第144話 アダムス支隊の死闘・後編
「ジャスト、久しぶりだな」
懐かしげにアダムス司令官がクリフォード侯爵に話しかける。
「ルーパート、今は懐かしんでいる時ではない」
一瞬懐かしげな表情を見せたが、すぐにクリフォード侯爵は顔を引き締めてそう言う。
「ああ、そうだな」
アダムス司令官もまた顔を引き締め直して、クリフォード侯爵に問いかけた。
「それで、だ。なぜ下策なのだ? 何かあれば南方城塞は南方植民地の領民を北に逃がし、南方軍と貴族領軍を収容、持久戦を取るのは事前に定められた方針通りだぞ?」
「それはわかっている。なにせ俺とて先頃まで軍務卿だったのだからな」
だが、とクリフォード侯爵は言葉を続ける。
「奇襲を受けてここまでの大敗を喫した上での持久は想定外のはずだ。ルーパート、お前が最初に言った通り、一当てして兵の士気を維持しなければ持久しても内部崩壊してしまう」
「それはわからんではない。しかし、俺の支隊は六千ほどしかおらん。これで一当ても何もあったもんじゃないだろう? 西アストゥリアスも空けられん以上、出せるのは四千か多くて五千といったところだぞ?」
「だから俺が来たのだ。クリフォード侯爵領軍三千がいれば打って出れるのは八千近くになるだろう。一当てするには十分過ぎる数だ」
クリフォード侯爵は事も無げに言ってのける。
もともとローランド王国と国境を接するがゆえに尚武の気風が強い南部貴族の中でもクリフォード侯爵家は「いくさ馬鹿」と言われるくらいの尚武の気風が強い家だ。
これは旧タウンシェンド侯爵家と並んで王国の盾となる家柄ゆえのものだが、当然、クリフォード侯爵領軍の練度は王国軍にも比肩しうるものとなっている。
そのクリフォード侯爵領軍が三千もいれば、確かにクリフォード侯爵の言う通り打って出る策が通じるかもしれない。
「――よし、既定方針通り打って出て敵勢を叩く。ジャスト、騎兵は率いてきているのか?」
「もちろんだ」
「それならば騎兵の不足もどうにかなりそうだ。ジャスト、悪いが南方城塞司令部付の騎兵中隊も含めて指揮を頼む」
「もちろんだ。南方騎兵の強さをご覧にいれよう」
クリフォード侯爵が不敵に頷いた。
「西方軍の二個大隊が先陣、続いてクリフォード侯爵領軍及び城塞騎兵、南方城塞の軽歩兵一個大隊と南方植民地貴族領軍を後備とする」
アダムス司令官の言葉に、全員が頷いた。
七月三日の朝、クリフォード侯爵領軍三千を加えたアダムス支隊は動き始めた。
先陣を任されたのはリーヴィス大隊長であり、アドリアンもまた彼に従って先陣となっている。
戦列歩兵と法兵支援も可能な猟兵を先陣に立てるという選択はバランスを考えれば間違ってはいない。
「とはいえ、あいつら遅ぇな」
アドリアンが傍にいるリンジーにそうぼやいた。
かつてベゴーニャといい仲になっていたリンジーだが、その後もアドリアンの旧友でもあるジミーとレイフのパーティメンバーとして冒険者を続けており、ここ数ヶ月はB級のあたりをうろうろしている、一流に少し足りない程度の優秀な冒険者になっていた。
今回出征するにあたってジミーとレイフにセリルの補佐を頼んだ際、同時にリンジーの面倒を見てくれるように頼まれており、事実上のアドリアンの副官のポジションにいた。
「アドリアン本部長、それは言っては駄目でしょう?」
リンジーが苦笑する。
確かに戦列歩兵は身軽な冒険者と違ってガチガチの鎧で固めているので行軍速度は遅く、猟兵大隊の足を引っ張る形にはなっている。
とはいえ、戦列歩兵がいざとなれば盾になってくれるのだし、何よりも友軍との関係を悪化させて得することなどない。
「リーヴィスだからいいんだよ」
アドリアンはそんな答えになっていない答えを返す。
なんだかんだ言ってリーヴィス大隊長とアドリアンは西方冒険者ギルド事件でベゴーニャたちが籠城していた倉庫に突入した時以来の知己であり、多少腐したところで後腐れのない関係なのだろう。
西方商人ギルド事件を思い出せばリンジーも含めて奇妙な関係だった。
「本部長、伝令です」
そうこうしているうちに、恐らくクリフォード侯爵が放った斥候騎兵の情報が伝令を通じて伝えられる。
「前方おおよそ十キロ、川を越えたあたりに敵兵団あり、か」
「どうするんですかね?」
「そりゃ、戦うだろ」
緊張気味のリンジーにアドリアンが事も無げに言った。
「おいおい、リンジー、何ブルってるんだ? お前だってジミーやレイフの弟子で名の知れた狩人だろ?」
「狩人は人間は狩りません」
「似たようなもんだ。むしろ人間の方が牙も爪もないから楽だぞ?」
そんな倫理だとかに問題がありそうな言葉を笑いながら吐くアドリアンと、顔を強張らせているリンジーが話している間にも急速に両軍は接近していった。
「あれ、か。一万弱、といったところだな」
二時間後、敵兵団と遭遇したアドリアンは、遠目に眺めてそう判断した。
恐らく西方軍集団と仮称されている部隊の先鋒だろう。
数はややアダムス支隊の方が少ないが、猟兵がいることを考えれば戦力としては同等以上、ローランド王国軍の先鋒を打ち崩したならば兵の士気も持ち直すだろうし、ローランド王国軍も慎重になるだろう。
そして、それは戦略的奇襲を受けているノーザンブリア王国軍にとって宝石よりも貴重な時間を稼ぎ出すことになるはずだ。
敵もまたアドリアンたちを視認したらしい。
ゆっくりと戦列歩兵の密集陣形が動き始める。
「よし、魔法ぶっ込んでやろうぜ!」
アドリアンの陽気な声に、火球が数発放たれ、そして敵からも反撃の火球が飛んでくる。
「そういや魔法ってローランド王国でも同じなんだな」
アドリアンはそんなどうでもいいことを呟いていたが、そうしているうちに急速に距離が縮まった。
「おい、無理するな! 周囲の奴らで助け合えよ! 俺たちゃ戦列なんぞ組めないが、それでも強いところをみせてやれ!」
アドリアンの檄に応、と声が上がる。
冒険者の士気は軒昂だった。
両軍が激突したのは南方植民地の北西、ちょうどクリフォード侯爵が代官とされていた地域だった。
名もない小川が流れる、のどかな風景が血に染まることになった。
この時の先陣はアドリアンの猟兵大隊であり、続いてリーヴィス大隊長の戦列歩兵大隊だった。
これに対して敵もまた戦列歩兵を先頭に立てて応じてきた。
まずアドリアンの猟兵大隊が敵の戦列歩兵と激突する。
魔法を放ちながら刀槍で突撃する猟兵部隊にローランド王国軍は驚きを隠せないようだった。
ノーザンブリア王国軍と変わらぬ、後方からの間接支援を主とする法兵運用では敵味方が混淆してしまえば支援することは不可能になる。
しかし猟兵大隊はそんなことはない。
ユートが剣で戦いながら、時折火球などの魔法を織り交ぜるような戦い方もそうであるし、あるいは短弓を装備して数メートルから数十メートルの距離で魔法と矢による掩護を行うセリルのような戦い方もそうであるが、いずれもローランド王国軍の常識を超えていた。
本来ならば軽歩兵――戦列を組まない冒険者は敢えて分類するならば軽歩兵に分類される――が戦列を組んだ戦列歩兵に突撃したところで、堅く密集した戦列を破れずに終わるのだ。
場合によっては騎兵すらはじき返せるのが戦列歩兵なのだから、当然の話であり、堅く密集した戦列歩兵を倒すには遠距離から散々法兵による法撃を行った後、騎兵の突撃を行うのがセオリーとされている。
しかし、至近距離から魔法を撃たれるならば戦列歩兵などただの動きの鈍いカモにすぎない。
「七面鳥を撃つより楽だぜ」
アドリアンが笑いながらそう叫び、リンジーを筆頭とする冒険者もまた釣られて笑う。
七面鳥扱いされた敵兵は、その言葉はわからなかったが馬鹿にされていることはわかったのだろう。
戦列を整え直してアドリアンたちの方へ進もうとするが、魔法を撃ち込まれて崩されてしまう。
その頃、リーヴィス大隊長の戦列歩兵もローランド王国の戦列歩兵と激突していた。
五個中隊のうち、一個中隊を残し、中央に二個中隊、両翼に一個中隊ずつ配した陣形であり、敵もまたほぼ同じ数、同じ陣形だった。
そして、こちらは極めて普通の殴り合いだった。
ちょうど屈強な男が、己の意地を賭けて殴り合うように、一歩も引かない殴り合いだった。
「押せ! 押せ! 押せ!」
大隊長として馬に乗り指揮を執るリーヴィス大隊長は馬上から叱咤し続ける。
「何をやっている! 押し込め! 右翼! 敵の方が小勢だぞ!」
馬上から敵情を見ているリーヴィス大隊長と違い、歩兵たちは敵情を自分の目で見ることはなかなかかなわないし、全体を把握することは不可能だ。
だからこそリーヴィス大隊長の言うことを信じるしかない。
そして、リーヴィス大隊長に騙された右翼が、“小勢”の敵左翼を押し返し始めた。
「右翼が押し込んだぞ! 中央、連動して押し込め! 右翼を孤立させるな!」
リーヴィス大隊長の言葉に、中央の一個中隊が勇気を持って前に出る。
押し合いへし合いのような戦闘においてものを言うのは気力だ。
ローランド王国軍は左翼が押されている、という事実に少しずつ気力が削がれていき、そしてノーザンブリア王国軍は右翼が押しているという事実に少しずつ勇気がわいてくるものだ。
「押し切れ! 予備隊! 進め!」
好機と見てリーヴィス大隊長は戦術予備の一個中隊を投入する。
これで更に右翼からの圧力を高め、相手を半包囲に持ち込めば勝てるはずだ。
戦列歩兵はその特性上、急に方向転換できるわけではないので迂回して背後に回り込めばあとは一方的に嬲られるだけだ。
だが、ローランド王国軍も無能ではない。
すぐに予備隊を投入して崩れる左翼を補強しつつ、更に延翼運動を展開してきた。
「不味いな……」
その運動を見てリーヴィス大隊長は敵の戦術予備がこちらより多いことに気付く。
あとはこちらの予備隊が敵左翼を食い破るのが早いか、それとも延翼運動が成功してこちらの右翼が半包囲されるのが早いか、だ。
一か八か、とリーヴィス大隊長は覚悟を決める。
仮にここで敗れたとしても第二陣には精強で鳴るクリフォード侯爵領軍が控えているから必ず押し戻してくれるだろうし、ここで敵に与える損害は無意味ではない。
じりじりと押し合っていくが、崩れつつあった敵左翼も味方の延翼運動で勝機が見えたことで士気を取り戻し、再び膠着となった。
そんな、のたうちまわるような苦闘は、不意に敵右翼が崩れることで決着がつくことになった。
左翼側で戦っていたアドリアンの猟兵大隊が敵を押し切ったことで余裕が出たので、戦列歩兵大隊が戦う敵右翼へ魔法による支援を行ったのだ。
まさか横合いから法兵による攻撃を受けるとは思ってもいなかった――猟兵大隊が近接法兵支援を行いながら友軍と戦っていることを見ていなかった――敵右翼はそれで崩れたのだ。
「お、騎兵隊のおでましだぜ」
リーヴィス大隊長たちの支援を終えて追撃戦に取りかかろうとしたアドリアンがそう皮肉っぽく呟く。
追撃のための最大戦力であるクリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊が突撃を開始したのだ。
もちろん、これが最良の選択であることはわかっているが、自分たちが泥臭く戦って敵の戦列歩兵を叩きのめしたところで騎兵が戦果拡大、とばかりに飛び出して行くのをどう感じるかは別問題である。
「まあ、俺たちも続きますか」
そういうともう百メートルも先に行ってしまったクリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊を追うようにしてアドリアンたち猟兵大隊も追撃に移った。
追撃戦は順調だった。
クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊は流石の精鋭であり、指揮を執るクリフォード侯爵は軍務卿まで務めた一流の指揮官である。
やや硬直的な面があるとウェルズリー伯爵に指摘されることはあるが、それは教科書通りの運用をさせれば誰よりも上手い、ということと同義でもあり、特に得意の騎兵指揮についてはユートの下にいるアーノルドの次に名前が挙がる人物でもある。
そして、自らクリフォード侯爵家累代の家宝である火炎剣をひっさげて陣頭に立つ姿は敵から見れば悪魔のような、味方から見れば守護神のような存在だっただろう。
そう、火炎剣である。
魔石を使わない魔道具の一種であるこれは、クリフォード侯爵家の家宝であり、当主の証だった。
同時に、戦場においては神銀の刀身と、魔銀から吐く炎によってまさにクリフォード侯爵を一騎当千の強者に押し上げていた。
そのクリフォード侯爵率いる騎兵隊はあっという間に一キロも敵を押し込み、後方で待機していた敵の第二陣すら巻き込んで潰走させてしまった。
そしてクリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊はそのまま押し込んで、この先鋒集団の本営に肉薄、敵を総崩れにさせる大手柄を立てた。
この予想外の大勝に本営ではアダムス司令官がにんまりと笑っていた。
リーヴィス大隊長の西方戦列歩兵第一大隊こそ多少の損害を受けたが、エーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊、クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊はいずれも軽微な損害で済んでおり、潰走させた敵先鋒集団一万と天秤にかければ大勝利といってよかった。
だが、それが油断だった。
いや、油断だけではなく、制度上は問題がなく、本人も納得しているとはいえ、元軍務卿を軍司令官よりも格下の南方城塞司令官が指揮するという形がよくなかったとも言えるだろう。
追撃戦を展開していた、クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊は、更に後方に敵の姿を認めた。
せいぜい二個大隊かそのくらいであり、軽歩兵のようだった。
壊乱には巻き込まれていないとはいえ、二個軽歩兵大隊で精鋭の一個騎兵大隊を止められるわけがない。
突撃衝力を得た騎兵など、法兵支援で追い散らすか、堅く戦列を組んだ歩兵の密集陣形で切り抜けるしかない。
戦列戦をやることの少ない軽歩兵が、法兵支援も受けずに立ちふさがったところで鎧袖一触粉砕されるのが関の山であり、兵理のはずだった。
もしかすれば、アダムス司令官が適当なところで追撃を切り上げていれば結果は違っていたのかもしれなかった。
しかし、現実には追撃を打ち切るどころか、クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊の突撃にアダムス支隊全軍を前進させていた。
そして、クリフォード侯爵は突撃を命じた。
「あんな小勢の軽歩兵など、鎧袖一触だ! 突撃へ、移れ!」
クリフォード侯爵の号令に合わせて、騎兵が駈歩から襲歩へと歩調を変え、目の前の軽歩兵を呑み込もうとする勢いで駆けた。
ちらりと軽歩兵が見えたが、雑多でカラフルな――少なくともクリフォード侯爵が知る限り、ローランド王国の軍装とは全く違う――服装をしているのが見えた。
一瞬、クリフォード侯爵は違和感を覚えたが、既に襲歩に入っている騎兵を留める術もない。
百メートル――
八十メートル――
五十メートル――
クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊は整然と密集して突撃していく。
あと三十メートル――そこまで迫った、その時だった。
轟音――いや、咆哮が聞こえたのは。
「どうした!?」
何が起きたのかさっぱりわからない、といった表情のクリフォード侯爵、そして部下の騎兵たちだったが、彼らの乗る馬は的確に――そう、自然の摂理に従って的確に判断していた。
つまり、その咆哮は自然界における絶対的強者のものである、と気付いていた。
「なんだ、あれは!?」
部下の騎兵が振り落とされそうになりながらも必死に馬にしがみつきながら前方を指差す。
クリフォード侯爵が慌ててみると、そこには黄色に黒の斑点のある、馬と大差ない大きさの獣――狩猟豹がいた。
クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊は、一瞬で壊乱した。
馬が言うことを聞かなくなり振り落とされる者、味方と衝突する者、そして落馬してそうした馬に踏みつぶされる者――狂乱する馬の前に、人は余りに無力であり、そこに狩猟豹が飛び込んでくれば結果は見えていた。
クリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊が壊乱したことで、ローランド王国軍西方軍集団の総反撃が始まり、そしてクリフォード侯爵領軍驃騎兵大隊を追っていたエーデルシュタイン伯爵領軍猟兵大隊、西方戦列歩兵第一大隊にもまた、それを押しとどめる術はなかった。




