第142話 撤退掩護戦闘
更新再開です。
今後の更新予定は活動報告の方をご覧下さい。
「ともかく当面は安全になったし、一度眠りましょう」
エリアがあくびをしながらそう提案した。
確かに昨日出撃してから石塁を落とし、軽く仮眠を取っただけで夜通し戦っていたのだ。
ユートたちもそうだが、兵たちの疲労――特に突撃大隊と捜索大隊の疲労は極限に達していた。
「私の大隊が警戒は致しましょう。軍司令官閣下はお休み下さい」
ブラックモア大隊長が立候補してくれた。
混成歩兵大隊は唯一まともに戦闘していない大隊であり、疲労度が一番低いということを考慮して立候補してくれたらしかった。
「すいません、よろしくお願いします」
ユートもまたまぶたが重くなっていたので、ブラックモア大隊長にそれだけ言うと、すぐに司令部天幕のベッドに潜り込んだ。
起きてみると既に太陽は中天に達していた。
何かあれば叩き起こされるのだから、この時間まで眠れた、ということは何事も起きなかった、ということだろう。
「うぅん、ユート?」
ユートが起きた気配で、隣のベッドで寝ていたエリアも起きたらしく寝ぼけ眼をこすっている。
「とりあえず状況整理に行ってくる。寝てる間にウェルズリー伯爵からの伝令が来たかもしれないし」
「あたしも行くわ!」
寝ぼけている状態から現状を思い出して目が覚めたらしく、エリアもすぐに鎧を着込む。
別に陣中なのだから鎧を着る必要はないのだが、やはりそこは部下に対する手前というものがある。
「軍司令官閣下、お目覚めですか」
鎧を着終わって司令部に顔を出すと、アーノルドがすぐに応対してくれた。
「アーノルドさん、寝てないんですか?」
「いえいえ、寝ましたがどうも年寄りは眠りが浅くてしょうがない」
アーノルドはそんな韜晦するような言い方をしたが、恐らくほとんど寝ずにユートが寝た後に必要な業務をこなしていたのだろう。
「……ありがとうございます」
「それよりも石塁が奪還されました」
まあそれは想定の範囲内というやつだったしユートは驚かなかった。
「まあ予想通りですね」
「落としたのは昨日夜襲で潰した敵勢ではなく、恐らく街道の方からやってきた新手でしょうな。もし昨晩夜襲を仕掛けなければ前後から敵を受けて進退窮まっていたことでしょう」
つまり、旧タウンシェンド侯爵領軍や前タウンシェンド侯爵の考えは、ウェルズリー伯爵の焦りを誘い、ユートたちに敢えて石塁を占領させておいて、前後から挟撃しようというものだったのだろう。
「ローランド王国まで示し合わせているんですかね?」
「さあ、そこまでは現状の情報ではわかりませんが……」
ユートはどこまで示しあわされた行動なのかが気になっていた。
だが、アーノルドも全能ではないからわからないものはわからないのだ。
ウェルズリー伯爵ならばわかるかもしれなかったが、現地点の固守は前タウンシェンド侯爵討伐の肝であり、勝手にユートが後退するわけにもいかない。
「それよりもあたしはアドリアンが心配だわ」
エリアが呟く。
「そういえば、アドリアンさんは……」
そう、陥落したとウェルズリー伯爵から急報があった西アストゥリアスの守備隊として分遣しているのだ。
ユートは昨晩は自身も窮地にあったため思い至らなかったが、アドリアンもまた窮地に立たされている可能性は高い。
「ただ、私は西アストゥリアスが簡単に陥落するとは思えません。それより南に南方植民地があり、ここには植民地としている南方諸侯がそれぞれ貴族領軍を入れていますし、西アストゥリアスの南方城塞群は幾度もローランド王国の侵攻を跳ね返した天険の要塞です」
ブラックモア大隊長はアドリアンのことを心配するユートたちを安心させようというのではなく、心底疑問に思っている様子であり、だからこそユートも少し安心することが出来た。
「一度、ウェルズリー伯爵と会いたいな……」
たったあれっぽっちの情報では判断がつかないことが多すぎた。
翌日、ウェルズリー伯爵からの伝令が到着した。
「現地点を放棄し、ただちに総軍司令部と合同せよ、ということは急ぎ撤退せねばなりません」
「しかし、問題は……」
そう、正面の石塁だった。
既に昨日のうちに更なる増援が送り込まれたらしく、数個大隊がいるようだった。
「どういうからくりかはわかりませんが、ともかくこちらより敵勢の方が多いですな」
アーノルドも首を捻っているのも当然である。
元々、旧タウンシェンド侯爵領軍は周辺の小貴族まで含めて五個大隊くらい、最大限――というよりも過大に見積もって十個大隊くらいだろうとされていた。
しかし、この数日の戦いで石塁を守っていた二個大隊ほどに加えて背後を衝こうとした数個大隊、そして今回石塁に再進出してきた数個大隊、とこの西側戦線だけで少なく見積もっても五個大隊ほどが投入されている。
現在、北側戦線ではシーランド侯爵率いる北方軍が布陣して圧力をかけていることを考えると、どう考えても敵が多すぎた。
「殿軍には相当苦労を背負い込んで貰わねばならないようですな」
「それはあちきらがやるニャ」
レオナが一番に立候補する。
「お待ち下さい。我が部隊が一番疲労がたまっておりませんから我が部隊が引き受けましょう」
レオナに続いて今度はブラックモア大隊長も立候補する。
「疲れているとか疲れていないとか以前に、どうやって戦う気ニャ?」
「真っ向から防ごうとしても数に呑み込まれるニャ。それならあちきらが森の中から奇襲を繰り返す方がよっぽど上手く行くはずニャ」
「ゲリラ戦ってやつか……」
「ゲリラ戦? それはよくわからないニャ。でももし王国軍が大森林に攻めてきたらやろうとしてた戦い方ニャ。あちきらは小戦闘戦術とか、一撃離脱戦術と呼んでいたニャ」
ユートは断を下した。
ゲリラ戦の訓練を受けている部隊がいるならば殿軍は下手に正規軍を立てるよりそっちに任せる方が安心だ。
「レオナ、頼む」
「任せとくニャ」
レオナはにっこりと笑った。
すぐに用意を始めて、撤退を開始したのは昼過ぎのことだった。
これだけ早くに撤退の準備が完了したのは、まだこちらに進出してきたばかりだったことと、物資集積所の物資がさほど残っていなかったことに尽きる。
とはいえ、昼過ぎから撤退を開始すれば撤退途中にどうしても夜間行軍が入るので、翌日にしようという案もあったのだが、レオナが殿軍が夜陰に紛れて後退できる、と主張したことから昼過ぎからの撤退となった。
まずリーガン大隊長の騎兵大隊が一番手で撤退、それに輜重段列が続く。
そしてユートとともにブラックモア大隊長の混成歩兵大隊、最後尾はゲルハルトの突撃大隊であり、レオナの捜索大隊だけが殿軍として森へと消えていった。
ユートたちが撤退を初めて一時間ほど経った頃、まだ遠くに見える石塁に動きが見えた。
その動きは間違いなく追撃戦を開始する、ということを意味していることは明らかだ。
まあ戦いに敗れた時の損害が拡大するのは追撃によるものであるのは古今幾多の戦いで明らかなのであり、ユートが敵将であったとしても同じ行動を取っているのだから、それには不思議はない。
そして、それはレオナの双肩に、西方軍の命運がかかったことを意味していた。
レオナは捜索大隊を中隊ごとに街道沿いの森に潜ませていた。
各中隊長はレオナが小さい頃から知っている、妖虎族でも信望の篤い者たちであり、また戦術眼でもレオナは彼らを信頼していた。
「もうすぐ来るニャ」
恐らく一番手で来るのは騎兵だろう。
一昨日の夜襲で機動力の高い部隊はそれなりに潰したはずであるが、そこはやはり馬産地である王国南部、まだまだ予備隊に騎兵を残していたと考えるべきだとレオナは踏んでいた。
「やっぱり、一番手は騎兵だニャ」
レオナは木々の隙間から、追撃のために急行する騎兵を見てそう呟く。
そして、信頼する部下たちが、上手くやってくれるであろう、と踏んでいた。
レオナの信頼は裏切られず、騎兵は街道の両側に伏せていた二個中隊から土弾の十字砲火を浴びることになった。
餓狼族と違って妖虎族はそこまで膂力が強いわけではない――もちろん、人間に比べれば強いのだが――ので、騎兵相手に突撃するなどという非常識な戦術はとれない。
しかし、魔法に関しては死の山で狩りをする時、遠距離から一撃で獲物を仕留めるために磨き上げてきた者がほとんどであり、威力はともかく扱い方や精度に関しては一日の長があると自負していた。
だから、初撃は土弾による奇襲を選ぶように部下たちに言い含めてあった。
「敵襲!」
「突っ切れ!」
「逃げろ!」
いきなり街道の左右から土弾を撃ちかけられた騎兵たちは、ある者は突っ切ろうと速歩から襲歩へと移行しようとした、ある者は慌てて反転しようとして、統制を失ってしまった。
指揮官はそんなてんでばらばらの行動をする部下たちを立ち直らせられないまま、反転しようとした騎兵と、襲歩へと移ろうとした騎兵が衝突しては落馬し、更にその落馬した騎兵が、戦友たちによって踏みつぶされていく。
そして、騎兵の最大の武器である突撃衝力は完全に失われていた。
「今だニャ」
騎兵が大混乱に陥っている、と判断したレオナは部下たちとともに飛び出して行く。
「後ろだ! 敵襲!」
土弾による奇襲だけでなく、背後からレオナ率いる一個中隊が襲いかかり、前からも残された一個中隊が襲いかかったことで騎兵たちは混乱の極みとなった。
「胸甲を着けている奴が多いニャ! 馬の脚、人の脚を狙うニャ!」
レオナの的確な命令で、機動力を失った騎兵たちはもはや為す術はなかった。
それでも勇敢な者は戦い続けたが、一人逃げ、二人逃げ、心が折れた騎兵たちが後退から敗走に移っていく。
それを押しとどめる術を、敵の指揮官もまた持っていなかったらしく、気付けば全ての騎兵が敗走に移っていた。
「こんなもんでいいニャ」
レオナは引き際を誤れば敵中に孤立することを恐れて追撃はせず、部隊を纏めるとすぐに撤退させる。
「これで諦めてくればいいけどニャ……」
だが、レオナの予想通りにはいかなかった。
それは嵩にかかっていた、というよりも、旧タウンシェンド侯爵領軍や前タウンシェンド侯爵の意地といったものだったのかもしれない。
なにしろ石塁陣地へ誘い込んで包囲殲滅しようとした策はユートの夜襲によって別働隊が大損害を被って失敗に終わり、今また追撃戦をやろうとしたところ待ち伏せにあってやはり大損害を出している。
本当に西アストゥリアスが陥落したとするならば、西方軍の後方をローランド王国軍が脅かしているという有利な状況で二度にわたって敗北を喫したとあれば前タウンシェンド侯爵の求心力に関わる問題にもなりかねない、という事情もあったのだろう。
騎兵を再編して押し出すとともに、歩兵もまた押し出してきたのだ。
「まともにやり合ったらあちきらには勝ち目はないニャ。あちきの中隊は迂回して後方を狙うニャ。残りは土弾を撃ちかけて、追いかけてきそうだったらとっとと逃げるニャ」」
いくら敵が予想以上に多いとはいえ、歩兵と騎兵を最低でも一個大隊ずつ出してきているのだ。
更に石塁陣地にもそれなりの守備隊がいることを考えれば後方――中央軍や西方軍が拠点としていた陣地は手薄であり、そこを襲えば混乱させられると踏んだのだ。
そして、三個中隊が一撃離脱で敵の追撃部隊主力を引っかき回している間にレオナは一個中隊を率いて陣地に深夜忍び入り、放火して回った。
その後、軽く混戦となり、捜索大隊もそれなりの被害を受けたが、結局、これが決定打となって旧タウンシェンド侯爵領軍は追撃を諦め、ユートたち西方軍主力は一度も戦わずに戦場を離脱することが出来た。
レオナもまた、追撃部隊が引き上げるのを確認し、南方首府シルボーへの道へついた。
レオナがシルボーへ撤退し始めた頃、ユートは既にシルボーの近くまで戻ってきていた。
行きよりも大分早いが、状況が状況だけに、シルボーが陥落したら意味が無いので、強行軍で戻ったのだ。
「ユート、前から二個中隊ほどの軍勢――騎兵やで」
ゲルハルトがすぐに察知してそう告げた。
レオナほどではないにしろ、ゲルハルトも流石大森林の民、視力もいいし気配を察知する能力も高い。
「敵ですかな?」
「さあ、わからんけど一個軍に二個中隊で挑むアホはおらへんやろ」
アーノルドのそのゲルハルトの言葉にもっともと頷いてじっと前方を見た。
「薔薇に雷光――レイの戦旗ですな」
アーノルドはその騎兵が掲げる戦旗を見てすぐに部隊を見抜いていた。
「ウェルズリー伯爵が来てるんですかね?」
「かもしれませんな。ただ総軍司令官がここまで来る、ということはシルボーに何かあったのか……」
そう言っているうちに、ウェルズリー伯爵本人であるとはっきりとわかる距離まで接近してきた。
「ユート君、撤退戦ご苦労様です。一個大隊が欠編成となっているようですが……」
「捜索大隊は撤退掩護戦闘中です」
「ああ、殿軍ですか」
なるほど、と頷くウェルズリー伯爵。
「状況は?」
「西アストゥリアスは陥落しました。今、シルボーへ敵軍が向かっている最中です」
「ねえ、ウェルズリー伯爵、アドリアンはどうなったのよ!?」
エリアが話に割って入ったが、ウェルズリー伯爵はどこから話したものか、と困った顔を浮かべている。
「そうしたことも含めて、ちょっと話し合いましょう」
「わかりました」
そう言いながらウェルズリー伯爵を張ったばかりの司令部天幕へ案内する。
「まず簡単な情報共有を。七月一日、突如としてローランド王国軍が北上を開始、南方植民地を蹂躙しながら北上を続けました。これに対して南方城塞及びクリフォード侯爵領軍が南方植民地軍と合同して防衛戦闘にあたりました」
ウェルズリー伯爵の言葉に、そこにいた指揮官たちはみな固唾を呑んで聞き入っていた。
「戦いの概要は――」
ウェルズリー伯爵は、報告に加えて情報をかき集めたらしい、事細かな情報を話し始めた。




