第145話 いざ、戦時編制
「――というわけです。アダムス支隊はこの敗戦で壊乱、西アストゥリアスまで逃れるも、そこでも支えきれず西アストゥリアスは陥落しました」
ウェルズリー伯爵の話が終わったところで、一番に声を上げたのはエリアだった。
「アドリアンはどうなったのよ!?」
「……先鋒となっていたクリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊、エーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊はいずれも脱出に失敗し、現在のところ状況はわかっておりません……先ほどの情報も、かろうじて逃れた西方戦列歩兵第一大隊のリーヴィス大隊長から聞いたものです」
「……まさか、アドリアンが死んだっていうの!? そのアダムスって奴連れてきなさい。セリーちゃんが待ってるのに……!?」
エリアが激怒していた。
そして、ユートにはエリアが泣いているのがわかった。
「……うちの猟兵大隊について情報は全くないのですか?」
「……わかりません。ただ、王国南部の大貴族であるジャストが戦死しているならば、もっと大々的に喧伝されているはずですし、恐らくジャストの指揮の下、南方植民地のどこかにいるのではないかと推測はしていますが……」
「全滅した、というわけではないんですよね?」
「可能性はゼロとは言えませんが、低いとは思っています。一人も逃げてこない、というのは統制だった戦術運動をしている可能性がそれなり以上にはあります」
ウェルズリー伯爵の言葉にユートも頷く。
「……でも、それってアドリアンが生きているって保証はないんでしょう? いえ、アドリアンわけじゃないわ。大多数の冒険者は死んでる可能性もあるってことよね?」
エリアの言葉にウェルズリー伯爵はただ沈黙した。
その沈黙は雄弁だった。
翌日、ユートたち西方軍は南方首府シルボーへ入った。
シルボーは馬車でごった返しており、西方軍がそのまま行軍すると邪魔になる、という理由で宿営地まで大隊ごとに別れて入らなければならないほどだった。
そして、本格的な会議となる。
「あれ、フェラーズ伯爵?」
会議室に入ったところで、ウェルズリー伯爵とカニンガム副官は当然として、なぜか中央軍司令官のフェラーズ伯爵ウィルフレッドがいるのに気付く。
確か彼の率いる中央軍本軍は旧タウンシェンド侯爵領を北側から圧迫していたはずであり、今頃シーランド侯爵の北方軍と入れ替わって帰途についているはずだった。
「帰ったんじゃないんですか?」
「いや、行軍中に急を聞いてな。命令はなかったが軍司令官の独断専行が許される範囲と判断してシルボーへ入ったのだ」
「お陰で助かりましたよ。これで形だけは三個軍が整いましたし」
ウェルズリー伯爵は朗らかに言う。
「しかし、疲労困憊の中央軍に、欠編成の西方軍で戦いになるのか?」
「まあ心配は心配ですが、数がいないならば戦いの舞台にすら上がれませんしね」
「それはそうだが……」
「それに、中央軍は数が多い分、そこまで疲労は溜まっていないでしょう?」
事実、中央軍は四万近い軍勢だ。
もちろん当初は前タウンシェンド侯爵相手だったので、全軍を投入しているわけではないので、ここにいるのは二万ほどだが、それでも十二分の戦力と言える。
定数で六千にエーデルシュタイン伯爵領軍、現在は四千ほどしかいない西方軍とは違い、王国の決戦戦力だけのことはあった。
「それと、総軍司令官の権限で東部貴族にも貴族領軍の召集を命じました。もちろん陛下には近衛の出撃も具申してあります」
「近衛、となるとリンスター宮内卿が率いてくるのか?」
近衛軍は国王の私軍とも言うべき軍であることから、軍務省には属さず、宮内省の管轄となっている。
だからリンスター宮内卿が率いるのが筋だったが、フェラーズ伯爵は軍事の素人であるリンスター宮内卿が率いることには不安しかなかった。
七卿の一人となまじ立場が高いだけに、会議で素人に振り回されることになりかねない。
「いえいえ、さすがにそれはないでしょう。多分、先代宮内卿の正騎士ケヴィン・アーネストが率いることになります」
「ああ、ケヴィンか。彼ならば何度か中央軍と近衛軍で演習したこともあるがひとかどの人物だ。安心できる」
「ところでウェルズリー伯爵、南部貴族はどうするんですか?」
ユートの疑問にウェルズリー伯爵も渋い顔をする。
攻められているのは南部なのだから、南部貴族の貴族領軍を召集するのが筋だ。
しかし、そう簡単に召集できない理由があった。
「本来ならば一番に召集しなければならないんですがね……ジャストが行方不明、タウンシェンド侯爵家はお取り潰しで纏める者がいないんですよ」
「南部貴族は寄親寄子関係で成り立っているからな。とりまとめるはずの二大侯爵がいないとなると誰かどう召集するのかさっぱりわからん」
これは今回のような有事の際には王国軍を待たず、二大侯爵が寄子としている南部貴族を率いてローランド王国から両アストゥリアスを守り抜くために置かれてきた制度である。
しかし、その寄親であるクリフォード侯爵家の当主ジャスティンは先の戦いで行方不明、タウンシェンド侯爵家はお取り潰しで南部貴族のまとめ役がいない上、南部貴族同士の関係もいまいちわからない東部貴族のウェルズリー伯爵やフェラーズ伯爵はどうしようもなくなっていた。
「そういえばクリフォード侯爵家の嫡子ロドニーはどうしている?」
「西アストゥリアス陥落後、敗兵を纏めつつクリフォード侯爵領で持久戦をやっているようです。彼を救出できればとりあえずクリフォード侯爵家を寄親とする南部貴族は纏められるかもしれません」
「ということはウェルズリー伯爵、まずはクリフォード侯爵領に出撃する、ということですか?」
「ええ、そうなりますね、ユート君。君の西方軍には期待していますよ」
そんなことを言われても、アドリアンのエーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊を失い、西方戦列歩兵第一大隊も大消耗しているようなので、兵力としては極めて心許ない状況になっている。
四千そこそこという数字は実際には敗れたアダムス支隊より少ない数であり、形だけ、名前だけ軍としか言えない状況なのだ。
「それと、西方軍には南方軍残余を組み込みましょう。さすがに事ここに至っては遊ばせておくのは勿体ない」
「ということは、戦闘序列令を出すのだな?」
「ええ、そうです。中央軍は第一軍、北方軍は第二軍、西方軍に南方軍残余を加えた軍は第三軍としましょう。また、東部貴族や南部貴族が加われば、第四軍以下を編成しますが、とりあえずは第三軍預かりとします」
すぐにカニンガム副官がそれを書き付けていく。
「ユート君、君は第三軍司令官を頼みます。雑多な部隊ですが、扱いには慣れているでしょう?」
確かに王位継承戦争の時も東部貴族に大森林の獣人に西方軍と混成部隊を率いて戦ったが、今回もか、と言いたくなる扱いだ。
もっとも四千人にまで減ってしまった西方軍を一個軍として機能させるにはそうした手段しかないのもわかっていた。
「わかりました」
「それと物資については心配しないで下さい。王国全軍が半年間は戦える量を確保しましたよ」
ウェルズリー伯爵が胸を張る。
これにはフェラーズ伯爵もユートも驚いた。
軍にとって一番重要なのは補給であり、物資の心配なく戦える、というのは重要なことなのだ。
「よく、予算とかどうにかなりましたね」
「いや、苦労しましたが、前タウンシェンド侯爵が兵を挙げる前から集積しておいて正解でした。この一年ちょっと、基本的に使う分以上に物資を集めていますから、集積は進む一方でしたし。ああ、第三軍向けの物資は既に補給廠に届けてありますよ」
それでシルボーの街に妙に馬車が多かったのか、と疑問が解けた。
「ロドニー君はクリフォード侯爵家の嫡男として軍事的な教育は受けているでしょうが、王立士官学校を出ているわけでもないですし、ジャストと違ってそこまで経験豊富な軍人ではありません。だからどこまで持ちこたえられるかわかりません」
同期のクリフォード侯爵の嫡子ということでウェルズリー伯爵はロドニーとも面識があるらしい。
「ですから、三日後――必要な補給や負傷者の後送、物資の集積計画を立てるなどに三日使って、出撃します。ウィルは第一軍を率いて旧タウンシェンド侯爵領軍に備えて下さい。第三軍は私とともに南下します」
「ん? 第一軍が南下、第三軍が旧タウンシェンド侯爵領軍への備えではないのか?」
「それは危険でしょう。東アストゥリアスは元々旧タウンシェンド侯爵の影響の強い地域ですから、ローランド王国軍がそこからノーザンブリア王国南部へ侵入している可能性は高いです」
「つまり、ウェルズリー伯爵はローランド王国軍の支援を受けた前タウンシェンド侯爵が打って出る可能性もある、と」
「ええ、私はそう見ますね。それだと数が少ない第三軍ではいささか心許ない。南下しながらならば南方軍の残余や南部貴族の貴族領軍も加えつつ進めますから、まだ兵力不足は補いがつく可能性があります」
ウェルズリー伯爵の言葉にユートもフェラーズ伯爵も頷いた。
「あ、ユート様、お帰りなさいませ」
ユートが宿営地の司令部官舎に行くと、アーノルド出迎えてくれた。
西方軍――というよりも第三軍に割り当てられた宿営地は、前と同じところだった。
「ねえ、ユート。ほんの一ヶ月前にアドリアンとここで飲んでいたのよね」
ユートの顔を見るなり、ぼそり、とエリアがそう言った。
「……そうだな」
「アドリアン、死んじゃったのかな?」
恐らくエリアはユートが会議の間もずっとそれだけを心配していたのだろう。
殿軍を務めているレオナはまだ到着しておらず、ゲルハルトは自分の部隊の宿営を指揮しているらしく、今、ここにいるのはアーノルドとエリアだけであり、エリアは一人心配していたのだろう。
「アドリアンさんがそう簡単に死ぬとは思えない」
「でもさ、なんかよくわからない猛獣を使う部隊だったんでしょ? アドリアンだって、そんなのどうしようもないじゃない」
猛獣を武器とするような敵は間違いなく初見殺しだろう。
実際、経験豊富な指揮官であるクリフォード侯爵も全く気付かずに襲いかかり、精鋭のクリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊が為す術もなく壊滅したのだから。
ましてクリフォード侯爵と比べれば圧倒的に指揮官としての経験が少ないアドリアンが、それに上手く対処できたと言い切る根拠は薄かった。
「なんや、自分ら。えらい暗いやんけ」
不意に北方なまりの言葉が響いた。
「ゲルハルトか」
「ああ、宿営地の準備も終わったし、こっち寄ってみたらえらい暗くてびっくりしたわ」
そう言うと、ゲルハルトはにこりと笑う。
「アドリアンのことやろ? あいつなら大丈夫ちゃうか?」
「なんでよ!?」
「わからへんけどな、アドリアンは狩人や。魔物相手に殴り合いやってきた奴やから、クリフォード侯爵よりもよっぽど猛獣には強いやろ。それにアドリアンが指揮しとった冒険者連中も大半は護衛か狩人やろ? なら生き延びた可能性は高いと思うで」
ゲルハルトが言っていることも所詮は希望的観測であるのはユートにもエリアにもわかっていた。
しかし、こっちの世界に来てからずっと仲の良かったアドリアンが行方不明という現状に、少しでも助かる言葉があるならばそれにすがりたかった。
「そう……よね。アドリアンが、こんなことで死ぬわけないわ」
エリアが自分に言い聞かせるようにそう呟く。
「まあ怪我くらいはしとるかもしれんけどな。それでもええ方やろ」
「怪我くらいならユートの火治癒で治るわよ」
少し元気を取り戻したようなエリアがそう強く言い切る。
空元気なのだろうな、とユートは察していたが、空元気でも出さないよりはましだとも思う。
「それなら、アドリアンさんが帰ってこれるように絶対クリフォード侯爵領救援はやらないとな」
「なんや、次はクリフォード侯爵領の救援にいくんか?」
「ああ、三日後に出撃、だそうだ。クリフォード侯爵領が落ちると色々と厄介だしな」
「わかったけど、人使い荒いなぁ……特にレオナは可哀想やで」
殿軍を務めたレオナたちエーデルシュタイン伯爵領軍捜索大隊がシルボーに帰り着くには恐らくあと二日はかかるだろう。
つまり、レオナたちはほぼ休養無しで出撃ということになってしまう。
「やっぱり厳しいかな……」
「厳しいやろうけど、やるしかあらへんやろうな。アドリアンの為にも」
ゲルハルトの“アドリアンの為”という言葉が、まるで弔い合戦、という意味に聞こえて、それを打ち消すようにあわててユートはかぶりを振った。
すいませんが、この一週間でほとんどストックがたまっていないので
来週と再来週で5話更新とします。




