊が攻勢に出る時に呼応して打って出れるよう、準備を整えることを通達して終わった。
まだまだ指揮官の性格を知りたい――戦場というところでは指揮官をお互いどれだけ知っているかというのは重要な要素だ――ところではあったが、夜中の会議で緊急に行うことではない。
「ユート様、ジェイ・ジェイ――クリフォード侯爵家の重臣であるジャスパー・ジェファーソンならば大丈夫です。クリフォード侯爵家譜代の家臣で、クリフォード侯爵の右腕のような男ですし、王立士官学校時代から私もよく知っている男です」
会議が終わり、場所を移してアダムス支隊長からアドリアンの話を聞こうとしたユートが立ち上がる時、アーノルドがそう耳打ちしてくれた。
ユートがクリフォード侯爵領軍――というよりもロドニー――を不安に思っているのを察してくれたらしかった。
「大丈夫と信じていますよ」
作り笑いを浮かべながらユートはそう返す――指揮官として大事なのは、良い嘘をつくことだと悟ったような気がした。
別室に移動すると、アダムス支隊長が重々しく口を開いた。
クリフォード侯爵率いるクリフォード侯爵領軍騎兵が猛獣たちの襲撃を受けて総崩れとなったあと、クリフォード侯爵は敗兵を纏めようと踏みとどまり、そしてアドリアンもまた味方を逃がすために猟兵大隊を率いて踏みとどまった、とその口は語った。
「もし、あの時アドリアン殿が猟兵を率いて立ち向かって下さらなかったら、恐らく我が支隊は壊滅していたでしょう。猟兵は、普段から狩りをされているだけのことはあって、猛獣相手にも一歩も引かぬ勇敢な戦い振りでした」
確かにアドリアンの大隊は狩人が多い大隊だ。
護衛もそれなりの数はいるが、護衛をやっている冒険者にしてもハンターの経験がゼロ、という者は案外少ない。
これはノーザンブリア王国東部ならばともかく、西方に来れば護衛をやるにしてもどこで魔物の襲撃を受けるかわからないから、狩人としての経験値がないものを護衛にする、というのは余りないし、護衛の仕事も始終あるわけではない――ほぼ専属の護衛になっているような冒険者は今回連れてきていない――ので、狩人も兼任することが多い、というのが理由だ。
そして、魔物と戦った経験はあの狩猟豹と戦うのにも一役買ったのだろう。
「それで、アドリアンはどうなったのよ!?」
苛立ったようにエリアがそう叫ぶ。
同じ正騎士同士とはいえ、支隊長と副官という関係を考えれば余り褒められた行動ではないが、エリアの目が真っ赤に充血しているのを見てアダムス支隊長も何も言わなかった。
「クリフォード侯爵ともども、最後まで踏みとどまって戦い続けられ、そして分断されました……」
続きを、アダムス支隊長は言わなかった。
敵中で孤立したアドリアンがどうなったのか、はあくまでアダムス支隊長の想像に過ぎないから、というのもあるだろうし、それはどれだけ楽観的な見方をしても、一つの結論にしか行き着かないからだろう。
「……………………」
沈黙が場を支配して、嗚咽だけ響く。
隣で嗚咽を漏らすエリアを、ユートはまるでガラス越しに見ているような錯覚に陥る。
「ユート……」
普段のエリアからは想像もつかないくらいの弱々しさでそう言いながら、すっとユートの頬をエリアの指先が撫でた。
その時初めて、涙が頬を伝っているのに気付いた。
「泣いちゃダメよ。泣いちゃダメ。アドリアンは生きているわ」
「でも……」
「流れ星だって、みんな嘘。絶対生きているわ」
エリアの言葉にユートは何も返せなかった。
「いい、ユート。一人も逃げてこないのよ。いくら包囲されても全滅なんかしないわ。クリフォード侯爵だって討たれたって大々的に宣伝されていない以上、絶対生きてるってウェルズリー伯爵も言っていたじゃない。アドリアンだって生きてるわ」
エリアの言葉は空虚で、力強かった。
それを信じていいのか、悪いのか、ユートにはわからなかった。




