第015話 水平線の向こう側・後編
今は船が着いていないのか、岸壁は静かで、打ち寄せては波止場に弾き返される波の音だけが響いていた。
時折、ユートには名前もわからない海鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。
波の音と海鳥の声を聞きながら、二人はぼーっとしていた。
どれくらいぼーっとしていたのだろうか。
「ねえ、ユート。何考えてるの?」
エリアがユートに話しかける。
「ん? 別に何も」
「そう」
「エリアは?」
ユートがそう言うと、エリアはじっと水平線を見つめた。
「あの水平線の向こう側って、昔は行けたの。魔物が出てくる前、古代帝国の時代はこの大内海を通って、南方大陸までの航路があったらしいわ。波も穏やかで、新婚旅行の定番だったって古い物語には書いてあるのよ」
つぶやくようにエリアが言った。
「もうずーっと昔、まだあたしが小さかった頃にね、父さんにレビデムに連れてきてもらって、この波止場で話したことを思い出したわ」
エリアの声音には珍しく寂しさがあった。
ユートはなんと言っていいのかわからず、無難なことを訊ねるしかない。
「……エリアのお父さんってエリックさんが言ってたデヴィット先生って人だよな?」
「ええ、そうよ。母さんと結婚する前にはずっと王国軍で撃剣師範をやっていたのよ。だから先生。あたした生まれた頃には王国軍やめて、パストーレ商会に引き抜かれて、パストーレ商会の護衛たちに剣術教えながら、たまには護衛もやってみたい。アドリアンもその頃に父さんに剣術習ったって言ってたわ……六年前、あたしが十歳の時に、護衛の仕事中に魔物と戦って死んだけどね」
エリアは遠い目で水平線を見る。
「その父さんがね、『あの水平線の向こう側には魔物が出るようになって行けなくなった。でもいつか魔物を倒して、水平線の向こう側に行ってやる。俺は諦めない』って言ってたのよ」
エリアは少し黙り、そしてユートの方を見る。
「だからかしら? あの水平線の向こう側に父さんがいる気がするの」
「……そうか。向こうからはこっちが見えてたらいいな」
ユートはなんと答えて良いかわからず、そんな言葉を返す。
「そうね。ていうか暗くなってごめんね。もう吹っ切れたはずなのにね……」
そう言うと、エリアは再び黙った。
少し前とは違う、居心地の悪い沈黙が二人の間を支配する。
その沈黙を破ったのはエリアだった。
「ねえ、ユートはこの海の向こう側にお父さんやお母さんがいるんでしょう?」
「ああ、この海は日本の海とつながってるならな」
「そりゃ遠いけど、海は一つだからニホンとはつながってるわよ」
エリアは励ますように言う。
それは自分に向けられているのか、ユートに向けられているのか、ユートにはわからなかった。
「ニホンに帰りたいと思わないの?」
「……思わんな」
ユートの答えにエリアは少し驚いたような顔をする。
「なんで!? ユートはお父さんやお母さんに会いたいと思わないの?」
ユートは少し考える。
出自を隠すために嘘を織り交ぜていたが、エリアには出来るだけ嘘はつきたくなかった。
「……俺が住んでた日本はさ、平和だったんだよ。子供は小さい頃から二十代まで勉強できる環境だったし、戦争だって何十年もなかったし魔物に襲われることもなかった。食べ物だってまず困らないし、魔法ではない技術で魔法みたいなこともしていた」
「ほんっとにニホンって羨ましいわね。あたしなら絶対そこに戻りたいと思うわ」
「でも、平和すぎて平穏無事に暮らすのがいいことだ、みたいなところもあった。俺は日本ではまだ勉強中の身だったけど、学校を卒業して仕事をするにしても、何か心躍るものがなかったんだ」
「贅沢な話ね。今はどうなのよ?」
「こっち来てからは日々が楽しいさ。そりゃ大変なことや面倒くさいことも多いけど、戦いの中で生きてるって実感しながら生きていける。前は学校を卒業したら、飽き飽きするくらい退屈な毎日を何十年もおくって、年老いて、そして死んでいくのか、と思ったらぞっとしていた。もしかしたら明日死ぬかもしれないが、それでも生きている実感のある方がいい」
それはユートの偽りのない本心だった。
「なんと言ったらいいのかしら……まあ、人も様々なのね。あたしだったら平和なところで何もせずに生きていけるならそっちの方がよっぽどいい」
審判神もそんなことを言っていたよな、とユートは内心で笑う。
そして同時に、転生を勧めた審判神は間違っていなかったんだ、とやや安堵する。
「まあいいわ。あんたがずっとこっちにいてくれることがわかってほっとした」
エリアはそれだけ言うと、岸壁から立ち上がった。
「さあ、観光続けるわよ!」
そして、颯爽と岸壁から歩き出した。
その後も二人はレビデムを巡った。
蛸の串焼きにエリアは驚きつつ、ユートは平然と食べた。
ついでにユートは小麦粉を使ってたこ焼きを作れないか、と考えていたが、ソースの作り方がわからなかったので諦めた。
エリアは蛸そのものに悪魔の食べ物のような悪い印象はないものの、独特の食感に目を白黒させていた。
他にも様々な店を巡って、珍しい海産物を食べ、珍しい貝の装飾品を眺めていた。
そうして二人が宿に戻る頃にはすっかり疲れ切っていた。
とはいえ、戦いばかりの日々の中で久々に休暇らしい休暇を過ごしたことで、それは心地よい疲れとなり、二人ともゆっくりと眠ることが出来た。
翌朝、パストーレから書状を受け取った二人は、そのまま帰途につき、五月二十七日、無事にエレルの街に戻ることが出来た。
「なんだ、帰り道は一瞬だったな」
「行きはあんたにとって知らない道だったからじゃない?」
「ああ、それはあるかもな」
そう言いながらパストーレ商会のエレル支店に顔を出すと、いつも通り山賊のような風貌の支配人プラナスが、妙に人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
「おう、エリアの後任も見つかったからな。長い間本当にありがとう」
書状を受け取ったエレル支店の支配人プラナスは十万ディールを渡しながらそう告げた。
「こっちこそ、父さんが死んでから長い間ありがとうございました」
「これからも何かあったら助けてくれると助かる」
プラナスはそれだけ言うと、豪快に笑った。
エリアの家に戻れば、マリアがいつも通り、おかえりと声をかけて、夕食の用意をしてくれた。
夜、ユートがエリアの家の客間にいると、ノックの音が聞こえた。
「ユート、入るわよ」
エリアはそう告げると、部屋に入ってきた。
珍しくいつもの果実酒の瓶を持っていない。
「あれ、飲まないのか?」
ユートがそうからかうように言ったが、エリアは真顔のままだった。
「ユート、時間いい?」
「ああ、精算か?」
「ああ、そういえばそれもあるわね」
エリアはそう言うと、ユートの横に座った。
「今回は宿代やなんやかんやで経費が十二万ディールだから二万ディールの赤字だな」
「まあしょうがないわ。今回は商売としてより、顔つなぎで受けたようなもんだし。全部あんたが立て替えてくれてるから、あんたに一万ディール払えばいいのね」
「そうなるな」
既にプラナスから受け取った十万ディールはユートが預かっている。
それとは別に、エリアは一分金貨を一枚ユートに手渡した。
この一ヶ月の間で、いつの間にかユートが会計をするのが当たり前になっている。
「これでよし、と」
「飲むのか?」
「まあそれもあるけど……」
そう言いながらエリアは口ごもる。
「それはあとね。ユート、あんたに話があるの」
エリアはそう言うと、ユートの方を向き直った。
「今日は二十七日よね。あんたがここにやってきて、あと四日で一ヶ月になるわ。最初の時、一ヶ月で今後どうするか決めるって言ったわよね?」
「ああ、そうだな」
エリアが何を言いたいのかよくわかったので、ユートも居住まいを正す。
「あんたはどう考えてる? あたしは……」
「待った」
エリアが口を開こうとするのをユートが制した。
一瞬で色々と考えたが、どうも考えが纏まらない。
前世のこと、この世界のこと、将来のこと、色々と考えることが多すぎた。
それはユートの主観では長い時間だった。
ユートの返事を待っているエリアの主観でも長い時間だっただろう。
しかし、客観的には、ユートが自分の考えを思い返している時間は一瞬だった。
(……思ってること全部言うしかないな)
内心で様々な葛藤や逡巡にそうけりを付けて話し始める。
「俺はこの一ヶ月、いろいろ考えたさ。この新しい生活は楽しいけれどもどこか不便で、でも俺にとってはなくてはならない生活だ」
「じゃあ……」
「でもな、俺は退屈な日々を送るのは真っ平ごめんなんだ。退屈な毎日じゃなくて、日々に刺激があって、楽しい時間を送りたい」
「ふーん、あんたの人生哲学はわかったわ。でも、あんたが言いたいことがさっぱりわからない。何が言いたいのよ?」
エリアは先が見えない話にちょっと苛立ったようにユートには見えた。
その表情を見て、ユートはそこからどうやって自分の言いたいことを言えばいいのかわからなくなる。
(どこかでこれと同じようなことがあったような……)
そんなデジャブがユートを襲う。
(……ああ、そうだ。死ぬ直前の、就職活動の面接か。自分はどう考えていて、何をしたいのかを話さないといけない。話が余りにも遠いところから始まったせいで、わけがわからなくなるところだった)
ユートは数瞬考えて、デジャブの正体に気付いた。
(今から言わないといけないのは、この世界で何をしたいのか、なぜそれをしたいのか、だ)
ユートはそこまで考えると、再び話し始めた。
「俺は、ニホンからこの国に飛ばされてきて、ここで何をしていくかって考えたんだ」
「冒険者でしょ」
「ああ、それはそうなんだが、俺はただの冒険者として、その日暮らしの生活はしたくない」
エリアはその言葉を聞いて、落胆したような表情になる。
「ああ、勘違いしないでくれよ。俺は別に冒険者が嫌だって言ってるんじゃない。ただ、普通の冒険者として生きていくのが嫌なんだ。今は刺激的でも、結局は護衛になって商会に使われて死んでいく、そんな退屈な日がやってくる」
「生きていく為にはしょうがないでしょう? むしろ護衛にまでなれるなら上出来よ」
「勿論それしかないならしょうがない。でも俺にはまだ二十歳だ。まだまだ人生の時間はあるのに、もうあと何十年も冒険者だって決めつけて生きていくのが嫌なんだ」
そして、ユートは力を籠めて言った。
「俺は、単に誰がに使われるだけの冒険者じゃなくて、冒険者が自分たちでやっていける、冒険者ギルドを作りたい」
「……ちなみに聞いておくわ。なんでそんなに冒険者ギルドを作りたいの?」
「なんで、か……」
ユートは少し、これまでのことを思い出して、エリアに言うことをまとめる。
「この国へやってきて、エリアと一緒に冒険者をやって、契約する度に相手の信用を考えたり、取り立て方法考えたり、契約書を一々作ったり、そもそも仕事は伝手で取ってきたりってやってみて、それが面倒と思ったから、かな。そんなのなくて、冒険者ギルドがあれば、冒険者は煩わしい仕事以外のことに気を取られることなくやっていけるだろう。冒険者に依頼する人たちも、自分に伝手がないからって困っても冒険者に依頼できない、なんてこともない。すごく便利な世界になると思うんだ」
エリアはユートの言葉を聞いて眉間にしわを寄せる。
「前にあんたに言ったこと、覚えてるわよね? 難しい理由は沢山あるけど、その中でも特に冒険者ギルドは武力を持つから、貴族たちとやり合うことになりかねない。場合によっちゃ、叛徒として征伐されるかも知れない」
「ああ、わかってるつもりだ」
「それでもやりたいの?」
「難しいからこそ夢、って言えるんじゃないか?」
「……それがあんたの水平線の向こう側、ってことか」
エリアはそう独り言ちるように言って、ユートを向き直った。
「……あんた、相当変わってるわよね。そしてかなり馬鹿よね」
「……否定はせんが、面と向かって言われるのはな」
「でも、その夢、面白そうでもあるわ。ううん、あんたが言うから面白いのかも知れない。少なくとも、護衛になったらアガリの人生じゃ見れない世界を見せてくれそう」
エリアはそう言うと、茶目っ気たっぷりににやりと笑う。
「あたしも乗るわ。あんたの語るその夢に」
「いいのか?」
「そりゃ難しいとは思うわよ。でもやらなきゃ後悔する。あんただって一人より二人の方がいいでしょ?」
「まあそりゃそうだ。それにどうせしばらくはエリアと組んで狩人やるつもりだったしな」
「そうね……資金と……それに信用できる仲間、ね」
エリアの言葉にユートも頷いた。
「セリーちゃんとアドリアンにはこの話はしたの?」
「いや、前に酒の席でしただけだ」
「じゃああの二人にもしちゃいましょ。間違いなく乗ってくると思うけど」
「そうなのか?」
「たぶんね」
付き合いの長いエリアが言うのだからそうなのだろう、とユートはそれ以上何も言わない。
「あとは資金ね。これはあたしたちで稼ぐしかないわね。目標は……どのくらいかしら」
「建物を借りるならどのくらいかかるんだ?」
「借りる……のはあんまりないから、わからないけど、建物を建てるなら五百万ディールくらいで建つわよ」
それを聞いてユートは息を飲んだ。
別に五百万ディールという額に驚いたわけではない。
先日、アドリアンに見せてもらったシガレットケースのことを思い出したのだ。
(あれ一つで家一軒かよ……)
「どうしたのよ、ユート? 変な顔して」
エリアがユートの挙動不審を咎めた。
「いや、なんでもない。それより目標は一千万ディールってところか?」
「そうね。資金の管理はあんたに任せるわ。その方があたしたちのパーティは上手くいくと思うし」
「ああ、任された。任されたからには資金はしっかり節約して管理するぞ。酒なんか絶対に経費にはつけんしな」
ユートの一言にエリアが鼻白む。
「ちょっと待ってよ! お酒は経費よ! あたしが気分よく仕事をするための潤滑剤よ!」
どこのサラリーマンだ、と言いたくなるようなエリアの言葉にユートは笑う。
「冗談だ。でもいつもの調子で毎日飲んでるのは認めんからな」
「はいはい、わかったわよ!」
まるでわかっていない風な調子で返事をしながら、いつの間にか例の果実酒の入った瓶を取り出す。
「ちょっと、どこに置いてたんだよ!?」
「酒飲みの裏技よ!」
「そんな裏技あってたまるか!」
「細かいことは言わないの。さっさと祝杯挙げるわよ!」
「台無しだ、色々!」
「なんでよ!?」
そう言いながらエリアは木のカップに二人分、果実酒を注ぐ。
「じゃあ、乾杯するわよ。今日、五月二十七日から始まるギルドの未来へ乾杯!」
まだ二人しかいない冒険者ギルドなのに、その未来に乾杯してしまうエリアに苦笑いしながら、ユートはカップを軽く掲げたところではたを気がついた。
(そういえば、この世界と日本はちょうど二ヶ月ずれているから、今日が二十一の誕生日か。何の巡り合わせかわからないが、今日から新しいスタートをする上で多分縁起はいいさ)
ユートは心の中で笑った。それは心のそこからの笑みだった。
これで第一章が完結となります。
第二章は来週月曜日、20日からの更新となります。




