第149話 暗躍・前編
時は少し遡る――
「なるほどな」
マンスフィールド内国課長はシルボー近郊の村にある邸宅で送られてきた書類に目を通していた。
全ては王都にいる部下から上がってきた報告書のまとめである。
本来ならばマンスフィールド内国課長の机もまた、情報部のある軍務省の建物にあり、そこで普段は執務をしている。
だが、南部貴族の大物だった前タウンシェンド侯爵が謀叛を起こした、と聞いて情報収集のためにシルボーにまで、身分を隠して出張っていたのだ。
この邸宅もシルヴェスター・マンスフィールドの名義ではなくシルヴィ・スミスの名義で所有している邸宅であり、村の人たちもマンスフィールド内国課長のことは裕福な商会のご隠居とばかり思っている。
マンスフィールド内国課長の仕事とは、要するに国内の貴族に対する諜報員の元締めであり、同時に国外からやってくる敵性諜報員対策の責任者でもある。
騎兵指揮官として華々しく活躍している王立士官学校の一期後輩のクリフォード侯爵、アーノルド、あるいは南方城塞司令官として英雄となったウェルズリー伯爵と比べれば、諜報員の元締めなどというのはよっぽど日陰の仕事だ。
「やはり、あの“事件”が尾を引いたんだろうな」
マンスフィールド内国課長は王立士官学校時代に起こしてしまった“事件”、すなわち王立士官学校執行委員会横領事件を思い出す。
別にマンスフィールド内国課長自身は何も悪いことをしているつもりはなかった。
もちろん横領は横領だが、代々伝統的に行われてきたことでもあり、またその目的も別に私腹を肥やそうとしてやったわけではない。
だから、そこまで罪悪感は感じていなかったし、またそれは王国軍内部においてもそうだったのだろう。
私腹を肥やさなかったとはいえ、本来ならば官品の横領は最低でも退学だったはずなのに、主犯格のシーランド侯爵、イーデン提督、そしてマンスフィールド内国課長自身はそのまま王立士官学校を卒業することが出来たのはその証拠だ。
とはいえ、無風というわけにもいかなかった。
まずそれを感じたのは、卒業後、各地の大隊に配属されて延長教育を受ける時だった。
延長教育の開始とともに、それまでの一般的な士官教育から兵科を選んだ専門的な教育となるのだが、その兵科希望の際にマンスフィールド内国課長たち三人に対しては教官から主要兵科には行くな、という無言の圧力が掛けられたのだ。
それをすぐに察知したイーデン提督は陸軍主体の王国軍にあっては日陰者の兵科である航海科に進み、シーランド侯爵は侯爵嫡子の身分でその圧力を跳ね返して花形の騎兵科に進んだ。
そして、マンスフィールド内国課長もまた、シーランド侯爵と同じように騎兵科を希望したのだが、貴族の生まれでもないマンスフィールド内国課長の希望はあっさり覆された。
希望兵科は王立士官学校の卒業席次順に通すことが暗黙の了解であり、卒業席次が五位だったマンスフィールド内国課長の希望が通らない、というのはあり得ないことであった。
だが、配属は全て形式としては王命であり、不服を唱えることは出来ず、マンスフィールド内国課長は失意のまま、任地とされた北方軍の軽歩兵大隊に赴いたのだった。
その軽歩兵大隊でのマンスフィールド内国課長の扱いは散々なものだった。
士官たちには王立士官学校執行委員会横領事件のことを知っていて、まあしょうがないと思いながらも、上層部まで繋がる横領事件を隠しきれなかった奴ら、と見られていた。
だが、それはまだいい。
部下の下士官や兵からすれば、王立士官学校で官品を横領した、というぼんやりした話しか知らず、士官候補生の身分を嵩にきて私腹を肥やした薄汚れた汚職士官、と見られていた。
そんな“汚職士官”は、庶民出身の下士官や兵にとっては憎むべき相手だった。
だから、マンスフィールド内国課長の居場所は大隊のどこにもなく、三年間の延長教育を終えると、転属命令を手に入れて逃げるように大隊を後にした。
シーランド侯爵の父親――当時のシーランド侯爵に頼み込んで出してもらった転属命令の行先は情報部内国課であり、以来30年以上、マンスフィールド内国課長は情報部員として勤務していた。
「その点、情報部はいい」
普段から接する相手は同僚の士官たち以外だと、下士官や兵ではなく外部の諜報員であり、彼らはマンスフィールド内国課長が有能か無能かでしか判断しなかった。
マンスフィールド内国課長は王立士官学校を席次五位で卒業したことからもわかるように、頭はいいし軍人としての胆力もある。
何よりも蔑んだ視線から逃れて嬉々として仕事を始めたマンスフィールド内国課長が内国課で頭角を現すのに十年とかからなかった。
十年が経過する頃には小隊長と同格とも言うべき主任情報統括官に就任、そしてその後首席情報統括官を経て大隊長と同格の内国課長にまで上り詰めている。
もちろん同期のフェラーズ伯爵が中央軍司令官、アダムス司令官が南方城塞司令官、一期下のクリフォード侯爵とウェルズリー伯爵が軍務卿にまで上り詰めているのと比較すれば遅い出世だった。
しかし、同じような立場だったシーランド侯爵は三十歳で軍を離れざるを得なくなったことを考えれば、満足するべき結果だとマンスフィールド内国課長は考えている。
そんなことを考えながら、送られてきた報告書に目を通していく。
目下、マンスフィールド内国課長の頭を悩ませているのは前タウンシェンド侯爵の動き――何を考えているかわからないが、ただ旧タウンシェンド侯爵領に籠るだけの動きだ。
絶対に他に何かがある――そう確信していたが、その“何か”を突き止めることは出来なかった。
何かがある、というのはウェルズリー伯爵もユートも同じ考えだったから間違っているとは思わないし、その“何か”を突き止められるのは内国課長の自分しかいないと信じていた。
だが、結局何もわからないまま、ローランド王国による電撃的な奇襲作戦が行われることになってしまった。
「何故、ローランド王国の侵攻を外国課は掴めなかったんだ……?」
シルボーでローランド王国の侵攻を聞いたマンスフィールド内国課長は、そう訝しんだ。
軍務省の隣の部屋にある情報部外国課は他国の軍事情報を握る組織であり、今回のような大規模な奇襲を見逃すわけはない、とマンスフィールド内国課長は信じているし、それが常識的な見方だったからだ。
更に言えば外交情報を管轄している外務省外交情報局も存在しているのに、両者ともにわかりやすい軍の動員を見逃した、というのには作為的なものを感じざるを得なかった。
「内通者、か」
マンスフィールド内国課長でなくとも、その答えに行き着くのは簡単だ。
しかし、防諜も担当しているマンスフィールド内国課長の立場からすれば、簡単に内通者など出してはたまらないし、これまでの兆候を見ても外交情報局にしろ外国課にしろそうそう内通者がいるようには思えなかった。
「一度王都に戻るか……しかし、それだと旧タウンシェンド侯爵領への諜報工作が……」
マンスフィールド内国課長はぶつぶつと独り言を言いながら考える。
諜報工作は実際に潜入工作する諜報員の腕もそうだが、どんな情報を欲するか、持ってきた情報からどれだけ真実に迫れるかという、統括者の頭が何よりも重要だ。
そうであるがゆえに、マンスフィールド内国課長は王都の軍務省からシルボーくんだりまで出張ってきて旧タウンシェンド侯爵領への諜報工作の指揮を執っているのだ。
そして間の悪いことに内国課の次席指揮官である首席情報統括官以下、旧タウンシェンド侯爵領への諜報工作の指揮が取れそうな情報統括官は全て王都にいる。
これはその他の貴族たちへの諜報を任せなければならなかったための措置だが、もしマンスフィールド内国課長が王都に戻るとなると、旧タウンシェンド侯爵領への諜報工作は大きく遅れるだろう。
ローランド王国の参戦という緊急事態に旧タウンシェンド侯爵領の情報が入ってこなくなるのはウェルズリー伯爵たちにとって致命的となりかねなかった。
「ならば、ここから分析するしかないか。ジェームズ」
声を掛けると、すぐに副官のジェームズが自分の机から顔を上げた。
このジェームズは王立士官学校の成績が最下位に近く、よく卒業できたと言われていた男だ。
当然、配属の自由などもなく、情報部に送り込まれてきたのだが、意外となことに分析に関しては抜群――どうやら情報の欠片から全体像を想像する能力に長けているようであり、マンスフィールド内国課長が副官として、将来の情報部のエースとすべく育てている男だった。
「ちょっと頼みがある。ローランド王国の参戦について、なぜ事前に情報が届かなかったのか、分析したい」
「確かにそれは必要ですな」
ジェームズは空いているのかわからない細い目でじろりとマンスフィールド内国課長の方を見て、ぞんざいに返事をした。
そんな動作を見て彼の王立士官学校の考課表で礼儀作法の項目が壊滅的だったことを思い出すが、いちいち注意するほどマンスフィールド内国課長も暇ではない。
そもそも諜報員と接する時間の方が長い情報部員からすれば礼儀作法などなくてもいいものであることくらいはわかっている。
「で、外国課の方をチェックするんですかい?」
「ああ、そうだな。外務省の方も当たりたいのだが、いずれにしても情報を揃える必要がある」
「報告書から読み取ればいいんじゃないですかい?」
そう言うと、ジェームズは自分の机の一番下の引き出しから、纏めて縛られている書類の束を取り出した。
「こっちが外国課絡みの情報ですが、どうします?」
「纏めてあるのか?」
「紐で纏めてはいますよ。中身は全然纏めていませんがね」
ジェームズはそう言うと、笑いながら手元の書類に視線を戻した。
マンスフィールド内国課長はジェームズに渡された書類の束を繰っていく。
ジェームズは紐でしか纏めていない、と言っていたが、それでも必要な情報はちゃんと揃えてあるあたり優秀だな、と内心で部下を評価しながら読み進めていく。
「どうですかい?」
自分の仕事が終わったらしいジェームズが訊ねてきたが、マンスフィールド内国課長は首を横に振った。
「全く繋がりが見えん。どこからか怪しい金を受け取っている痕跡もなし、交友関係にしても同じような貴族の次男、三男と飲み歩いている程度で別に大きな問題もない。更に当たり前だがローランド王国だけで三人の情報統括官が噛んでいるから、三人揃って内通してると考えないとならんが、これでは到底そうは思えん」
「でしょうな。私も同じことを考えたものです」
これだけの情報を集めたのだから、当然ジェームズも分析はしているだろう。
そしてその結論はマンスフィールド内国課長と寸分違わぬ、何も怪しくない、という結論だった。
「これでローランド王国の諜報員と接触している、という可能性はない、な……」
残念ながら、と言うべきか、それとも幸いにして、と言うべきかはマンスフィールド内国課長にはわからなかったが、ともかく今の段階では嫌疑なしと言うしかない。
「――ちなみに、外交情報局の情報もあったりするのか?
ジェームズがこれを自分で集めていて、今マンスフィールド内国課長に渡した、ということは、もしかしたら事前に外交情報局や外国課という対外情報機関について調べていた、ということではないかと思いそう訊ねてみる。
「ええ、ありますぜ。こいつです」
そう言いながら、先ほどよりも分厚い書類の束を投げて渡した。
再び書類を繰るマンスフィールド内国課長――だが、外国課の時と同じく、その内容もまた外交情報局の局員たちが内通しているとは思えないものだった。
「……何より金の流れがないのが痛い」
「ですな」
マンスフィールド内国課長の言葉にジェームズも頷く。
王国に忠誠を誓う官僚を内通させるのは手っ取り早くは金を積むことであり、それ以外だと弱みを握って脅すか、宗教を利用するくらいしかない。
しかし、宗教については外国課の課員たちも外交情報局の局員たちも一般的な王国の教会に通う信徒であり、特にそれを利用されている形跡はない。
弱みを握られている可能性は否定しないにしろ、外国課の課員たちも外交情報局の局員も揃って弱みを握られている、というのは不自然すぎる。
「ということは、嫌疑なしで今回のはただの任務懈怠、と考えるべきか……」
「それもどうかと思いますけどな」
「他に何かあるのか?」
「いや、情報があるわけではないですが、小さな出来事ならばともかく、軍の移動を見落としますかね?」
それはマンスフィールド内国課長も思っているところではある。
しかしそう言っても、手元の情報は外国課も外交情報局も、今回の一件を見落としていただけ、と物語っているのだ。
マンスフィールド内国課長はもう一度、手元の書類の束を繰ってみる。
ローランド王国には関係のない外国課員の情報にも目を通していく。
「うん? 外国課のこいつと、外交情報局の奴が頻繁に会っているんだな」
「そりゃ会うこともあるでしょう。その二人はともに大森林の担当ですから」
同じ大森林の担当同士、会って情報交換するのは自然なことだろう。
少なくとも、省庁間の垣根に遮られて欲しい情報が一つも入ってこないよりはよっぽどマシだ。
「それは奇妙だな」
マンスフィールド内国課長はそう言いながらもう一度、ローランド王国の担当者の交友関係を見直す。
外国課が三人、外交情報局も三人の合計六人の担当者だが、お互いに一人も交友関係がないのだ。
「……これは、どういうことだ?」
「意図的に会っていない、かそれとも、外国課と外交情報局は仲が悪いか……」
同じような任務を遂行する以上、仲がいい方が好ましいが、同じような任務であるがゆえに競争意識を持って仲が悪くなることもあり得る話だ。
とはいえ、全く交友関係がないのは不自然だった。
「おい、逆に共通の人物とは交友関係はあるみたいだぞ。どっちもオールドリッチって奴とは交友関係がある」
「内務省の官僚ですな」
なんとも言えない、とジェームズが首を捻る。
官僚たちは省庁を問わず王立大学出身者である為、省庁を飛び越えた友人がいても全く不思議ではないのだ。
「これ以上は調べられませんな」
お手上げ、と言わんばかりにジェームズが両手を挙げた。




