第148話 疑心暗鬼
ゲルハルトは注意深く、男を観察する。
赤色、黄色といった暖色系の布を、パッチワークのように縫い合わせたカラフルな服を着ているその男の顔は、赤銅色に焼けていて年齢は四十がらみといったところだろう。
似たようなパッチワークの帽子を被って、笛と調教棒で猛獣たちに指示を出しているらしいが、その内容まではわからない。
男を見ている間に、餓狼族の若者たちもゲルハルトに追いついてきたらしい。
「あいつを、どう見る?」
そのうちの一人に問いかける。
「うーん、まるで自分らみたいとちゃいますか?」
ダーヴィトはそう笑い返しながら、襲いかかってきた狩猟豹を狼筅で殴り倒す。
「オレらみたいやと?」
「ほら、なんていうか着てるものがそんな感じですやん」
そう言われてもう一度ゲルハルトはその男の服を見直す。
別に自分たちと似ているとは思わなかった――が、なんとなくその若者の言いたかったことがわかるような気がした。
彼の服はノーザンブリア王国兵が着ているような、織機で織られ、きちんと本職の針子が同じ型紙で裁断して縫った服のようには見えないのだ。
そう、まるで妻が夜な夜な縫ったかのような、そうした手作り感にあふれている服装であり、それを若者は餓狼族の格好に似ている、と言ったのだろう。
「まあこいつは後でユートと相談やな」
ゲルハルトはそう口の中で呟くと、目の前の狩猟豹を狼筅で一突きした。
「アーノルドさん、どう見ますか?」
ユートは後方でアーノルドにそう話しかけていた。
西方驃騎兵第二大隊と中央驃騎兵第五大隊が急行軍で駆けつけた際、同時にユートたち本営要員の馬も連れてきてくれたので、既に馬上の人となっている。
とはいえ、アーノルドのような練達者ではないので、もし万が一猛獣が躍り込んできたらすぐに馬を捨てるようにきつく言われていた。
「ふむ、そうですな。押し気味とはいえ、さすが旧タウンシェンド侯爵領軍とは違い、正規軍ですな。全体としては統制はとれていないものの、現場指揮官の判断と指揮で反撃はしておるようです」
アーノルドは馬上から背伸びをするかのようにして戦況を把握しユートに告げた。
ユートにしてももう義勇中隊を率いていた頃のような、素人指揮官ではない。
王位継承戦争を通じて、あるいはその後ウェルズリー伯爵やアーノルドから教育を受けてそれなりに指揮を執れるようにはなっているし、戦況も自分で把握できる程度にはなっている。
しかし、やはりベテランの軍人であるアーノルドの戦術眼の方が信頼は出来ていたし、アーノルドと自分の見えているものが違うならばそれはそれで参考になるのだから、とまず聞いてみたのだ。
「やはりアーノルドさんもそう思いますか。問題は驃騎兵ですね」
ユートは自分の見立てと同じだったことで安堵しつつ、後方から急行軍で駆けつけてきたものの今だ手元に留置している二個大隊の運用について考える。
驃騎兵は重装騎兵に比べれば突撃衝力が低いとはいえ、万能性の高い兵科であり、この戦場の支配者になれる存在――だったはずだ。
しかし、猛獣という今まで知られていない兵科――そしてノーザンブリア王国軍にとっては未だによくわからない兵科をローランド王国が投入するに至り、騎兵の突撃が簡単に瓦解させられる危険性を考えながら戦わないといけなくなっていた。
「ユート、あたしは投入した方がいいと思うわ。猛獣はゲルハルトがしっかり抑え込んでくれてるし、何よりも立て直されたら厄介よ」
アーノルドと同じように馬上から背伸びするように戦況を把握していたエリアがそう提案する。
朝駆けを受けた上、レオナがあちこちに火を付けて回っているのにそれでも崩れない敵はなかなかに脅威、というのはユートも同意できる。
ならば騎兵の投入か、とユートは思ってアーノルドの方を見ると、アーノルドも頷いていた。
すぐに伝令が走り、二個驃騎兵大隊が動き出す。
数百頭の歩調が揃い、敵は恐怖し味方は励まされる音が響き渡る。
「突撃へ、進めぇ!」
リーガン大隊長の胴間声が響き、そして崩れそうになりながらも必死に支えようとしていた敵の小隊が黒い馬群に飲まれていく。
「騎兵が来たぞ! 押し出せ!」
ブラックモア大隊長が怒鳴り、軽歩兵たちも敵を押し込んでいく。
「囲め! 一人も逃すな!」
「逃げるな! 逃げてもなぶり殺しにされるだけだぞ!」
お互い小隊長たち、そして伍長や班長といった下士官たちが兵たちを怒鳴り上げ、士気を奮い立たせようとする。
そうして兵を鼓舞する下士官、粘り強く戦おうとする兵――彼我の下士官や兵の練度、士気は大差なかった。
だからこそ、不利な状況でもローランド王国軍はここまで粘ったのだと言える。
しかし、状況は対等ではなかった。
ただでさえ奇襲を受けて浮き足立っているのを下級指揮官たちがかろうじて支えていたのだ。
そこに驃騎兵が突撃してきて、それでも更に抗えるほどの、精神的な余裕は兵たちの心にはなかった。
下士官や小隊長がいくら怒鳴っても、一人逃げ、二人逃げ始めるともう収拾は付かなくなった。
「崩れたぞ!」
崩れ始めた敵陣を後方から見ていたユートが歓喜の叫びを上げる。
「ユート、追撃はほどほどに、よ」
そう、それはクリフォード侯爵領軍が敗れたことを受けての教訓だった。
追撃の主力になるのは当然騎兵であるが、また猛獣たちに騎兵がやられるようなことはあってはならないのだ。
「わかってる……けど、出来れば全部隊を追い込みたいな」
三万の敵軍を全て撤退に追い込めれば、恐らくローランド王国軍はエーデルシュタイン支隊や第三軍を脅威に感じ、これ以上の野放図な戦果拡大は行わないだろう。
それは南部貴族の安全にも寄与するし、戦争に伴って発生する無数の悲劇を食い止められることを意味している。
「大丈夫よ。敵は総崩れになりそうだし」
エリアはそう笑った。
確かにエリアの言うように、敵軍は総崩れになりつつあった。
「ユート君、ご苦労様でした」
昼過ぎになって、ウェルズリー伯爵が南部貴族の貴族領軍に手持ちの軽歩兵二個大隊を率いて合流してきた。
南部貴族はユートに対して文句の一つでも言うかと思ったが、ウェルズリー伯爵が丸め込んだのか、むしろ感謝されるほどだった。
「それで、ちょっと気になる話があるんですが……」
「どうしました? 緊急そうですね」
ウェルズリー伯爵はそう言うとすぐにカニンガム副官に目配せをする。
カニンガム副官もまたそこらへんは心得たもので、すぐにユートとウェルズリー伯爵の話し合う場を作ってくれた。
「ふむ、なるほど。ゲルハルトがそんなことを言っていましたか」
ユートがウェルズリー伯爵に伝えたかったのはゲルハルトが戦闘中にふとした一言で気付いた、あのカラフルな服を着た猛獣使いのことだった。
残念ながらあの猛獣使いたち――どうやら同じような格好をした猛獣使いは複数人いたらしい――は敵の総崩れの混乱に紛れて、猛獣とともにすぐに撤退していって殺したり捕虜にすることは出来なかったらしいが、口頭の情報でも十分なものだった。
「ローランド王国も自分たちとと大森林のようにどこかと同盟を結んだ、ということなんですかね?」
ユートの問いかけにウェルズリー伯爵は瞑目して考える。
「その可能性は高い、とは思います。ただ、一つ気になるのは、そうした外交情報はうちの情報部外国課と、外務省の外交情報局がそうした情報を扱っているはずなのですが……」
「そこから情報が入っていないってことですか?」
「ええ、そうなのです。特に外交情報局はローランド王国の外交関係を把握するのは基本的な業務のはずです」
ウェルズリー伯爵はそう呟くように言うと、うーん、と唸った。
「もちろん前タウンシェンド侯爵の旧タウンシェンド侯爵家の影響が外務省に及んでいないとは思いません。ですから、多少情報が漏れている、などということは起きてもおかしくないでしょう。ただ、情報部外国課と外交情報局の両方が旧タウンシェンド侯爵派閥に支配されている、とは少し考えがたくて……」
ウェルズリー伯爵の言うことはよくわかる。
なんだかんだ言って旧タウンシェンド侯爵派にしても寄親寄子関係にある南部の小貴族はともかくとして、王国政界で付き合いのあった他の貴族たちは旧タウンシェンド侯爵家に黙って従っているわけではなく利益があるから従っているのだ。
そして、大多数の貴族にとって、ノーザンブリア王国内でそれなりの権力を持つことは悲願ではあるが、それ以上に現状の貴族として持っている権力を維持することの方が重要であり、その為ノーザンブリア王国を打倒しようなどという考えを持つ者はまずいない。
だから、仮に前タウンシェンド侯爵が命じたとしても、情報部外交局や情報部外国課の一部を握って情報を流出させることはともかく、ローランド王国に関する情報を握りつぶすことなど不可能なはずだった。
とはいえ、実際に猛獣使いのような部族と同盟を結んで兵の派遣を受けている可能性が濃厚、ということなのだから、外務省外交情報局と軍務省情報部外国課の目をかいくぐったか、両方が旧タウンシェンド侯爵派に汚染されていたか、ということになるのだろうか。
さすがにそれは、とユートとウェルズリー伯爵の思考が堂々巡りを始めた時、ユートの副官として会議に参加しながら黙りこくっていたエリアが口を開いた。
「ねえ、ウェルズリー伯爵。猛獣使いのような部族じゃなくて、そういう部隊編成をしている、とかは?」
そのエリアの推論にウェルズリー伯爵はすぐに反論する。
「それならばゲルハルトが言われていた、まるで餓狼族のような家内工業の服を着ている、というのがよくわからなくなりますよ」
「ほら、例えば猛獣を使うのに、服の色で認識させている、とか」
カラフルな服を着ている人が自分たちのご主人様、と猛獣たちに思い込ませている、あるいはすり込んでいるのではないか、とエリアは言うのだ。
「……その可能性はないとは言えませんね」
「じゃあ、そういう部隊なんじゃない?」
「でもそれは結局同じことですよ。あんな部隊がいるとして、やはり情報部外国課と外交情報局は何をやっていたのか、という話です。特に外国課は軍事が本職なのですから、新兵種が誕生したならばすぐに伝える必要があるでしょう」
ウェルズリー伯爵はそう言うとため息をつく。
結局、どこに旧タウンシェンド侯爵派やローランド王国の諜報員が紛れ込んでいるのかわからないままなのだ。
「ともかく、迂闊なことは出来ませんね。どこに敵の目があるかわからない。それこそ第三軍の中にもいるのではないか、とすら思えてきます」
「多分、エーデルシュタイン支隊になった各隊は大丈夫と思いますが……」
エーデルシュタイン支隊の構成部隊は大半が王位継承戦争でアリス女王の与党として戦った部隊であり、間違っても旧タウンシェンド侯爵派ではない。
中央軍から派遣された二個大隊にしても、先任大隊長であるリオ・イーデン大隊長は同じくアリス女王の与党だったイーデン提督の実弟だし、そもそもフェラーズ伯爵がそんな怪しい部隊をユートたちの援軍にするとは思えない。
「そうですね。一方で南部貴族は……」
「このあたりはクリフォード侯爵の寄子の南部貴族ばかりみたいですが……」
「ええ、多分クリフォード侯爵の寄子なのでしょう。今回ユート君が先駆けしたのもクリフォード侯爵家やロドニー君を救うための最良の判断と認めてくれたようですし」
それで反発が少ないのか、とユートは得心がいったが、同時にそれならば安心できるのではないか、とも思う。
「もちろん大半は信頼できる仲間でしょう。しかし、一人でも内通者がいれば駄目ですからね」
そして、南部貴族の関係に詳しくないウェルズリー伯爵やユートではそれはわからない、とウェルズリー伯爵は続けた。
そのウェルズリー伯爵の言葉にユートは納得せざるを得なかった。
その後、慎重にクリフォード城まで行軍していたユートたちだったが、内通者の心配はともかく、敵については心配せずに済んでいた。
どうやら敵の先遣隊はユートたちに奇襲されそれなりに手痛い損害を負ったことでこれ以上のノーザンブリア王国南部への戦果拡大を諦め、クリフォード城攻略を第一の戦術目標に置いたらしかった。
このあたりは捜索任務を交代したリーガン大隊長の西方驃騎兵第二大隊が敵情を把握して、先遣隊はクリフォード城まで交代したことを確認している。
「その分、急がないとクリフォード城が落ちかねませんね」
先遣隊が加わった、ということはクリフォード城に対する攻囲はより厳しくなっているだろう。
あの猛獣の生き残りも加わっているならば、対抗手段らしい対抗手段を持たないクリフォード城は本格的に陥落する可能性もあった。
そうなると早く駆けつけたいのだが、心配なのは南部貴族いるかもしれない内通者だ。
一般的に考えれば内通者は使えて一度きり、ならばここぞというタイミングで敵は切り札を切ってくるだろう。
それが戦場での内応なのか、こちらの情報を得ての奇襲なのかまではわからないが、何が起きるかわからない、ということであり、そしてその切り札を切るタイミングは総軍司令官たるウェルズリー伯爵が自ら軍を率いて行う決戦の場がふさわしいのは自明のことだった。
この為、ユートたちは思い切ってクリフォード城に急行軍する、というわけにもいかなくなっている。
もちろん部下を信頼しなければとは思うのだが、今回の場合、ウェルズリー伯爵とユートが背負っているのはまさにノーザンブリア王国そのものだ。
ユートが率いている第三軍が壊滅すれば残されている第一軍と第二軍、それの近衛軍を加えても旧タウンシェンド侯爵領軍に備えながらの決戦はほぼ不可能、南部を捨てて東部を守ることに徹するしかない。
そしてそれは肥沃な南部喪失による国力の低下、軍事費の増大、人心の荒廃を招いて近い将来ノーザンブリア王国はローランド王国の膝下に屈しなければならない未来しか見えなかった。
だから、誰か内通者がいるかもしれない状況で決戦には踏み切れない。
何も知らない人は、そうした心理状態を疑心暗鬼というのだろうが、ユートたちからすれば疑心暗鬼といわれようとも慎重になるしかなかった。
そんな苦悩するユートたちだったが、その解決は意外と早かった。
今週はこれまで、次話は月曜か火曜の19時更新です。
もしかしたら一話間話を入れるかもしれませんが、その場合は月曜更新です。
間話を入れなければ火曜更新で、来週は火金の二回更新となります。




