第139話 予兆
「七月五日の払暁をもって西方軍は前進を開始、探索攻撃を実施せよ、か」
ユートはウェルズリー伯爵から届いた命令書の内容を呟くように読み上げる。
探索攻撃というのは敵を探りながら、威力偵察よりは攻勢寄りだが、全面的な攻勢ではなく敵の戦力の所在を明らかにし、意図を見抜けということだろう。
「ふむ、慎重ですな」
アーノルドは命令書を一瞥するとそう感想を述べた。
「慎重?」
「探索攻撃の命令が出た、ということは恐らく北方軍も到着して東アストゥリアス街道沿いに布陣しているのでしょう。そのまま全面攻勢に出れば旧タウンシェンド侯爵領軍などものの数ではありません」
確かにアーノルドの言うように、旧タウンシェンド侯爵領軍にクリフォード侯爵領軍、それに南方軍と中央軍の一部まで参戦している王位継承戦争でも、西方軍と北方軍はこれを打ち破っている。
まして旧タウンシェンド侯爵領軍と南方軍を追われた者、それに南部の小貴族たちだけで欠編成とはいえ二個軍の攻勢を凌ぎきれるとは思わない。
それでも全面攻勢ではなく限定攻勢としたのを、アーノルドはウェルズリー伯爵が慎重、と言っているのだろう。
「まあ、ウェルズリー伯爵だしね」
「レイの悪い癖ですかな。相手が何を見て戦っているのか知りたがるのは」
「悪いところとは思わないけどね。慎重にいくべきことだし」
もし、前タウンシェンド侯爵が何か企んでいるならば、攻勢は思うつぼなのかもしれない。
何も企んでいなかった場合、限定攻勢にするのは多少制圧が遅れるだけ――もちろんそれもアリス女王の権威だとか、国庫の財政状態だとかを考えれば決して影響が小さいと言えるものではないが――なので、限定攻勢としたのだろう。
「それにしても本当に何を考えているんだろうな……」
ユートは独り言ちながら、出撃の準備を整えるべく部隊に命令を出し始めた。
出撃の準備を整えている西方軍司令部にその男がやってきたのは七月三日のことだった。
「あ、マンスフィールド内国課長。お元気ですか?」
「元気ではないな。仕事が繁盛しすぎて困っている」
「それはご愁傷様ですね。まあ僕やウェルズリー伯爵もそうなんで諦めてもらうほかないんですが……」
「わかっている。今回だってこんな山奥に避暑しに来たわけでもない」
マンスフィールド内国課長はそう言うと、分厚い書類鞄からいくつかのメモを取り出した。
「ちょっと気になったことがあってな」
「どうしたんですか?」
「まず一つ目だが、あいつら食糧の蓄えがかなりのもんあるんだ。これは内務省と軍務省の共同作業でようやく割り出した数値だから間違いない。そして最新の情報でもある」
「かなりのもん、ていうのは?」
「ざっと算定した旧タウンシェンド侯爵領軍やらが二年以上食っていける分、王国が二個軍を動かしてもお釣りが来る程度、だ」
「え、何年籠城する気なんですか、それ?」
普通に考えて数年分など多すぎにもほどがある。
マンスフィールド内国課長も今でこそ情報機関の元締めだが、元々はれっきとした軍人であり、そのことに対する違和感は強く持っていた。
「我々が思っているよりも多い、ということですかね?」
「それはないな。根こそぎ動員をかけてる数字で算定している」
「じゃあ領民の分、とか?」
「もちろんその可能性もあるだろう。長期の包囲戦となって領民が満足に畑仕事が出来なくなったときの救恤用、というのが軍務省の結論だ」
それで結論ならば何も言うことはないのではないか、とユートは思う。
「それなら……」
「ここから先は俺の勘だ。何か妙な感じがするんだ。全部、説明を付けようと思えば付けられる。だが、本当にそうなのか疑問を覚えるんだ」
勘、と言われて信じられる者はなかなかいない。
実際、ユートだって半信半疑だった。
「勘、ですか……」
「ああ。もちろん軍務省の会議ではそんなあやふやなもので結論を変えることは出来ない、と却下されたさ」
「でしょうね。でもマンスフィールド内国課長がそう思われるということは、何か根拠があるんでしょう?」
「ああ、これは情報を探っていて思うことなんだがな、どうも情報が手に入れやすくて困っている」
「は?」
ユートは礼を失することを忘れて妙な声を出していた。
情報が手に入れにくい、というならば困るのはわかるが、情報が手に入れやすくて困る、というのはどういうことなのかさっぱりわからない。
「本来ならば、地方貴族というものはどこも情報部内国課に情報を探られるのは嫌がるもんだ。別に王国に叛旗を翻すつもりはなくても自分たちが丸裸にされていれば無理難題を押しつけられた時に抵抗する力が足りなくなるし、そもそも自分の領分に土足で入られて嬉しい奴なんかいない」
それはその通りだとユートも思う。
「だが、旧タウンシェンド侯爵領は前よりも情報が手に入れやすくなっている。普通に考えれば叛乱を起こそうとしているのだから情報流出には過敏になるはずだ」
「意図的なリーク、ということですか?」
「旧タウンシェンド侯爵家も一枚岩ではなく、叛乱に消極的な家臣が漏らしている可能性もある。事実、軍務省はそういう考えだ」
「マンスフィールド内国課長は違う、とお考えですか?」
「もちろんだ。意図的なリークとしても兵糧の量だ、軍勢の数だ、そんな話がどんどん入ってくるんだぞ。しかもリーク先はいまいちよくわからんし、だいたい前タウンシェンド侯爵はずっと国元にいたお陰で家臣団の人望はあるというのが事前の諜報結果だったんだぞ」
ふむ、とユートは考え込む。
「結局、マンスフィールド内国課長は、前タウンシェンド侯爵が誘っているとお考え、ということですか?」
「ああ、前タウンシェンド侯爵はこちらの攻勢を誘っている。間違いないと思う」
「なぜ?」
「裏切り者がいるのではないか?」
「つまり、仕掛けたタイミングに合わせてどこかで別の烽火が上がる、と?」
「そういうことだ」
ユートにも前タウンシェンド侯爵の秘策、というのが何かはわからなかったが、ともかく何かが起きるという前提で動いた方がいい。
「わかりました。限定攻勢には出ますが、深入りして旧タウンシェンド侯爵領軍に拘置されないようにします。裏切り者が出るとしたら恐らく南部でしょうし、どこから敵が現れるかわかりませんから」
「ああ、それがいい。戦術的自由度を確保することに専念しておけば何が起きても自由に戦うことが出来る」
ユートの答えにマンスフィールド内国課長は満足そうに頷いた。
「ちなみに、ウェルズリー伯爵は何と?」
「レイもまた南部諸侯の叛乱を気にしていた。とはいえ、面と向かって南部諸侯を問い詰めるわけにもいかんしな」
そんなことをすればただでさえ心情的には中央の軍より同じ南部貴族である旧タウンシェンド侯爵家に同情している南部諸侯を旧タウンシェンド侯爵側に追いやってしまいかねない。
「ジャストの叛乱も気にしていたらしい。ジャスト本人はともかく、ロドニーは家を治めるのにはまだ力不足だし、クリフォード侯爵家の家臣団は長く中央にいた上、今は謹慎中のジャストがそこまで掌握できているか不明だしな」
それでシルボーに着くなりアドリアンたち猟兵大隊が動員されたのか、とユートはようやく合点がいった。
交代する相手である、中央軍の派遣部隊には法兵が含まれていないようだったのに、西アストゥリアスに猟兵を送るのはなぜなのか、と疑問に思っていたのだ。
「まあウェルズリー伯爵がそこまで考えているなら大丈夫、とは思いますが……」
「油断大敵だぞ」
「わかっています」
マンスフィールド内国課長はユートにそう警告を発すると、また仕事だ、と言って辞していった。
その去っていく方角はシルボーのある西ではなく、東だったので、これから潜入して情報収集にでも当たるのか、と思うと頭が下がる思いだった。
七月五日、そんなマンスフィールド内国課長の警告を受けて、ユートは警戒しながらウェルズリー伯爵の命令通りに東へと軍を発した。
「敵はおおよそ十キロほど東の丘陵に石塁を築いて防衛線としています。ここを抜くとなると法兵の火力支援が必要と思われます。その手前に前哨拠点がいくつかあるようですが、これは単独でもつぶせます」
西方軍直属法兵がいるのだから別に防衛線そのものを抜くことも不可能ではないだろう。
だが、マンスフィールド内国課長に警告された今、ユートはそこまで強気で攻める気はなかった。
もし防衛線の攻防にかかずらっている間に裏切り者でも出れば大変なことになるからだ。
「石塁はとりあえず手を付けないでおきましょう。相手は弓主体ですかね?」
「法兵もいるかもしれません」
「旧タウンシェンド侯爵領軍程度が法兵を持っているんですか?」
ユートは少し驚いていた。
ユートは王位継承戦争で東部諸侯の貴族領軍を率いたことがあるが、シーランド侯爵領軍にしても、その他の貴族領軍にしても法兵を持つ軍はほとんどいなかった。
もちろん切り札になり得る部隊だけに王位継承戦争では出さなかったのかもしれないが、それでもそれは多くは持っていない、ということの証明でもある。
戦線全体で見れば前タウンシェンド侯爵にとってこの方面の最前線はそこまで重要ではないのに法兵を置いているのか、と疑問を持ったのだ。
「数人程度ならばここら辺の小領主が持っていた法兵を投入している可能性があります」
「ああ、なるほど」
そうしているうちに前哨拠点が見えてくる。
といっても標高差も数十メートル程度しかない丘の上に築かれた粗末な小屋であり、周囲には堀もなく、ただ地勢を活かしただけの陣地、または観測拠点にしか見えなかった。
「ユート、あんなもんすぐ落としたるで」
司令部を設定すると同時に命じた指揮官集合で、司令部へやってきたゲルハルトが開口一番そう笑った。
「ああ、それは頼むんだけど……リーガン大隊長、騎兵って運用できますかね?」
「無理ですな。周囲の原野ならともかく、木々が生い茂っている場所では騎兵は運用できません」
「では騎兵大隊は周辺警戒をお願いします。それとブラックモア大隊長は本営警固を」
「承知しました。しかし、随分と堅く守るのですな」
ブラックモア大隊長が不思議そうに言った。
眼前の前哨拠点ははっきりと言えば掘っ立て小屋に毛が生えたようなものであり、ユートが司令部を堅く守る理由がわからないらしい。
「この程度の攻め潰される前哨拠点を何のためにあるのかなぁ、と思いまして」
「つまり、攻めている間に我々を包囲するためにある、ということですか?」
「可能性としてゼロではないでしょう?」
「なるほど、承知致しました。何かあったとしても我々が必ず守り抜いて見せます」
ブラックモア大隊長はそう胸を張った。
攻勢に出るときは餓狼族や妖虎族のように自由度の戦いが出来ず、足手まといになっている感が強いブラックモア大隊長の西方混成歩兵第二大隊だが、守勢に回った時には彼らに勝るとも劣らない。
事実、シェニントンの会戦では優勢な南方騎兵を混成歩兵で押しとどめ、ユートたちがタウンシェンド侯爵の首を挙げるだけの時間を稼ぎ出したという実績もある。
「頼みます。そしてゲルハルトは直接攻めかかるのを頼む」
「任しとき」
「レオナは相手に悟られないように背後に回ってくれ。何を企んでいたのか、出来るだけ捕虜を取りたい」
「わかったニャ。半殺しまでは構わないニャ?」
「あんまりやり過ぎるなよ」
レオナの言葉に苦笑しつつユートは前哨拠点となっている掘っ立て小屋を睨みつけた。
結果から言えば、ユートの危惧は全て杞憂に終わった。
掘っ立て小屋に籠っていたのはもともとここら辺の領主だった小貴族らしく、兵も二百程度であり、しかも練度も低く、実際に戦ったゲルハルトには警備兵より弱い、と言われたほどだった。
「結局、なんだったんだろうな?」
あっさり降伏して大半が捕虜となった後、前哨拠点の丘に上ったユートはそうアーノルドに問いかけた。
「捕虜の尋問をしてみなければわかりませんが……恐らく彼らは何も知らないのではないでしょうか?」
「いや、末端の兵士はともかく、あいつらの中には領主だった元男爵までいたと思うんですけど……」
「彼らにも知らされていないのではないかと思いますな」
アーノルドはそう言いながらも、男爵以下の全員を後送して尋問を受けさせる手はずは整えている。
「そんなことがあるんですかね?」
「南部は元々ローランド王国との戦いに備えて、旧タウンシェンド侯爵家とクリフォード侯爵の二大侯爵の下に小貴族が集まるような構造ですからな。東部では小貴族でも大貴族と対等という建前が割とそのまま通用するところがありますが、南部では小貴族は陛下の臣でありながら、気分は大貴族の臣、寄子に近いところがあります」
「だから、寄親である前タウンシェンド侯爵が叛乱を起こす、となれば一にも二にもなく付き従った、ということですか?」
「そういうことです」
「それで処刑されるのは何か可哀想ですね」
何も知らされず、ただ主君に近い存在である前タウンシェンド侯爵に従った男爵だが、その未来は暗い。
主君であるアリス女王に逆らったのだから、一族処刑の未来しかないのだ。
「ユート様、それは流石に看過できない発言ですぞ。私は何も言いませんが、他の者に聞かれればユート様も叛徒に同情的、と取られます」
もちろんユートもわかっているし、アーノルドの忠告に頷く。
仕方が無いとは言え、降伏しても処刑、降伏しなくても戦死、ということになるならば、今後の戦いはますます過酷なものになりそうだった。
本来ならばもう少し早く付ける予定でしたが、今章のタイトルを更新しました。
今章は「ザ・ファニー・ウォー編」となります。




